006 まいてもまいても空回りなら、もっと押し込む捻り込む
「邪魔よ、退きなさいそこの愚民ども!アピス様に道を譲るのだわ!」
廊下の真ん中で向かい合う女子。2対1。
もちろんこれはスポーツやそれに類する光景などではない。
「な、なんですか突然!」
「聞こえなかったかしら?邪魔だと言ってるんですわ!ヘイミンは耳が悪いのかしら…いえ、きっと悪いのはオツムの方だわ?」
橙の髪を左方に纏めて縛り、継ぎ目の見えない美しく均一な円柱を形成する螺旋。筒状に真っ直ぐスカート下まで伸びるそれは、そこで尻窄みを見せていた。
まさに鉛筆。オレンジドリルオバケ鉛筆。
廊下の中心で理不尽を叫んだのは、何にでも噛みつく獣のような、目尻も口角も、果ては発言までもが鋭く尖った少女。
彼女は、同じく廊下の中央を反対方向から歩いて来る二人組に、横柄な言葉を浴びせていた。
「邪魔って…!なんで退かなきゃいけないんですか?廊下は皆の物です!」
「やっぱりオツムも悪いわね!目上の人間が通るのに、凡人が道を開けるのなんて当然じゃない!」
因みに廊下の幅はとても広く、10人横一列になって歩く事もできる程。
ましてここは一階の、中庭にも出られる一面に壁が無い開放廊下。
話しかけられたせいで立ち塞がる形になった二人だが、特段往来の邪魔だなどと言う事はない。
「目上って…そもそも貴女、誰ですか!私知りませんよ!」
「はあ!?これだからヘイミンは…キューレバルトと言えばわかるかしらぁ?私は、キューレバルト家のニーネ!ニーネ・リーリア・キューレバルトと申す者ですわ!!」
「知りません!聞いた事もありません!」
「な、この小娘…!」
オレンジ髪の吊り目、ニーネ・リーリア・キューレバルトと名乗った少女。
彼女に噛みつかれているのは、淡い金の髪を靡かせる少女。アリス=フレア=オールグレイブ。
そしてもう一人、アリスの陰に隠れるように、怯えた様子でただ黙している白髪の少女が居た。
彼女はその場に居ながらも、震えて話の行く末を見守るのみ。言葉を交わすのはニーネとアリスの二人だけだ。
「流石は聖女様。王太子のお気に入りは、肝も太く据わってらっしゃるのね。」
そこに援軍が訪れる。
首元まで隠れる長めのボブヘア、その色は紫と言うには色味が薄い、藤紫かスミレ色か。
噛みつくように荒々しいニーネとは対照的に、落ち着き払った余裕の笑みを見せる薄紫髪の少女。
アリスらと対峙するように、ニーネの右側……エンピツドリルが付いていない側に陣取った。
これで2対2。
「貴女は…貴女、いったい誰なんですか!」
「私が誰かなんて、今はどうでも良い事よ?」
否。
更に遅れて到着した、淡い金の髪の少女。アリ゜ス・アルシファイア。
2対3。形勢が逆転した。
ひと一人通さない姿勢でアリスの前に立ち塞がっていた二つの門扉は、主の到着に合わせて無言のまま開きセンターを明け渡す。
「あら、奇遇ですわね。オールグレイブ様。」
「アビスさん…」
「っ……私の名前はアリ゜スよ。まったく、許可なく名前呼びされるだけでも不愉快だというのに、その上変なクセまで共有しないで欲しいのだけれど?…それで、これは一体なんの集まりなのかしら。」
「なんのって…!自分でやらせておいてとぼけるつもりですか!?」
「とぼけるも何も…見ての通り私、つい先ほど来た所よ?…ニーネ、説明しなさい。」
「はいですわ!間抜け面で廊下を塞いでいた平民…じゃなくて…聖女?あー?……まあとにかく、そこの二人がアピス様が通る道の妨げになっていたので、端に退くよう貴族的道理を諭してさしあげていた所ですわ!」
「…………あー……今のは、事実、なのかしら?」
「っ!?あ、はい…。」
絞り出すように質問した先は、その場に居ながら一度も会話に参加していなかった白髪の少女だった。
その返事を聞いたアリ゜スの深く、大きなため息。
