第36話 猫人、怒る
朝食を取り、そこから服の調整と人化転身の練習をさせ、昼を少々過ぎた頃。俺たちは一旦の目的地、西フルラン郡シレア村に到着していた。
元々は乗合馬車に乗っていたとはいえ、途中下車したから徒歩移動だ。人数的にも、改めて乗合馬車を捕まえるわけにもいかない。
村の衛兵に頭を下げつつ中に入ると、何やら村の広場に人だかりができていた。
「ここがシレア村か」
「だけど、なんか騒がしくないか?」
ヒューホの言葉に俺が首を傾げつつ続けると、エルセが人混みの中にある、あるものを指さした。
「あっ、あれ見て」
「あれは……サンドレッリ家の馬車か?」
アンベルが目を見開きながら見つめたのは、一台の馬車だ。幌にはサンドレッリ子爵家の紋章である、二本の剣とバラの紋様が描かれている。
アンセルモもそれを目にして、口を大きく開けながら言った。
「俺たちが乗っていた馬車だ」
「ってことは、クラウディア様もこの村に……」
チェレスティーノも途端にそわそわし始める。だが、それ以上に動揺を見せたのはイデアだった。
俺が渡したローブの裾を、抱え込むようにぎゅっと握る。人化転身は身につけられて手足は人間らしいものに変えられるようになったものの、獣毛は完全にひっこめられなかったし頭はトラのそれだ。
今日の午前中だけの練習で、ここまで出来たのならむしろ上等であるが、そうだとしても相手が相手である。
「っ……」
「大丈夫よ、イデアちゃん」
「クラウディア様も分かってくれるわ、きっと」
緊張を隠せない様子のイデアに、フローラとティーナが寄り添いつつ声をかける。そのまま人混みの方へと歩いていくと、こちらの姿に気が付いたらしい初老の男性が、人並みをかき分けて走り寄ってきた。
「あっ、『笑う大鷹』の皆様!」
「ベルトランド殿……申し訳ない、随分と遅くなりまして」
声をかけてきた男性に、アンセルモが深く頭を下げる。ベルトラントと呼ばれた男性は「笑う大鷲」の面々が5人揃っていることを確認すると、安堵したように大きく息を吐いて胸に手を当てた。
後から話を聞いたところ、サンドレッリ子爵家の執事の一人で、クラウディアのお付きであるらしい。なるほど、それは「笑う大鷲」とも面識があるわけだ。
「いえ、お命があるだけでも何よりです。ところで、そちらの皆様は」
微笑みを見せるベルトランドが、次いで視線を向けてくるのは俺たちだ。まずはアンベルが、一礼しつつ自己紹介をする。
「ギュードリン自治区冒険者ギルド所属、『眠る蓮華』だ。この村近隣での獣人の強盗団制圧依頼に際してこちらに向かっていたところ、『笑う大鷹』が襲われているところに遭遇し、救助を行った」
「それで、シレア村まで同行した次第だ。彼らの状態も良くなかったからね」
アンベルの隣で腰に手を当てながら話すヒューホを見て、ベルトランドが目を見張った。
貴族お抱えの冒険者パーティー、という時点で「笑う大鷲」の実力は保証されているものだ。そんな彼らが他の冒険者パーティーに救助され、近隣の村まで同行してもらうなど、普通ではありえない。それは、抱えている彼ら自身が一番よく分かっているだろう。
驚きを露わにして、ベルトランドがチェレスティーノに視線を向ける。
「それは……そこまでですか、チェレスティーノ殿」
「ああ……『眠る蓮華』が通りかからなかったら、俺たちはこの村に辿り着いていなかった、はずだ」
視線を落としながら、チェレスティーノが口を開く。歯がみをしつつ、拳を強く握った彼が、他の面々が沈黙する中言葉を続けた。
「虎の獣人どもにやられた。俺も、フローラも、ティーナも……イデアはもう、獣化もしてしまった。無事なのはアンセルモだけだ」
「な……んですって」
そう話しながら表情を歪めるチェレスティーノに、ベルトランドは文字通り言葉を失っていた。ショッキングな表情をしながらフードを目深にかぶったイデアを見るも、彼女は無言で視線を逸らすばかりだ。手元にますます力が入り、指先や爪はちっとも見えない。
苦しげに、チェレスティーノが頭を振る。
「分かっている、旦那様の獣人嫌いは有名だ。俺たちとしても、旦那様やクラウディア様にお合わせする顔が無い」
「いえ、それは」
チェレスティーノの発言を聞いたベルトランドが、慌てた様子で前に踏み出した。と、その時。ザ、と土を踏む音を鳴らし、ベルトランドの後方から歩み寄ってくる人物がいる。
「どうしましたか、ベルトランド」
「は……これは、クラウディア様」
その人物は、誰あろう彼らの主人であるクラウディアだった。すぐさまにベルトランドも頭を下げ、俺たちの傍にいた「笑う大鷲」の5人はその場にひざまずいた。あれだけ小さく縮こまっていたイデアも、ローブの裾から手元が見えることを厭わずに、だ。
冒険者たちが5人揃っていることに、風体はともあれ安堵したのだろう。口元を開いた扇で隠しつつも、安堵したように目を細めた。
「ああ……皆様、よく生きていました」
「クラウディア様……大変、遅くなりました」
「またお目にかかれて光栄です……」
クラウディアの優し気な言葉に、「笑う大鷲」の面々がますます首を垂れる。俺たち「眠る蓮華」は別に彼女に何の関係もないし、忠誠を誓う必要もないので立ったままだが、クラウディアがそれを咎める様子はない……というより、眼中にない感じだ。
口元に扇を当てたままで、ますます目を細めながらクラウディアが口を開く。
