002 私の都合を語った所で、聞かない君じゃ意味も無い
「あの!」
アリ゜ス・アルシファイア。
ワーン・ド・クロセリウス王国の四公爵家が一つ、アルシファイア公爵家の長女。
ワーン・ド・クロセリウス王国王太子の婚約者。
ウィルオール学園、2年生。
公爵家の汚点。
学園の暴君。
稀代の悪女。
そして、偽聖女。
それらは全て、公爵令嬢アリ゜ス・アルシファイアを指す肩書だ。
公爵家の令嬢と、王太子の婚約者。二つの権力を振りかざす令嬢は、逆鱗に触れれば教師ですら首を飛ばされる…実しやかに囁かれた、噂の絶えない1年次の事。彼女に敢然と立ち向かった一人の公爵令嬢が、学園を自主退学した。
公爵家…即ち、王族を除けば貴族最高位の、その令嬢が。
王国に学園は数あれど、最も敷居高いとされるこのウィルオール学園に限らず、公爵家の令嬢令息が自主的に退学するなどというのは、前代未聞の出来事であった。
裏で、ただならぬ何かが動いた。それは誰の目に明らかだっただろう。
程なくしてアリ゜ス・アルシファイアは、ウィルオール学園内で『暴君』と恐れられるようになる。
…なお、学園から発表されたとある公爵令嬢の退学理由では、「自らの過ちを恥じ責任を取るため」とされている。
その後いくら時が経とうとも、学園を退学した国内初の公爵令嬢は、その理由についてそれ以上語った事は無い。
だが。
暴君の二つ名を持つアリ゜ス・アルシファイアの悪名は、学園内に留まらない。
いや、ワーン・ド・クロセリウス王国貴族の中に、公爵令嬢アリ゜ス・アルシファイアの名前を知らない者は居ない。
その名は国王の次に、ともすれば王太子の名前よりも多く、国民にまで刻まれ噂が絶えない。
それは、一つの預言から始まった。
いずれ世界を喰らい尽くす闇の穢れ。それを唯一祓えると言われる、神に遣わされた救世の乙女に纏わる預言。それは、神から聖女の名と共に与えられた、人が生き残る為の啓示だと。
…自らをその『預言の聖女』と偽り、王太子の婚約者と言う立場を手に入れた浅ましく卑しい女。嘘で手に入れたその権力を我が物顔で振るい、今度は学園までもを手中にした…それが貴族界で語られる稀代の悪女、アリ゜ス・アルシファイアの罪である。
これだけでも、アリ゜ス・アルシファイアは十分すぎる程に名が知られていただろう。
だが聖女の名を騙ったアルシファイア令嬢の噂には、彼女を嘲笑の的にするエピソードが必ず一つ、公然の秘密として含まれている。
アリ゜ス・アルシファイアは、その身に宿す魔力が、余りにも少ない。
ワーン・ド・クロセリウス王国では、貴族が例外なく魔力を持っている。そしてそれは高位貴族ともなれば、一般人のそれとは比べ物にならないと言われている。
もちろん持ち得る魔力の大きさが、必ずしも爵位に比例しているわけではない。
だが魔力は親から子に継がれ、そして間違いなく、人が紡ぐ歴史の中で権力と密接に繋がっていた。
時に家格に見合わぬ強い魔力を持つ者は、爵位の慣例すら覆し、高位貴族の正妻に迎えられる事すらあった。
そうして次代の子は、強い魔力を持って生まれる。
それは王族は元より、王族と縁の深い貴族最高位の、この王国に四つしかない公爵家ともなれば、言わずもがなというものであろう。
だから。公爵家の令嬢令息は、例外なく強い魔力を持ち合わせている。
否。
たった一つ、アリ゜ス・アルシファイアという例外を除けば、だ。
「呆れますわね。まだ何か?新入生には新入生なりのカリキュラムがあるはずですが。」
学園には本堂と別に設けられている施設が幾つもあり、その内の一つがカルテットホールと名付けられた超巨大ホール。
そのカルテットホールで行われた入学セレモニーは、つい先ほど何事もなく幕を閉じた所だ。
そのまま新入生は、在校生とはタイミングをずらしながら学園本堂へと向かい、程なくして学園内施設の説明等が始まるはず…アリ゜スはそんな記憶と、照らし合わない目の前の光景に溜息をついた。
ほんの1・2時間前に強い口調で刺したはずの、自分と同じ髪色の新入生。彼女が何故か全力疾走で駆けて来て、更には自分を呼び止めたばかりか、両腕いっぱいで進路を阻んでいるのだ。
「あ、その…」
「…新入生だけでなく、二年生には二年生なりのそれがございます。話が無いなら通して頂きたいですが、いえ、たとえ話しがあったにしても、別の機会にして頂きたいのですが。」
「あ、わ、私の話を聞いて下さい!」
「…ハァ。ならば、一分だけ。」
一つの顔が花咲き、一つの顔がしおれた。
「あのあの、私、貴方との出会いをやり直したいんです!」
「…は?」
「やり直したいんです!朝の出会いを、もう一度!」
「………待って。え?それが理由?わざわざ走って、進路妨害までして…?」
「はい!なので、自己紹介からさせて下さい!」
「…お断りよ。」
「え…!?ダメです、困ります!」
「聖女候補。」
「!!」
「アリス=フレア=オールグレイブ侯爵令嬢1年生」
「!?え、なんで…」