己が所作で静寂を作り出すアリ゜スの姿を、アリスは鋭く睨みつけていた。
「ニーネ。」
「はいですわ!んがっ!?」
響く、乾いた激しい破裂音。
振り返り。踏み込み。それらと同時に、渾身の力で振り抜かれた扇。集約した勢いの全てで、ニーネの鼻頭を強かに打ち付けた。
顔の正面から衝撃を受けた少女は、くぐもった言葉にならない声と共に倒れる。
鼻を押さえるばかりの少女のまさにその鼻先に、再び迫った扇。
目を開けたニーネの口から、「ひっ!」と軽い悲鳴が漏れた。
「そんなはしたない事をしていたの?こんなに大勢の、耳目があるこの場所で?私の名前を出して?」
「あ、ひゃ…」
「個人としての振舞いにまで干渉する気はないのよ?でもね。私の名前を出してしまえばそれは、事情を知らない観衆が見れば、全て私の命令のように映るのではなくて?延いては、私の品格が疑われる結果になると思うのだけれど。ねえ?もしかして貴女、わざとやってるのかしら?」
「は、はい!あ!?いいえ!ですわ!」
ゆっくりと言い聞かせるように。
だが、それは目の前のドリル少女ニーネに対してではない。
その場に居る誰もが思う。自分にまで聞こえるように、わざとらし過ぎるほど平坦に出された声を聞いて。これは、見た者聞いた者、ここに居る全ての者へ行われている、周知の為のパフォーマンス。
アリ゜スの演説だ。
「申し訳ございませんオールグレイブ様。…と、初めまして。貴女のお名前を伺っても宜しくて?」
「あっ、私は、イリスマリアです。名字は無くて、その…」
「そう、どうもご丁寧に。私はアルシファイア公爵家長女、アリ゜ス・アルシファイアと申します。よろしければ、どうぞアリ゜スとお呼びくださいませ。」
「あ、は、はい…アリ゜ス様。あ、私の事も、その、マリアとお呼びください!」
「ええ、ではそのように、マリア様。改めて。オールグレイブ様、マリア様。友人が大変ご迷惑をおかけしたようで。お二方には不快な想いをさせた事、一友人としてお詫びいたします。…ただ彼女達と私はただの友人であり、基本的には一切無関係の赤の他人ですので。今後はそう御認識の上、何かあれば本人に直接言っていただければ幸いですわ。」
「卑怯です!」
叫んだのは、アリス。
声だけでなく、その顔にも目にも、怒りを表していた。
「…卑怯?何か勘違いさせてしまったかしら。私の伝え方が勘違いを招いたのなら申し訳ございません。」
「勘違いなんかじゃないです!汚い事は取り巻きにやらせておいて、自分は無関係だなんて!そんなの、責任逃れの言い訳じゃないですか!取り巻きの人はどうでも良いトカゲだって言うんですか!?」
「トっ…?はぁ……指摘すべき点が多すぎて、お話になりませんわね。申し上げた事が全てでございますので、これで失礼させていただきますわ。」
「逃げないでください!?」
また横を通り抜けられる。
そう思い咄嗟に声で制止した…つもりだったアリス。
しかし自分の言葉が終わるより先に、彼女の足が止まった事に驚く。
近すぎるその距離に思わず身が竦んだのは、少女の鼻が扇で強く叩かれた様が脳裏に過ったからだ。
「貴方の言う取り巻きって言葉…」
「…え?」
だが、手を伸ばせば届く距離に居るアリ゜スが向けて来たのは暴力ではなく、冷静な、感情が抜け落ちたような低い声。
そして敵意を感じる程の、恐ろしい視線だった。
「取り巻きの行動も発言も全て主の責任…と言う事は。貴方の言う『取り巻き』っていうその言葉…。主人に従順で、命令には自己判断もせず徹底遂行を貫く、自由意思のかけらも無い意志薄弱な奴隷みたいな人間って意味で言っているのかしら?」
「は!?いや、そんな事は!」
「そこな貴女のソレも、つまりはそういうモノと言う事?」
「っ!マリーは取り巻きなんかじゃない!私の大事な友人よ!貴女と一緒にしないで!」
