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第三章 王子と王家と陽国の使者 その二




「遅くなりました」


 場の空気を切り裂くように、凛とした声が響く。その場にいた全員の視線が、声の発生源へと集まった。

 そこには艶やかな濡れは色の髪と瞳の女性がいた。落ち着いた紅色のドレスに白磁のような肌が映える、姿勢のよい声と同じ凛とした雰囲気を持つ女性だった。

 女性は使者団の横をすり抜け、ソルイエと如月の間に割り込むと膝をつき、深々と頭を下げる。


「お館様やかたさま姉様あねさま方、殿下方々、不肖黒曜コクヨウ、遅くなり申し訳ございません。まこと私の不徳とするところです」

「謝る必要はないよ、コクヨウ。メノウの体調は?」


 心配そうに問うソルイエに女性――側室四位、陽国から嫁入りした黒曜は立ち上がりながら、凛とした雰囲気を一転させ、うら若き乙女のような花が綻ぶ微笑えみを浮かべる。


「お気遣い、黒曜は嬉しく思います。メノウはさきほど目を覚ましましたが、大事をとって休ませて頂いております」


 黒曜の言葉に、ソルイエはほっとしたように頷いた。


「取り急ぎそのお知らせと、ついでに祖国の者にも顔を合わせたほうがよいかと思いまして……おや?」


 そこでは初めて気がついた、にしては芝居かかったように如月を見る。

 すると先ほどの微笑みは打って変わり、相手を見下すような、嘲笑するような、それでいて妖艶な笑みを浮かべ、言葉を続けた。


「これはこれは……二宮にのみやのご子息ではないか。いや、今は『如月』の名を継いだか? お主が祖国を出てくるとは、やっと開国することになったか? それとも滅んだか?」


 まさかの言葉に、黒曜以外のほぼ全員が目を丸くし、息を飲む。その例外であるユーテルは、黒い笑みを深めていたことを、ハーシェリクは視界の端に捕えていたが。


「……一宮いちのみや一姫いちひめ。否、王国第四側妃黒曜殿、御言葉が過ぎますぞ」

「御言葉が過ぎる? どうせお前らのことだ。我が娘を欲して来たのだろう? 他国にきてその姫を寄越せというそちらの神子姫様のほうが過ぎるだろう」


 如月の絞り出すような言葉を、黒曜は一蹴する。そんな彼女を憎らしげに、如月は睨みつけた。


「一宮家の息女とあろうものが、外の水を飲んで外界に被れたか」

「私を王国へ輿入れさせたのは、神子姫様の命だろう?」


 黒曜は如月の言葉を鼻で笑い、言葉を続ける。


「私を侮辱することはひいては神子姫様のご決断を侮辱すること。忠誠心の厚い二宮の如月が口にしていいことか? それとも得意の二枚舌か?」


 さすがは二のつく家だ、と続ける黒曜。

 その侮辱の言葉に、如月は冷静さを失ったのか怒りで顔を赤く染め、周りが止める間も与えず彼女に詰め寄った。


「おまえは、昔からああ言えばこう言うっ! 口の減らぬ女が!」

「その女を嫁にしようとした者はどこのどいつだったかのう? まあ今は、頭の凝り固まった最悪の男ではなく、顔も性格も性質も最上のお館様と夫婦めおとになれて幸せだ。そこだけは神子姫様に感謝よな」


