Bet Your Life
人間、いつ死ぬか分からないのなら、
クズと呼ばれても構わないから俺は
『働かずに金が欲しい。』
堺 翔和。大学生。
もう少し学生で居たいというふざけた理由で進学を選んだものの、
そろそろそうもいかない様子。
やりたくもない就活という恐ろしいイベントが近づいてきたのだ。
このまま世間の波に従って就職したとしよう。
そうしたら、朝から晩まで馬車馬のごとく働いて、
居酒屋で安い酒を呑みながらしょうもない愚痴なんかこぼしたりして。
休日は体力回復のために使って、また働いて、愚痴って、休んで。
何て生産性のない悲しいループだろう。
それでなくても物騒な事件が多い世の中だ。
もしかしたら、何か事件や事故に巻き込まれて明日死ぬかも知れない。
はたまた、災害が起きて今日死ぬのかも。
そんな未来が待っているのかもしれない。
その可能性を捨てきれない。
たったそれだけの理由でも、どうしようにもなくやるせない気持ちになる。
いつか自分がその場面に遭遇した時、なんて思うのだろうか。
きっとこうだ。
『もっと遊んでおけばよかった。』
この段階で答えがもう出ているのなら、
今の若いうちに、何でもやれるうちに。
やれることを全てやっておきたい。
クズだと言われても、それでも俺は
「働かずに金が欲しい。」
ささやかな休憩時間。
いつもの面子と今日も変わらずダラダラと過ごしていると、
その気の緩みから思わずポロっと口から出た言葉。
目の前でスマホを弄っていた2人も、
口を開けた魚のようにぽかんとしながらこちらを向く。
「え、どうしたの急に?」
「てか、そんなん誰でも一緒じゃね。
俺だって働きたくねーわ。」
1人の男は心配そうに顔を覗き込み、
1人の男は何言ってんだとでも言いたげに不満さを顔に出す。
後者に至っては実際にその通りすぎるので返す言葉も見つからない。
すると、癖っ毛がトレードマークのナツが、
持っていたスマホを置いて何かを思い出したかのように話し出す。
「あっ、そうだ!
実は俺、1つだけその方法知ってるよ!」
「え、ちょっと待って。
自分で言っておきながら申し訳ないけど、
働かないで大金入るって難しいだろうし、危ない感じ?
やめてね闇バイトとか。俺犯罪は犯したくないから。」
あくまでただの空想論で、実際にあると聞かされると逆にびっくりしてしまう。
けらけらと空笑いをするピエロのように、あえておちゃらけた態度をとる。
ナツはこの3人の中でも一番真面目で優しい奴だ。
だからきっと、そんなことを言っておきながら割りの良いバイトでも紹介してくれるのだろう。
そんな様子を想像しながら続きの言葉を待っていると、
帰ってきた言葉はあまりにもそれを軽々と超えていくものだった。
「うーん、そっか。じゃあ辞めておいた方が良いかも。」
「えっ?」
「だって、どちらかというと危ない話だから。」
「ガチでそうなんかい。ちなみに詳細は?」
思わず振り向きざまに水をかけられたような衝撃が走る。
先ほどまではさして興味なんてなさそうに話を聞いていたシオンが、
ここに来てスマホを置いて話に参加しだす。
彼はどちらかというと俺と同じタイプで、
ちょっとふざけているのがデフォルトみたいな所がある。
しかしナツはそんな俺たちに対してツッコミを入れたり、
優しくフォローしてくれたり、一番の常識人枠だ。
だから、こんな提案をしてくることに些かな違和感を覚えながらも、
彼の方に視線を向ける。
当の本人はスパイが得意げに暗証番号を解読しているみたいに、
慣れた手つきでスマホをスイスイと操作する。
「あったあった!これだよ。」
ジャン!という若干古めかしい効果音が聞こえてきそうな位、
勢いよく画面を見せる。
小学生の頃に流行ったような、真っ黒に赤文字のいかにも怪しい感じを想像したが、
実際に見せられた画面は、真っ白な背景に水色の文字が映えるクリーンなイメージの画面だった。
ぱっと見では、どこの企業にもありそうなHPではあったが、
この情報だけでは一体どんな会社かまでは分からない。
しかし、彼の言っていた程の危ない様子は感じられず、ちょっとだけ安堵する。
「ってか、何この会社名。
英語?べっとゆあーらいふ?」
「そう。『Bet Your Life』。頭文字をとってBYL。通称『バイル』って呼ばれてるよ。」
「で、そのバイル?ってのはなんな訳?」
「てか、直訳すると『お前の人生を賭けろ』って意味じゃねこれ。」
いつの間にか前のめりで画面をのぞき込んでいるシオンの言葉にハッとする。
確かにテストで『この英語を和訳しなさい』と問題が出たのなら、
俺も同じ答えを導き出すことだろう。
とはいえ、仮にも会社名だというのに、
人生を賭けろなんていうのはあまりにも大袈裟というか、
一周回ってお粗末ささえも感じられる。
会社名なのだから、もっと商品やサービスが分かるような内容の方が親しみやすいというのに。
しかし、ナツは何一つ動じる様子もなく、
いつの間にかロボットと入れ替わったのではないかという程淡々と話を続ける。
「シオンの言う通り。直訳すればお前の人生を賭けろ。
これは、自分の人生を賭ける代わりに、
勝てば大金を得られるっていうゲームなんだよ。」
「いやいや。流石に無理があるっしょ。
なに?プロゲーマーってこと?」
「まぁ取りあえず最後まで聞いてよ。
このゲームは、対戦アクションゲームみたいな感じなんだけど、
プレイヤーは実際にゲームの世界に入り込んで戦うんだ。」
「バーチャル世界ってこと?」
「そういうこと。」
それから話された内容をまとめるとこうだ。
プレイヤーはバイルが用意している特別な何かをすることにより、
実際にその世界に入って戦うことが出来る。
この特別な何かというのは伏せられていて、
参加するまでは誰も分からない。
そしてトーナメント式で2人1組で戦っていき、
最後まで生き残ったチームが大金を手に入れられる。
というものらしい。
「バイルを語る上でもう一つ大切なことがあってね。
実はこの大会で使用できる武器って言うのが少し変わってるんだ。」
「バーチャルだから、レーザービームとかそんな感じじゃね?」
「あっ分かった!魔法だ。魔法で炎出したりして戦うんだろ!」
「残念。だけど、2人が言ってるのも100%間違いってわけじゃない。」
何やら含みを持たせた言い方に、2人で顔を見合わせては首をかしげる。
その反応を待ってましたとでも言うように、どこかドヤッとした表情を浮かべながらナツは答えた。
「正解はね、宝物。」
「宝物?はぁ、なんだそれ?」
「バーチャル関係なくない?」
「それが大いに関係あるんだよ。
プレイヤーは、1人1つ、自分の人生において1番大切なものを持って大会にでるんだよ。
その宝物が、バーチャル世界での武器になる。」
「なんかよくイメージできないんだけど…。」
宝物が武器になるってどういうことだ?
もしも宝物がただの石っころとかだったら、圧倒的に不利じゃないか。
まるでその心を読んでいたかのように、口を尖らせながらシオンが問いかけた。
「てか、だったら刀とか銃とかの方が有利じゃね?
もしも鉛筆とかが宝物でしたって場合秒で終わるっしょ。」
「それがね、そうはいかないから面白いんだよ。
例えば今の話で言えば、鉛筆が形を変えて電信柱みたいに形を変えることもあるんだ。
そうしたら、それを振り回せば武器にもなるし、その後ろに隠れたら防御にも繋がる。
現実での殺傷力が高いからと言って強いとも限らない。
可能性は無限大。だってこれはバーチャル世界の話だから。」
未だにくっきりとした輪郭を表すことは出来ないが、何となくボヤっとだけ分かってきた。
つまり、その宝物の原型を崩すことは出来ずとも、
元の形ある程度保ったまま動かしたり大きさなどは変えられることは可能ということだ。
例えば懐中電灯が宝物だったらもしかしたらレーザービームを出すことが出来るかも知れないし、
その能力的には魔法に通じる所もある。
なるほど。確かに俺たちの意見も100否定できるものではない回答だったようだ。
「それで?その大会とやらに勝ったらお金がもらえるって訳?」
「そう。」
「へー。どれくらい?」
「3000万円。」
「「3000万円!?」」
予想だにしない金額に周りの視線を集める程の声が出る。
どんなにテレビでサッカーの応援をしようとも、ここまでの大きな声は出ない。
ナツは顔をしかめながら必死に人差し指を唇に当て黙らせようとする。
「しーっ!静かに。」
「ご、ごめん。てか、相場が分からないけどゲームの大会にしては金額が大きすぎないか?」
「それもあるけど、そういうのってガチな人じゃないと優勝は無理ゲじゃね?
初心者には荷が重すぎるって。」
「実際の所、ゲームの大会によるけど、優勝したら億の単位を貰える大会もあるよ。
だけどそれはシオンが言ったように初心者には無理だ。
だけどこのバイルは、初心者でも優勝することは十分あり得る。」
つまり、大会の賞金は高いけど、一部のガチ中のガチな人以外の優勝は難しい大会と、
ちょっと値段は下がるけど、初心者にも優勝の可能性がある大会。
バイルは後者なのだろう。
3000万でも会社員として稼ぐことを考えるとかなりの時間がかかる。
それならば、初心者でも勝ち目のある大会を選ぶのは無難だ。
しかし、何故そんな美味しい話を今まで俺は一度も耳にしたことがなかったのだろう?
それに、この話を聞いた限りでは、出たがる人も多いだろうし、
出場者がある程度の人数がいてもおかしくない。
俺とシオンが知らなかっただけで、案外有名な話なのだろうか。
そもそも、何故彼はこんなにもこの大会について詳しいのだろう。
腕組みをしていつもはしないような小難しい顔をすると、
ナツは少しだけ表情を引き締めて、小声で話し出した。
「だけど、それだけのリスクがあるってことだよ。
このゲームには、いくつかのルールがある。」
小声で話されると、自然と体が彼の口元に耳を近づける形になる。
それを確認してから、修学旅行で好きな人を言うようにコソコソと続けた。
「まず1つ目。2人1組の内、どちらか1人でも戦闘不能となった場合、そのチームの敗北が決まる。」
「あー、そっか。ペア出場するんだもんな。」
「そう。1人が元気でも意味がないんだ。
そして2つ目。負けた場合には、その宝物を破壊しなければならない。」
「えっ、壊すの!?」
思わずまた大きな声を出してしまい、急いで自分で口を隠す。
確かに3000万がかかっているゲームに無傷で帰れるのなら、
それこそ参加人数がとんでもないことになってしまうからなのだろうか。
とはいえ、宝物を破壊するとはなかなかえぐいことをする。
「それが公式のルールなんだ。戦闘不能になるまで戦わなくても、
『宝物を壊す』と宣言すると負けなんだよ。」
「へぇ。でもそれじゃあ、別に馬鹿正直に宝物持って行く必要なくね?」
「あ、確かに。本物の宝物で参加しなくても、
適当にいい感じの持ち込んで勝てないと分かったら降参すればいいだけだもんな。
それ壊したところで別にこっちは痛くも痒くもないし。」
「そう考えるのも分かるけど、それがそうもいかないんだよね。」
彼は淡々と、だけど、どこか生き生きとした様子で説明を続けた。
「思い出の強さは、イコール、バーチャル世界での力の強さなんだ。
思い出が強ければ強いほど、その世界でも力を発揮できる。
それなりの思い出を持って行った所で、本物の思い出を相手には勝てないよ。
相手だってお金を得るために容赦ないし。それに…」
もっとこっちにおいでとでも言うように、ちょいちょいっと手招きをする。
少し動いたら唇に触れそうな程、耳を近づけた。
「それにね、どちらかが死んでも負けなんだよ。」
「は?死んだら…って」
「おいおいバーチャル世界の話だろ?