「私たちより一日も遅れて到着し、他の冒険者を伴い、しかし全員命を落とさずここにいる……つまり、そういうことですわね?」
その声色は、明らかに冷たかった。流し聞きしていた俺でさえ、ぞくっとしてしまったほどだ。おまけにこの物言い、明らかに何が彼らに起こったのか分かっている。
見れば「笑う大鷲」の5人も、明らかに身を強張らせている。微かに声を震わせながら、チェレスティーノとフローラが返事をした。
「は……」
「お察しの通りのことかと、存じます」
返事するその声も、また硬い。イデアなどは目に見えて分かるほどに震えていた。なんならローブの裾から、ちらりと尻尾がはみ出ている。
その、茶色のローブと色合いが似ても似つかない、明るい黄色と黒の縞模様が見えたのだろう。クラウディアの視線がイデアに向いた。
「イデア」
「っ、ハイ」
声をかけられたイデアの身体が、ビクンと小さく跳ねる。クラウディアはいっそ侮蔑的な色を瞳にのせて、イデアへと顎をしゃくってみせた。
「その薄汚いフードの下の顔をお見せなさい」
「っ、は、ハイ……」
いよいよ絶望的な声色をして、イデアは恐る恐る、フードの端に手をかけた。そのままフードがめくられると、彼女の頭上に揺れる小さな、丸みを帯びた三角耳が見える。そして、太く短いながらもちゃんと存在するマズル、顔を覆う黄色と白と黒が入り混じった毛皮。
露わになったイデアの獣人姿を見て、とうとうクラウディアの眉間に深いシワが刻まれた。
「……はあ。やはり、そういうことですのね……汚らわしい」
深くため息を吐きながら、嫌悪感いっぱいに吐き捨てるクラウディア。
それを目にした時、俺の頭の中で何かが切れた。顛末を知っていて、彼女の姿も見ていて、こんなことを言われて黙っていられるほど、俺は物分かりが良くはない。
「っ……おい、ちょっと待てよ」
「えっ」
俺が大きな声を上げたのを見て、ぎょっとしたのはエルセだった。アンベルとヒューホも目を見開いている。「笑う大鷲」の5人など、もうぎょっとするどころではない。
そんな彼らをよそに、俺は一歩二歩と足を踏み出し、こちらを見下すように見つめるクラウディアへと詰め寄っていった。
「こいつらはあんたらを守って、あんたらが獣人にやられないために残ったんだぞ。あんたらの為にこうなって」
「ビト」
「ビト君、抑えて」
語調を荒らげながらクラウディアに向かって足を踏み出す俺の肩を、がしっとアンベルが掴んだ。同時にヒューホが俺の前に回り、俺の身体をぐいぐい押してくる。
「笑う大鷲」の面々でなく、「眠る蓮華」の面々から先にこうした行動が出てくるあたり、俺の行動がいかに無謀かというのが分かるかと思う。後から考えたらバカなことをしたとも思うが、この時の俺は本当に頭に血が上っていた。
小さな体のヒューホに身体を押されている俺を見て、フンと鼻を鳴らしたクラウディアが俺を見ながら言った。
「風の噂でその腕前は聞いていましたが、冒険者の分際で随分な物言いですのね、『結界使い』ビト・ベルリンギエーリ。不遜が過ぎましてよ」
クラウディアの発言に、俺はわかりやすく眉間にシワを寄せる。フードを外し、頭をあらわにすれば、俺の頭の上には猫の三角耳。
人化転身している状態だから別に晒したとて何を言われるわけでもないが、思いっきり不満げな顔をしながらはっきりと言ってやった。
「生憎育ちが悪いもんでね、それに俺は、あんたの物言いが気にくわない」
「び、ビト、だめだって。相手は貴族だよ」
あまりにはっきり言ったものだから、ますます俺の仲間が慌て始めた、エルセも大慌てで俺の足を踏んづけながら口を開く。
いたたまれない表情をしていたイデアも、そっと俺の手に手をかけながら言ってきた。手に生え揃った短い毛が俺の肌に静かに当たる。
「ビト、いいヨ、しょうガないモン、事実ダもん」
「イデア、それでいいのかよ。汚らわしいなんて言われてるんだぞ、お前」
言われている当の本人であるイデアにまでそう言われて、さすがの俺も気勢が削がれる。そこに追い打ちをかけるように、チェレスティーノが悲しそうな顔をしながら立ち上がった。
「ビト、やめてくれ」
「チェレスティーノ……」
ここまで言われて、俺もいよいよ声を落とすしかない。アンベルにも止められているし、その上チェレスティーノにまでも。この状況でなおも言い募ったら、さすがに俺だけではなく、周りの面々にも迷惑がかかってしまうだろう。
さすがに無言になった俺に、チェレスティーノが額の汗を拭いながら口を開く。
「クラウディア様がそう仰る気持ちも分かる。汲んで差し上げてく――う、ぐっ!!」
「チェレスティーノ!?」
だが、その時。話している最中に唐突にチェレスティーノが胸を押さえ、その場に倒れ込んだ。見れば首筋や手首に薄っすらと獣毛が生えてきている。
ここでか。こんなタイミングでか。
「おい、リーダー!?」
「しっかりして!」
アンセルモやフローラが慌ててチェレスティーノに駆け寄るも、彼の身体はどんどん変化して止まらない。イデアはもはや、絶望的な表情でその場に固まっていた。
そしてそれは、クラウディアも同様だった。鎧の隙間から生え始めた尻尾や、頭がトラのそれになっていくのを、絶望を貼り付けたような顔で見ている。
「……なんて、こと」
彼女がぽつりとつぶやいたその瞬間、チェレスティーノの咆哮がシレア村に響き渡った。




