怠け者すぎたせいで、悪役令嬢イベントを全部踏み倒した。
ある夜会での事。
私はダンスに興じる人々を尻目に壁際で休んでいた。
「そちらのご令嬢、よろしければ一曲如何ですか?」
そこへ、恭しい態度で手を差し伸べる男性が現れる。
四角い眼鏡の奥、長い睫毛を添えた美しい青い瞳の青年。
彼は幼馴染の侯爵令息、オスカー。
私と付き合いの長い彼はその聡明そうな容姿に反して、他人のふりなど、たまにこういった茶目っ気を見せる事があった。
「結構です。ダンスは好きじゃないので」
「疲れるから?」
持っていたシャンパングラスを呷りながら私は無言で肯定する。
オスカーは差し出した手を引っ込めて、私の隣に並ぶと壁に凭れ掛かった。
「婚約者はどうしたんだ」
「あら、まだ見ていないの? 少し探せばすぐに見つかると思うけれど」
そう言われたオスカーは素直に視線を巡らせる。
そしてオーケストラの演奏に合わせてダンスを踊る大勢の中、あるひと組を見つけた彼はげんなりとした表情を見せた。
「あれを放っておいていいのか」
「今に始まった事ではないもの。それに彼は私の話など聞くつもりもないわ」
楽しそうに踊る男女。
それを遠目に眺めながら私は肩を竦める。
「彼らはよくもあそこまで人の視線に無関心になれるものだな」
「恋は盲目、とはよく言ったものね」
「何故伯爵夫妻はあんな男を選んだんだ」
「知ってるでしょう? 真っ先に申し出があったからよ。早めに娘の地盤を固めたかったらしいわ……他の家がのんびりしている間に決まってしまったのよ」
「婚約者が決まっていない身としては、耳が痛い話だな」
うちは特別財を有している家でもないし、伯爵家より高位な爵位の家からの申し出があればそれを都合がいいと考えるし、乗っからない選択はないのだ。
想定外だったのは……その婚約者が侯爵令息の風上にも置けないような性格の男だったという事だろう。
私は失笑しつつ男女から視線を逸らし、バルコニーへと向かう。
「どこへ?」
「親に言われて参加したけれど、立ちっぱなしって疲れるのよね。程よく軽食も食べたし、迎えが来るまで眠っておくわ」
「仮にも不特定多数が集まる場所だぞ。女性一人で居眠りするような奴があるか」
オスカーの制止をよそに、私はさっさとバルコニーへ向かう。
オーケストラの音楽も人のざわめきも程よく遠のいたバルコニーには小さなテーブルが一つと椅子が二つ備え付けられている。
その内の一脚に腰を下ろした私はさっさとテーブルに突っ伏す。
夜風の冷たさが心地よかった。
「全く、本当に君はブレないな」
やや遅れてバルコニーへやって来る人の気配。
オスカーはそう言いながら空いていた席に腰を下ろすと何も言わずにその場に居座った。
「別に私に付き合わなくてもいのよ」
「馬鹿言え。一人でいる知人の女性を放っておける訳もない。怠け癖という悪癖こそあれど、君の容姿は整っているしな」
「アクセサリーもろくにつけない、流行遅れのドレスを着た貧乏貴族だけど?」
「それはどうにかすべきだろうが……正直、俺にとってはそちらの方が都合がいい」
その言葉の真意を悟りながら、私は突っ伏したままくすくすと笑うのだった。
***
我が家は伯爵家とは名ばかりの貧乏貴族……と囁かれている。
家の体裁の為に辛うじて王立学園に通ってはいるものの、アクセサリーの類を着ける事もなく、質素な格好ばかりしているのでその様な噂が立った。
実際には派手な暮らしを好まないだけであるし、アクセサリーも私が大して興味がないだけ……なのだが。
さて、こんな噂を信じた貴族の一人、商家の成り上がりの男爵家の娘ジョアンナはある日私にこう提案した。
「ハリエット様。どうか婚約者のチャールズ様を解放してあげてください」
チャールズは私の婚約者だ。
侯爵家の嫡男でありながら、その地位に胡坐をかくだけの性格も教養も壊滅的な穀潰し。
解放、という言葉がどういう意図のものであったのかはよくわからず、首を傾げていると、ジョアンナは目を潤ませて言う。
「私とチャールズ様は愛し合っているのです」
なるほど。彼女はどうやらあの顔だけの穀潰しと一緒になりたいらしい。
「そういう事であれば、チャールズ様にお伝えください。婚約解消に必要な手続きをしましょう」
「それだけじゃ駄目なの!」
ジョアンナ様は私の手を取る。
「チャールズ様から一方的に婚約を解消なんてしたら、彼が悪者になってしまうでしょう? だからハリエット様に手伝って欲しいんです!」
いや、悪者になってしまうというか、割と妥当な評価を下されるだけだろう、と私は内心で突っ込む。