何マジになってんだよ。本当に死ぬわけ」
「本当に死ぬよ。」
流石に笑えないだろ。
そう言って軽く肩を叩こうと振りかざした手は、
彼の真剣な眼差しによって行き場を失った。
何かを話そうにも、彼の視線が俺の喉を縄のように絞め続ける。
「その世界でダメージを受けたらちゃんと痛いし、
もしもそこで死のうものなら、本当に死ぬんだ。」
「おいおい。バーチャルなのにどうなってんだよ。
てか、それなら寧ろ3000万は割に合ってねーって。」
「確かにそういう考えもあるね。だけど実際に死人が出るのは滅多にないんだ。
だからこそこの金額なんじゃないかな。」
何食わぬ顔でそう答えているが、この口ぶりからして「滅多にない」のであって、
今までに少なくとも存在したことは確かだ。
ツーっと冷や汗が流れると、シオンが1人で手を叩いてけらけらと笑う。
「プっ。あははは!って、それどこのマンガだよ!?
大体そんなの何で事件にならねーんだ?普通に大問題じゃん。
あのHPどっから持ってきたの?俺らに冗談言うためにずっとタイミング見計らってた訳?
マジで面白かったわ!お前最高だよ!」
お構いなしにずっとアハハハと笑う。
俺もこの時笑えたら、どれだけ楽だったことだろう。
お前の冗談は分かりにくいな、とか。
こういうのあんまり言わないやつだからビックリしたよ、とか。
いつもだったら、言っていたであろう俺の言葉。
「も~。シオン、そんなに笑わないでよ。」
笑顔でそう答える彼は、この話を聞く前とではまるで別人のように見えた。
ずっと胸のざわざわが落ち着かない。
なぁ、ナツ。
お前、最後までこれが冗談だとは決して言わなかったな。
1人だけ取り残されたこの空間をあざ笑うかのように、
チャイムは授業の始まりを告げた。
結局その日は何一つ集中できないまま時は過ぎ放課後。
シオンはバイトのため先に帰り、ナツと2人肩を並べて歩く。
こんなにも居心地の悪い帰り道は初めてだ。
「ねえ、翔和。休憩時間にした話さ、嘘だと思う?」
「えっ?あぁ~。」
勝手に暗黙の了解的な感じでなかったことになっているかと思ったが、
どうやらそうでもなかった様で、まさかの本人から話を振られてしまった。
俺は思わず視線を外へと向ける。
質問に対する回答だが、8割は嘘だと思う。
理由はあまりにも非現実的だから。
そんなのが本当に行われているというなら、
シオンの言う通りニュースになっていてもおかしくない。
残りの2割は、ナツの表情だ。
今まで見てきたことのない彼の一面は、
「嘘だ」と笑い飛ばすにはあまりにも真っすぐで無下には出来なかった。
取りあえず、馬鹿正直に告げることはせず、視線とともに言葉を濁しながら伝える。
「どうかな。だけど正直、すぐに信じられるような内容ではなかった。
自分の目で見ないと、そんな漫画みたいな出来事なかなか想像できないし。」
この言葉を、俺は後から悔やむことになる。
あっ。これ、フラグだわ。
「じゃあさ、一緒に行こうか?」
「えっ?」
「俺もちょうど出たいなって思ってたんだよ。
でも、相手探しに迷っていててさ。翔和もお金が欲しいんでしょ?
これだったら、うまくいけば働かないで暫くは遊べるだけのお金は手に入るよ。」
「…質問。」
「はい、どうぞ。」
「見学とかはないですか?」
「ありません。」
コントをしているかのようなテンポできっぱりと断られる。
期待はあまりしていなかったが、そりゃそうかと肩を落とす。
そっと隣を歩く彼に視線を向けると、好奇心に満ち溢れていた目をしていて、
更にこの出来事に真実味を増させていく。
正直な話、これだけの話を聞けば気になる気持ちは勿論ある。
この話を聞いた以上、「これは嘘だ」という確証が持てない限り
これからの未来で度々思い出してしまうだろう。
しかし、それと同時に、心の中の警報が早まるなと必死に警鐘を鳴らしている。
それもそうだ。どっからどう聞いたってこの話は『怪しい』。
100人中99人はやめておけと止めることだろう。
俺だって友人がこんな相談事をしてきたら止める。
即答が出来ず回答に困っていると、
全てを見透かしたかのようにナツは呟いた。
「強制はしないよ。
ただ、自分の気持ちに正直になって考えてほしいな。」
自分の気持ちに正直に。
この時俺が天秤にかけたのは、好奇心と恐怖心だったのか、
はたまた、金と命だったのか。
好奇心は猫をも殺す。
この時の俺は、間違いなく猫だったのだ。
「…わかった。行くよ。」
そして、いよいよ当日を迎えた。
昨日布団に入ってからも、ずっと宝物を何にするか考えていた。
正確には、宝物はもう決まっている。
すぐに答えられるものだからこそ、宝物なのだろう。
悩んでいたのは、それを果たしたどうやって使うかだった。
とはいえ、バーチャルの世界だ。今ここで考えた所で、実際やってみるまでは分からない。
取りあえずいくつかのパターンを考えて、寝不足にならないようにそのまま眠りについた。
朝起きてから着替える時、どんな格好でも構わないと言われていたが、何故だか今から法を犯す時の様な気分になり、すぐに顔を隠せるフードの大きいパーカーを着た。
もしかすると、この部屋にも、この家にも、二度と戻ることはないのかもしれない。
万が一死ぬことがあったら、それは骨としてなのだろうか?
それとも、骨すらも返すことはなく、どこかに埋められてしまうのだろうか。
全てを信じた訳ではない。
しかし、自分が想像しているよりもまずいことになっているのではないかと、今更になってドクンドクンと心臓が歪んだリズムで動き出す。
今日は両親とも朝から家にはいないので、空っぽになった家に向かって、ボソッといってきますと呟いた。
待ち合わせ場所に着くと、約束した時間の5分前なのにナツはもう到着していた。
彼はいつも遊びに行く時の様なさわやかな格好で来ている。
お互いに軽く挨拶をしてから、カラオケに行く時と同じノリで歩みを進めていく。
実際に向かっているのは今日の墓地になるのかもしれないというのに、見るまでは信じられないとする自分の最後の抵抗なのだろうか。
まだ自分は何もしていないただの大学生のはずなのに、待ちゆく人々がどこか真っすぐと向かう背中を羨ましいと思った。
「着いたよ。」
そんなことを考えていると、急に足を止まる。
俺は地図を持っていないのでナツにただ着いていくだけだったが、案外早く到着したことに驚く。
もっと奥深い秘密裏な場所を想像していたものの、彼の目線の先を辿っていくと、一面ガラス張りの会社しか存在しなかった。
え、マジでここ?
思わずそう言いたくもなってしまう程、どこからどう見ても普通の大企業だ。
ピシっと固く決まったスーツを着た人たちが出入りし、ドアが開いた時にチラッと見えたが受付嬢もいる。
怪しい所はまるでない。
むしろこんな所で突っ立っている自分たちの方がよっぽど怪しい。
ここで本当にそんなゲームが行われているのだろうか。
案内をしてくれた上で申し訳ないが、あまりの現実味のなさに疑うような目を彼に向けると、それを察したのだろう。
失礼だなと言いたげにスマホの地図を目の前に見せつけてくる。
「合ってるよ。地図アプリでもここをさしてるし。」
「でも、俺たち明らかに場違いだぞ。」
「とりあえず受付の人に聞いてみようか。」
よっぽど自信があるのか、きっぱりと言い切る。
確かに彼が地図に迷ったりするイメージがないからこそ、脳内がドンチャカ混乱騒ぎを起こしている。
1人でずんずんと進んでいく後ろ姿に隠れるようにして着いていく。
まるで高級デパートにジャージで行くような気分になり、気まずすぎて顔が上げられない。
入り口を過ぎてすぐに見えた綺麗な受付のお姉さんも、今では迷子センターのお姉さんにしか見えない。
「すみません、この場所はこちらで合ってますか?」
全くひるむことがなく、その女性にスマホを見せながら確認する。
その堂々とした態度が心強いが、それに反して俺はどんどん小さくなっていく。
やましいことは何もしていないのに猛烈に隠れたい。
その為のフードだというのに、今では更に怪しさを演出するためのものでしかない為、
実際役立たず以外の何物でもない。本末転倒過ぎる。
どんな軽蔑された目で見られることだろうと思いつつ、恐る恐る目線を受付嬢へと移すと、スマホを見た瞬間明らかに彼女は一瞬顔をこわばらせた。
それどころか、「この子たちが?」と言いたげに怪訝そうな眼差しを向けられる。
憐みの様な、同情の様な。
その正体までは分からないが、あまり気持ちの良いものではなかったものは確かだ。
しかしそこは流石プロ。身に着けていたスカーフが風と一緒に少しなびいたたった一瞬で、表情を切り替える。
「こちらの場所で間違いございません。では、担当に連絡を致しますので、少々」
その言葉の途中。
突然後ろから、この緊張した空間にはそぐわないやる気のない声が聞こえた。
「いーよいーよ。俺が連れていくよ。」
ポンっと気軽に手を置かれ、ビククー!!と全身に鳥肌が立つ。
お化け屋敷でこんにゃくをあてられたかの様に叫びそうになったが、自分が浮いた場所に居るというその自覚が喉仏で叫び声を飲み込んでくれた。
代わりに、その反動でなぜかいつも以上に首がよく回り、
グインという音を立ててその声の正体を突き止める。
そこには、この小綺麗なオフィスには好ましくない格好の中年男性がダラーっと立っていた。
曲がったネクタイ。しわしわのワイシャツ。ぼさぼさの髪の毛。
よく見ると白髪も数本見える。その感じから随分と老けて見えたが、よくよく顔を見るとまだそこまで歳をとっていない様だ。30代前半位だろうか。
とはいえ、俺たちとは別の意味で浮いているのは誰でもわかる。
何だこいつ。
先程の俺たちを見た時の受付嬢の感情としてはこんな感じだったのだろうか?
明らかに浮いた存在が突然現れたら、確かにこんな感じになる。
少し目を細めてジトっとそのおじさんを見つめていた。
しかし、彼女はそのおじさんを見た瞬間、俺たちの時とは全く違う反応を取る。
「与路様…。」
「この2人のことあそこに案内すればいいんでしょ?
