2話4 学生時代
布屋さんの中から、女の子がこちらを凝視していたのだ。毛先がくるくるなあじさい色のツインテールに、白いうさぎの耳、黒いミニドレスがお人形さんみたいだ。気づかれたと知って、一瞬恥ずかしそうにして、とことこと歩いてきた。中学生くらいだろうか。
「こんにちは。お兄さん、騎士さま?」
こちらを見上げるあどけない声に猪目さんはにっこりする。
「ああ。そうだよ」
「じゃあ、隣のお姉さんはお姫さま?」
嬉しい間違いに、私は膝から崩れ落ちそうになる。ほころぶ口元を押さえて訂正する。
「いいえ、私は……」
あれ? 人間って言っちゃっていいのかな?
「偉い先生だ」
猪目さんが代わりに答えてくれた。
「へー。すごい」
女の子は話してみると、見た目より幼い印象だ。
「何の先生なの?」
彼女からの質問に、私はまたぎくっとする。猪目さんが合図をしてくれた。代わりに答えてくれるみたいだ。
「人文社会学だ」
「何それ? よく分かんないけどかっこいい!……何で騎士さまが答えるの?」
「先生は頭は良いんだが喋るのが苦手で、知らない妖精に話しかけられると舌を噛むんだ。だから分かることは俺が答える」
「ふうん。ボクは知らない妖精とも話せるよ」
「そうみたいだな」
「じゃあね、騎士さま、先生!」
女の子は飛んで行った。長い髪が棚引いて美しい。
「何だったんでしょう」
「ずっとお屋敷の中で育って、ほとんど妖精と会ったことのない田舎のお嬢さま……みたいな?」
「言われてみるとそんな気がしてきました」
でも猪目さんは納得いかないようで、何か考えている。
「店を回るのもいいが、公園にも行ってみねえか? 花壇がきれいだぜ」
「いいですね!」
今度はぴったり猪目さんの傍を歩く。東の方に曲がると街の熱気が丁度良く冷やされて、その先に公園があった。大人もちらほらいるが、小さい子が遊んでいたり、中高生くらいの子たちが男女混ざってたむろしたりしている。おしゃれな国の公園って感じだ。
「あのくらいの子たちに教えるんですよね。うまく打ち解けられるといいですが」
「鹿の子よりは歳近いんだから、できるだろ」
ベンチに腰かけて、私はぼうっと風景を眺める。すべり台やシーソー、ジャングルジムといった遊具、砂場、聞いた通りきれいな花壇には白いチューリップと黄色い菜の花が咲いている。その外にもクローバーがびっしり生えていて、その上を小鳥が歩く。たむろしている子たちが、その小鳥をかわいいとちやほやする。
「先生。女王さまには王子さまが三人いらっしゃるんだ。第三王子があの子たちと同じくらいだよ」
「そうなんですね」
猪目さんは水色の空に目をやっている。
「聡明で、お優しい方だ。女王さまや教師の言うことをちゃんと守って、真面目になさってる。大臣付きでもたまに見かけてな、成長なさっているのが分かるんだ」
親戚の子みたいな感じなのかな。猪目さんは目線を落とした。視線の先の子たちはしゃがんで、小鳥を誘おうとしている。
「でも、王子さまってのは言うこと聞いてるだけじゃ寂しそうだ。同年代の友だちと騒いだり、下手なギターを鳴らしたりなんてできないからな。もちろん、そういうのが性に合わない奴もいるけど、一度もそんな経験をできないなんてのは違うだろ?」
若い子たちがあんまり騒ぐので、小鳥はどこかへ羽ばたいてしまった。妖精なので羽を出せば飛んで追いかけることもできそうだが、そうはせず、小鳥のことなんて忘れたように談笑を続ける。目の前の物しか見えていないような、気楽で、享楽的な子たちだ。ばからしくも、微笑ましくもある。
「そうですね。これから見る子たちはどちらかというと王子さまに近い、できる子たちなんですよね」
「魔力も学力も高い奴らが推薦されてくる。まあ、もしかしたらそうじゃない奴も志願してくるかもしれないがな」
「それなら、お互いの価値観を分かり合えるような場所にしたいです。王子さまみたいな子も塾ではやんちゃできるように。……猪目さんはどんな学生さんでしたか?」
質問してみると、猪目さんは照れくさそうに頬をかく。
「俺はほら、今とあんまり変わんねえよ。普通の家に生まれて、ちょっと魔力高かったから、苦手な勉強頑張って、何とか進学できた。成績は良くはなかったけど、頑張りすぎるのも嫌だったからそのまま卒業して、何となく騎士団に入れた」
「何となく入れるものなんですか……?」
「入るだけなら簡単だ。それなりに学歴があってケンカができればいい」
猪目さんはノリが軽いからそう言っちゃうけど、実際にはすごく厳しいんだろうな。何でもしてくれるからって頼ってばかりだと、大事なことを隠したままにされちゃいそうだ。数日しか一緒に過ごしていないけど、そんな思いが強くなった。
「先生には学生時代、あったか?」
「ええ。私の国ではみんな小中学校に通うことになっていて、私は大学まで行きました」
猪目さんは仰天している。
「すげえじゃねえか! あの子に口から出まかせに色々言っちまったけど、本当に学者だったのか?」
「いえ、学者だなんて遠い存在ですよ。大学生なんて珍しくないですし、出てからは普通に働いていました」
「マジか。もったいねえな~」
私は苦笑いする。多分、この国と私の国では、大学の扱いが違うんだろうな。
「学生時代も普通でしたよ。将来自分のやりたい職業に就くために学べって言われても、特にやりたいことなんてなかったですし、得意なことを仕事にしろって言われても得意なことなんてありません。何のために勉強してるんだろうって思ってました」
「先生は学生時代から真面目だったんだな。真面目にできるって才能だと思うぜ。それに、そういう疑問を持ってるだけでも偉いんじゃないか?」
否定したい気持ちはあるけど、猪目さんの表情はそれを許してくれなかった。
「ありがとうございます」
認められてお礼を言うのって新鮮だ。むずがゆいけど、悪くはない。
「なあ、先生には魔力ねえんだよな?」
「はい」
あ、猪目さんにも言いたいことがまだあったんだ。余計なことを聞いて邪魔しちゃったかも。
「一定以上魔力を持ってると、周りの妖精がどのくらいの魔力を持ってるか分かるんだ。俺もそうだ」
「すごいですね」
「まあ、騎士だからな。でさ、さっき話した女の子、異常に魔力が高い。気のせいかと思ったんだが、そこにいる奴らの魔力と比べるとやっぱおかしい」
女王さまは、魔力は生まれつき大きさが違っていて、訓練によっても成長できるっておっしゃっていた。
「お嬢さまだから、特別な訓練を受けているんでしょうか」
「王子さまも特別に訓練を受けていらっしゃるが、あの子の方が確実に高いと思う。騎士団に入ってきたとしてもヤバい」
「そんなに……?」
「気になるから、女王さまに報告しようと思う」
「そうですね、お願いします」
あんな幼い子にそんな力があるなんて。大人なのに真面目しか取り柄のない私とは正反対で、羨ましいような、心配なような。あんな子が、騎士にも勝るような大きな魔力を使いこなすことができるんだろうか。力に飲み込まれて、自分を見失ってしまいそうだ。
でももしかしたら、それは今の私も同じなのかもしれない。ただ人間としてもてはやされているけど、そんなに能力のある人間じゃない私に、女王さまから命じられた大事な仕事が全うできるんだろうか。杞憂であってほしいけど、つけあがりたくはない。もっと気を引き締めなきゃ。