そんな私の考えに気付く様子もなく、彼女は言う。
「私の言った通りの時間に、言った通りの場所にいてくれるだけでいいんです。勿論、相応の報酬はお支払いします! お金に困っているのでしょう?」
そんな事を言い出した彼女の言葉を私は聞き流したのだった。
「で、男爵令嬢如きに何度も命令されるも、一度も従っていないと」
「結果的には?」
休校日の事。
オスカーに招待された私は彼の家の庭園でお茶を飲んでいた。
「確かに我が家はお金に余裕がある方ではないし、頂ける分には欲しいのだけれど」
「いや、行かなくて正解だとは思うが。……けど?」
「動こうとすると、腰が重くて」
「ああ。……君は昔から怠け癖がすごいものな」
そう。私は極度のめんどくさがりなのだ。
出来るだけ動くという労力を掛けずに、タスクをこなす生き物であり……それ以外の時間はとにかくだらだらしていたい。
おまけに多額のお金も私にとっては、『貰えるなら欲しいがなくても困らない』程度の価値でしかない為、時間が空いているから付き合ってやろうという時ですら、いざ動こうとすると急にやる気がなくなってしまう。
「警戒心のなさやお金に意識が傾きやすいところは君の欠点だが……今回はより悪癖とも言える怠け癖に救われたな。ジョアンナは両親が婚約者を見繕いだしているらしいし、このまま決定打が掴めなければ両親達が連れてきた婚約者をあてがわれる。焦っている頃だろう」
「悪癖って、あんまり人に向ける言葉じゃないわ。というか……救われたって?」
「直にわかるさ」
そう言うとオスカーはやれやれと肩を竦めた。
それから数日後。
「ハリエット! お前との婚約を破棄する!」
大勢の生徒の前、ジョアンナを連れてチャールズはそんな事を言った。
「君は人気のない場所にジョアンナを呼び出しては彼女に数々の虐めを行った」
「ひ、ひどい……っ! ハリエット様」
全く身に覚えがないが、チャールズは私を責め、ジョアンナは何故か涙目だ。
しかしそんな私よりも――周りの空気が冷めていた。
「ハリエット様が……?」
「確かに最近、ジョアンナ嬢が一人で人気のない場所に向かうところは何度も見たけど……」
「ハリエット様はいつも通り、ずっと教室で転寝をしていなかったか?」
私はここで漸く、オスカーの言っていた事を理解した。
ジョアンナは私を弱者を虐める悪女に仕立て上げ、それを理由にチャールズに婚約破棄をさせようとしたらしい。
けれど、私があまりにも動こうとしないせいで計画は水の泡。
そんな中、彼女の両親によって、望まぬ婚約のセッティングも着々と進められ――しびれを切らした二人は慌てて婚約破棄に乗り出した……といったところだろう。
しかし、何もかも上手くいっていない中での強行は成立すらせず。
明らかな違和感と矛盾に気付いた他の生徒の疑念はジョアンナとチャールズへ向いた……と。
「婚約破棄は、どうぞご勝手に。この事は我が家に伝えた上で慰謝料を請求させて頂く事にはなると思いますが……婚約解消には応じましょう」
「な、慰謝料だと!?」
そう。私は気付いたのだ。
この場を利用すれば私が自ら手を打ったり動いたりせずともお金が沢山入って来るという事に。
「冤罪についてや、婚約破棄という無茶な申し出についての証人ならばこの場に大勢いますし、言い逃れは出来ないかと。それでは」
「ま、待て……っ!」
私はそそくさとその場を離れていく。
怠け癖のお陰で、私は悪女にならずに済み――こうしてお金まで手に入れる事が出来たのだった。
***
「結局、ジョアンナは男爵令嬢だという事もあるし、チャールズ側の家は婚約を許可しなかったそうだ」
「そう」
今度は我が家にやって来たオスカーが用意されたお茶を飲みながら話す。
「ジョアンナは二十は年上の男と婚約させられた挙句、大勢からの笑い者になって社交界に出なくなった。チャールズは悪評が広まったせいで両親がカンカンに怒り、領地の辺境まで追いやられたとか。家は次男が継ぐらしい」
ソファの上でだらだらとしていた私に、オスカーが私を陥れようとした者達の末路を話す。
しかしそんなものは、私にとって退屈な話でしかなかった。
「ねぇ」
「うん?」
「私が怠け癖のある女だとよく言うでしょう」
「ああ。今もそんな空気を纏っているが」
「なら」
私はオスカーを見て笑みを深める。
「その怠け癖の女が、わざわざ異性の誘いに乗って家を訪れる心境は知っている?」
オスカーはゆっくりと目を見開いた。
それから、持っていたティーカップをソーサーに戻し
「それは、都合よく捉えるが構わないか?」