今、人見はちょっと別の案件で対応できないからさー。
俺が連れていくよ。」
「ですが」
「大丈夫大丈夫ー。こんなの日常茶飯事だから。」
手を振りながら軽薄そうにそう答える。
全くそうは見えないが、この感じからして恐らくこの会社の関係者なのだろうか。
かなりお偉いさんにお願いごとをしてしまっているかの様な恭しさがある。
この人に任せられないという感じではなく、この人にお願いをして良いのだろうかといったような、ある意味での畏怖のようなものを感じた。
彼女は少し顔を強張らせた後、観念したかのように、一瞬俺たち2人を見つめ、深々と頭を下げた。
「承知致しました。それでは、よろしくお願いいたします。」
そのお辞儀に答えるように自分もいつもよりも深く頭をペコっと下げる。
その後に聞こえてきた
「いってらっしゃいませ。」
という言葉に、若干の不穏さを残しながら。
「はーい。じゃあ取りあえず、着いてきて~。」
名前も知らないその男は、やる気のないバスガイドの様に手を挙げて誘導を促した。
よく恥ずかしげもなく堂々とこんな場所に居られるなと思いながらも、アヒルの様に後ろについていき、そのままエレベーターに乗り込む。
ナツは緊張した様子もなく、ただ従順だった。
ゴォンゴォンという音をたてながら、エレベーターが上がっていく。
勿論こんなバカでかいオフィスのエレベーターなんて利用したことがないため、ここに来てやっと好奇心が見え始めた。
上っていくまでの眺めがよく見えて、アトラクションの1つの様だ。流石大企業は違う。
興奮を隠していたつもりだが、それが伝わってしまったのかおじさんは笑った。
「あははっ。小学生の工場見学かな?かっこいい機械とかが見れるのはまだまだ先だぞ~。」
けらけらと人を小馬鹿にしたその態度がどうにも気に入らず、すぐにムスッとして反抗期丸出しの態度を出す。
しかし、相手はこんなでもお偉いさんかも知れない。
俺たちを誘導しているあたり、このゲームの関係者であることは殆ど明白だ。
この態度1つでこれからのゲームに支障が出たら困る。
言い返すことはせず、ただ拗ねた子どものように押し黙った。
「おっと。そういや申し遅れたな。おじさんの名前は与路。33歳。バリバリの社会人だ。この名前の後だとギャグみたいだからあんまり言いたくないんだが、よろしくな~。」
手を差し出して握手を求めるのではなく、手をひらひらと振っていた。
友好的に笑顔で話しかけてはいるが、その目は出会ってからどこかずっと笑っていない。
その態度に一抹の不安を覚えながらも、相手が名前を名乗った以上こちらも名乗るのが礼儀というものだろう。
とはいえ、これって馬鹿正直に名乗ってもいいのか?
相手もなぜか下の名前も言わないし、ある程度警戒した方が良いのだろうか。
チラっと隣でナツの様子を窺うと、しっかりと与路の目を見据え凛としている。
「泡沫 夏です。大学生です。」
「へぇ。若いし、随分と変わった名前だね。一度聞いたら忘れそうにない位。」
「確かに同姓同名には会ったことはありません。」
何も疑う事なく自分の本名を告げ、てきぱきと会話を織りなしている。
元々人見知りするタイプでもなかったが、言葉を変えれば警戒心がない。
それに、今更ながら気付いたがゲームに参加するのだから、本名くらいは言わなくてもどうせいつかバレるものじゃないか。
偽名を使えるのかもしれないが、お金を貰うときに記載するサインなどは流石に本名だろう。
だとしたら、言い淀んだ所でそれは無駄な心配に過ぎないのかもしれない。
俺も後に続くように言葉を述べた。
「堺 翔和です。同じく大学生です。」
「へー。じゃあ、お友だち同士で参加したって訳だ。」
「まぁ、そんな所ですかね。」
「ふーん、そう。あっ、着いたよー。」
ちょうど良いタイミングでチーンという音を立ててエレベーターが開く。
先程の返しもそうだが、小学生の作った粘土細工を鑑定士がまじまじと見ているような、
ここに着いてからの不気味な違和感はなんだ。
まるで自分だけが置かれた状況を分かっていないというのが、嫌でも伝わってくる。
その現実から目を逸らす様に降りた階数を見ると、14と表示されている。
まだまだ上がありそうだが、この中途半端な階で行われるのか。
そんな疑問を抱きながらも、彼の後ろにトコトコと着いていく。
降りてすぐに表れたのは、乳白色で出来たガラス張りの扉だった。
そこに与路がピッとポケットから取り出したカードをかざすと、いとも容易くドアが開いた。
すると、更にもう一つ、今度はもっと頑丈そうな扉が現れる。
二段構えになっていたのだ。
なるほど。簡単には人が入れないようになっているという訳か。
とりわけ、ここが、ゲームの場所なのだろう。
ドクドクと早く脈打つ心臓を抑え、彼の手の行く末を追う。
先程も聞こえたピッという音が、今度は心電図の音の様に聞こえた。
「はーい、着いたよ~。」
機械だったら壊れているであろう位のスピードで荒ぶる音をよそに、
彼の言葉はいつだって穏やかだ。
どんな会場で行われるのだろうと恐怖心に打ち勝ち目を見開くと、その努力をあざ笑うかの様にただテーブルや椅子が置いてあるだけの空間が広がっていた。
簡単に言えば、どこにでもあるようなミーティングルーム。
あまりにも無機質な空間に、流石の俺でもここでゲームが行われるわけではないということは分かる。
鳩が豆鉄砲を食ったようにきょとんとしていると、与路は1人誕生日席にドカンっと深く腰を掛けた。
「はい。それじゃあ、そこに座って~。」
おいでおいでと手招きされている方向には、同じくただの椅子が置いてある。
彼の席を時計で12時を指している場所とするなら、その指定された席は3時位の場所だ。
若干間隔が開いている。
すぐに腕を掴まれたりしない位置に少し安堵したが、今度はこの椅子に仕掛けがないか疑心暗鬼になる。
座ったら逃げられない様に固定されたり、電気が走って無理やりどこかに連れていかれたりしないか念のため目視する。
「も~。別に種も仕掛けもない普通の椅子だから早く座んなよ~。」
指でトントンとしながらしびれを切らしつつある様子に、流石に2人で言われた通りに席に着く。
案の定何もないただの椅子だった。
なんだか落ち着かずキョロキョロとしていると、与路が席を立ち、こちらへと向かってきた。
「あ~。もしかして会場だと思った?
いや~、大人には色々と事情がありましてねー。
ここはただのお話の場だよ。」
すると、今度はどこから取り出したのかそれぞれの目の前に何やら小難しい言葉が並んだプリントを置いた。
文字の上にはでかでかと『誓約書』と書かれている。
「はい。じゃあ、今からこの紙をよ~~~~~く読んでね。
社会人になるとね、何かとこういうダラダラと面倒なのにサインとか書かなきゃいけなくなるんだよ。本当にだるいよね~。
ちなみに今回は『契約書』じゃなくて、『誓約書』だから。」
最後のひと言が気になり、少しナツに近づきこそっと小声で問いかける。
「なぁ。契約書と誓約書って、何が違うんだ?」
「契約書は自分と相手の双方が合意をしたもの。
誓約書は、自分たちだけが一方的に意思を表示するためのものだよ。」
「その通り~!なんてったって、契約してるんじゃない。君たちが勝手に誓うためのものだから。」
思えば、前にテレビで命がけのバンジージャンプをしている人がいた時には、契約書ではなく誓約書と書かれていた気がする。
それは、もしもそれで死ぬことがあっても、受け取り側も合意したわけではなく、あくまで自分の意志で行うものだから自己責任だという証だったのだろう。
目の前のこの文字の羅列は、自分がしようとしていることの大きさを実感するには、十分すぎる位の効力があった。
「あぁ、でもそういうのあってメチャクチャ読むのダルいよね。
後からあーだーこーだ言われても面倒だし。
今から簡単に説明するから、良い子の2人はちゃ~んと聞くんだよ。」
大袈裟に身振り手振りをするその姿は、明らかにバカにされているのが分かる。
相手の都合の良い様に解釈されていない様に、普段授業でもこんなに真剣な態度をとることはない位両手に紙を持って凝視する。
「あら、真面目で何よりだね。
さて、その頑張りに答えますかね。じゃあまずは1つ。これは簡単だね。
これから行われる行為は全て口外しないこと。誰にも言っちゃ駄目だよ~ってことね。
誰であっても、ネ。」
「もしも、破ったらどうなるんですか。」
「さぁね。殺されちゃうかも?」
ナツの質問に、そんな物騒な言葉を使っておきながら一切悪びれる様子無く飄々と答える。
説明役がこんな調子だから、命の重さが一瞬スルーしかけてしまうくらいに軽い様な錯覚に陥ってしまう。
殺されるというのは、社会的な死という意味をさすのだろうか。
それとも、物理的な死なのだろうか。
どちらにせよ、この誓約書にサインしたからには、破った場合、自分はいつ殺されても仕方ない存在になるということだ。
張本人は、頭の後ろで手を組んでは行儀悪く椅子をギコギコと揺らしだす。
「って言っても、僕も知らないんだよねー。
ルール違反の人を見たことがないし、そういうのは担当じゃないからさ。
もしかしたら『コラー!』って言われて終わりかもだけど。」
「こんな誓約書を書かせる様な所が、そんな処罰で済むとは思えないですけど。」
「君は随分と疑り深いんだね。まぁ、簡単な話、破らなければいいんだよ。
それとも、破ろうとしているから気になるのかな?」
2人の目と目はちゃんと交わっているはずなのに、その言葉には一切の感情が伝わっていないようだった。お互い腹の探り合い。
こちらまでも内臓をまさぐられているような気味悪さを感じる。
何だか今日のナツはいつもよりも積極的に思えた。
いや、今日のというよりは、このゲームの話をしたときから様子が違っていたように見える。
殆どはシオンがぐいぐいと行くタイプだから、彼の本性はその後ろに隠れてしまっていたのだろうか?
何はともあれ、今日は大人しく彼の一歩後ろを歩く気持ちで居よう。
「じゃあ次行ってみよ~う。2つ目。
これから行われることで得た情報…まぁつまり、君たちがゲームをしてる間、こちらはそれをデータに取らせてもらってる訳なんだけどね。そのデータが、何に使われるのかは言及しないこと。とどのつまり、モルモットたちはモルモットらしくしていれば良いってことだよ。」
風が通ることにない密室空間に、時々嫌に心すらも凍らせるほど冷たい風が通っていく。
彼らからしたら、俺たちはお金に溺れた醜い生き物にでも見えているのだろうか。
その目的というものこそがこのゲームの真髄だとすれば、
それに触れることすらできないということは、あまりいい内容ではないのかもしれない。
先程から何度も目で追っている誓約書の文字と、彼の言っている言葉に相違はなく、段々と焦りが滲んできた。
「はーい、最後3つ目ね。あぁ、これが1番大事なんだけどさ。
ここで起きたことは、全て自己責任であること。こっちは一切の責任は取らないよ~ことね。
それがもし、君たちが勝手に死んだとしても、ネ?」
一瞬、光をなくしたその瞳に今までで一番ゾっとする。
そんな彼を、ナツはただじっと疎ましそうに睨みつけていた。
この状況をこんなに飄々と話すこいつもおかしい。
それにビビった様子も見せないナツもおかしい。
あれ?違う。ここにそんな覚悟で来てしまった俺がおかしいのか?
