1. 離縁の申し出
「エレクシア。すまない、離縁してくれないか」
夫の執務室に突然呼ばれ、ソファに座って向き合うなり夫から放たれた言葉に、私は瞠目した。
この人は何を言っているのだろうか?
言葉の意味が理解できないのではない。
なぜ今そんな言葉が出てくるのかが理解できないのである。
私、エレクシア・サウザンヒルは1年半前に目の前に座る夫、リチャード・サウザンヒルと結婚した。
私は鉄鉱石が採れる山を所有する伯爵家の娘、夫は鉄鉱石の加工品が名産の領地を所有する公爵家の息子で、どこからどう見ても立派な政略結婚だった。
たった2回の顔合わせで婚約が決まり、その3ヶ月後には入籍をしたロマンスのかけらもない結婚である。
だけど、今まで私たちはそれなりに仲良くやっていた。
少なくとも私はそう思っている。
第一王子の側近を務める多忙な夫だが、月に一度は2人で出かけていたし、朝晩の食事はほとんど共にした。
社交場には必ず2人で顔を出したし、私は女主人としての役割だけでなく領地経営にも携わった。
それに、閨事だって数えきれないほどあった。
何なら昨日の晩だって抱き潰されたのだ。
残念ながら子供はまだできていないけれど、白い結婚というわけでもない。
それなのに、だ。
さっき夫から放たれた言葉が理解できないのは、私の理解力が足りないせいではきっと無い。
私は呆気に取られたまま、夫の顔を見る。
夫は自分の口からとんでもない言葉を放ったくせに、なぜか苦しそうに顔を歪めている。
側に控える執事のカールに目を遣ると、こちらも目を見開いている。
恐らく、カールも夫の意向を今初めて知ったのだろう。
「………その理由をお聞きしても?」
何とか思考を目の前の状況に戻し、とりあえず離縁の理由を尋ねてみることにする。
「………前世の恋人に、出会ったんだ」
次の瞬間夫の口から飛び出した言葉に再び瞠目する。
夫の言い分を簡略化すると、こうだ。
◇
夫は前世、王女様を守る専属の護衛騎士をしていた。
護衛と護衛対象として日々を過ごす中で、王女様と恋仲になった。
ある時王女が刺客に襲われる事件があり、前世の夫と王女様は命を落としてしまう。
前世の夫は死の間際に、「来世で再び王女様と出会えるのなら、次は必ず守り通してみせる」と心に決めたのだという。
そしてその王女様の生まれ変わりの女性と、今日偶然出会ってしまったらしい。
◇
………どうしよう、ツッコミどころだらけなのだけど。
あまりに荒唐無稽な話すぎて、もしかして作り話をして本当の理由を隠そうとしている……?とも思ったけど。
夫はあまり嘘のつけない実直な性格だし、何よりあの苦しげな表情を見る限り、夫はそれを真実だと信じていて、それだけが理由で離縁したいと思っているのは間違いなさそうだ。
前世の約束なんて、私にどうこうできるはずもなく。
ああ、夫の中で離縁は既定路線なんだわ。
そう思ったら、心がパキッと折れる音がした。
「………今すぐ離縁を?」
「………白い結婚ならば1年で離縁できるのだが、残念ながら私たちはそうではない。白い結婚でない場合、この国の法律では2年は離縁できないのだ。だからエレクシアには悪いが…あと半年は婚姻を続けてもらって、半年後に離縁したい。
ただ君も知っていると思うが、私は器用な男ではない。他に心に決めた女性がいるのに、君に今まで通りに接してやることはできない。すまない。
もちろん離縁するときは全面的にこちらの有責とするし、この先君が1人でも十分暮らしていけるだけの慰謝料も出す。土地や屋敷が欲しければそれも渡そう。出来るだけ君に瑕疵がつかないようにする」
夫は深々と頭を下げる。
あんなに夫に請われて体力の限界を迎えるまで睦み合ったことを「残念ながら」と言われ、私の情は完全に消え去ってしまった。
「分かりました。半年後に離縁ですね。私からも条件を追加してもよろしいですか?」
頭を上げた夫はなぜか驚いた顔をしている。
離縁したいと言われて、私が泣き叫んで追い縋るとでも思ったのだろうか?
