第四章 王子とお妃様たちとお茶会 その二
『ヴォルフ・バルバッセ』
彼は国内だけでなく国外でも陰ながら力を欲しいがままにし、この世を去った。今では悪事が明るみになり、『闇の侯爵』と揶揄されている。
「そこで、まず私が召し上げられた。まあ側妃という名の人質だ」
「人質、ですか?」
ハーシェリクの言葉に、オルガは面倒そうに頷く。その表情や頷き方がウィリアムに似ていて、場違いだと思いつつも母子なんだなぁと思った。
「私はレオリス侯爵家の出でな。あの頃、レオリス家はバルバッセ侯爵家と敵対関係だった。で、当主……私の父は負けて、本人と当家は僻地へ。私は人質で後宮に召し上げられた」
父が不甲斐ないと貶すべきか、奴が上手だったと褒めるべきか、とオルガはため息交じりに呟き、言葉を続ける。
「元々貴族の娘に生まれたからには、望む結婚はできないだろうと覚悟していたが、まさか国王の側妃になるとは思わなかった」
そしてオルガは少しだけ口の端を持ち上げる。
「愛想のない私に、陛下とペルラ様は謝罪し、実の家族より優しくしてくださった。何に嫉妬しようというのか」
オルガは苦笑というよりは照れ笑いをし、言葉を続ける。
「そしてウィルを産んだが、次の子ができなくてな。それも口実になっただろう。そこで嫁いできたのが……」
「私とマリエルだよ」
イルヤが言葉を引き継いで、マリエルも続いた。
「ええ、私たちもオルガ様と同じようなものです。私はリュエンシス公爵家の出で、もし現王家に何かあった場合、次は公爵家に王権が移ります。そうでなくても反旗を翻し正当な主張もできます。なので逆らわぬよう人質にされたのが、私です」
「私の場合は能力だな」
イルヤが茶をすすりながら言った。
「我がヴィンス家は伯爵位だが、血筋か魔力が強くさらに学者肌で代々何かしら発見し国に貢献しているんだ。三つ子に出た特殊能力も、我が家の血だ。私たちが他国に渡れば厄介だと思い、無理に輿入れさせられたんだよ」
とは言っても、三つ子ほどはっきりした能力があるのも稀だがな、とイルヤは付け足す。
「いろいろ難癖つけられて、一族郎党潰されるよりはマシだ。まあ私は女のくせに研究一辺倒だったからな。陛下が娶ってくれなければ、行かず後家となっていただろうが」
イルヤはそう言ってにやりと笑う。
「なので、私たちもいわゆる陛下の寵愛を一番頂きたい、とは考えていなかったのです。ちなみにイルヤ様のほうが年上でしたので、私が第三側妃となりました」
その言葉に、「血筋的にいいのか、公爵家よ」とイルヤがぼそりと呟いたが、マルエルはにこにことスルーした。
その雰囲気がテッセリに似ているのは、やはり母子だからだろう、とハーシェリクは勝手に結論に達する。
続いて黒曜が口を開いた。
「そして私が、神子姫様の命により、王国へと輿入れしました。我が国では、地位の高い者が妾を持つことは普通ですから、何とも」
むしろ姉様たちにいじめられること覚悟できたのに拍子抜けだったと、笑いながらいい、その言葉につられ他のお妃様たちも笑う。
最後にペルラが口を開いた。
「私も国と国との結びつきのために、この国に嫁いでまいりました。一国の主が複数の妃を持つのは当たり前でしたし、私もそのつもりでした。ですが陛下は結婚の時、私を大事にすると言ってくださったのです。ですが……」
一呼吸おいて、ペルラが申し訳なさそうに言う。
「本来なら私が一人で負わなければいけない責を、みなが犠牲になってくれたのです。ごめんなさい……」
ペルラの謝罪にお妃様たちが一斉に首を横に振った。
「ペルラ様、それはもう言わない約束だ。私たちは家族だ」
「そうです! おかげでかわいい子どもたちにたくさん会えました」
眉間に皺を寄せていうオルガに、力強く頷くマリエル。
「それに陛下の側妃になれたおかげで、思う存分研究できますし」
「イルヤ姉様……」
ぼそりと呟いたイルヤに、黒曜が呆れた声が響いた。どうやらイルヤはシロやマルクスの筆頭魔法士に性質が近いらしい。つまり研究オタクである。
ペルラが皆にお礼を言い、ハーシェリクに向かって口を開く。
「ただ、ハーシェリク様。私たちがこうしてお茶会をするようになったのは、あなたのお母さまのおかげなんです」
「……母様の?」
「ええ。彼女が現れて、後宮に閉じこもっていた私たちを外に連れ出してくれました」
突然後宮に現れた彼女は、本来なら侍女に伝言を頼むのが作法なのに、それを無視して部屋に乗り込んできて言ったのだ。
『閉じこもっているから気持ちが沈むんです。外でお菓子を食べてお茶飲んでお喋りすれば、きっと気持ちが軽くなりますよ!』
