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サハル・ルンジーエ  作者: 在原白珪
第4章
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8話2 平凡な手紙

 市井は驚くほど凡庸だ。蒼空があの諜報部に〝保護〟されているというのに。

 ダメ元で、魔法で手紙や念話等通信を試みたが、すべてどこかでかき消されている。まあ、そうでなければむしろ警戒しなければならない。

 どうせ返事がないと思って送った、特に意味のない〈おはよう。朝食は取ったか? オレンジが出回っているが、例年よりやや甘い気がする〉〈今、授業で『鵜の川登り』をやっている。読んだことはあるか? どこが面白いのか分からないから教えてほしい〉に、やはり返事がないことに寂しさを覚えている。そんな自分がみじめだ。

 この寂しさが早く終わるように、終わったことに早く気付けるように、とりとめもない通信を日に何度もしている。

〈蒼空、こんにちは。今は数学の授業を受けている。出された問題を解き終わって、宿題も隠れて済ませて、やることがない。相手をしてくれ〉

 手紙に書いて、鳥の形に折る。

 開いている窓ガラスにそれをかざす。涼しい風が指先に当たり、袖の中に入ってきて、前髪を揺らす。

 目の前には遠い山が見えて、それを背景に、細い塔が連なるような王宮が見える。遠くからだと白いクレヨンのような細い塔に見えるが、実際に足を運ぶと、果てしなく大きな城だ。

 蒼空はあのクレヨンの内の一本から、また別の一本に移らされた。傍から見ればそうでしかない。

 もともと、王子たる蒼空に行動の自由など僅かしかなかっただろう。塾に入って、僕と知り合ったのも、母親から強制されたようなものだ。でもその中で、蒼空は僕の隣の席を自ら選んでくれた。あれだけ遠ざけたのに、根気強く訴えてくれた。蒼空がすべて自由に行動したら、どれだけの妖精の人生を変えるだろうか。

 だから、僕は蒼空を解放してやりたい。

 せめてそう気づいてもらえるようにと祈って、手紙を飛ばした。

「おい、朝露」

「あ」

 数学教師に見つかった。当たり前か。

「休み時間にやれ。解き終わったなら、巻末の練習問題を」

「もう何回かやってる。答えを覚えてしまったから暗唱しても?」

「いや、いい。じっとしていてくれ」

 数学教師はため息をついた。もちろん落ちこぼれる生徒は教師の悩みの種だろうが、僕のように吹きこぼれる生徒も邪魔なのだろう。頭では理解している。だが普通の生徒を演じるのには、小学生でもう飽きた。だいたい、教師の方が大人なんだから、そちらが気を払うべきだろう。

「質問はないか?」

「……積分なんだけど」

「おっと。高校か大学の先生に聞いてくれ」

 大学、か。

 このクラスの中には、中学を卒業したら働く奴も、高校に進む奴もいる。高校に進む奴の中には、大学に進む奴もいる。皆が皆大学に進むわけじゃない。

 僕はなんとなく、高校には進むだろうなと思っている。中学程度の勉強はつまらないから。面白い勉強をしようと思えば、進学して、それでも足りなそうだから、研究者になりたいと思っている。研究をするためには大学に入らなければならない。教師にも親にもそう話している。

 ただ最近は、好きなことをして過ごしたいからという理由の他に、大学に進みたい理由ができつつある。頭が偉いことを卒業証書なり論文なりで証明できれば、僕は凡愚な一市民でなくなる。地位も偉くなるのだ。そうしたらもっと蒼空のために動いてやれる、傍にいられる。

 蒼空と話すようになって、少しずつ考えていたことだ。それをこの数日間は強く、差し迫って考えている。僕が偉ければ今頃、こんな三階建ての校舎で暇をするなんかじゃなく、あの白い塔の中で悪魔を蹴散らす算段を立てられるのに!と。


 学校が終わったが、今日も塾はない。暇だから本屋に寄った。

 そこに、雑誌を立ち読みする女子学生が二人いた。どうせ読むなら買った方が出版社や本屋の利益になると言いたいが、金を出すほどの品でない場合も多いからそういうことになるのだろう。ましてや学生の小遣いは少ないから仕方ない。

 と考えて通り過ぎようとした。あっ、という心の声が重なった。

「朝露くん」

「六花さん」

「お? 知り合い?」

 見知らぬ女子高校生が僕に目を向ける。六花さんの友人なのだろう。

「はい。例の……」

「ああ! 中学生?」

 塾の生徒だ、という確認なのだろうか。

「うん」

「へー、偉いね! お菓子食べる?」

 塾に通っていることが偉いのか、高校生である六花さんと同じ授業を受けているのが偉いのか、本屋に来たことが偉いのか、何を指しているのか分からない。

 女子高校生はスカートのポケットから小銭を出した。これで菓子を買えということか。菓子そのものが出てくるのではないところが面白い。面白いが、知らない人から金をもらうのは……。

「そんなことされても困りますよ」

「そっか」

 六花さんに注意されると、女子高校生は小銭を引っ込めた。というか、財布や巾着などに入れず、むき出しで持ち歩いているのか。女性にしては豪快である。

「朝露くん、元気ですか?」

 六花さんは菓子の下りを終わらせて、至極通常的な挨拶をしてきた。

「ああ、まあ。六花さんは?」

「いえ、私はいいんですけど。……朝露くん、不安じゃないかなって」

 きっと、蒼空のことだ。初めて誰かからそう心配された。

「当たり前に、日常に支障をきたさない程度に不安です」

 六花さんは苦笑いする。

「それじゃあ」

 僕は一方的に会話を切り上げた。なんとなく、あそこで六花さんと話していると、つらくなる気がした。

 足早に参考書の棚へ向かう。正直、高校入試の参考書は買っても意味がない。今日見に来たのは、大学入試の過去問だ。どんな学部がいいのかは考えていないが、とりあえず、法学部と理学部を……。

 分厚いそれを手に取って、気付いた。

 こんなものを買って問題を解いても、今の蒼空に会うことはできない。助けてやることはできない。

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