9. 想い人の噂と義両親の来訪
視点切り替えが分かりにくいとのご指摘をいただきましたので、視点が切り替わるところは▼▼▼▼▼で区切ります。
「……うん。それで……リチャード。その顔はどうしたんだ?」
運命の女性についての調査報告のために私の執務室を訪れたリチャードの顔は、目の周りは青黒く変色し、左頬には湿布が貼られているものの、その下は腫れ上がっているのが分かる。
まあどう見ても……殴られたんだろうな。
「これは……その。一昨日、両親が久々に王都に戻りまして」
「ああー……なるほど」
両親、という言葉で何となく察する。
恐らくエレクシア夫人との離縁の話、特に離縁を決意した経緯を話して激怒されたのだろう。
そりゃそうだ、将来息子がリチャードと同じ理由で離縁するなどと言い出したら、私でも手が出るだろう。
息子はまだ2歳だがな。
「せっかくの美丈夫が台無しだな…。ゴホン、それで…例の調査はどうなってる?もう5日目だが」
「それなのですが……。彼女の行動パターンを観察しておりましたが、一日中図書館の窓から外を見て、時折立ち上がって知人に話しかけ、また図書館に戻るの繰り返しでして…。これ以上観察を続けても、何か新しい情報を得られるとは思えないのです」
何だ、その女は?
一日中図書館にいて、人に話しかけ、図書館に戻るの繰り返し?
暇すぎないか?
そしてリチャードもなぜそれを疑問に思わない?
「……確かに、今のままでは真実は得られなさそうだ。それでは、こうしてはどうか?その女性が話しかけた人物から話を聞いてみるのだ」
「……それをすることに意味があるのでしょうか?やはり女性に直接……」
「リチャード。前にも言ったが、君は先走りしすぎる。女性に直接話しかける前に、知っておくべき情報があると思うのだ。これは私の命令だ、いいね?」
「……は。かしこまりました」
リチャードは納得いかないという顔をしているな。
……腫れててよく見えないけど。
▼▼▼▼▼
ルーカス殿下に、クーデリアに直接話しかけるなと言われてしまった。
今すぐにでも彼女に話しかけてこのもどかしい状況から抜け出したいのに……。
いや、だからダメなのか。
私のような妻帯者の立場で無闇に女性に声をかけるべきではないな。
今はクーデリアの情報集めに専念しよう。
図書館の窓際に、いつものようにクーデリアが座っている。
窓から差し込む日差しに照らされる彼女は変わらず美しいが、心なしか当初感じたような胸の高鳴りは感じられない。
クーデリアは窓の外を見、何かを見つけて立ち上がる。
そして早足で図書館を出る。
……いつも通りだ。
渡り廊下の先に文官らしき男が立っており、クーデリアが手を振りながら走り寄る。
私の位置からはクーデリアの後ろ姿しか見えないが、あの男からはクーデリアの笑顔が見えているのであろうか。
私はいつものように身を隠してクーデリアの様子を見守る。
クーデリアはその男の腕に手をかけ、楽しげに話している。
……それにしても距離が近すぎやしないか?
不意に微かな疑念が頭をもたげる。
どこか不快な焦燥感を覚えているうちに、クーデリアが男から手を離し、図書館に戻っていく。
クーデリアが完全に見えなくなってから、私は男に近づく。
「すまない。……少し良いか?」
男は振り返ると、私を見てギョッとしたような表情を浮かべる。
「ああ…はい……。お顔、大丈夫ですか?」
ああ、そうだった。
私の顔は今ボコボコだったのを失念していた。
「顔のことはお気になさらず。私はリチャード・サウザンヒル。貴殿に少し聞きたいことがあるのだが」
「サウザンヒル閣下でしたか……!私は法務部のジョン・ランドリンと申します。それで、お聞きになりたいこととは?」
「先ほど、貴殿と話していた女性のことだ」
ジョン・ランドリンは眉を顰めて、怪訝な顔をする。
「……ヒラリー嬢ですか?彼女が何かしたのですか?」
ふむ。
クーデリアは今世ではヒラリーというのか。
「いや、ヒラリー嬢について聞きたいだけだ。彼女の家名は?」
「デュークス男爵家だと聞いております」
「ヒラリー・デュークス……。それで、貴殿とヒラリー嬢の関係は?」
「何も関係はございません!」
突然ジョン・ランドリンが声を張り上げる。
なぜ急にそんなにムキになるのだ?
「何も関係がないとは…?親しげに話していたのに関係がないわけがないだろう?」
「閣下。私は誓ってヒラリー嬢とは何の関係もございません。この廊下を歩いていたら、いきなり話しかけられたのです」
ジョン・ランドリンは胸に手を当ててそう話す。
胸に手を当てるのは、裁判所などで宣誓を行う時に取るポーズだ。
つまりジョン・ランドリンは誓って真実を話していると私に訴えているということだ。
「いきなりだと……?しかし、面識ぐらいはあったのだろう?」
「いえ、彼女に会ったのも話をしたのも、今日が初めてでございます」
ますます訳が分からない。
彼女は確実にあの図書館の窓からこの男を見て、図書館を出てきたはずなのだ。
しかもあんなに親しげに腕まで絡ませて話していたのに、今日が初対面とは?
