5話4 泡水晶
二階に上がって、僕と紫陽花の部屋に向かう。紫陽花が寝ているといけないから、ノックしてから僕だけが先に入る。紫陽花は部屋着のゆったりしたワンピースのまま、ベッドのへりに座って雑誌を読んでいた。それを棚に戻して、三人を出迎える。
「ごきげんよう」
今日になってお父さまに仕込まれたような挨拶をする。
「妹の紫陽花だよ。よろしく」
「よろしくお願いします」
頭を上げた紫陽花は、六花さんの姿に数秒ほど目を留めた。
何か気にしているみたいな表情だけど、六花さんは
「あら、かわいい」
と、紫陽花の頭をなでただけだった。紫陽花もお礼を言うだけだった。この家から出ないせいで、めったに女性と会わないから珍しがっただけなのかもしれない。特別会いたがっていたように振る舞って、というのは不発に終わった。けど、六花さんはご機嫌だから大丈夫そう。
みんなは広いソファに座ってもらって、僕たちは向かいのクッションに座り、猫のぬいぐるみをテーブルに置く。
「黄色い方が紫陽花の〝たまご〟で、白い方が僕の〝おとうふ〟。六花さんが作ってくれた服、似合ってるでしょ?」
「まあ、良かった!」
六花さんは嬉しそうにして、蒼空は興味深そうにたまごとおとうふを見つめる。
「なんだ、ぬいぐるみの名前だったのか。かわいいものだな。触ってもいいか?」
「いいよ」
紫陽花はせっかく習った丁寧な言葉を忘れて蒼空に返事する。
蒼空はたまごを手に取って、ブラウスのフリルの裏側を見たり、尻尾をなぞったりしている。一方朝露は、たまごとおとうふじゃなくて、さっき紫陽花が雑誌を置いた本棚をじっと見ている。
「本棚も見ていいよ」
「いや、随分たくさん本があるんだなと思っていただけだから」
朝露は遠慮する。物知りだから、ここから背表紙を見るだけでも、だいたいどんな本なのか分かるんだろう。
「これで二人分か?」
「僕の分は上の一段だけだよ。下の三段は紫陽花の本」
「へえ。妹、読書家なんだな。どんな本が好きなんだ?」
朝露が紫陽花にやさしい表情を向ける。
「別に何でも。外に出なくても、ベッドの上でも読めるからいいの。さっきもそうしてた」
あっと、朝露が小さく口を開ける。
「部屋で静かにしてるとお父さまが褒めてくれる。たまにちょっかいをかけにいくと遊んでもらえるけど、やりすぎると怒られ……」
僕は紫陽花の背中をさする。
「体が弱いから、お父さまが心配してるんだ。でも段々良くなってきてるからあまり気にしないで」
「そうなのか。良くなるといいな」
「うん。ありがとう」
紫陽花が少し笑う。
お茶の時間にしようと、五人で下の階に降りると、先生と猪目さんとお父さまがいた。それで、僕たちが楽しみにしていたお菓子を食べている……!
「お父さま、それ……僕たちにくれるって……」
お父さまはちょうど口の中にお菓子があったみたいで、もごもごしながら先生を指さす。
「この若先生が、食べてみたいと言ったんだ」
お父さまはもごもごと口の中のものを飲み込む。
「さっき五月雨がお菓子を、尻尾を振ってすごく楽しみにしていたが、小さな落雁がそんなに好きなのかと聞かれて……」
「好きは好きだけど、そこまでは」
「と伝えたら、じゃあ何を楽しみにしているんだと。それで……君たちの分は新しく作った」
大人で護衛がついているようなお客さまや、大臣付きの騎士さまには品の良い茶菓子が良いだろうって落雁を用意していたけど、先生も猪目さんも親しみやすい人で、好奇心のある人だ。
「お!」
猪目さんが紫陽花に手を振る。
「俺と先生、覚えてるか?」
紫陽花は猪目さんと先生の方へ近づく。
「騎士さまと人文社会学の先生……? 兄さまの先生じゃないの?」
紫陽花と先生たち、会ったことがあるのかな。いつ、どこで? 人文社会学って何?
「ごめんな、あまり知らない人に騒がれるといけないと思って、嘘をついたんだ。本当は人間界の先生だよ」
「すみません、本当はお話しもできます」
紫陽花はぱっと笑顔になる。
「そうだったんだ。また会えてうれしい」
紫陽花は猪目さんと先生と握手する。仲が良いみたい。
「今日は元気ですか?」
「中の上くらい? まあまあ元気」
会話の横で、お菓子の瓶を蒼空が興味深そうに覗く。水色や薄緑、薄紫色で、磨いた宝石のような六角形をしている。
「何と言う菓子なんだ?」
僕が答える。
「泡水晶だよ。砂糖と花びらから、魔法で作るんだ。外はすべすべでかりっとしていて、中はじゅわっと甘くて、口の中でぴりぴり弾けるんだ」
「初めて見たぞ」
お城で色々なお菓子を食べられるはずの蒼空が言うので、六花さんも朝露も腰をかがめて覗き込む。
「ボクが魔法の練習で失敗してできたの」
自慢する紫陽花を朝露と蒼空が笑う。
「それでは知らないはずだ」
「良い失敗だな。どんな味がするんだ?」
先に食べていた先生と猪目さんに、蒼空が尋ねる。
「ソーダみたいな感じです」
「〝そうだ〟?」
猪目さんが聞き返す。
「私の世界にソーダっていう飲み物があって。甘くてしゅわしゅわしてるんです。それにもっと砂糖を入れて固めたみたいな味がします」
「へえ。じゃあ、これを溶かして薄めたらソーダに近くなるのか?」
「そうかもしれません」
先生はふるさとの話をしながら泡水晶を五個、六個と食べて、僕たちの視線を恥ずかしがった。
「……! すみません、懐かしくてついたくさん……」
「いいよ」
かわいい先生に、お父さまが微笑む。
「花は乾燥してあって年中使えるから、また食べたくなったら声をかけろ。それとも、土産に持って帰るか?」
「いいんですか!?」
先生が飛び上がる。
「もちろん。この世界にいるのも長くなるだろうから。私からのお礼と、せめてもの慰めに」
お父さまは、詩を朗読するみたいにきれいな声で、寂しそうに優しく、そう言った。
女王さまの予定では、先生は五年以内に元の世界に帰ることになっている。それが一旦なのか、もうずっとなのかは分からない。五年は先生にとってはとても長いだろうけど、僕たちにとっては一瞬だ。
それで多分僕は、先生について人間界に行くことはできない。
なんとかして、ずっと一緒にいてほしいなんて、どうやったら伝えられるかな。伝えたら、先生は喜ぶかな。悲しむかな。
泡水晶を紙袋に詰めるお父さまの手を眺めながら、ずっと考えていた。