「自覚がないのかしら?有名人さん。勿論存じておりますので改めて名乗って頂く必要もございませんし、改めて聞かずとも私は困りません。」
「そ、そんな…どうして!」
「それに。やり直したいと言われても…そも初対面の出会いとは、誰もが一度しか経験できない物でしてよ?時間を巻き戻したいのなら…それはもう、神にでも宣ってくださいませ。」
「…」
まっすぐに会話をしていたはずの少女は、いつしか俯いている。
その姿にアリ゜スの興味が失せた時、静寂の人込みをかき分けてくる、とある一団の声が聞こえた。その声は、自分か、相手か…ここにいる二人の名前を呼んでいた。咎めているのかもしれない。
…いや、そこに含まれていたのは本当に、自分の名前だっただろうか?飛んで来るその声に訂正を投げかけたかった。が、堪えて、呟く。
「うるさいのが…。私は、貴女に用はありません、それでは。」
「アリス=フレア=オールグレイブです!」
歩き出す。
しかし、たった三歩後。袖を掴まれ、気付いたそれを、一考も無く振り払う。
「私、アリス=フレア=オールグレイブです!」
「…存じています。」
「貴女の名前は!?」
「…?」
「名前を聞かせて下さい!」
「ああ…。アリ゜ス、です。」
アリ゜スは、それだけ言って、再び歩き始めるつもりだった。
もう袖は掴まれていない。
しかし。
このまま歩き出しても、開放されないのだろう。
目が、そう言っていた。
「アルシファイア公爵家長女、アリ゜ス・アルシファイアです。お見知りおきを。」
「っ!!はいっ!!」
人の輪の内側から、黄金色の跳ねる短髪が見えるほんの少し前。
疲れた表情をした少女は、その真逆の方向へと歩み出していた。
************
「アリス!」
「クライン、殿下!」
ようやく人垣を越えて、入って来た黄金色の髪を持つクラインと呼ばれた青年。
青年はまず、アリスに怪我が無いかを一目で確認、即断できる異変がない事で心を静める。
だが、現場に駆けつけてみれば、そこに広がっていたのは予想と違う光景だ。
あると思っていたピースが、無い。
「……」
…あの女が居ない?
人口密度に比例せず、驚く程に静かな一帯。中へ入る前に、それらしい声が聞こえていた気がしたのだが…。
あの目立つ女が居れば見逃すはずも無い。それでも念のため辺りを見渡す。
自分達が目指して来た人垣は、押入ると共に崩れ動き始めているが、立ち止まったままの目線の内殆どが自分達に…そして、そのどちらでもない極少数が、立ち止まりながら一方向を見ていた。
逃げたか。
なら今は、あの女の事は良い。アリスだ。
外傷はない。
ならそれ以外の様子は?…泣いても、震えてもいない。
「無事か?」
「はい、無事です!大丈夫です!」
彼女の返事を待たずとも、恐らくは大丈夫だろうと思って警戒は解いていた。それでも心配は拭えず、結局は彼女の返事を待ったわけだが。
彼女の無事を確信し、ようやく人心地つけた気分だ。
落ち着いてきて、ようやく先程の事に思いが巡り始める。
アリスが、自分の名前を呼んだ。
ああ。やはり、幸せだ。
そう思う反面、苛立ちがこみ上げた自分も居る。
クライン殿下、か…
確かに言っていた。普段と違い、『殿下』と。
彼女自身も口馴れない敬称がついていた為か少しばかり、しかし大きな違和感を抱く程ではない、若干の詰まりがあった。
……いつもならば、呼び捨てにしてくれる彼女が。
理由は、明白だ。先程迄ここに居た、あの女に何か言われたのだろう。
ああ。ああ、腹立たしい。
今すぐにでも追いかけて、アイツを絶望に突き落とすような言葉を投げかけてやりたい。……アレが心揺るがす言葉も、ましてその姿など、想像もできないが。
普段通り呼んでくれ、と言いたい所だが…彼女を困らせてしまうかもしれない。何より今は、余りに耳目が多すぎる。
…いや、多くを考えるな。彼女が無事だったんだ。それで良しとしよう。
朝に起こった不慮の遭遇…という建前ではありつつ、そうなると半ば確信していたが。ただアリスにとっては不慮の遭遇になったであろう、朝に起こったソレの後の事。アリスは確かに、要望を話してくれてはいた。
「あれではダメだ。」「直ぐにもう一度話をしたい。」と。
入学セレモニーまで時間が無い事を伝え、直ぐに落ち着いたが…。
てっきり昼休みにでも会いに行く流れになるだろうと決めつけ、気付くのが遅れてしまった。
セレモニーを終え、朝にあった出来事をクリムやディーン達に共有しながら歩いていた時に気が付いた、不自然な場所にできた人の群れ。
アリスの行動力を思い出し、あの女に何をされているかと血の気が引く思いだった。
朝のあれは…私の責任だ。
悪印象を持たれるような出会いになってしまった事を、酷く後悔している様子だった。…例えそれが、本物の聖女が現れるまでその地位を乗っ取り、代わりに甘い汁を啜っていたような、極悪人が相手であっても。
なんて優しい。本当に、聖女に相応しい、心の清らかな少女だ。
この純粋な少女を傷つけるような事、絶対にあってはならない。
僕がアレから…アリスを守らなければ。




