9話2 「祝福させて」薄雲
夕方、お父さまとの契約だと言って一人で出かけていた紫陽花が帰ってきた。玄関じゃなくて、僕たちの部屋に窓から直接。驚く僕に、紫陽花はつらそうに微笑む。
「ただいま……っ」
それだけ言うと、紫陽花は咳き込み出して、ベッドに腰かけた。僕は隣に座って背中をさすってあげる。
「大丈夫?」
咳は収まらなくて、紫陽花は涙目になる。最近はこういうことがなくなってきたのに、苦しそうで、僕もつらくなってくる。
どこで気づいたのかお父さまが飛んで来て、紫陽花に呪文を唱えた。
「ウオハモ・ナムカ――ウオシュンエウオク」
まだ苦しそうだけど咳は収まって、お父さまは紫陽花の前に膝をつき、僕が座っている方と反対側の手を取る。
「何をした? 怒らないから、聞かせなさい」
紫陽花は呼吸が整わないまま、小さい声で話し出す。
「火が燃えてて、防御魔法は使ったけど、煙が……」
「そうか。薬を取ってくるから、もう少しだけ頑張ってくれ」
お父さまは部屋を出る。紫陽花の呼吸は小刻みなままで、僕は支えきれず、紫陽花はばたりと倒れて意識を失くした。
「紫陽花!!……紫陽花!!」
倒れた紫陽花の傍に、きらきらしたものが落ちている。
「……ブローチ?」
丸型の白っぽい半透明のガラスに小さな花が入っていて、後ろでピンクのリボンが結ばれている。紫陽花が好きそうなデザインだ。お父さまに見つからないよう、引き出しにしまった。
ついに、この塾で初めての魔法の授業が行われる。講師は薄雲という私よりかなり若い男性で、普段は騎士学校で非常勤講師をしているらしい。なんでも、優秀すぎるので大学を飛び級で卒業したはいいものの、やはり若いから、と正規雇用をもらえなかったという。中学や高校に通えていない子がたくさんいるのもそうだけど、反対に優秀すぎていい待遇をもらえない人もいるなんて、妖精界も非情だ。
それでも薄雲さんは朗らかで、肩につかないくらいの長い髪はさらさらだし、目つきは優しいし、背もそこまで高くなく、動作はおっとりしている。私が会ってきた騎士団の人たちとは全然違う。
「所属はいちおう騎士団になっていますが、入団試験は受けていないんです。学校も騎士団とは関係ないところを出ましたし。きびきび動くのは苦手なので、騎士学校の生徒さんたちはみんなすごいなって思います」
話し声もなんとなく柔らかくて、私は安心した。
「私の生徒さんたちは自由な感じです。厳しいよりはのびのびとさせてほしいと思っているので、薄雲さんみたいな方が来てくださって嬉しいです」
「先生のご期待に沿えるよう、がんばります!」
私が先に教室に入って、生徒さんたちの様子を確認する。子手毬、せきれい、ムギ、ヒイル、五月雨、汐。今回は平日の昼間だから、高校のある薊は欠席だ。彼を除いては全員揃っている。いつもとは違う雰囲気で、緊張している子も、楽しそうにしている子もいる。
「おはようございます。今日から魔法の授業が始まります。まずは、いつもと違う時間なのに来てくださってありがとうございます。講師の方は優しそうな方ですので、あまり怖がらないでください。それから、実践があればけがをしないように気をつけてください。私は魔法を使えませんが後ろで見学しているので、何かあったら声をかけてください。では、講師の方をご紹介しますね」
廊下で待っている薄雲さんを呼んで、私は教室の後ろに移動した。
入ってきた薄雲さんは笑顔だったけど、教卓について生徒さんたちの顔を見るやいなや、あっと言った。
「…………五月雨……君?」
名前を呼ばれ、五月雨は驚いたような、怯えたような様子で席を立ち、教室の後ろまで走ってきて、立っている私にしがみつく。
「えっと、お知り合い……ですか?」
五月雨は疑問する私を盾にして顔を隠す。
薄雲さんはこちらへ来ず、離れたまま語りかける。
「私は薄雲と言います。普段は騎士学校で非常勤講師をしていて、借りている家はその近くです。出身は東の川沿いの村ですが、寄宿学校に入ったのでずっとはいませんでした。……五月雨君、怒っていますか?」
五月雨はまだ私にしがみついて、薄雲さんの顔を見ようとしない。
「許してもらおうとは思っていません。でも、五月雨君が新しい生活を手に入れたのなら、祝福させてください」
私は、五月雨のお父さんから聞いた話を思い出す。
五月雨は小さい頃、生まれ育った村を水害で失くしたらしい。家族とも別れてしまったと聞いた。薄雲さんは同じ村の出身だけど寄宿学校にいて無事で、五月雨とはずっと会えてなかったということだろうか。でもどうして、五月雨は再会を喜ばないの? 薄雲さんは五月雨のことを気にしてくれているのに。
「五月雨、大丈夫ですか?」
五月雨は動かない。
「すみません、一旦外に出ます。五月雨、先生とちょっとお話ししましょう?」
私は背中に五月雨をひっつけたまま教室を出て、物置き部屋に入った。
五月雨は私から離れて、顔を見ることができた。目が赤く腫れている。私はハンカチを差し出す。
「薄雲さんと何かあったんですか? 話せる範囲でいいので……」
私の質問を聞いているそばから五月雨は泣き出して、ハンカチが役に立たなくなる。
「気分が良くないなら、お父さんを呼びましょうか?」
五月雨は泣きながら首を横にふる。
「今日はだめ」
「今日は、なんですか?」
「うん。……妹の調子が悪いから、お父さまに心配かけたくない」
血のつながっていない家族のために五月雨が泣きながら話すので、私もつられて泣きたくなってくる。それをぐっとこらえて、私は話を続ける。