その時の様子が鮮明に覚えていて、ペルラ含め皆が思い出し笑いをする。
あの頃の後宮の空気は、とても重かった。夫が苦しんでいても助けることができない。内情を知っていても動けない。なにか動けば、子どもたちが犠牲になるかもしれない……そんな気持ちが事情を知らぬ使用人たちにも感染し、いつも暗い雰囲気に満ちていた後宮。
そこに太陽のように輝く笑顔の彼女が現れ、重々しい雰囲気を一掃したのだ。
「もちろん最初はお断りしていました……いいえ、少しだけ彼女には嫉妬していたのです。陛下が唯一望んで後宮に入った方でしたので」
政治的に結婚した自分たちと違い、望まれて結婚した彼女。
嫉妬しないほうがおかしいだろう。皆大なり小なり、思うことはあったのだ。
「だが彼女はそんな私たちの感情を無視して、毎日のように押し掛けてお茶会に誘ってきた」
「根負けしたんだよねぇ……」
しみじみとオルガが言い、イルヤがぼそりと呟く。
「イルヤ様は早い段階でお茶会に参加していたので、お菓子に負けたのかと」
「彼女はとても素敵で豪快な女性でした」
マリエルが笑いながら訂正し、黒曜が女性としてはどうかな評価を口にする。
彼女は明るい笑顔で皆の気持ちを晴れやかにし、不敵な笑みで大臣の意表をつき、悪戯っ子な笑みで後宮を抜けだしては皆を驚かす。破天荒に見えてその実、一番人を見ていた彼女。
彼女が後宮に来て、天の庭へと旅立つまでの期間は短いものだった。しかし彼女はその間に、自分たちの色を無くしていた人生に、彩りを取り戻してくれたのだ。
「私たちは、あなたのお母様に救ってもらったんです……そしてあなたにも。ありがとうございました、ハーシェリク様」
ペルラがお礼を言うと、側妃たちも口々にお礼を言う。
ハーシェリクは話を聞いて、胸のあたりが暖かくなった気がした。
彼女らは家族なのだ。一夫多妻という一般人とは違う家族形態をとっていても、彼女たちは互いに思いやりがあり、敬愛している。それに母が入っていることが嬉しかった。
だから自然とお礼の言葉が出た。
「ことらこそ、母の話が聞けて嬉しかったです。ありがとうございます」
ただハーシェリクはこうも思う。
兄姉たちも個性が豊かだが、その母親たちも中々の個性の持ち主だ。
そしてこれだけ個性豊かなお妃様たちを娶っても修羅場らない父が、実は一番すごいのではないかと。
では、とペルラが場を改めた。
「今回の本題の話をしましょう」
皆が頷いたのを確認し、オルガが黒曜に視線を向ける。
「コクヨウ、あの無礼な奴は何なんだ」
「本当に。あの場であの男の顔に魔法ぶち込まなかった私を褒めてもらいたいね」
眉間に深く皺を寄せた彼女に、イルヤが同意する。
「イルヤ様、さすがに顔は外交問題になりますし、あの使者殿の顔はそれなりでしたので、できたら見えないところのほうがよろしいかと」
(過激派だ。お妃の皆さん過激派だった。そしてマリエル様は面食いだ)
妃たちの発言にハーシェリクは目を白黒させるが、いつものことなのか誰もツッコミを入れない。
確かに陽国の使者団の長、如月はなかなかの顔立ちだ。父ソルイエの前では霞むが。
黒曜は小さくため息を漏らし、心の底から不本意だという表情で口を開いた。
「あやつは、昔の私の許嫁でした」
「当たり前だけど過去形よね。今は連絡取り合ったりはしてないの?」
「まったく。むしろ輿入れしてからは、祖国の者とやりとりしておりません」
ただテッセリ殿の筆頭騎士殿とは、挨拶程度はしますが。と黒曜は付け足す。
第六王子テッセリの筆頭騎士は、陽国出身の者で龍之丞という。陽国から追放され、とある港町を彷徨っていたところを、テッセリが拾ったということだった。
旧知の仲で、偶然にも再開したときはお互いに驚いたそうだ。
「もともとあやつとの婚約は、家同士の私が生まれる前からの決め事だっただけです。ですが神子姫様が天啓を授かり、私はこの国へと嫁ぐことになり、婚約はなかったことになりました」
「そもそも、その天啓とは何だ?」
オルガの問いに、黒曜は沈黙を持って応える。
数拍後、黒曜はゆっくりと口を開いた。
「……その話の前に、まずはこれをご覧ください」
そう言ってコクヨウは大きく口を開いた。貴婦人としては恥ずべき行為だが、この場にはお妃様たち以外はいないし、皆がそれを必要なことだとわかっていたため、誰も咎めるような愚を犯すことはなかった。
黒曜は開かれた口から、舌を伸ばす。その下の表面には、血のように紅い紋様が刻まれている。
ハーシェリクは、これに近いものを過去見ていた。
「……それは、隷属の紋、ですか?」