この書類にサインをしたならば、後は俺は殺されても仕方のない存在。
地獄への片道切符だ。
誓約書。名前の通り、この紙に誓わねばならない。自分の命の使い方を。
こんな薄っぺらく、吹いたら飛んでいきそうな情けない紙に。
冷房が効いたこの部屋で、場違いな位1人だけ冷や汗が止まらなかった。
「さーて、どうする?2人ともまだ若いよね??帰る?
今なら戻れるよ??これに書いたらもう参加しなくちゃいけないよ??
あれあれ??トワくんは汗すごいよ~?大丈夫???」
急にこちらに近づいてきて顔を覗き込む。
普段なら腹が立って仕方ない所だろうが、そんな余裕すらない。
正直、帰りたい。帰りたくて仕方ない。
ここで帰ったら、また昨日と同じ日常が送れる。
ここで帰らなかったら、もう二度と手に入ることが出来ないかも知れない日々。
本当は死ぬかもしれないなんて嘘じゃないか。本当は何ともないただのゲーム大会じゃないか。
そんな生ぬるい考えがあった。
『甘い話には裏がある。』
先日だってナツの話を聞いて分かっていたはずなのに。
甘い話にそそられた自分へのバチが当たったのか。
彼の言葉を信じられなかった心の汚れか。
俺は今、その言葉を今まで体験したこともない位身に染みて理解できた。
そっとナツの顔色を窺った。
その表情は、サインをすることに全く迷いがなく、最初からそれ位の覚悟で来たという顔だ。
今更だけど、何がこいつをそこまでさせるのだろうか。
今日死ぬかもしれないというのに、一切ゆるぎないその覚悟は、最早異常でもあるように思えた。
今のナツは何を考えているか分からない。
だけど、何かよっぽどの理由があることだけは分かる。
それなのに、目の前の高級そうなペンを、握るだけの気力は今の自分にはない。
断ろうかと日和ったその瞬間、電気が走ったかのように、幼い頃に出会ったとある女の子の顔が脳内をよぎった。
自分が、この宝物を持ってくるきっかけになった子だ。
何故だかその子に、参加しろと言われている様な気がして、少しだけ手の感覚が戻ってきた。
あぁ、俺は本当にバカなのかもしれない。
先ほどまでまるで別人な様に思えていたナツと、ここにきてやっとバチっとお互いの目を合わせられた。
そして、2人でこくりと頷く。
「「やります。」」
「ふーん。そっか。それが答えなんだ。」
まるで漫画の主人公の様なこのシーンですら、彼の見せた反応にその判断が間違いであると印を押されたような気分になる。
今さら、そんな印を押された所でもう引けない。
少しだけ震えの残る手で書類にサインをし、2枚重ねて彼へと渡す。
彼はそれを受け取り、トントンっと揃えるでもなく、ただ3つ折りにしてそのまま胸ポケットへと閉まっていった。
「はいはーい。ちゃんと受け取りましたよー。じゃあ、着いてきて。」
この誓約書を書かせるまでは、ゲームに参加する資格がなかったのだとすれば、
今から向かう場所こそが本当にゲームの会場なのだろう。
ダラダラと歩く後ろに並び、先程と同様にピッとカードをかざす。
また同じエレベーターに乗るのかと思ったが、今度は乳白色の扉を開けることなく、別の方向へと進んでいく。
どこに向かっているのか疑問に思いながらも付いていくと、行きついた先には
少し古めかしいエレベーターが姿を現した。
驚くべきは、行き先は下のボタンしか存在しなかったことだ。
与路は一切躊躇することなくそのボタンを押し、中へと入る。
最初の方は3人乗っても全然余裕がある程の大きさだったのに比べて、
これは3人がやっと位の大きさ。
少しの衝撃でもゴゥン!!という大きな音がして、落ちないか不安になり無意味に壁に手を添えていた。
「そういえばさ、ここ、さっきの何階か知ってる?」
「14階…だった気がします。」
「へぇ。トワくん、よく覚えてたね。」
馬鹿にするでもなく、あざ笑うでもなく、ただ単純に感心したという物言いに全く意図が読めず、添えていた壁の手を少し強く握った。
すると、何がおかしかったのか突然小さくハハッと笑い出したではないか。
本当に何を考えているんだこのおじさんは。
心の通じない宇宙人でも見ているような視線を向けても、相手はまるで気にも留めない様子で先ほどよりも大きな声で笑いだす。
「ふっ、ハハッ。あははっ。ねえ、気付いた?14。『いーし』。『いい死』。つまり、『良い死』っていうね。面白いよね。死んでも構わないって契約をする人に対して良い死って。
あ、でも414階だったら完璧だったのにね~。流石に414階建てのビルとか無理か。」
一瞬だけ隙間からの光で見えた表情は、あまりにも無邪気で、あまりにも残酷だった。
ナンバープレートや電話番号で遊ぶかのようなノリで言っているが、こちらからしたら全く笑えない。
「たまたまだよ、たまたま。」
と後から念を押して言っていたが、そんなの信じられる訳がない。
自分の気持ちが沈んでいくのを体現しているかのように、相も変わらず豪快な音をたてては下へと下がっていく。
1階まで来た時に、ようやく降りられるのかと思ったのも束の間。
そのまま問答無用で更に下へと落ちていった。
てっきり、どこか別の場所に移動するのだとばかり思っていた為、動揺が隠せずどこまで下がるのかジッと階数を見つめる。
「は~い。とうちゃ~く。ここがバイルの会場、選ばれた者のみが来られる場所だよ~。」
その声と同時に、エレベータの扉がギシギシと不穏な音を立てて開く。
地下というイメージから、安直にも牢獄のような場所を想像していた。
しかし、そのイメージはハンマーで勝ち割られるかのように乱暴に壊されて崩れていく。
洞窟の様な凸凹とした地面。天井には小さなテレビ。
外からでも見られる仕様になっているガラス張りの部屋。
漫画やアニメで見る研究室の様な場所が、洞窟の中に存在している。そんな感じだった。
混とんとしていて、一言で言うなら「なんじゃこりゃ」な世界。
既に自分たち以外にも何人か参加者らしき人がいたが、殆どの人がこの場所に困惑を覚えている様子だった。
するとナツが何かに吸い寄せられるように一番目立つガラス張りの部屋の傍へ行く。
俺もそれに気づき後ろを追っかけていくと、そこにはあまりにも珍妙な光景が広がっていた。
「なぁナツ。あれってもしかしなくても…棺桶、だよな。しかも4つ並んでる。
ってことは、あの中に入ってゲームするのか?流石に趣味が悪すぎるだろ。」
「えっ趣味が悪い?何言ってるの?
あれが君たちの本当の棺桶になるかも知れないのにさ~。」
いつの間にか後ろに来ていた与路にまたもや大声を出しそうになる。
脅かすなよという怒りを込めてギッと彼を睨むも、彼の視線は俺ではなく棺桶へと向けられていた。
「もしかしてVRみたいに頭にカポッとハメて戦うんだとでも思ったの?
だとしたらあまりにも甘すぎる。ゲロ甘だよ。
もう1度ちゃ~~んと肝に銘じておくんだよ。
このゲームの名前は何だったか思い出してごらん。
『Bet Your Life』。賭けるのは、君たちの人生なんだから。」
もう何度も何度も自分に言い聞かせていたはずの言葉を、
他人に言われると何故こうも重さが違って聞こえてしまうのだろうか。
一歩一歩、着実に死への道をたどっている実感に足元が重くなる。
「ま、詳しいことは後からちゃーんと説明が入るから安心してね。
後1組だけ来てないみたいだから、それまでは適当に待っててね~。」
安心できないのを知っていてそういうことをあえて言っているのだろう。
どんな環境で育ったら、こんなに相手に対してクリティカルヒットを喰らわせられる人間になるのだろう。
お気楽に去っていく彼の背中を細目で見送った後、先程はあまり気に留められなかった他の参加者へと目を移した。
俺たちと同様に若い男性もいれば、上は随分なおじいさん、それにカップルで来ている人も居るようだ。
1人1人を観察していると、ブラックホールに吸い寄せられるようにふと1人の男性に目が留まる。
『異様』としか言葉にしがたいその人は、部屋の隅で楽しそうにニコニコとしていた。
それはまるで子どもがボールパークに来た時の様な面を持ちながらも、
授業参観に来た親の様な目で俺たちを達観して眺めている。
ちぐはぐとその存在に、何となくの直感だが、絶対に当たりたくないと強く思った。
あんなヤバそうな人もいるのかと考えると、段々と自信がなくなっていき、ついボソッと弱音を吐く。
「俺たち、どうなっちゃうんだろうな。」
「さぁ。でも、どうなるか分からないなら、どうにかするしかないんだよ。」
「すごいな、ナツは。
てか思ったんだけどさ、このゲームの話してからずっと前のめりっていうか、やる気満々っていうか。怖くないの?死ぬかも知れないのにさ。」
「それは」
『はーい!!ちゅうもーく!』
突然キィイイインとマイクのハウった音が会場内に響き渡る。
耳を塞ぎながら顔を上げると、どうやら最後の一組というのが来たようで今から与路の言っていた説明とやらが始まるらしい。
ナツの言葉の続きが気になったが、どうやらお預けとなったようだ。
『おい、急にバカでかい声出すな。』
『ごめんごめーん。』
そういって与路のことを小突いているのは、先ほどまではいなかった眼鏡姿の男性だった。
恐らく、その最後の一組を連れてきたのが彼だったのだろう。
与路と反してしっかりとスーツを着こなしていて、真面目を絵にかいたような人だ。
正直あいつよりもこっちの人の方が良かったなと自分の運の悪さをちょっと悔やんだ。
『んっ、んん。本日はお集まりいただき、ありがとうございます。今回の見届け人を請け負います、人見です。』
『与路でーす。』
『私たち2人が担当致します。よろしくお願いいたします。』
もしもこれがどこかのイベント会場とかだったのなら、きっと一度拍手が沸き上がったことだろう。
しかし、ここは内容も内容なため、そんな呑気なことをしていいのか分からず、お互いが顔を見合わせる謎の沈黙が続いた。
すると、眼鏡をくいっと上げなおし、何食わぬ顔で再度マイクを口元にあてる。
『それでは、ルールを説明いたします。質問がございましたら、都度挙手願います。』
そういってアナウンサーの様に手際よく述べられている内容は、殆どがナツから既に聞いている内容だった。
ちょっと横に目を逸らすと、与路が大きなあくびをしている。
学校の集会ですらこんなに堂々と大口をあける奴はいないだろう。
それに気づいたのか、人見さんはマイクで一度頭をぶっ叩き、再度キィイイインという嫌な音が会場に響き渡った。
『…失礼致しました。それでは、次にゲームの入り方について説明いたします。
入ってすぐ目に入ったのでお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、参加者の方にはあの棺桶の中に入って頂きます。棺が閉まると、段々と意識を失う仕様になっており、完全に意識を失った瞬間、脳内だけがゲームの世界へと移行致します。皆様にはそこで戦って頂きます。』
そこまで説明し、一息入れようとしていたところで、1人がスッと手をあげる。
全員の目線がその手へと注がれる。
どうやらカップルで来ている内の彼氏の方が挙手をしていたようで、少し気まずそうに手を下ろしながら問いかけた。
「戦ってる時の様子って、その時参加してない人たちも見ることは出来るんですか?」
『勿論です。こちらのモニターに映りますよ。見るも見ないも自由ですが、個人的には見ることをお勧め致します。』
「その、意識を失うって言ってましたけど、後遺症とか残らずちゃんと戻れるんですよね?
