散髪屋のあんちゃん
去年の夏頃だから、約半年ほど前のことか…
駅前の片隅に1000円理髪店ができているのを見つけた。
地方都市で観光地でもあるから、1000円の散髪屋さんは今までなかったのだが……
頭のことなど人並みに整っていればあまり気にしたことなどない私のことだから、安さに誘われちょくちょく通うようになった。
その散髪屋さんは若いあんちゃんが一人でやっている。
つまり髪を伐られているたった一人以外は、すべて待ち人。
とはいえ、田舎の街故せいぜい一人ぐらいが漫画をよんでのんびり待っているのが常だった。
表通りだけど狭いビルの2階にあって、目立たない。けど、小さな店内は簡素な作りだけどいつも綺麗に掃除されていて、あんちゃんの人柄が滲み出ている。
2度目に訪れた時、散髪台に座るや否や、
「お客さん、この前の時くらいでいいですか?短めで刈り上げて」
とあんちゃんが言った。
僕はびっくりして、
「え、覚えてるの?」
と言った。
「二ヶ月ほど前でしょ?来てくれはったの。覚えてますよ」
僕は散髪屋さんで会話するのが大の苦手で、たいがい寝た振りをする。
初めて来た時もだんまりを決め込んで、狸になっていたはずだが……
「お客さん、みんな覚えてるの?」
と僕は聞いてみた。
「まぁだいたい覚えてますよ。お客さん確か、バルタン星人のネクタイしてましたよね」
とあんちゃんがニッコリ笑った。
確かに遊び心で買ったバルタン星人の地味なネクタイを一本だけ持っている…
世にバルタン星人のネクタイを持っている人はいないことはないだろうが、こんな田舎都市の片隅の1000円理髪店に来る客に、二人もいるとは思われず…。
僕は感心して、それ以来あんちゃんと会話するようになった。
年末も押し迫った日の遅い時間に、その散髪屋さんを訪れた。
「いらっしゃっませ」
と迎えてくれたあんちゃんの目が、その日は真っ赤だった。
「どうしたの?」
と僕が聞くと、
「いえ、大丈夫ですよ」
とあんちゃんはニッコリ笑って鼻をすすった。
いつものように散髪台に座ると、あんちゃんが照れたように笑って、
「今年最後のお客さんですよ」
と言って、ドアに閉店札を出して戻ってきた。
「ホントにどうしたの?」
と僕は問うた。
「へへ、ちょっと嬉しいことがありましてね。あぁ、恥ずかしいな」
あんちゃんは手際よくビニールのシートを僕に纏わせ、いつものように僕の髪を短く切りだした。
鋏を使いながらあんちゃんがぽつりぽつりと語りだした。
「ちょうどお客さんと同じくらいの頃から、ずっと通ってくれてるお客さんがいらっしゃってね。もう50過ぎのおじさんなんですがね、失業しててずっと面接受け続けてたんですって。面接前日の度に必ずここに来て下さって、身を引き締めていくんだっていって。多い月には3回も来ることもあって。もう刈るところもないのに。半年で20くらい面接受けて一度も採用されない、言っちゃぁ悪いんですが、確かに冴えない方なんですがね」
僕は黙ってニコニコしながら話すあんちゃんの顔を鏡越しに見ていた。
「それがね、さっきその方が来たんですね。ネクタイ絞めて。受かりました、採用されました、いつも綺麗に髪切ってくれてありがとう、って。たいしたお礼じゃないけど、誰かと喜びを分かちたくって挨拶だけしに来ました、って」
あんちゃんの鋏を持つ手が止まっていた。
「それでね、こんなものをくれたんですよ。ほら」
あんちゃんが振り向いた視線の先に、小さな透明パックに入ったひと組みの「紅白まんじゅう」があった。
「島倉千代子じゃないけど、なんか人生いろいろだなぁ、って。きっとあの人祝ってくれる人もいなくて。でも嬉しいじゃないですか。あぁ、よかったなぁ、って思うとなんかワタシまで嬉しくなって」
言葉が見つからず僕はまた鏡の中のあんちゃんを見ていた。
その後、あんちゃんは黙ってニコニコしながら、あまり手間のかからない僕の頭を調えていった。
「お疲れ様でした」
あんちゃんは最後にタオルで僕の肩を優しくはたいて僕を立たせた。
レジに向かう僕をあんちゃんは呼び止めて、
「今日はもう誰も来ません。よかったら一緒に食べません?紅白まんじゅう」
と言った。
いろんな人生がある。
このあんちゃんも優しく綺麗な人で、僕は嬉しくなって頷いた。
紅白まんじゅうはしょっぱい味がした。