硝子の風鈴ひとつ。
皐月が終わり、水無月の朔日。
雨の季節の晴れ間、昼下がり。開け放たれた縁側から庭に目をやれば、ギザギザの縁取り、色濃い緑の大きな葉、近づき見ればそこに、かたつむりのひとつでも、己の後ろに、透き通る粘液の道を陽の光を受け、てらてら跡をのこしつつ、伸びをする様に這ってる姿が見えるだろうか。
手毬の様に形取り、まあるく薄青の紫陽花。ひとつひとつが花の群れ。だんだんに解け膨らみ、開きかけていた。
どうにも筆が進まなかった。そこで場を変えたらどうだろうと、愛用している文机を外に面した場所に運び、頬杖をつき、緑の葉の上にある薄青の丸を眺めていた、しがない物書きの私。
締め切り迄、時間はまだあるが、できる事ならばさっさと書き上げて、君と甘味処へ出掛けたい。そう思えば思う程、スッカラカンな頭は益々固まり動かない。それを無理やり回していく私。過酷な世界をトボトボ生きている。
さて。主人公のろくでもない男は、私の中でどう動いてくれるだろうか。ピピピ。空から小鳥の声。塀の外から、道歩く行商人の振り売りの声が遠く聴こえる。つまらない話をつまらない人間が妄想している。
「あら、こんな所で?すみません」
執筆中の男主人公のあれこれ転がしていたのだが、心華やぐ君の声と姿で、つと現実にかえった。
柳の模様が目にも涼し気に映る、絽の単衣姿の君は袂をたすき掛けで、邪魔にならぬ様たくしあげ、手に踏み台。その天板に袱紗に包んだ膨らみをひとつ。
それを抱え運んで来た、燕が飛び交う頃、私と籍を入れた君。
手を貸そうと声をかけたが、君はコロコロと笑い、もうおしまい。ここで使うのです。と答えると、ことん。軒下に打ってある釘の位置を確かめ、縁側に踏み台を置く。
「お仕事のお邪魔でしたかしら」
てっきりお部屋の中だとばかり。用をなして空を見上げた後、振り返り君は私に気を使う。それに対して、構わないと応じる。
良かった。これを済ませたら麦茶を持ってきますね。そう笑むと、裾を絡げ白地の帯に挟み込む君。極々淡い桃色の襦袢が、表に顕になる。
「ふふ。コレを御覧になって。行商人からさっき、買いましたのよ」
踏み台の上に載せていた包みを、少女の様な笑みを浮かべながら手に取り、座り君を見上げる私に、いそいそと差し出してきた。受け取り私は、コツリと硬い物の気配のそれを開く。
中には硝子の風鈴がひとつ。帽子を伏せた様な形。透明なそこには、黒と赤の金魚と、水草が描かれていた。頂部の紺色の組紐を摘んで持ち上げる。
チリン。小さく鳴きながら振り管と短冊が、ソロリと下がる。
「可愛いでしょう、少し早いけど、ここに下げたくて……、お掃除の時に見つけましたの、あそこに釘が頭を出しているでしょう?」
宝物を見つけたようにそちらを見やり話す君。私が下げよう、そう言ったのだが、その提案は、細い首ひとふりで敢なく却下。踏み台へと向かう、私に背を向けた君。
キシリ……、踏み台が片足の分、小さく軋み音立てる。裾が割れ白いふくらはぎが顕になる。
私は慌てて風鈴を手にしたまま、立ち上がると敷居をまたぎ君の側へと向かう。天板の上にすっくと立ち上がり、頭ひとつ上から私に風鈴を手渡す様、少し膝曲げ身を屈め手を差し出した君。
たすき掛けで袖をたくしあげている、君の二の腕の白さが私の目に飛び込んでくる。柔らかなそれ。風鈴を手渡し眺めていると、ふと羽二重餅が食べたくなった。それを伝えてみれば、
「あら、丁度良かった。今朝、お隣から頂きました。この前お届けしたお土産のお礼ですって」
軒下にぶら下げようと姿勢を整える君。私は床板に膝つき踏み台を支える。目の前には足袋を履かぬ君の白いくるぶし、華奢な足首がつと動いて、背を伸ばす為に踵が上がる。
チリチリ、チリチリ。音立てる風鈴。ゆらゆら揺れる極々薄い桃色の襦袢の下。小さな赤子が床を這いずり回りながら、母を見上げる様な視点で君を見る。
仰向ける横顔、白い首筋、それを遮る白い腕。風鈴はカチカチ音を立てている。ぶら下げ終わり、ホッとし花笑む君。短冊を指先でトンと突く。
チリーン。ゆらゆらと鳴り響く音。嬉しそうに眺めている君。立ち上がり私も並んでそれを眺めた。二人並び空を見上げる。梅雨の晴れ間は、少しばかり夏色をしている青。蝉しぐれの代わりに小鳥の声が行き交う。
降りるのに手を貸した。気まぐれに動く短冊を眺めつつ、話す君。
「可愛いわ。お茶を用意いたしますね」
用を終えた踏み台を片すため、背を向けた君。チリン……、風がクスリと笑い、私の中に産まれた蒸し暑いモノを唆すように、軽く短冊を揺らし通り過ぎる。
チリーン。しゃがみ込む前に君を腕の中に入れた。
「いつもの宿に……。カッコウを聴きに行こう」
お仕事は?私の腕の中で拘束された君は動く事なく、問う。目を閉じて君を感じている私に、今の表情は見えないが、視えてる。
きっと、表に飴玉を買いに出掛けるのを、楽しみにしている少女の様に、轟々音立て踊り流れる渓流の、岩にぶつかり弾け、光る水玉の様な笑顔を浮かべているだろう。耳朶に内緒話をする様に囁く。
「いつもの宿だ。電話を入れておけば、担当さんが来るよ」
君の匂い袋が甘く涼しく香る。襟元深く忍ばせてある、小さな小さな縮緬の巾着袋の中には、一匙の香。腕に力を入れると、閉じ込められた香りが濃厚に私の鼻孔から侵入をし、脳髄を痺れさせていく。
君はくすくす笑う。チリーンと風鈴。
「嬉しい」
チリン、チリン。庭先を抜ける風の温度が下がり細かな水滴を含む様な重さを持ち吹き上がる様に建物の中に入って来る。明日は雨かもしれない。私は忍ばせた匂い袋の香りを、もっと濃く感じたく、ソロリと差し入れるとソレを探し出し手を当てる。
チリーン。短冊がクルリと回り、ひときわ大きく響く音を立てた、赤と黒の金魚が泳ぐよな硝子の風鈴。
見上げた軒先にひとつ、風に揺られて音立てる。