戦ってるときはちゃんと痛覚があるって言ってたけど、それが体の方に残ったりは」
『無論。ちゃんと健康体で戻りますよ。生きていたら、ネ。』
最後のひと言にには聞き覚えがある。先程の与路と同じ言い方だ。
見た目や態度が180度違くても、彼も同じ運営の人間なのだという事が嫌でも理解できた。
質問をしてた彼氏も一瞬顔に緊張が走ったものの、お礼を言って頭を下げる。
その表情を見た彼女は、心配そうにギュッと彼の腕にしがみついた。
『入り方については以上です。次に対戦相手についてですが、それはこちらで決めさせていただきます。
今回お集まり頂いたのは全員で22名10組ですので、このくじで順番を決めていき、トーナメント表を埋めていきます。くじはこちらで全てひかせて頂きますが、疑われるのは嫌なので、念のためお伝えしておきますと小細工などはしておりません。』
そういうと、資格の箱を逆さまにし4つ折りにされた紙を全て床に落とす。
マジシャンが種も仕掛けもありませんと言う時の様に、両手で「見たいならどうぞ」とジェスチャーを取る。
流石にこんな状況で見る人なんていないだろうと思っていたのも束の間。
先程、異様な空気を発していた彼が、なんと紙をいくつか掴んで目を見開きまじまじと見出したのだ。
周りもまさかそんな人がいるとは思わず目を見張るが、見届け人の2人は一切動揺した様子はない。
「う~ん。本当になんとも問題なさげ~。」
花畑で無邪気に花を散らす子どものように、持っていた紙をバッとバラバラに散らせながら帰っていく。
人見さんはそれを1つ1つ拾っていきながら、あくまでも冷静な口調は崩さず説明を続けた。
『さて、他に気になる方はいませんか?
居いないのであれば、このトーナメント表が埋まり次第、最初の組の方には棺桶に入って頂き、ゲームがスタートとなります。
あっ、そうだ。私としたことが大切なことを言い忘れておりました。』
彼の残像が消え切っていない中、話はどんどんと先へ進んでいく。
本当に忘れていたのか、ちょっとの悪戯心だったのかは分からないが、
そのすっとぼけ顔にも見覚えがあり、嫌な予感がした。
『先ほども説明した通り、勝敗はお持ちの宝物を壊すか、死ぬか、です。
宝物を壊す場合には降参すると言って頂き、その後宝物を回収させて頂きます。
そして、一番気になっていることでしょう。
生死の判断についてですが、これについては現実世界と変わらないと思ってください。
ゲームの世界で心臓を貫かれる、四肢がもがれる、首を飛ばされる、等、現実でも死んでいるとされるものが判断基準となります。』
血の通っていない位冷徹に述べられた例があまりにも生々しく、吐き気すらも覚えた。
しかし、その説明に不満があったのだろうか。
今回の参加者で一番高齢だと思われるおじいさんは、手を上げることなく、勢いよく唾を飛ばしながら質問をした。
「ちょっと待ってくれ!バーチャル世界で死んだとしても、それは脳内の話なのじゃろ?
どうやって現実でも死ぬんじゃ!?あの棺桶は危険な棺桶なんじゃないのか!?」
「それは、今はまだお伝え出来ません。」
「はぁ!?何で言えないんじゃ!!もしや、勝ったとしても賞金が貰えないんじゃなかろうな!?おい、何とか言ったらどうじゃ!やましいことがあるんじゃろ!?」
他人の不安や心配というのは黴菌の様に周りにも伝染していく。
おじいさんの言葉を皮切りに、周りの参加者も一同今まで抱えていた不安を少しずつ口に出し始める。
その小さな不安は不満になり、用水路のような水量がいつの間にかダムになるまで大きく広がっていた。
隣をちらっと見ると、ナツは文句1つ言うことなく、ただその様子をじっと静観している。
すると突然、マイク越しにため息が聞こえてきた。
そして、次の瞬間。
「黙れ。」
というどすの利いた声が耳を貫通していく。
先ほどまで決壊寸前のダムも、人間の手で管理されたかのようにシーンとする。
「おっと、失礼致しました。口が出すぎてしまいましたね、お詫び申し上げます。
ですが、どうしても今はまだ言えないのですよ。
決して他言することはない様誓約書は書いていただいておりますが、万が一にでも、SNSとかに書かれたりしたら厄介ですので。あぁ、でも誰かが死ねば見れますよ。
とはいえ、殆ど例がないんですけどね。皆さま大体宝物を壊されることを選択するものですから。」
あまりにも日常会話の様にサラっと口から出るものだから、相変わらず命の重さを見誤りそうになる。
誰かが死ねば見れますよ。
例え内心でこう思っていても、それを本当に口に出して言うという行為に、若干の抵抗などはないのだろうか。
「さて、では早速ですが、今からくじを引いていきます。与路。」
「うぃ~~っす。」
目の前でてきぱきと進められていく風景に、自分の心だけがずっと追いつかない。
夢の中にいる様な、不思議な感覚だ。
ドンドンと埋まっていくトーナメント表。
自分たちの名前はまだ呼ばれない。
これは一番最初に戦うのが圧倒的に不利だ。
せめて、周りの誰かの試合を見せてからにしてほしい。
1番にならないことを全力で願い、普段はしない一生分の神頼みをした。
「続きまして、堺 翔和・泡沫 夏ペア。」
来た!!
グッと顔を上げ、彼の唇の動きを見つめる。
パっと開いた紙に書かれていた数字。
「2番。」
1番ではないことに、心の中で踊り狂った。
よっしゃ!!1番じゃない!誰かの試合を見ている間に対策しよう!!
と、喜んだのも束の間。
そう、1試合目は1番と2番のチーム。
つまり、俺たちは1試合目に参加するのだ。
ジェットコースターよりも世話しなく急転直下していく。
トーナメント表が埋まったころ、1試合目の参加者と周りの人間にはリアクションに雲泥の差が出来ていた。
「では、2チームはお進みください。」
もう1つのチームに目をやると、顔色が悪かった。
それもそうだ。
そして扉が開き、それぞれ宝物を持って棺の中へと入っていく。
生きながら埋葬される気分だ。
ここに来て初めてナツの宝物を見たが、どうやらぬいぐるみのようだ。
見たことがないが、有名なキャラではないようだ。
目が大きく、熊の様な、犬の様な、可愛らしい見た目をしている。
これでどうやって戦うのかちょっと不安になったが、彼はにこっと笑っている。
「よろしくね、翔和。」
「あ、あぁ。」
どこか余裕が見える。
「そうだ、言い忘れてたけどね。」
「なんだよこんなギリギリに。」
「俺ね、死んでも宝物壊したりしないから。」
その言葉を聞いた瞬間、「一緒に死のう」と言われているようで、
心のわだかまりと一緒に棺の蓋が閉められた。
バーチャルの世界に入り込むと、
そこには渋谷と池袋を足して割ったような世界が広がっていた。
スクランブル交差点のように開けた場所もあれば、
サンシャインロードのように店が密集している場所もある。
人で溢れかえりそうな場所なのに、俺たち以外誰もいない。
ピロンという音が聞こえ顔を上げると、
相手チームの頭の上にプロフィールの様なものが表示されていた。
『愛堂 凜』
宝物
『大井 雅也』
宝物
なるほど、相手の武器となるものが分かるのか。
相手の目線が頭上にあることから察するに、相手にも俺たちと同じものが見えているのだろう。
俺の宝物見て見て笑わないでいてくれるのがありがたい。
「マサ。絶対に勝とうな。
バズフラのクラファン達成額は3000万円。これに勝てたら即達成だ!」
「…うん。頑張ろうね。」
相手はどうやら俺たちと同じ友人同士の様子。
愛堂と名前が出ている方は、人懐っこい犬の様なタイプだ。
その性格が見た目に現れていている。
もう1人の大井と名前が出ている方は、黒い髪を目の下まで伸ばしていて、終始下を向いている。付き添いで来たのだろうか?
宝物と会話から察するに、アイドルオタクなのだろう。
ペンライトもリボンも通常だったらあまり攻撃力のなさそうなものだが、この世界は何が起きるかわからない。
油断禁物。かもしれない運転でいこう。
汗ばむ手を何度もジーパンで拭くと、大丈夫だよと言いたげに優しくその手をナツが握った。
未だに恐怖は払しょくできない。
先程聞いたナツのセリフも、聞き返すことが出来ないまま頭にこびりついて離れない。
死にたくないし、壊したくもない。
俺たちに残された選択は勝つことのみだ。
段々とその覚悟が決まり、その手から伝わる温もりに、震えが少しずつ止まる。
『聞こえますか?』
突然天の声の様に空から声が聞こえた。この声は人見さんだ。
『あなた方の様子はこちらから画面を通して確認しています。
ですが、死にそうになっているからといって止めることはありません。』
改めて聞かされるその内容に、もう逃げ場はないと言われているかの様で、釘を刺されたかのような気分になる。
もう何度刺されたかも分からないそれは、とっくに刺す所に困る位ズタボロだった。
『武器の使い方は先ほど説明した通りです。後は実践あるのみ。一発本番です。
今から私がファイ!と言ったら始まりです。良いですね?』
あの人見さんからファイ!なんて威勢の良い言葉が出るのを想像するとちょっとだけおかしかった。
その想像が出来る位には、余裕が出て来たのかもしれない。
頬をパチっと叩き、相手の2人を見つめる。
お互いの目が交わった瞬間、雷の様に戦いのゴングが鳴り響いた。
『いきますよ。Ready…ファイ!!』
空の彼方へ声が消えていく。
手をゆっくりと解いていき、ポケットに閉まっていた宝物を取り出した。
俺の選んだ宝物は、『修学旅行の時に買った龍が描かれた剣のキーホルダー』だった。
誰もが一度はSAやお土産屋で見たことがあることだろう。
これが俺の宝物だ。
とはいっても、武器の使い方なんて全く分からない。
昨日寝る前にイメージしていたものでは、これが等身大になってばっさばっさと相手を切っていくイメージだった。
ここで大事なのはイメージと思い出の力。
取りあえずは必死に脳内でイメージしながら、何度かキーホルダーをそれっぽく振り下ろしてみる。
しかし、ブン…ブン…と空しくかすれた音がするだけで全く反応がない。
ヤバい。もしも相手がこちらよりも先に使い方を把握してしまったら、こうして情けなく右往左往している間にやられてしまう。
そんな終わり方はあんまりだ。
今見た感じでは、相手もまだ使い方が分からずに、ペンライトを何度かチカチカさせたり、リボンを手に振り回したりしている。
これをモニターで見ている人たちは「何遊んでんだあいつら」と思っていることだろうが、驚くことにこれがお互い大真面目なのだ。
早く一歩でも先に使えるようにならなければ、とんでもない泥仕合になる。
とはいえ、焦れば焦るほどうまくいかず、隣のナツを懇願するように見つめた。
すると、彼はにこっと笑い、俺の手に握られたそれを優しく見つめる。
「そっか。翔和はその剣のキーホルダーが宝物なんだね。すごくいいと思うよ。
あっ、自己紹介が遅れたね。この子が俺の宝物のプポちゃん。」
「プポちゃん?」
「そう。小さいときから、ずっと一緒だったんだ。」
ナツは手に持っていたプポちゃんを愛おしそうにぎゅっと抱きしめる。
そして、
「お願い。」
という言葉が聞こえてくるのと同時に、ギシギシ…とぬいぐるみから出ているとは想定し難い耳に残るような音が聞こえてきた。
何事だ!?と思ったのも束の間。
プポちゃんはナツの手を離れみるみると大きくなっていき、大型ビルと同じくらいの大きさへと姿を変えていった。
こんなやり方もあるのかと、相手チームと一緒に暫く口を開けたまま見上げる。
本来の可愛さは健在なものの、異常なまでの大きさがプラスされたことにより
何とも言えない不気味さを醸し出している。
足跡1つで小さな店はいくつも壊されるだろうし、踏まれたりしたらとんでもない。
かわいいぬいぐるみが、一瞬にして化け物になる。
俺たちからみたらもう、この生き物をぬいぐるみと呼んで良いのかは分からなかった。
「ねえプポちゃん、俺らと一緒に頑張ってくれる?」
ナツは大きくなっても何も変わらない慈愛に満ちた眼差しを向けると、
プポちゃんはゆっくりとこちらを向き、表情一つ変えずそのまま首を縦に振るのだった。
この状況をやっと理解出来た相手チームは、先を越されたショックと焦りで、明らかに動揺している。
いや、何なら同じチームなのに彼らに負けない位俺も動揺している。
「ぼ、僕、未だにどうやってこれ使うのか分からないよ!凜、これ攻撃されたらまずいんじゃ」
「んなことは分かってるよ!くそっ、せめて練習する時間くれたら良いのに!