「し、しかし…。貴殿は彼女の名前を知っていたではないか?」
「それは…彼女は有名ですから」
「ゆ……有名?どうして?」
ジョン・ランドリンはどこか言いづらそうに返答を躊躇っている。
「……あくまで、私が聞いた『噂』ですよ?男爵令嬢のヒラリー・デュークスは図書館の窓から男を品定めして、気に入れば手当たり次第に声をかけている……と」
彼の言葉に、私は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。
「な、な、なぜ。どうしてそんなことを?」
「詳しい理由は存じません。より高位の婚約者を探しているとか、一晩の相手を探しているとか、色々言われてはいますが……。誓って、私は無関係です!」
クーデリア……ヒラリー嬢がそんな不埒な女性だと…?
いや、これはあくまで『噂』だ、ただの『噂』……。
「そ、そうか。ありがとう。……ちなみに、先ほどヒラリー嬢とどんな会話をしたのだ?」
「会話も何も……彼女はなぜか私の名前を知っていて『ジョン様、お仕事は何時に終わりますか?お仕事が終わったら一緒に食事をしませんか?』と。それを丁寧にお断りしただけです」
「……………」
私は言葉が出なかった。
信じたくない、信じたくはないが……先ほど芽吹いた疑念の芽が心の中で急速に大きくなっているのを感じる。
そういえば、彼女は女性に声をかけたことは一度もなかったような?
それに、毎回違う男に声をかけていたな。
しかもどの男にも腕を絡めて親しげに……。
いや、噂などに惑わされてどうする!
私だって女性が苦手で遠ざけていたから、結婚するまでは『不能』だとか『男色』だとか散々言われたのだ。
それに、これがただの噂でないと困る!
だってそれが事実だとしたら、私がしてしまったことはもう取り返しがつかないではないか………。
あっ……!
そういえば彼女が声をかけた男の中でただ1人だけ、何度も声をかけていた男がいた。
もしかしたらあの男は彼女の知り合いなのかもしれない。
私は財務部へと足を向けた。
▼▼▼▼▼
「エレクシア様。グレイス様とロバート様が、エレクシア様に是非ともお会いしたいと仰っています。いかがいたしますか……?」
前公爵夫妻が王都にご到着された次の日、カールからお二人が私に会いたいと仰っていることを知らされる。
「それは……。私としては、お会いできるなら是非お会いしたいけど、公爵様が許されないのではないかしら?」
「リチャード様の意向など知ったことではございません。エレクシア様はどうされたいですか?」
ここ数日でカールの毒がさらに強くなっている気がするのだけど……。
一応公爵様は雇い主なのでは?
「それなら、是非お会いしたいわ」
「かしこまりました、それではこちらにお通しいたします」
しばらく経った後、部屋がノックされる。
返事をし、扉が開いた瞬間。
目にも止まらぬ速さで眼前に何かが飛び込んでくる。
「エレクシアっ!愚息がすまなかったっ!!」
飛び込んできたのは、まさに滑り込む勢いで土下座をしているロバート様だった。
「お義……ロバート様、いけません!!そんなことはなさらないでください!顔をお上げください……!」
私は必死でロバート様の肩を持ち上げようと踏ん張るけれど、ロバート様は絨毯に額を擦り付けている。
「あなた……エレクシアが困っていますわ。顔を上げなさい」
グレイス様が呆れたように声をかけると、ロバート様はヨロヨロと立ち上がってソファに座る。
「エレクシア……体調は大丈夫なの?」
「ええ。私は元気です。あの…せっかくお手紙をいただいたのに、お返事を出せなくて申し訳ございませんでした」
私がペコリと頭を下げると、グレイス様は困ったように眉尻を下げる。
「いいえ、エレクシア…。すべてリチャードが悪いのです。あなたは何も気に病まないで」
私を気にかけて言葉をかけてくださって、やはりグレイス様はお優しい方ね。
「いえ、きっと私が至らないところも大いにあったと思いますから。でもここを去る前にロバート様とグレイス様に直接ご挨拶ができて、本当に良かったです」
私がそう言うと、お二人は顔を見合わせる。
「エレクシア……。そのことなのだけど。リチャードと離縁した後、私たちの養子に入らない?」
「……えっ!?」
前公爵夫妻の養子ということは、リチャード様の義妹になるということ?
それは…何のために?
「私なんかがとんでもないことです!公爵家に利がありませんし…何よりリチャード様がお嫌かと思います」
これから新しい奥様を迎えられるのに、元妻が義妹になるなんて、奥様が心穏やかでいられるはずがないわ。
「リチャードは……除籍する。そして公爵位はエレクシアが継げば良い」
「!?」
次のロバート様のお言葉に、言葉を失ってしまう。
除籍…?
公爵位を私が……?
「そ、それはなりません!リチャード様は歴としたお二人のご嫡男です!リチャード様は能力も高いですし、公爵として何も不足はないはずです!」
「不足はあるわ…。むしろ、不足だらけよ」
グレイス様が口元を扇で隠し、ボソッと呟く。
「前世などと世迷言を言って、尽くした妻を簡単に棄てるような男が公爵に相応しいわけがないだろう」
ロバート様は今まで私に見せたことのないような厳しい表情を崩さない。
「……サウザンヒル家は遡れば王族の血も混じった由緒正しい公爵家でございます。私のようなしがない伯爵家の娘が継げるような家門ではございません」
私が丁寧に申し上げると、お二人は静かになった。
まさか前公爵夫妻のお怒りがここまでのものとは予想外だったわ……。
リチャード様はご無事かしら……?
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