「勿論」
私達は微笑を浮かべて見つめ合う。
交わされる視線に熱い想いが込められている事に、私達だけが気付いていた。
***
それから一ヶ月が経った頃。
私は新品のドレスとアクセサリーを身に付けて夜会へと出席する。
馬車の扉を開けられた先には同じく正装に身を包んだオスカーの姿がある。
「ハリエット」
「ご機嫌よう、オスカー」
彼は笑顔で手を差し伸べ、私はそれを受ける。
私は彼のエスコートを受けながら馬車を降り、ホールへと向かう。
「……珍しいな、君が着飾るなんて。これまで面倒だとか興味がないとか言っていたのに」
「あら。ご存じないのかしら、私の『婚約者様』は」
私は彼の顔を覗き込み、笑みを深める。
「女性というのは、思いを寄せる相手の隣でくらい、つり合おうと見栄を張るものよ」
「それは……光栄すぎるな。だが」
オスカーは驚いたように瞬きした後、つられたように笑うと、私の腰に手を回して抱き寄せ――
――私の額にそっと口づけをした。
「……っ!」
想定外の事に驚き、思考が止まる。
その耳元で、低く笑う声があった。
「……男というのは、女性にばかり口説かれると落ち着かないものだ」
たまには意趣返しでもしようか、と不敵な笑みをオスカーは浮かべる。
普段ならば何か言い返すなりしたのだろう。
しかし今日の私はそうではなかった。
彼と婚約してから早一ヶ月。
オスカーは婚約者として私に真摯に接してくれていたけれど、こういったアプローチはこれまでなかった。
婚約前……ただの幼馴染として接していた時も当然ない。
彼が自分からこういう事をするのは初めてだったのだ。
不意打ちに驚くとともに、顔が熱を帯びるのを感じる。
化粧を施していたけれど、きっとそれでも分かるくらいに私の顔は赤かったのだと思う。
初めはちょっとした揶揄いのような気持ちだったのだろうオスカーが、遅れてその顔から笑みを消す。
驚いたらしい彼は数度瞬きをした後大きく咳払いをした。
「あー……すまない」
「い、いえ」
私達は婚約者同士なのだから何も問題はない。
何に謝られているのか、よくわからかなかったけれど、多分彼自身もよくわかっていなかったのだろう。
ただ、互いに初めて感じる様な気まずさとくすぐったさを混ぜたような空気に、何となく背徳感を覚えてしまった。
それから、突然口数が減ったオスカーに私は手を引かれて進む。
けれど私は気付いていた。
横目でちらりと盗み見た彼の横顔。
その耳の縁が僅かに赤くなっている事に。
この忙しない気持ちが私だけのものではないとわかったのが、嬉しかった。
だから私はこほんと咳払いをして、組んでいた腕を自分に寄せながら彼の顔を覗き込む。
「別に、続きをしてくれても構わないのよ?」
「…………それは、後でな」
困ったような顔を見せた彼は眼鏡を押し上げてから深々と溜息を吐くのだった。
いい年をした男女が、まるで子供の初恋のような初心さを見せあっている。
その姿は傍から見れば、滑稽であったのかもしれない。
尤も――私達はいたって真剣だったのだけれど。
***
「見て。オスカー様よ」
ホールの真ん中で踊るオスカーを遠巻きに見る令嬢が感嘆の声を漏らす。
「まあ、本当。ではもしかして、ご一緒しているのは……」
「ええ――ハリエット様ね」
「美しい……見違えるようだわ」
曲に合わせて優雅に踊るハリエット。
彼女は『貧乏令嬢』の名にふさわしくない装いで、また日頃の気だるげな様子とは全く異なる輝かしい笑顔でダンスに興じていた。
「ダンスは好きじゃないんじゃなかったのか?」
踊りながら、オスカーがそんな事を言う。
そういえばそんな事も言ったっけ、とハリエットは記憶を遡った。
「当時はこんな風に踊っていたら醜聞になりかねなかったでしょう? それにダンスが疲れるのも本当よ。……けれどね、オスカー」
ハリエットは笑みを深める。
「――愛する人の為の面倒事は、寧ろ大きな楽しみになるものよ」
「……全く、今日の君はいつも以上に愛らしいな」
久しぶりの夜会。
それも愛する人と正式なパートナーとして出席する初めての舞台。
ハリエットは少なからず浮かれていたのだろう。
二人はその後、他者に入る余地を与える事もなく二人きりの時間を楽しんだのだった。
――この日を境に、ハリエットの家が貧乏貴族であるという噂は社交界から消え失せたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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