表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
サハル・ルンジーエ  作者: 在原白珪
第1章
10/203

2話3 猪目の市場調査

「先生、そろそろ休憩にしねえか?」

 私は猪目さんに教えてもらいながら『妖精界辞典』を読み、授業で扱いたい内容を書き起こしていた。鹿の子さんは買い物に出ている。

「いえ、もう少しキリの良いところまで……」

「一時間経ったら休憩するって言ったよな?」

「ううん……でもこの章の最後までは……」

 私が一向に顔を上げないでいると、ペンが取り上げられ辞典が閉じられた。

「先生は苦労性だな。根詰めすぎてぶっ倒れそうだから、ちゃんと俺が見張ってないと」

 猪目さんはそのままノートも取り上げて、リビングの棚の上に置いた。私の背じゃ届かない。

「ずっと座ってたし、散歩にでも行くか?」

 私が返事をする前に、猪目さんは鹿の子さん宛ての書き置きをしている。猪目さんの行動は気が利くし、スマートだ。私より年下っぽいのに、仕事のできる人というか、頼りになるというか。猪目さん本人は性格で選ばれたって言ってたけど、多分それだけじゃない。

 外は穏やかな晴れ模様で、優しい風がパンや花の香り、陽気な音楽を届ける。うちの周りは静かだけど、もう少し城とは反対の方向に行くとにぎやかな街になるらしい。

「ずっと向こうの南の方には港があって、各地方からの産物が届く。王宮が買わなかった分がここらに流れてくるんだ。先生、人混みは平気か?」

「はい! 大丈夫です」

「じゃ、行きましょうか。離れんなよ」

 私は猪目さんの後にぴったりくっついて、にぎわう通りに入る。店先で芸をして気を引く妖精、地面を歩いて品物を眺める妖精、テラス席で談笑する妖精、空を飛んで急ぐ妖精、この狭い通りの中で一秒ごとに景色が変わる。鮮やかな街の中でみんな、心の底から生きてるって感じだ。

 商品はきらびやかではないけど、どれもとても良いものに感じる。一つ一つ形の違う野菜、パン、服。手作りなんだろうな。瓶入りのジャムにも、ビニールのカバーなんてついていない。お客さんらしきおばさんが、店員さんに空の瓶を渡す。買って食べきった後は瓶を返すことになっているんだ。繰り返し、繰り返し、大事に使われた瓶に、お店とお客さんの信頼が宿っている。

「先生、甘いもの好きなのか?」

 私は何も言わず立ち止まっていたのに、猪目さんは気づいていた。

「はい。色々なジャムがあるんですね」

 店先には、紫、赤、ピンク、橙、黄、白と、グラデーションになって並べられている。

「人間界のジャムだったら、どんなのが好きだった?」

「いちじくのジャムが好きです。粒々の食感と爽やかな香りが良くて」

「よかった。いちじくだったらこっちにもあるから。好きな食べ物があればちょっと落ち着くんじゃねえか?」

 猪目さんはピンク色の瓶を取って店員に渡した。猪目さんは仕事中だからと軍服姿で、腰には帯刀している。本人は全く気にしていないけど、かなり目立っている。店員さんはびっくりしながらお会計をしてくれた。

「騎士さまなんて珍しい。お仕事中ですか?」

「ああ。市場の調査中だ」

 単に散歩に来ただけと言えばそうだけど、市場の調査とも言えないことはないし、そう言った方が格好がつく。猪目さんは頭もきれるなあ。

「あらまあ! じゃ、うちのジャムは美味しいって報告なさってくださいませ」

「本当に旨かったらそう書くよ」

「まいどあり!」

 猪目さんだからそうなのか、妖精界の騎士全体に言えることなのか、軍服と帯刀にびっくりはしても、怯えあがるようなことはないみたいだ。そうだ。戦争がなくて、内政もあの女王さまだから平和に行っているんだろう。そんな国なら、騎士を怖がる理由なんてないはずだ。悪い妖精なんてどこにもいなさそうな気がするけど、そうじゃないから騎士っていう職業があるのかな。紙袋を提げた猪目さんが戻ってくる。

「ありがとうございます」

「いいって。でも、黙って立ち止まるなよ。なるべく気を付けるけど、うっかりしたら見失うかもしれない」

「すみません」

「不安だな。お手を繋ぎましょうか?」

 猪目さんは優しい顔で、黒い手袋の手を差し出す。触れてみたいという思いと、そうできない恥ずかしさで心臓がばくばくする。

「冗談だよ、大人だもんな」

 緊張が解けて笑いがあふれてしまう。

「ん?」

 猪目さんは何かに気づいたようで、私もそちらに目を向ける。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