何にせよ、想像していた反応と違ったらしい。
「……あ、ああ。もちろんだ」
夫はゴホン、とひとつ咳払いをする。
「それではこれから離縁までの半年間、あなたとは一切顔を合わせません。何か伝言や、書類のやり取りが必要であればカールを通してください。
離縁が決まっていますから社交活動や領地に関することも放棄させていただきます。引き継ぎが必要なことは後ほど纏めたものをカールに渡します。
それから、今までの内容はすべて書面にして誓約書を作成してください。
後で条件が違うと言われても困りますから」
早口でスラスラと述べると、夫は呆気に取られたように口をポカンと開けている。
私はそんな夫を一瞥して、躊躇うことなく立ち上がる。
「……今日限りでもうお会いすることはありませんから。まだ離縁まで時間はありますが、先にお礼を申し上げておきます。今までありがとうございました、公爵様」
私は出来るだけ丁寧にカーテシーをして、その後は振り返ることなく執務室を後にする。
執務室を出てしばらくすると、カールが後ろから慌てて走ってくる。
「奥様!」
「カール。もう奥様と呼ぶのはやめてちょうだい」
私が振り返ってそう言うと、カールは下唇をグッと噛む。
「………エレクシア様。馬鹿主人が失礼なことを申しまして……誠に申し訳ございません」
カールは土のような顔色で胸に手を当てて腰を折る。
「カールに謝ってもらうことは何もないわ。あ、そうだ。私、今日からここを出て別邸に移るから、部屋の準備をお願いできる?
寝泊まりができればそれでいいから、狭くていいし豪華にする必要はないわ。
あと手紙をたくさん書かないといけないから、レターセットを準備してくれる?」
「………かしこまりました」
カールの声は心なしか震えている。
「……面倒をかけてごめんなさいね。使用人たちに、私と公爵様が一切顔を合わせないように、配慮するよう伝えてくれると助かるわ。
別邸の準備ができたらすぐに移るから、部屋まで呼びに来てくれる?」
「面倒だなんてそんな……。かしこまりました、すぐに準備いたします」
カールは一礼してその場を去り、私は別邸の準備が整うまで一旦部屋に戻る。
◇◇◇
「まずはお父様に連絡しないとね?元々この婚姻は政略的なものだし…。別に制裁を与えたいわけではないから、離縁後も公爵領との取引は継続してもらうように伝えなくちゃ」
私は用意してもらった便箋にスラスラと伝えたいことを簡潔に書いていく。
あくまでも事実を、事務的に、淡々と。
私が少しでも傷ついていると思ったら、あの過保護なお父様がどんな過剰反応をするか分からないわ。
「それから次は……取引先ね」
私は結婚してから初めて公爵領を訪れた時、広大な土地の割には乾燥した気候と痩せた土のせいで作物が穫れないという状況を目の当たりにした。
そしてふと、野にたくさん自生している霞草に目をつけた。
霞草は白い小さな花がたくさんついている植物なのだが、それ単品だと地味すぎて誰にも見向きもされない花だった。
思いつきでバラの花束に霞草を合わせてみたら、あら不思議!
バラだけの花束より可憐で美しく見えるではないか!
私が霞草の利用方法を社交界で紹介すると、あっという間に花束の定番となり、公爵領の特産品となった。
また広い公爵領には海があり、そこで取れる海産物は観光名物でもあったが、魚は足が早くて輸出品としては向かなかった。
私は昔文献で読んだ東方の国の技術を思い出して、魚を特殊な塩液につけて天日干しする方法を領民に伝えた。
出来上がった『干物』は日持ちがする上にとても美味しいと評判になり、こちらもすぐに公爵領の特産品となった。
「霞草の取引先と干物の取引先に、今後の連絡は公爵様宛にお願いする旨をお伝えしないとね」
私はサラサラとペンを走らせる。
数十にも及ぶ取引先全てに同じ内容の手紙を書くのは骨が折れる。
取引先への手紙を書いていると、部屋の扉が叩かれる。
「奥……エレクシア様。別邸の準備が整いました」
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