己の部下の鳥人アオの、胸の中央に刻まれていた隷属の紋。本人の意思を無視し隷属させる、人の自尊心を奪う、奴隷の証だ。
ハーシェリクは魔法に憧れがある。異世界に転生したのに魔法を使うことのできない歯がゆさゆえ、その憧れは強い。
だがこの紋は魔法であっても別だ。これは人の存在を侮辱する魔法だから。
声が若干震えてしまったハーシェリク。それは恐怖ではなく、怒りからだ。
黒曜は首を横に振る
「いいえ。言霊縛り、と我が祖国では呼ばれている紋です。定められた言の葉を口にすれば、私は命を失います」
「そんなコクヨウ様!」
マリエルが悲鳴帯びた声を上げ立ち上がり、黒曜に駆け寄った。
「コクヨウ、それを私に見せたまえ。秒で……は無理だが必ず解呪してやる」
イルヤも立ち上がる。
「マリエル姉様、イルヤ姉様、大丈夫です。ありがとうございます」
そう言って黒曜は二人を着席するように促す。二人が席に着くと、再度口を開いた。
「これは神子姫様が直に施したものです。解くことができるのは神子姫様だけです。他者が無理やり解こうすれば、私もその者も命を落します」
そう言ったあと、黒曜は妖艶に笑った。
「とはいっても、話せない部分はわかっていますので、それ以外についてお話させてください」
「大丈夫なのですか? 無理はしなくていいのですよ、コクヨウ」
ペルラが心配そうに問うが、黒曜は頷く。
「我が祖国では、神子姫様を筆頭に華族となる十二の家が政を行います。とはいっても神子姫様は、神からの天啓があった時にそれを伝えるのみで、常時の内政に関与いたしません」
華族の当主は世襲制で、大体がその家の長男がなることが決まっている。もしくは神子姫のご指名か。当主は決まった名があり、家を継ぐと名前を改名することとなる。
「天啓とは予言です。将来に起こるであろう天災であったり、内乱であったりと国を揺るがす事柄を神子姫様が神より啓示を授かり、国を導くのです」
「まるで御伽話だな」
オルガの言葉に、黒曜も頷いた。
「ええ。私も外へ出るまでは、それが普通だと思っていましたが」
「で、その天啓の的中率はどうなの? まさかすべてとは言わないよね」
イルヤの問いに、黒曜は無言で答えた。そのまさかである、と肯定したのだ。
「あらまぁ……」
「なので我が祖国では、神子姫様の言葉は絶対なのです」
マリエルの感嘆とも呆れともとれる声に、黒曜はそう締めくくった。そして再度、小さくため息を漏らす。
「ただ私の婚約は、神子姫様の天啓がなくとも、なくなっていたかもしれません」
「それはなぜ?」
「所謂派閥抗争です。政を司る家族が、三つに分裂していたのです」
黒曜はこれから言うことを確かめるように沈黙したあと、言葉を続ける。
「他国との交流を進めようとする開国派。鎖国状態を維持しようとする保守派。そしてどちらにも属さない中立派。開国派と保守派は互いに足を引っ張り合い、中立派は日和見で……我が一宮家は、開国派の筆頭。そして二宮家は保守派の筆頭でした」
黒曜は皮肉気に笑う。
「相反する家の者同士が婚約など、笑い話ではありませんか」
「あなたの気持ちはどうだったの?」
ペルラが心配そうに問うた。その言葉に黒曜は虚を突かれた表情をしたが、視線をやや宙をさまよわせたあと、昔を思い出してか遠い目をして答える。
「……あれはあれで愛国心のあるそれなりに聡明な人物でした。私のこの性格ですので反発はしましたが、どちらかといえば手のかかる兄程度には思ってました」
「でもあちらは、かなりご執心だったようですねぇ」
マリエルがお茶を口にしながら言った。
「え?」
「だって男の子は、好きな子ほどいじめたいしかまいたい、というでしょう? コクヨウ様が来る前と後の態度、まったく違いますもの。あの年でアレですけど、初恋をすねらせていますわねぇ」
お茶がなくなったのか、ポットから継ぎ足しつつマリエルが言う。
「と、とりあえずそれは置いといてください」
咳払いをしつつ、姿勢を正した黒曜は、一回だけ深呼吸をして言葉を続けた。
「そして今回の件、彼らの言う通り神子姫様の天啓でメノウを引き取りにきたのでしょう。でなければ、外界嫌いの二家が外へ出てくるわけがありません」
「……なぜメノウ姉上なんですか? 神子姫とは華族と違って世襲制ではないのですか?」
保守派とはつまり他者を排除しようとする者たちだ。そんな人間が、古く歴史のある大国とはいえ、神子姫の一言で他国の王族との間の娘を国主にしようとするのだろうか。
ハーシェリクの問いに、黒曜は口を閉ざし、人差し指を手に当てた。
つまり、これが言霊縛りにあたる禁句なのだ、と言外に示したのだった。