「……そう。友人が大切なのね。私もよ。私も大切なの。友人はね。取り巻きなんて括りにしないでいただきたいわ。」
それだけ言うと、満足そうに一歩引き、いつもの優雅な雰囲気を取り戻したアリ゜ス。
二人の背丈に大きな違いはないはずなのに、一方は上から見下ろし、もう一方は睨むように見上げている。
「……あくまで、自分は悪くないと言い張るんですね。」
「実際、私は悪くありませんので。まあお互い、友人は大切にいたしましょう。それでは。」
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「と言う事でぇー!」
「懲りないわよね貴女。付き合う自分もどうかとは思うけれど…。」
オレンジ髪とスミレ髪、二人の少女が再びアリスの前に立ちはだかる。
より正しく言えばアリスは、目の前の少女らに連れられて来た人気の無い場所で、くだを巻くが如く絡まれていた。
アリ゜ス接触と同日の午後。本日最後の授業が終わり、漆黒殿から教室へ向かう途中だったアリス。
学園本堂に入る直前に、突如立ちふさがって来た二人。
悪態をついても返事が来る事は無く、無言で促されるままに従い辿り着いた静かな場所。そこは学園本堂の周辺では一番人通りが少ない場所。
魔法実技の授業を受けていた1年生達の喧騒が僅かに届く距離ではあるが、叫びでもしなければ、この会話は他の誰かに聞かれる事もないだろう。
アリスを心配するように、「やめようよ」「すぐにホームルームだから、早く教室に行こう」と言いながらイリスマリアも後を追って来た。
ここには今、4人しか居ない。
「また、アビスさんの差し金ですか。」
「アンタねえ!アピス様の名前間違えてんじゃないわよ!」
頭を抱える薄紫髪の少女。「アンタもよ」とツッコミを入れるが、その場の誰も気に留めない。
疲れた表情に拍車をかける、唸ったり意味の無い罵りばかりで話の進まない二人のやりとり。
溜息の後、業を煮やして進行役を買って出た。
「貴女に忠告しに来たんですよ、オールグレイブ侯爵令嬢。」
「あなた達の話なんか信じません!」
「…まだ何も言ってないわよ。」
「……じゃあ、なんですか。言ってみてください。」
「はぁ。つくづくペースを乱されるわね…」
「趣味の悪い男漁りをやめろって言ってるんですわよ!」
本堂の壁を叩きながら叫んだニーネ。
背中から紫髪の少女に非難の目で見られている事に、当の本人は気付かない。
「男漁りって…クライン達の事を言ってるんですか!?」
「他に何があるのよ!」
「下品な言い方はやめて下さい!私たちはただ仲が良いだけの友達です!」
会話の外から鼻で笑われ、アリスは少女の細い目を睨む。
目線が合った事に気付き、わざとらしい音を立てた深呼吸を一つ。ため息にも見える姿に加え、呆れを表すジェスチャーが付け加えられている。それらはアリスを更にイラつかせた。
「何ですか、何が言いたいんですか!?」
「仲が良い、ですって?それが問題なんじゃないの。」
「仲が良い事の何が問題だって言うんですか!?」
「はぁ。男5人に紅一点。異性に囲まれ、所かまわずチヤホヤされて…知ってるんですよ?勿論、アリ゜ス様も。」
「っ…!やっぱり!アビスさんの差し金なんですね!あんな事言っておいて、本当ズルイ…。」
「…どうとでもとれば良いわ。けどね、声を大きくしても問題になるのは貴女の方ではなくて?なにせ『ただの男子』じゃない、立場のある貴族の令息ばかり。ご存知?皆様、婚約者が居らっしゃるんですよ?」
「アビスさんもあなたも、婚約者婚約者って!それでクライン達がどれだけ傷ついているか知らないんですか!?」
「浮気をする人間の心など知りたくもありませんわ。」
「浮気なんて言い方ズルイです!みんな、親が勝手に決めた婚約に振り回されてるだけなのに!」