って文句言っても始まらねーか。イメージするんだ。思い出の強さが力にかわるなら、
俺らだって負けたりしない。」
「う、うん。」
1人は神様に祈りを捧げるように、ペンライトを十字架に見立て目を瞑り何やらぶつぶつと言っている。
そのペンライトを買ったアイドルグループとの思い出でも振り返っているのだろうか。
次から次へと途切れることなく呪文のようにつらつらと言葉を並べている。
そしてもう1人は、ただリボンを握りしめてそんな彼をジッと見つめていた。
「なぁ、ナツ。俺もやり方わかんねーんだけど。」
「イメージすることだよ。その形から、何が出来るか。」
「っつってもなぁ。」
片手間に収まる宝物をジッと見つめ、そのちっぽけさに小さなため息をつく。
その間にも、プポちゃんがドシンっ!ドシンっ!!と音を立てながら敵チームの方へと歩みを進める。どうやら2人まとめて踏みつぶす作戦らしい。
確かに、ちょっと走ったくらいではすぐには避け切れないだろう。
可愛い顔をしてやることは残酷だ。
違う。そんな残酷な世界に身を落としたのは間違いなく自分。
むしろ、プポちゃんがやっていることがこの世界では正しいのだ。
相手は未だに上手くいかない様で、汗をかきながら必死に宝物にすがっている。
その姿を見ていると、どうしようにもなく罪悪感が沸き上がり、俺は宝物ではなくナツにすがるような声をかけた。
「なぁ、ナツ。まさか本当にこのまま殺したりしないよな?」
いつもは優しくて穏やかなナツが、邪魔するなよとでも言いたげに悪の権化のような顔を向けた。
今まで見たことのない光のないその表情に、時が止まる。
そしてすぐに笑顔を見せて、「勿論、このままは殺さないから安心して。」と答えた。
何を考えているのかまるで分からない。
プポちゃんは彼らのすぐ目の前に足を止め、次に足を下したら、完全に彼らは踏み潰されてぺちゃんこになる。
「そこの2人とも。宝物を壊すなら、今の内だよ。」
それは情けなのだろうか。憐みなのだろうか。俺への同情なのだろうか。
その角度からはもう何も見えなかった。
自分が知らない誰かをみているようで、ふと足元へと視線を向けた。
その刹那。
突然世界が真っ白になった。
その眩しさに思わず両手で目を覆う。
「うわっ、何だ!?」
光で目の前が見えなくなる瞬間、最後に見えたのは舌打ちを必死に堪えているナツの顔だった。
やっと段々と光が収まり、相手の方を見つめる。
相手も何が起きているか全く理解できていない様子だった。
「さっきの何だったんだ?」
「サイリウムが急に光って、その瞬間真っ白になって。」
「もしかして、これがこの宝物の力?」
暫くサイリウムを握って茫然としている。
「プポちゃん、目に悪いから、光ったと思ったらすぐに目を閉じて!
適当に腕を振り回すだけでも良いから!」
ゆっくりとまた首を縦に振る。
凜の方はどうやらコツをつかんだのかも知れないが、
雅也の方はまだどこか逃げ腰の様だった。
今のうちに、俺の方が先にコツを掴まないと。
プポちゃんが彼らに対して拳を振り上げた瞬間、また世界一帯が閃光が走った。
後ろの建物が銃撃にあったかのように破壊された。
何が起きたか一瞬分からなかったが、前方を見るとサイリウムがこちらを向いていた。
おそらく、ビームのようなものを放ったのだろう。
シオンと話していたことがこんなにも早く伏線回収するとは。
また何度もやられたら流石にやばい。
プポちゃんが傷付くのはナツだって嫌だろう。
その時、自分に焦点を合わせられたのがわかった。
「あれ、やばいかも。」
その時、走馬灯のように頭の中がタイムスリップした。
これを買ったのは、小学校6年の修学旅行の時。
俺は、幼馴染の女の子と同じ班で行動していた。
折角だし何か揃いのものを買おう言われたので、
思春期真っ只中だった俺はあえて女ウケがあまりしないようなこの龍のキーホルダーを提案したのだ。
彼女のことは嫌いじゃ無いが、同じキーホルダーなんて買ったらクラスメイトに絶対に冷やかされる。
これだったら流石に諦めてくれるだろう。
そう思っていたものの、その予想を大きく外し、彼女は「これにしよう!!」と笑っていた。
ここまで来たらもうひけなくなり、結局お揃いのキーホルダーを買ってしまい、その惨めさと一緒に隠すようにポケットに仕舞い込んだ。
修学旅行から帰っても彼女はずっと筆箱にそれをつけて、友人たちに「なにそれ」とよくからかわれていたが、必ず「カッコいいでしょ」なんて返してたっけ。
当の自分はというと、恥ずかしくてずっと机の奥にしまっていたのに。
そうだ、俺はまだ君との約束を守っていない。
こんなところでくたばっていられない。
「翔和っ!!!!!!」
その瞬間、手に握れる位だった剣、急に重くなり、一瞬で身長と同じくらいの剣へと姿を変えた。
何が起きていたか理解する間もなく、目の前には一筋の光が迷うことなく真っ直ぐとこちらに向かっている。
俺は生まれてこの方初めてこんなにも身近に死を感じ、その死に必死に抵抗するように胸の前に剣を持って行く。
「何か…いい感じにこのビームから救ってくれ!!!」
大声で情けなくもそう叫んだ瞬間。
ビシュン!!!
という鋭い音が耳を貫通していく。
恐る恐る視線を戻していくと、目の前に迫っていたビームは消えて、後ろで爆発音が聞こえる。
急いで後ろを振り返ると、そこにあったはずのビルはぐしゃぐしゃに倒壊していた。
コンマ何秒で起こったこの事態があまりにも理解できず、自分の状況を把握するのに時間がかかってしまった。
無傷の自分。等身大になっている剣。後ろの爆発音。
もしや、本当にビームを切ったのか?
ってか、
「ビームって切れるのか?」
何とも情けない第一声。
なるほど。確かにバーチャル世界。
何でもありという訳だ。
そして、手に受けた衝撃にこれが実際に起きていることだということだと実感する。
砂埃が舞い散り、相手の顔が見えた時にはなぜか自分以上に驚愕していた。
その顔をしたいのはこっちなんだけどと思いながら肩に着いた埃を掃っていると、真っ青な顔をしたナツが走って寄ってくる。
「翔和っ!大丈夫!?」
「あぁ、何とか大丈夫。マジで死ぬかと思ったわ。」
極力心配をかけないように空っぽの笑顔で返す。
取りあえず俺が無傷なことに安心したのだろう、ほっとした表情を見せた。
すると、目の前から突然大きな声が聞こえてくる。
「わ、悪い!まさかあんなに力が出ると思わなくて、本当にごめん。」
わたわたという効果音が似合いすぎる位、相手は動揺していた。
あの時驚愕していたのは、俺がビームを切ったことではなく、自分がこんなに大きな力になることが想像できなかったからだったのか。
今まで自分のことに精いっぱいで相手のことをそこまで気にかけている余裕がなかったが、相手だって同じ血の通った人間なのだということを認識できて少し嬉しかった。
「いや、大丈夫だよ。」
こんな殺伐とした場にはふさわしくない位、和やかな空気が俺と相手の間に少しだけ流れる。
しかし、もう一人の方はすごい眼光でこっちを見ている。
もしかして、相手が俺を殺しそこなったことにめちゃくちゃ憤怒しているのだろうか。
そっちの方を見るのが怖くなり、ついプイっと顔を背けてしまった。
和やかタイプ終了だ。
「あの、ここでこんなこと言うのもおかしいかも知れないけど、俺、本当は殺しなんてしたくないんだ。」
「それって、俺たちに降参してって言ってるってことだよね。」
「…出来たら、それが嬉しいなとは思ってる。」
「悪いけど、それは選択肢に入れない方が良いよ。
俺たちは宝物を壊すつもりはない。壊す位なら死ぬ。
君たちが降参するつもりがないって言うなら、同じ条件だよ。どっちかが死ぬかしかない。」
相手の提案に、一切の余儀もなくバッサリと切り捨てる。
2人の主張を聞いても、どちらかが間違えているとは思えなかった。
ナツの言っていることはこのゲームを参加したという上では何一つ間違えていない。
だけど、相手の言っていることも、人間としてそう思ってしまうのは間違いだとは思わない。
相手を殺したくない気持ちも、それを分かってゲームに参加した気持ちも、
間違っていて、間違いじゃないからこそ、正しさなんて存在しなかった。
「俺も、このペンライトを壊すつもりはない。
な、マサ。お前のリボンも、俺が誘って初めてバズフラワーのライブ行った時の奴だし、
そう簡単には壊せねーよな!」
「う、うん…。」
どうにも先ほどからマサと呼ばれている方は歯切れが悪い。
彼には言えない秘密を隠しているような、彼が言うから自分もYESと答える様な、そんな風に映ってしまう。
そんな相棒をよそに、彼は小さく頭を下げた。
「こんな提案して、悪かった。同じ条件で参加してるんだ。
甘いことは言ってられないよな。」
「そう。お互いに、恨み言はなしの、良い勝負にしようね。
行くよ、プポちゃん。」
ご主人の合図を待ってましたとでもいうように、プポちゃんはのそのそと動き出した。
相手も再度サイリウムを振りかざしている。
しかし今回は最初からプポちゃんは目を瞑っていて、
ブンブンと縦横無尽に拳を振っている。
正直その波動だけでこちらも飛んでいきそうな位の勢い。
先程俺に向けて放ったビームも、踊っているように動き回るプポちゃんに
照準を合わせられずにいるようだ。
プポちゃんも見えていなかったのだろう。
思いっきり彼めがけて腕が振り下ろされようとしていた。
「さようなら。」
「凜!!!!!」
思わず俺すらも目を瞑ってしまった瞬間。
想像していたはずの音は耳に届かなかった。
目を開いて一番最初に入ってきたのはナツの歯を食いしばって悔しそうにしている顔。
その目を辿っていくと、何故かリボンで手足を縛られているプポちゃんがいた。
え、なにこれ新しいジャンル?