 慌てる騎士たちを黒曜は片手で制止ながら、頭一つ以上高い如月に詰め寄られても、顔色も変えずに不敵に笑って見せる。


「……この能無しが!!」

「能無し? その能無し女の薙刀に毎度負けて逃げ帰っていたのはどこの坊ちゃんだったかの」

「野蛮な女よ。それでよく大国の王に嫁げたものだ。それとも……」


 如月はちらりとソルイエに視線を走らせると声を潜め、黒曜に何かを囁いた。

 次の瞬間、今まで余裕の笑みを浮かべていた黒曜が一瞬にして般若の形相となり、如月と間合いをとる。


「誰か、わらわの薙刀を持てい! この下種の首を即刻落としてくれる!!」


 獲物がなくとも飛び掛かりそうな黒曜に、王国側も陽国側も戦場のような緊張が走った。


「両者、控えよ」


 玉座から落ち着いた声が響く。

 声を発した者……ソルイエは立ち上があるとゆっくりと歩む。そして黒曜の許へとたどり着くと、彼女の手に自分の手を添えた。


「コクヨウ、落ち着きなさい」


 如月を睨みつけていた黒い瞳は、我に返ったようにソルイエの翡翠の瞳を見る。そしてゆっくりと深呼吸をし、肩の力を抜いた。


「……お館様、お見苦しいところを、申し訳ございません……」


 そう言って地面へと視線を向ける。意気消沈した彼女をソルイエは手を引いて誘導し、正妃のペルラに預けた。


「大丈夫? コクヨウ」

「ペルラ姉様、申し訳ございません……」


 ペルラが黒曜の肩を抱いて慰めるのを確認し、ソルイエは玉座に戻ると、如月と再度対峙する。


「キサラギ殿、我が妃が失礼した」

「……いえ、こちらこそ場を騒がせたこと、お許し頂きたい」


 如月も謝罪し、ソルイエは微笑んで謝罪を受け入れた。


「してキサラギ殿。さきほどのメノウの件だが」


 次の瞬間、ハーシェリクは背中に氷を入れられたような、悪寒を感じた。


「断る」


 微笑みを消失させたソルイエの言葉が、重く大広間に響いた。

 その声が部屋の隅にまで届くと同時に、重力が増したかのように、場の空気が重くなった。

 如月が口を開く前に、ソルイエが言葉を続ける。


「もし万が一、メノウがそう望むなら考慮しよう。だが、あなたの言葉を聞く限り、娘が幸せになれるとは考えられないが」

「……一国の王が、なにをおっしゃられる!」


 国よりも家族をとるのか、と非難を含め、如月は叫ぶ。

 重要な外交国だといえ、たかが使者団の長でしかない如月の言葉はあまりにも非礼だった。護衛の任に当たっていた近衛騎士たちのうちある者は剣の柄に手を置き、ある者は槍を握る手に力がはいる。


 ソルイエは視線で騎士たちを制しながら、冷やかに続ける。


「貴国が閉鎖的だったとはいえ、我が国の事情はご存じだろう?」


 それはハーシェリクが見たことのない、父の王としての顔だった。

 ハーシェリクの記憶のなかでは、父はいつも優しげな微笑みを浮かべている人だ。叱ったり諭したりするし、悲しげな表情をすることもあったが、怒りを向けられたことはない。

 だが今目の前にいる父は、大国の王の威厳を持つ人物だった。


「私は、己の家族のために、国を傾けかけた愚王だ。今更取り繕う必要もないだろう」


 静かに冷ややかに、だがその内に怒りを込めてソルイエは言葉を紡ぐ。


「貴殿らが我が国に滞在するならば、歓迎しよう。娘と面会も、こちらも護衛をつけさせて頂くが制限しない。だが……」


 そう言ってソルイエは、口の端を上げて微笑んだ。いつもの陽光のような暖かみのある笑みではない。射すような冷やかな笑みだ。


「我が国、我が民、そして我が王家に害なそうとするならば、相応の覚悟をして頂きたい」


 ソルイエは言い切ると視線を転じ、己の筆頭執事を見た。

 すぐ傍にはソルイエの腹心であり、幼馴染のルーク・フェーヴルがいる。深緑よりも暗い鉄色の髪に瞳の執事服を纏った壮年の男だ。


「使者殿方も到着したばかりでお疲れだろう。ルーク、部屋の用意はできているな」

「すでに貴賓室の用意を」


 ルークの満足の行く回答にソルイエは頷き、冷めた微笑みから暖かみを取り戻した微笑を使者団に向ける。


「キサラギ殿、使者ご一行の方々、ごゆるりと休まれよ。夜は細やかだが歓迎の宴を用意しているので、是非参加して頂きたい」


 そういって退出を促すソルイエ。


「国王陛下っ!」

「ではお部屋へご案内いたします」


 如月が焦って玉座へ一歩踏み出したが、ルークが壁となりそれを阻んだ。彼も笑顔だったが、友好的な雰囲気は欠片もない。


 使者団がルークや騎士、滞在時の世話役となる外交官に促され、退出をはじめた。

 その様子にハーシェリクは大きく息を吐き、そして吸い込む。


 父の雰囲気に呑まれ、息をすることを忘れてしまっていたようだった。

 ハーシェリクは己の父に一瞬だけ恐怖を覚えたが、その感情はすぐに霧散し、尊敬の念に変わった。


(さすが父上……)


