地道な一歩
それから徐々に、シズカ先生は学園内での存在感を増していった。
その姿は、数学の授業、言語指導、音楽室でのピアノ伴奏にまで現れるようになっていた。
整った顔立ち、無駄のない所作、穏やかで揺るぎない声。プログラムされた知識はどの教科にも対応し、生徒の質問には即座に明確な答えを返す。
「シズカ先生が代行です」
そう告げられるたび、生徒たちはざわめいた。
彼女の授業は静かだった。誰も怒鳴らないし、誰も叱られない。
気づけば、彼女を先生と呼ぶことに違和感を抱く者はいなくなっていた。
いや、むしろ――
「シズカ先生って、人間と同じなんじゃないか?」
そんな言葉さえ、生徒の口から漏れるようになっていた。
だが、その一方で。
「……機械だぞ、あれは」
「“シズカ信者”みたいな連中、マジで気持ち悪い」
感情を持たない教師が、人の心を動かすという矛盾。それを受け入れられない生徒もいた。
――ある日の放課後。
放送室の前でレンヤが足を止め、ドアを軽くノックする。
ドアを開けると、中では放送委員長・斎藤アキラがモニターを前にヘッドホンを首にかけ、音楽の編集作業をしていた。レンヤたちを見ると、少し慌てたように言う。
「えっ!? ... 何か、ありましたか?」
「放送委員の活動状況を確認したい。学園祭に向けて協力体制を作りたいんだ」
アキラは困ったように眉を下げた。
「....ああ。実はうち、正直ほとんどAIに頼ってて……自動音声が時報も校内放送もやってくれるから、僕たちが何かするっていうのも、なかなか……」
机の上には録音済みの自動放送データ、そして配信スケジュールが整然と並んでいる。効率化の極みだが、そこに人間の関与する余地はほとんどなかった。
「あと、うちの学園、放送の規制も厳しくて……企画って言っても、自由にやれる感じじゃ……」
すると、部屋の隅にいた放送委員――高峰ジュンが口を挟んだ。
「だったら俺がやってやるよ。突撃インタビューとかどう?どんどん突っ込んで、ガンガン本音引き出してさ。バズるぞ、絶対」
すかさず、シズカが淡々と言う。
「校内規則に基づき、事前承諾のない取材行為は禁止されています。加えて、生徒間のトラブルを誘発する恐れが高く、学園の指針に反します」
その瞬間――空気が一変した。
「うるせぇよ!!」
ジュンが立ち上がり、椅子を蹴飛ばすように動いた。シズカを真正面から睨みつける。
「機械が教師ヅラすんなっての! 正論だけ並べて、否定ばっかして、テメェに何が分かるんだよ!」
一瞬、空気が凍る。
アキラが止めに入る。
「ジュン、それは……先生に失礼だろ」
だが、ジュンはアキラを振り返り、吐き捨てるように言った。
「AIに気ぃ使うとか、おかしんじゃねーの。こんなのがどんどん増えたら、俺ら人間、マジでいらなくなるぞ? こんなの教員が楽したいだけじゃん」
沈黙が落ちる。
やがて、シズカが静かに言った。
「確かに、AIに気を使うことは無意味です。しかし、人間がいなければ、私の存在理由もありません。私のプログラムは、人間社会の持続を目的としています」
「は? 目的?」
ジュンは鼻で笑いながら、にじり寄るように問う。
「じゃあ聞くけどよ、人間にしかできないことって、何だよ?」
シズカはほんのわずかにまぶたを伏せた。まるで考えるように――いや、思い返すように。
「不安定さを欠陥とは捉えないことです。矛盾を忌避せず、それに耐え、寄り添い、なおも進もうとする。再現できない性能です」
ジュンは言葉に詰まった。まさか、そんな答えが返ってくるとは思っていなかったのだろう。
「……性能って言うのかよ」
苦笑のように言い捨て、ジュンは黙った。
ソウタが、肩をすくめて言う。
「やつあたりしても意味ねぇだろ」
「……ああ。悪かったな」
ジュンは、乱暴にヘッドホンを机に置き、椅子に座り直した。
すると、シズカが再び口を開いた。
「あなたの企画自体は、価値のある視点です。生徒の声を拾うことに、放送委員としての意義は存在します。方法を修正すれば、実現の可能性があります」
ジュンは、目を伏せたまま、ぼそりと漏らした。
「……寄り添ってるつもりかよ」
「いいえ。しかし“必要とされたい”という設計者の意志は、私に受け継がれています」
機械の声ではないものを聞いたような、そんな錯覚が、部屋の中を静かに満たしていた。
ジュンは小さく息を吐き、静かに言う。
「……インタビュー。ちゃんと許可取って、台本も作って、形式整えりゃ……いけるよな?」
「はい。問題ありません」
シズカが頷いた。
「じゃあ……やってやるよ。今度はちゃんと」
ジュンが落ち着いた所で、レンヤが切り出す。
「企画書を頼む。それから、校内放送の機材チェック。マイク、ミキサー、電波系統。定期確認は、誰がやってる?」
アキラは一瞬、ポカンとした表情を浮かべたあと、答えた。
「あれって……AIが自動でやってると思ってたけど……」
「――俺がやってる」
レンヤの声が、それを遮った。
アキラは一瞬、言葉を失ったように固まる。
「……すみません……。本当に。全部、AIがやってくれてると……思ってて……」
レンヤは肩をすくめると、わずかに笑った。
「人間にしかできないことってのは、案外、地味で、地道なんだよ」
その言葉に、誰も何も返さなかった。
ただ、その空間に、確かに“対話”が芽吹いていた。