「それが貴族と言う物よ。それに…ズルイのは、婚約者が居ると知っていて近付いた貴女みたいな女の方ではないかしら。」
「っ…!私は…悪いのは皆を苦しめてるアビスさんの方じゃないですか!」
「…アリ゜ス様が?わけがわからないわ。」
「私だって知ってるんですよ!アビスさんの取り巻きの人達が、クライン達をそう言って、婚約者だって縛り付けてるんだって!あなたもその一人なんじゃないですか!?」
「……全く理解できないわ。どういう事かしら?そもそも貴女、私達二人以外のアリ゜ス様の取り巻きなんて見た事があるの?」
「え、いや…私が直接見た事は、ないですけど…」
舌打ち。そして、もう何度目かもわからない溜息が漏れる。
アリスは自らの言葉が失言だったと焦り、取り繕うように続けた。
「そ、それっぽい人は見ました!そもそも、あの、皆知ってますし…!」
言い終わるより前に、アリスは目の前の少女の異様な雰囲気に気圧される。
先程迄は自分に向けられていた興味の表情が、見下すような笑顔や困惑の感情が、無い。
もう話を聞く価値もない、とでも言われたようで。アリスは固唾を一飲みし、それでも臆さず続ける。
「そう、それにクラインはしっかりその目で見てるんです!…そうだ、そう言えばあなたこそどうなんですか!?」
「…どう、とは?」
「だって、ずっと名前を教えてくれないじゃないですか!もしかしてあなたが、クリム達の婚約者の一人なんじゃないですか?だから私に名前を教えたくないんでしょう!?」
「っ…勘違いも甚だしいわね。わかったわ。癪に障る物言いだけれど、そこまで言うなら名乗りましょう。」
正面に向き直り、先程とは打って変わった恭しい礼をする少女。
「私、アクエリウス侯爵家次女、ニーニャ・チェシャイルド・アクエリウスと申します。」
彼女は、自らの名前を大切な物のように明かす。
「どう?これで疑いは晴れたでしょう?」
「……」
「…ねえ。貴方が私の名前を聞きたがったのではなくて?何か言ったらどうなの?」
「その、名前では…わからなくて…。」
「……はぁ!?」
王太子の取り巻き4人。彼らの婚約者の誰かではないのか?と疑われて明かしたはずの自らの名、ニーニャ。
しかし蓋を開ければ、「名前ではわからない」と言われる。
それはつまり、「件の婚約者たちはアリ゜スの取り巻きらしい」と言う事は知って居たが、肝心の婚約者たちの名前を、目の前の女は知らなかったと言う事で。
もっと言えば、聞いた所でなんの判断材料にもならないはずの自分の名前を、目の前の頭のネジが緩そうな少女の口車に乗せられて、ただただ無意味に名乗らされたと言う事でもある。
理解が追い付いたニーニャの顔は、別人にすら見えるほど怒りに歪む。
手は持っていた扇が枝の軋むような異音を鳴らすほどに、強い力で握っていた。
だが、それもほんの数秒の出来事。
深呼吸一つの間に掻き消える。
「全く…構うだけ時間の無駄ね。」
鐘の音が鳴る。
「…もうこんな時間ですか。遅れてしまいましたわね。行きますわよニーネ。」
「もう遅れたんだからどっちみち同じですわ!それより、私はまだこのクソ聖女に言いたい事が沢山ありますの!」
「素行不良なんてレッテルを貼られた暁には、アリ゜ス様の御傍に居られなくなるかもしれないけれど。貴女それで良いわけ?」
「ぐぬ!?でもホームルームなんて…!」
「今ならまだ、謝罪でお咎め無しになる可能性が高いわ。欠席したら言い訳も聞いて貰えないわよ?」
「うぅぅ…わかりましたわ!覚えてらっしゃい、男たらし聖女!」
そう言いながら、少しだけ遠回りになる別入り口へと走り出したニーネとニーニャ。
「あなた達は、いつもそうやって逃げるんですね!」
アリスは大声で呼び止めるが、二人は走り続ける。
「ホームルームがあるのはお互い様でしょう!」
二人の姿は、直ぐに見えなくなった。




