1話3 「ちいさなお手伝い」鹿の子
久しぶりにゆっくり寝て、朝日で目が覚めた。貸してもらったパジャマが良いのか、ベッドが良いのか、一晩で一年分の睡眠負債を返済できた気がする。肌の調子も良い。
クローゼットを開くと、色々な洋服が掛けられていた。ブラウスは白、青、黒、スカートの丈はミニからロング、ズボンはスキニーもガウチョもある。サイズが合うか確認のために体に当ててみると、布が伸び縮みする。これが魔法だ! 私の体型に合わせてぴったりに変わるらしい。騎士さまが挨拶に来るらしいし、女王さまに謁見することにしてしまったので、ちゃんとした服装がいいだろう。私は白のブラウスに灰色のジャケット、ジャケットより少し濃い色のドレスパンツ、黒いフラットシューズを選んだ。ハイヒールがないのが不思議だけど、もともと好きじゃないから助かった。
きれいなドレッサーの前に座って、髪を整えていると、鹿の子さんが朝食を持ってきた。
「おはようございます。よくお眠りになられましたか?」
「おはようございます。それはすごく」
答えながら、朝食に目を奪われる。目玉焼きとベーコンの乗った二段のパンケーキ、サラダ付き!
「すごくおいしそうです」
「シェフが、女王さまと同じものを作ってくれました。紅茶は私がお淹れします」
今日は私の目の前で、ティーポットにお湯を注ぐ。ガラスの中で茶葉が踊るのがよく見える。段々と香りが豊かになってきて心も踊る。
「人間さま、楽しそうで良かったです。昨日のご様子を拝見して、妖精界と人間界では食事が違うのかな、と思いまして、お見せしたらお喜びになると思ったんです」
「鹿の子さん、気が利きますね。多分、同じようなものを人間界でも食べることはできるんですけど、私はそうしてこなかったので、当たりです」
紅茶が入り、パンケーキと共に楽しむ。パンケーキは塩気とうまみのあるベーコンの出汁が染みている。黒こしょうのかかった半熟の目玉焼きを崩して黄身を付けるとさらにおいしい。添えられた酸っぱいドレッシングが、しゃきしゃきのレタスサラダによく合う。爽やかな紅茶が後味をよくする。ここは天国だ!
「鹿の子さんは朝食を済ませましたか?」
「はい」
「早起きで偉いですね」
「そんな! ……えへへ」
一旦心を開くとかなり緩むんだなあ。鹿の子さんの子どもらしい部分が見られた。鹿の子さんは軽い足取りで食器を片付けに行く。私はすることがないので、書棚の本を一冊手に取ってみる。知らない文字が書かれているかと思うと、段々と日本語に変わっていく。これも魔法だ!
「『妖精界辞典』?」
というタイトルで、開くと、絵入りで様々な項目が記されている。風土、資源、歴史、文化、政治制度、妖精の生態、魔法生物の一覧……。まさに私のために書かれたような本だ。今日中に帰ることができなければ役に立ちそうなので、ソファに座って一ページ目から眺めることにした。
どうやら、この世界で妖精の居住区域は狭いらしく、統治機構は互いに隣接しない。この国の北は雪山、東は深い森、南は海、西は荒野。それぞれの土地に合わせた生活が営まれる。四季があって、夏はそこまで暑くないが、冬は雪が降り積もる。そのため家屋は外気温の影響を受けづらい設計になっている。植生は、東方や北方では木本が、南方や西方では草本が豊かで、食用として栄養価の高いものも多い。住む地域の植物の名前を覚えることは大人としての必要条件である。
こっちの世界はこっちの世界で大変そうだなあ、と感想を持っていると、鹿の子さんが戻ってきた。
「『妖精界辞典』ですね。人間界と違うところはありましたか?」
「色々違うなあって思ってました。隣の国との交流がないとか、植物の名前を覚えなきゃいけないとか。まだ初めの方しか読めていないんですけど」
「人間さまの世界では国どうしの交流があるのですか?」
鹿の子さんは目を輝かせて私に近づく。
「隣だけじゃなくて、遠くの国とも交流がありますよ。物を売り買いしたり、観光に行き来したり、たまにけんかすることもありますが」
「国どうしでけんかするんですか?」
「土地や資源をめぐって戦うんです。たまにというか、世界全体で見たらいつでもどこかでけんかをしていますね。私の国はしばらく落ち着いていますが」
「……大変そうですね」
「平和な妖精界がうらやましいです。でも、けんかがなくて、交流するのは楽しいですよ! 街にいて、違う国の言葉が聞こえるとわくわくします」
「何と言っているのか分かるんですか?」
「分かる人もいます。勉強すれば私にも分かるんでしょうが、あまり頭がよくなくて」
私が苦笑いすると、鹿の子さんも苦笑いした。
「私も勉強は苦手です。読み書きくらいはできないとと小さい頃習いましたが、難しいです。二桁の計算には苦労しました」
「私も数学苦手だったな~」
二人で笑いあう。なんだ、生まれた世界、人間と妖精、違うところだらけだと思っていたけど、同じところもあるんだ。
「鹿の子さん、騎士さまがいらっしゃるまで何もないなら、一緒に読みませんか?」
「喜んで!」
「じゃあ、隣に座って」
鹿の子さんはびっくりしたようだ。
「よろしいんでしょうか?」
「どうぞ」
「失礼します」
鹿の子さんはおずおずとソファに腰かけた。軽い体重がソファを通じて私にも伝わる。しっかり働いていても、やっぱり子どもだ。せめて私といる間は楽しくしていてほしいな。
喋りながら十数ページ読んだところで、ドアが叩かれる。鹿の子さんが出て行って、「騎士さまです」と言った。
「どうぞ」
「失礼いたします」
若い男性の声だ。