まるで海の上でマグロと戦っている漁師の様に歯を食いしばりながら
そのリボンで必死に相手の動きを制御している。
「お前、そのリボン…。」
「あぁ、そっか。そうだったんだ。」
大事なことは強くイメージすること。
目の前で凜に被害が出るかもしれないと思った瞬間、
勝手にリボンが動いて化け物をふん縛っていた。
頭より先に体が動く。
いつだって石橋を叩いて渡らないと不安で仕方ない自分からしたら、
容易く信じられることではなかった。
だけど、凜を護りたいという気持ちが先行したのだと気付くと、ストンと腑に落ちた。
「あ、ありがとうマサ!助かったぜ!」
そう言いながらもどこか疲労した様子を見せる彼を見て、
今は少しでもいいから安全な場所を確保したいと思った。
今度は先ほどよりも強くイメージする。
誰にも破られないような、自分部屋で1人うずくまっていた時の様な場所を作りたい。
そうイメージすると、シュルシュル蜘蛛の糸の様な音を立てて、この空間を包んでいく。
卵の中の様な、繭の様な丸い形になり俺たちを閉じ込めた。
外からどしんどしんと音がして化け物が近づいてきていることが分かり一瞬身構えするが、音だけでまるで振動がない。
どうやらこの空間は大分頑丈らしい。
「マサも使い方が分かったんだな!
良かった、使えたってことは、ちゃんとこのリボンに大切な思い出だったんだな。
正直俺、ライブとか無理やり連れて行ってるんじゃないかって不安だったんだ。
だから、これを持ってきてくれた時すっげー嬉しかったんだよ!」
ここが安全だと知りホッとしたのか、いつもの笑顔を見せて近づいてくる。
見飽きる位記憶に残っているはずのその顔に、自分も胸をなでおろした。
しかし、この空間だっていつまでもつかわからない。
その前に、ちゃんと伝えたいことがあるんだ。
僕は自分の目に偽りがないという事を伝えるべく、いつも世界が見えないようにと隠していた前髪を横に分け、凜の肩にそっと手を置いた。
「ごめん、凜。本当は違うんだよ。このリボンはね、初めてバズフラのライブに行ったから持ってきたんじゃないんだ。」
「え、そうなのか?でもそれ、一緒にライブ行った時に買ってたリボンだよな?」
「そう。初めてライブに行った日。だけど僕にとって大事な思い出は、あの日、君と僕が初めて遊んだ日だったからなんだ。ごめん、本当は僕、バズフラのこと凜が思ってる程応援してるって訳じゃないんだ。」
「は?どういうことだよ、それ。」
怒っている様子でもなく、ただただ困惑している。
それもそうだ。ずっと同士だと思っていた人間から、急にこんなことを言われては「じゃあ今までのは何だったんだ。」ということになる。
こんな局面で言うべきことなのだろうか。今後の戦いにおいて支障をきたすのではないか。
そうも考えたが、もしかしたら次の瞬間死んでしまうようなこの世界で、自分が騙し続けてきたことだけは贖罪したいと勝手ながらに思ってしまったのだ。
「僕、高校でずっと浮いてて、それで、凜はずっとクラスのカーストトップで。一生交わることなんてないんだろうなって。なんだったら、勝手に嫌なヤツなんだろうなって決めつけてさ。
いつも遠目ながらに嫌悪してた。
でもね、ある日僕がアニメのグッズを落とした時があったでしょ?」
「あぁ。俺らが初めて会話した時のことだよな?」
「そう。わざわざ拾ってくれた時、内心すっごく焦って。
キモオタだって馬鹿にされる。もう浮いてるだけじゃなくいじめにあうかもって。
こんなの今思えば被害妄想なのに、すごく怖くて。
それなのに、凜は『お前オタクなのか?実は俺もオタクなんだ。っていっても、地下アイドルのだけどな!』なんて笑いながら話しかけてくれて。ドキドキしたけど、すごく嬉しくて。
我ながら現金だなってわかってるんだけどさ。」
少しだけ傷ついた様子を見せる彼の目を見て、自分が放っている言葉がどれだけ相手を傷つけてしまっているか想像することを放棄したくなった。
一瞬、目を背けそうになった所を、彼は力なく笑う。
「そうだったのか。俺、確かにクラスではうるさい方だもんな。ごめん。」
「ううん。僕が自分の殻に閉じこもって、何も分かろうとしなかったからだよ。だけど、それがきっかけで沢山話すようにもなってさ。周りからは何で凜とあいつが?みたいな目で見られることだってあっただろうし、それなのに一緒に帰ったり、気さくに話しかけてくれて。今こうやって2人で命を賭けて戦ってる。凜が、僕なんかを選んでくれて不思議だったけど。」
「それはお前が良い奴だからだよ。」
心臓に素手で触りに行くような、そっと核心に触れる会話のキャッチボール。
どちらかが落としても、触りすぎても、このボールは壊れてしまう。
だから決して嘘をつかないように、一言一言丁寧に相手に投げる。
「バズフラが嫌いな訳じゃないんだよ。今まで一緒に見て来たからわかるけど、すごく素敵なグループだと思うし。
でも、今まで二次元ばっかり追い抱えて来たから、いまいち三次元のアイドルにハマり切れなくて。」
「それなのに、俺に付き合ってくれてたのは何で?いじめられるって思ったか?」
「…この共通点がなくなったら、この関係はどうなるんだろうって思うと怖かったから。
凜との時間は本当に楽しかったから、同士っていうレッテルを剥がしたら、もう僕には何も残らなくなるから。だから、ずっと仲間面しちゃってさ。どうしようにもない僕のエゴだ。本当にごめん。」
太陽に雲がかかったように、その表情は今まで見てきたどの表情よりも寂しそうに見えた。
これが僕の本心だと分かっているからこそ、この言葉に疑いようがなく辛いのだろう。
それでも彼は、いつだって笑顔を見せた。
「そっか。こっちこそごめんな。俺、てっきりハマってくれたとばかり思ってて、それが嬉しくて。全然お前の気持ちわかってなかったな。自分のことばっかで。
それ所か、こんな命がけのゲームにまで参加させてさ。取り返しもつかないことばっかだ。」
肩を小さく震わせて、段々と下を向いて小さくなっていく。
彼の顔にかかったその雲を布団たたきで一生懸命振り払うように、今までより一層肩を掴む手を力強くギュッとする。
「ううん。これは僕が望んだことなんだよ。
本気で誰かを応援する凜がすごく眩しかったから。
おこがましくも、その光に自分も近づきたいと思った。
ゲームに参加するって声をかけてくれた時、自分を選んでくれて本当に嬉しかったんだよ。
それはバズフラのクラファンを達成させるために必要なお金だったから、同士である僕を誘ったのかもしれない。それでも本当に…人生の誇りだった。」
この言葉が届いたのだろうか。
彼は少しずつ顔を上げて、目を合わせてくれた。
「凜。僕は君と、一緒の未来を見たい。」
必死に振り回していた布団たたきが、いつの間にか雲をどかせていた。
光を取り戻した彼の瞳は、やっぱりこちらが目を瞑ってしまう程眩しい。
「あぁ、勿論だマサ。一緒に勝とう。あっ、そうだ!ここから出たらさ、今度お前の好きなアニメも教えてよ。」
「えっ、でも僕が見るのって結構マイナーなやつで、全く知らないかも。」
「それでもいいんだよ。もしかしたら、俺もハマり切れないかも知れないけどさ、お前が見てる世界を知りたい。」
「分かった。一緒に鑑賞会しよう。」
「それとさ、1つちゃんと伝えておきたいことがあるんだ。」
「何?」
「確かに賞金の使い道がクラファンだから、同士の方が良いって思ったのもあるよ。だけど、例え何千何万人のすげーファンがいたとしても、俺は間違いなくお前を誘ってたよ。それは、雅也が自分の命を預けるにふさわしい最高の親友だと思ったから。」
その言葉を聞いた瞬間、自分の心の殻が破れていく。
一番の魔法は、いつだって凜の言葉だった。
肩に置いていた手を彼の目の前へと差し出す。
初めて会った時は彼から差し伸べられたその手を、今度は自分から差し出すことにちょっとした恥ずかしさもあったが、彼は笑顔で握り返す。
「勝つぞ、マサ。」
「行くよ、凜。」
目の前では何とかリボンを破ったプポちゃんが必死に繭を殴っているが、何かに弾かれているようで全く効いていない。
一緒になって覚えたての剣でそれっぽく振り回してみるも、同じくガキンっという鈍い音を立てて弾かれる。
もう1人は防御に特化しているのだろうか。
あのリボンは相手の動きを封じる為ではなく、自分たちの身を護るためのシールドも作る。
ナツの言っていた通り、バーチャル世界での可能性は無限大だ。
このままずっと防御をされても、勝負は何も進まない。
何か他の方法を考えた方が良いだろうか。
ちょっと八つ当たりするように大きくブンっ!!と振り回した瞬間、突然目の前を光が覆った。
咄嗟に身を守るように腕で目を隠すと、耳元からシュルシュルっという音が聞こえてくる。
少しして恐る恐る目を開くと、彼らの繭が姿を消していた。
俺たちが壊した訳ではなく、相手の意志で解除したのだろう。
何やら、先程とは一見顔つきが変わっているように見えた。
距離を取るべく、熊と出会った時の様に視線を逸らさず後ろ足で近くにいたナツの方へと進んでいく。
「なぁ、ナツ。さっきよりも何かいい感じになってないか?」
「どうやらあの中で何かあったのは間違いないだろうね。」
相変わらず大して動じる様子もないが、少なからずこちらの状況が悪いことに腹正しさを感じてはいるだろう。
その怒りを少しでも払しょくできるよう、策を考える。
「例えばなんだけどさ、ペンライトって普通ボタン電池とか何かしらの電池で動いてるじゃん?それが切れるタイミングとかは狙えないのか?」
「俺もこの世界については未知な部分が多い。だからあくまで予測だけど、あのペンライトの原動力が電池とは限らない。メンタル面に問題がなかったら、いつまでも持ち続ける可能性もあるよ。」
「じゃあ、推しが炎上するかも~とかいって、精神的ダメージ与えたりしたら効果ある?」
「咄嗟に出た苦し紛れの仮説に過ぎないし、どんな一言が相手の起爆剤にもなるかも分からない。あまりお勧めは出来ないな。」
どの提案も即刻却下だ。
ちゃんと筋の通った理由を述べてくれるだけ、ブラック企業よりもお優しいことだろう。
あの顔は、覚悟が決まった顔だろう。
その迷いの逃げ道を全て塞ぐように、彼は真顔でこう言った。
「相手が折れない以上、殺すしか俺たちに残った道はないんだよ。」
