夢、茫茫、くるしい
「母さん、母さん…」
幼い自分の声が聞こえる。人買いに自分を売った母親を、虚しく呼び続けている。もう顔を思い出せない母のことを。
「君の初めてを貰えるなんて、光栄だ」
汚い笑みを浮かべる官吏が見える。ああ、あれはとても痛かったし、気持ちが悪かった。官吏にはいい思い出がない。
「お前は美しいし気立てがいい。人気者になるよ」
婆さんが俺を慰める姿が見える。最初の店は幼子相手に酷い客ばかり来るので、俺は彼女の店に逃げ込んだのだ。情け容赦ない経営者だが、彼女はたしかに俺の婆さんなのだ。
「うう…」
「年季が明けるまでの辛抱だ、それまで頑張ろう」
泣く「妹」や「弟」たちを、甘い言葉で慰める自分の声が聞こえる。たしかこの子は、客と薬に溺れ、命を絶ってしまった。
「自分も楽しむのよ、そうすればこんなにいい仕事はないだろ?」
「姉」は軽快に笑いながらそう言った。彼女は強い。俺の憧れだ。でも、俺は楽しめない。
「君を想ってる」
「貴方に会いたかった」
「あなたも気持ちがいいでしょう?」
好きだった客、苦手な客、色んな人が俺の体に手を這わせ囁いた。俺も求められるがまま、甘い言葉を囁く。やがて、誰も彼もが消え、一人になった。墨が滲んで、雨のように流れ落ちる水墨画のような世界で、俺は池を泳ぐ金色の鯉を見つめながら、呟いた。
あなたたちは愛している、愛してくれという。
誰も俺を愛さないのに。
「大哥、大哥、大丈夫か?」
肩を揺さぶられ、朱は目を覚ます。眩しい顔立ちの少年が、彼の顔を覗き込んでいた。
「魘されてたよ」
皇子は、酒坏に水を入れて朱に渡す。受け取った杯をあおぐ時、朱は水面に映る自分の顔が、真っ赤なことに気がつく。酒豪の皇子の愚痴に付き合って飲むうちに、加減を測り間違えて酔い潰れてしまったという。水を飲んで意識が冴えてくると、金槌で叩かれているように頭が痛んだ。
「う…」
皇子は呻く朱を気の毒そうに見つめ、謝った。
「ごめんな、もう帰るよ」
そう言って、皇子は腰を上げた。彼の周りにも酒瓶が転がっていたが、皇子の顔色は普段と変わらず、ケロリとしている。
「入り口まで、送ります」
相手は一応、客の上に皇子である。見送らなければいけない。朱も席を立って、透かし格子の扉を開き、二人で部屋の外に出た。賑やかな声や艷やかな声が響く廊下を通り過ぎる中、皇子が朱に聞いてきた。
「だいぶ苦しそうだったけど、大丈夫か?どんな夢を見てたんだ?」
「うーん……………」
階段を降りながら、朱は考える。楼閣の上から下まで長い階段が終わり、一階に辿り着いた時、朱は口を再び口を開いた。
「分からない…」
がんがん痛む頭でいくら思い出そうとしても、欠片も思い出せなかった。