 十歳から王様業をやっていたのは伊達ではない。

 あのバルバッセ相手に長年やりあい国を瀬戸際だが維持してきたのだ。一国の使者程度に乱される人間ではない。


 父のなかでの優先順位の上が家族であるが、それと同じくらいに国や民がある。腐っても大国。一人の姫を犠牲にしてまで、他国に媚を売る気はないのだろう。ただし後で外交官が泣くかもしれないが。


「ッ!?」


 背後で息を飲む音が聞こえた。振り返ればクロが使者団を見たまま、目を見開いていた。


「シュヴァルツ?」

(なにか固まってる?)


 彼の視線を追えば、使者団が退室し、大広間の扉が閉まるところだった。


「ど……」

「皆、お疲れ様。さきほどのメノウの件は、他言無用で。使者団がいる間は問題が起るかもしれない。多忙だろうがよろしく頼むよ」


 ハーシェリクがクロに小声で話しかけようとしたが、ソルイエがその場に残った者たちを労わる言葉に遮られた。

 ソルイエの言葉に皆が頷き、大広間を辞していく。今後の対陽国の外交について、路線変更の可能性もでてきたのだ。忙しくなるであろう外交局の面々は、走らない程度の早歩きでいの一番に大広間を出て行った。


「お館様、申し訳ありません」


 大広間の人数がある程度減った頃を見計らい、ペルラに支えられた黒曜がソルイエに再度謝罪の言葉を述べる。

 項垂れるコクヨウに、ソルイエは気遣うように言う。


「コクヨウのせいじゃないよ。だけどあまり相手を挑発するのはよくない」

「そうよ、あなたに何かあったら、私たちが悲しむわ」


 ペルラの言葉に、黒曜は感動し黒い瞳が潤む。

 そんな彼女たちに、第一側妃が声をかけた。


「ペルラ様、時間もありますし、せっかくですのでお茶会しませんか?」

「あら、いいわね」


 それに賛同したのは第二側妃だった。続いて第三側妃も頷く。


「コクヨウの励ましのお茶会ね!」

「じゃあ是非。ソルイエ様はいかがされますか?」


 ペルラの言葉に、ソルイエは苦笑しながら首を横に振る。


「残念だけどこのあと執務があるんだ、すまないね」


 その言葉に妃たちが目に見えて落ち込む。

 そして退出しようとしていた自分たちの子どもたちに標的を変えた。


「殿下方、是非参加を」

「いえ、私も公務がありますので」


 真っ先に答えたのはマルクスだった。困りながら微笑み残念そうに言う。

 お妃様たちの視線は、次にウィリアムに行った。


「陽国の今後について、官吏たちと打ち合わせがあるので」


 家族のみのため、表情筋が仕事を破棄した無表情のウィリアムが言い、ささっと退出していく。


「すみません、私たちは研究局の手伝いが」

「僕も休んでいたときの学院の勉強があるので」

「そう……じゃあ」


 三つ子とユーテルもそう言い、残ったハーシェリクに、お妃様たちの期待の眼差しが集まる。


(……ん?)


 内心嫌な予感がしつつも、ハーシェリクは首を傾げてみせる。


「ハーシェリク様は、大丈夫ですよね?」

 その様子にペルラはにっこりと微笑んで言った。


「……はい」


 ハーシェリクに拒否権はなく、妃たちに引っ張られていく様子を、残った父と兄姉たちは同情の念を込めて見送ったのだった。

 妃たちのお茶会――否、女子会は、拘束時間が長いことについて、王城では周知の事実である。


(メノウ姉上、ごめんなさい。お見舞いにはいけそうにないです……)


 ハーシェリクは、心のなかで姉に謝罪をしたのだった。

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