祝福
――時は、20世紀の始め頃。
「……おめでとうございます、風護さま、お姉さま。末永く幸せであらんことを」
「おめでとう、朝乃さん、兄さん。お幸せに」
「ありがとう、光冶さん、咲夜」
「ありがとうございます、咲夜さま、光冶」
麗らかな陽射しが優しく照らす、ある晴れやかな朝のこと。
種々の草花が豊かに彩る趣溢れる庭園にて、それぞれに祝福の言葉を告げる光冶さまと私。朝乃さま――今年17の歳を迎えたお姉さまと、この度お姉さまと夫となる20代後半の男性たる風護さまに対してで。
……ええ、本当にめでたいこと。暖かな陽射しも、彩り豊かな草花も、優しく響く小鳥の声も、まるで全てがお二人を祝福しているよう。……なのに、私の心は未だ刃が刺さったままの如く鋭い痛みに苛まれていて。
『――いやぁ、本当に咲夜さんは素敵ですねえ、白峯さん。才色兼備、とはまさしく咲夜さんのためにあるような言葉だと沁み沁み感じております』
『ありがとうございます、和泉さん。ええ、手前味噌ながら本当に良くできた娘で。それに引き換え……朝乃ときたら、本当に何にもできなくて』
もう、幾年も前のこと。
我が家の廊下を歩いていると、襖越しに耳へと届く男女の声。和泉家のお父さま――風護さまと光冶さまのお父さまと、我が白峯家のお母さまの会話のようで。和泉家と白峯家は古くから懇意の間柄にあるそうで、それゆえ彼らご兄弟と私達姉妹も昔からお互いを良く知る間柄で。
ともあれ、今しがたの会話は数十分前に私が披露した琴の演奏に対しての内容でしょう。尤も、この種の会話を耳にするのはこれ限りではなく、どころか日常茶飯事と言ってよいほど……それも、幾年にも渡り止むことはなく。
そして、その度にぎゅっと胸が痛む。お褒めの言葉を頂けるのは、大変恐縮なことです。ですが、さながら私を引き立てるようにお姉さまを悪く言うのは本当に止めて頂きたい。それも、襖越しとは言え廊下に十分に聞こえるお声で。そして、前述の通りこの種の会話は日常茶飯事――なので、同じ屋根の下に住むお姉さまがご存知ないはずもなく。
……ですが、私から励ますことも躊躇われて。と言うのも――お母さまの心ない発言も、容認はしかねるものの完全に否定もしがたくて。嫌な言い分だと我ながら承知しておりますが……実際、私の方が何でもできますから。勉学も、琴も、生け花も、裁縫も、料理も――思いつくものは何であれ、確かに私の方が遥かに上手ですから。そして容姿においても、もちろんお姉さまが他の数多の方々に比べ遥かに優れていることに疑いはありませんが……それでも、これまた嫌な言い分になりますが私には及ばないと断言できます。……尤も、好みの問題となるとまるで話は変わるのでしょうけれど。
そして、分かっています。お姉さま自身にそのご自覚があること――そして、そのために甚く私を羨み妬んでいらっしゃることも。なので、その私がうっかり励ましの言葉でも掛けようものなら、いっそう彼女の神経を逆撫でしてしまうのは火を見るよりも明らかでして。
――すると、そんなある日のことでした。
『――貴女のことが好きです、朝乃さま。どうか、私と交際を結んでくださいませんか?』
和泉家の廊下を歩いていると、襖越しに柔らかな――それでいて、明確に意思を宿した声が鼓膜を揺らす。私の良く知る眉目秀麗の誠実な男性、風護さまのお声で。
刹那、ズキリと胸を貫く。これまでにまるで覚えのない、さながら刃物で刺されたような鋭い痛みが。……だけど、理由なんて分からないはずがなく。
その後、ほどなく響く承諾の声。すると、続けて響く風護さまの歓喜の声。ふらと意識が遠のく中、崩れるように腰を下ろし襖を背にうずくまる。そして、痛みの止まない胸をぎゅっと押さえながら、心の中でただ一人呟く。
……私は、全てを持っています。きっと、お姉さまが求めて止まなかったもののほぼ全てを。……ですが、お望みであれば差し上げます。容姿も、才能も、お望みであれば喜んで全てを差し上げます。なので、どうか……どうか、たった一つだけ――