甘い考えはいったん捨てろ。何が命取りになるかもわからないのだから。
日常を忘れろ。二度と手に入らないのかもしれないのだから。
彼の眼差しには、厳しさも、冷酷さも、非情さも映し出されていた。
唾をゴクッと飲み込むと、目の前で大きな音がしする。
リボンから解放されて再度暴れまわろうとしているプポちゃんに対し、先程よりも容赦なくビームが放たれていたのだ。もう一人は完全にリボンの使い方を理解できたのだろう。
援護するように足へめがけてリボンをまとわりつかせようとした。
「くそっ、させるか!!」
流石に自分1人だけ何の力にもなれていないのが悔しすぎて、必死にリボンが足へと到着する前に走り出す。
いつもだったら50mを8秒台で走っているのに、この空間だからだろうか、
ビュンっという普段自分の体から発せられることのない音を立てながら、必死に剣を振り回しリボンを断ち切る。
しかし、次から次へと繰り出されるビームとリボンの連続攻撃。
プポちゃんも両手で建物を引っこ抜いては投げつけて攻撃をしているが、2人の連係プレイになかなか思うように攻撃が出来ない。
先程引っこ抜いたのは花屋だったのだろうか。
色とりどりの花たちがこの世界にはふさわしくない程鮮やかに散っている。
状況的には6:4くらいでこちらの方が押されている。
飛躍力も上がっているのか、1回のジャンプでいつもの数十倍は上がっていけるが、もしも自分の中のイメージがブレて、そのまま落ちてしまったらどうしようという心配と恐怖心が蛇のようにまとわりつく。
あっちはモノを使った遠距離攻撃で、こっちは物理的な短距離攻撃。
その時点で大分分が悪い。
いつまでもこの体制が続けば、明らかにこっちが敗北する。
どうする、考えろ。
すると突然、
「プポちゃん!!戻って!」
リボンに必死で気を留めていられなかったが、ナツが急に大声を出した。
その言葉に聞いた瞬間、シュンっと後ろから音がし、振り返るとプポちゃんは元のサイズに戻っていた。
何の相談なく選手退場され、少なからずこの場にいたナツ以外の人間が困惑する。
「よくわかんないけど、チャンスだなマサ。」
「うん。」
「どうする?降参するか?」
形勢逆転だとでも言いたげに、
サイリウムとリボンがこちらへ向けられた。
銃口を突き付けられた気分だ。
人質の様に、一歩も動けなくなる。
しかしナツはまるで気にする様子もなく元のサイズになり地面に落ちたプポちゃんへ駆け寄り、再度抱きしめる。
良く見えないが、その手には何かが握られていた。
「ごめんね、プポちゃん。今まで生身で戦わせちゃって。もう少しだけ、一緒に頑張ってくれる?」
確かにそう呟いたのが聞こえた。
すると、次の瞬間、またぐんぐんと先ほどの姿へと形を変えていった。
しかし、先程と1点だけ違う所がある。
なんと、その手にはけん玉が握られていたのだ。
プポちゃんは優しく俺とナツを頭の上に乗せ、
先程よりも縦横無尽、好き勝手けん玉を振り回す。
鬼に金棒。プポちゃんにけん玉。
正直色んな意味で怖い。
1回振り回すだけで、ドォンガッシャ―!!!という聞いたこともないような壮絶な音と一緒に建物が崩れ落ちていく。
高層ビルは上半分だけが破壊され、地面を掠った部分はモーセの十戒の様に辺りの建物を避けて割れている。
「さっき花が散っていったのを見てさ、この空間は建物の中身が空洞じゃなく、ちゃんとそれぞれ機能していることが分かったんだよ。こんな今時の場所なのに、近くに古びたおもちゃ屋さんがあったから、武器になりそうなものを探したんだ。プポちゃんが大きくなったなら、これも一緒に大きくなるかなって。」
「あの一瞬でよくそこまで思いつくな。」
「2人が時間を稼いでくれたからだよ。ありがとう。」
その穏やかな表情とは似つかわしくない音が、耳音をかすめていく。
ドガーン!!ガッシャーん!!!ばきゅん!!!シュン!!!
色々な音が一気に溢れかえる。
流石に攻撃をしている場合じゃないと悟った2人は、落ちてくる瓦礫や屋根をビーム打ち抜いたり、リボンを使って投げ飛ばしたりしている。
先程作った眉を作ろうにも、その時間を稼げないのだろう。
「これ、ヤバいよ、凜!!」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ。」
「凜…?」
明らかに1人の顔色が悪い。彼の声が全く聞こえていない様だ。
サイリウムを先ほどの様に光らせても、プポちゃんは目を瞑る。
そのままけん玉を振り回し続けるだろう。
ビームを直接撃とうにも、明らかに先程よりも威力が落ちていて恐らく届くことすら出来ない。
もういつ倒れてもおかしくないような位疲弊していた。
それでもプポちゃんは止まらない。
もう彼らに勝ち目はないとしても。
「凜!!大丈夫!?凜っ!」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…。」
「っ!!!」
うつろな目で弱々しいビームを撃ち続ける彼の援護をしようにも、
もうそのビームでは瓦礫1つ壊すだけの威力はなくなっていた。
その分、前髪の彼に負担がいき、パートナーを心配する様子にも焦りと困惑が見える。
ひたすらに、ずっと、病室で大切な人の名前を必死に呼び続けるように、
「凜!!凜!!!」と叫んでいる。
その声はまるで聞こえていない。
ずっと力強く握っていたからだろうか。お互いの手には血豆が出来ていた。
プポちゃんが、トドメダ、とでも言いたげに大きくけん玉をあげ、
そのまま勢いよく振り下ろした。
その瞬間。
「降参します!!!!!!!!」
下から聞こえた大きな声に、ピタッと時が止まる。
けん玉の玉は、彼の顔面ギリギリの所で止まっていた。
「もう、降参します。」
やっと言葉が聞こえたのか。
凜と呼ばれていた男はゆっくりと彼の方を向く。
「お、おい、マサ、お前、何言って」
「ぉ願いしますお願いしますお願いします。
僕の宝物は壊します。煮るなり焼くなり好きにしてくれて構いません。
でもどうか、凜の宝物は壊さないでくれませんか?」
その熱心な懇願とは裏腹に、
俺の額には冷や汗がこぼれていた。
何故なら、プポちゃんが腕を振り上げた瞬間、何故だか嫌な予感がして俺は頭から飛び降り、けん玉を振り回している腕に着地し止めようとしていたのだ。
その時のちょっとした振動で、彼らの顔面ギリギリ、当たらずには済んだ。
この行為がなかったらと思うと、彼らの頭は今頃吹っ飛ばされていたのかもしれない。
降参の声が間に合ったと考えている2人に対し、その事実を知っている自分。
俺1人だけが、どうしようにもなく腹の底から震えが止まらなくなった。
プポちゃんの腕に冷え切った手で触っていると、また天の声が聞こえてきた。
『先ほど仰っていた大井雅也さんの提案ですが、却下します。2人同時じゃないと認められません。』
「っ!じゃ、じゃあ、このリボンと、僕の命じゃだめですか!?
そうしたら凜の宝物は」
「おい!!!何勝手なこと言ってんだよ!!」
「凜の宝物は、二度と手に入らないもので、ずっと大事にしてきたものなんです!
だからどうか、凜のは壊さないでください!お願いします。」
これでも駄目なら…と、今度は額を地面にこすりつけ土下座をしだす。
もう一人はそれを必死に止めているが、彼の土下座は涙と一緒に止まる方法を知らなかった。
この状況に追いやってしまったのが自分たちなのだと、罪悪感で胸が押しつぶされそうになる。
しかし、あまりにも無常。聞こえてきた声は、まるで血が通っていないかのように冷徹だった。
『大井雅也さん。二度と手に入らず、ずっと大事にしてきたのは、ここにいる全員が同じ条件です。それを、宝物と呼ぶのですから。』
「で、でも」
「もういいよ、マサ。ありがとな。」
「凜…?」
「俺も、降参します。」
「えっ。」
彼は手に持っていたペンライトをもう一度強くギュッと握りながら、この四角い空を思いっきり仰いだ。
そして、ペンライトをカランっと床に落とし、額で血まみれになってしまった相棒へと手を伸ばす。
『愛堂凜、大井雅也ペア、リタイアということでよろしいですか?』
「はい。」
その笑顔は、何一つ後悔はない様に見えた。
「ね、ねえ何言ってるの凜…。それ、今はもう売ってないプレミアムのものなんでしょ?
ずっと自慢していたじゃないか。それにそのサイン、凜がずっと推していた人のやつだよね?
でも、その人はもう卒業したから、二度と手に入らないものだって、それなのに」
「良いんだよ、マサ。確かにこれは壊れたらもう二度と手に入らねーよ。
でもさ、お前まで失いたくはないからさ。
このペンライトがあってもさ、お前がいなかったら意味がないんだよ。」
「凜、ごめん、僕、あぁあ…ごめん、ごめんね…。」
「泣くなよ、マサ。本当にありがとな。」
そんな感動のシーンなのに、俺だけは1人違うものが伝っていた。
何であの時、ナツは止めに入らなかった?
あそこの角度から見えてなかったのか?
それとも、単純に本当にこいつらのことを…
そう考えた瞬間、シュンっという音を立ててその世界から解放される。
「おかえり~。」
その声に導かれるように、棺の蓋を開けて現実世界へ帰ってくる。
時間にして、たった数時間の出来事だったのだろう。
しかし、何日、いや、何か月にも経過しているように思えて、今鏡を見たら目の下に隈やしわが出来ているのではないかとすら思う。
そして、声の張本人は相も変わらずへらへらと笑いながらこちらに手を振っているのだから、腹正しい。
同じく起き上がったナツが笑いかけている。
「とりあえずは一勝だね。」
「う、うん。」
何だか、妙な居心地の悪さを感じ、思わず目を背けてしまった。
すると、先程戦っていた2人が、宝物を近くに立っていた黒服に回収されている。
あの宝物が、二度と彼らの手に戻ることはないのだろう。
そして俺は今日、何を失ったのだろうか。
「良かったね。今回は死人が出なくて~。いやぁ運営側としても、やっぱり死人が出ると面…悲しいからさ~。」
今、面倒って言いかけたよな。
そうは分かっていても、突っ込むだけの元気が今の自分には残っていない。
「まだまだ試合は残ってるから、これからも頑張っていこうね。」
彼の言葉は、いつだって俺が一番自分の立場を自覚しなければならない時に投げかけてくるのだ。
そう。
俺たちの地獄は、まだ始まったばかりに過ぎないのだから。