2話2 お人形屋さん
塾がいつもより早く終わった。こういう日は図書館に寄るか、そのまま帰宅するかで勉強の時間を取るのだけど、今日は城下町を歩いてみることにした。本や教科書じゃない、本当の世界を見ないといけないと思ったから。本当の世界を見たら、将来やりたいことが分かるかな。
本当の世界の空は思うほどは高くなくて、空気は暖かくて、花の匂いと人々の汗の匂いが混ざって、無数の命が活動している感じがする。そこには、細胞の新陳代謝も血液の循環、反転する視覚野もない。ただ直感的に見えるものがひしめき合って、各々の欲望に従って行動する。部屋や庭で向かい合えば一人の妖精として話しができるのに、こうして雑踏の中にいると……。
人混みに耐えかねて、私は本屋に入る。
「あら、六花ちゃん」
店員さんの声に驚く。中学生時代の同級生のお母さんだ。こんなところで働いていたのは知らなかった。そして、私のことを覚えてくれていたんだという喜びと、今は話しかけないでほしかったという不快感が混ざって、笑顔を作る。
「久しぶりね~。また美人さんになって」
「ありがとうございます」
「学校の帰り?」
おばさんは、私が人間の先生の塾に通っていることを知らない。説明するのは嫌じゃないけど、それで珍しがられたりちやほやされたりするのは嫌だな。
「そうです」
「お疲れ様ね。あら、邪魔しちゃいけないわ」
やっと解放されて、私は奥の方にある純文学のコーナーを見る。図書館よりも新刊が早く多く並ぶから、たまに見て損はない。しばらく来なかった間に、知らない本ばかりが並んで、本にあまり親しめていない人のような気持ちになる。
分からないながらに棚を眺めていると、『薬種問屋の旅』という背表紙が目に入った。「薬屋になって、お父さまと一緒にお仕事したい」と、五月雨くんが言っていたのを思い出した。きっと、彼がこの本を見たら手に取るんだろうな。でも私には興味が持てない。多分、そんな難しい仕事はいけないって、両親や祖父母に言われるだろうから。
一つ下の段に、『小鳥の花嫁』という背表紙が目に入る。特に面白そうだとも思わない。けれど私はそれを手に取って、おばさんのところに持って行った。どうしてかは分からない。
「あら、六花ちゃん、こういうの好きよね~。かわいらしいわ~」
自分で選んだ本なのに、何だかむすっとしてしまって、でもそれを笑顔で繕う。私、ずっとこうなのかな……。
本屋を出ると、また賑やかすぎる城下町。朝露たちみたいに空間移動魔法が使えない私は、どうやったって、その場から急に逃げることなんてできない。歩くよりはましだから、私は箒を出して空を飛ぶ。
上空から見下ろす街は人形劇みたいで、少しかわいく見えないこともない。そうだ、お人形屋さんにでもなろうかな。お人形さんの服のデザイナーさんでもいいな。思い立って、私はおもちゃ屋さんに降り立った。
ショーウインドウに、大きくて色が色々な猫のぬいぐるみと、彼ら用の服も色々飾られている。小さい子が喜びそうで、とてもかわいい。入店すると、扉についている小さな鐘がからころ鳴って、店員さんが挨拶してくれる。その穏やかな声より静かなオルゴールの音楽が流れていて、とても心地よい。クッキーの香りもする。商品を買ったらおまけでもらえるものだろう。絵本の棚を眺めて、積み木の種類の多さに感心して、鮮やかな画材に目移りして、ぬいぐるみのコーナーで知っている妖精に出会った。ついさっき、私を褒めちぎってくれた――
「五月雨くん?」
五月雨くんは白い大きな猫のぬいぐるみを持って、ぬいぐるみ用の服を選んでいた。あれは多分、ショーウインドウに飾られていたのと同じもの。五月雨くんは私に少しびっくりして、自分の猫耳を垂れて微笑んだ。
「六花さん。どうしたの?」
「えっと……、たまに見てみるのも良いかなって思って……」
私がこんなことを言っても良いのかなと迷う。五月雨くんより背が高いし、もう高校生だし。でも、五月雨くんは私を子どもっぽいなんて軽蔑しない。
「そっか。女の子はこういうの、好きなのかな」
「私は好きですよ。……五月雨くんも好きですか?」
「好きだよ。妹が喜んでくれるんだ。……もしかしたら本当は子ども扱いされてるって怒ってるかも、って心配だったんだけど、六花さんも好きって言うなら、安心できる」
五月雨くんは手に持っている白い猫のぬいぐるみを見せてくれた。この様子全体がとても可愛らしい。
「この前、妹と色違いで買ったんだ。妹のは黄色。ショーウインドウで服があるのが見えて、つい欲しくなって。どれがいいかな?」
「そうですね……」
ギンガムチェックのワンピース、水玉のシャツ、リボンのブラウス、ストライプのズボン、フリルのスカート、花柄のドレス、レースのケープ、それが水色やピンク、黄色、赤、緑、白、黒と、色とりどり揃えられている。本当の服みたいに精緻でかわいくて、どれにも決められない。
「全部欲しいです……」
私の心の声が漏れると、五月雨くんは笑う。
「妹もそう言うかも」
今日の五月雨くんは、ずっと妹さんの話しをしている。塾では聞いたことがなかったから新鮮だ。私は――もしかしたらみんなも――五月雨くんを弟みたいにかわいく思っているけど、本当はそうじゃなくて、しっかりしたお兄ちゃんなのかもしれない。
「妹さんは、どんなのが好きですか?」
「淡い色が好きって言ってた。花柄も好き……でも、こういう子どもっぽい花柄じゃなくて、もっと上品な方が好きかも」
そう言って五月雨くんは悩む。それで私はとっさに、こう言ってしまった。
「私が作ってあげます! 淡い色で、上品な花柄のお洋服!」




