第十五章 王子と初代神子姫と雌伏する闇
ハーシェリクが部屋に戻ったのは、すっかりと夜が更け、空に月と星が輝く時間だった。
「あー疲れた……」
窓際のお気に入りのソファに深く座り、背もたれに全体重を預けて呟くハーシェリク。それはさながら前世の最終電車でよく見かける企業戦士のようだ。
(とりあえずはなんとかなりそう、か)
ハーシェリクはさきほどまで、父王や兄たちや外交官、そして陽国の人々を交えての会談だった。途中夕食代わりの軽食を用意してもらったが、ほぼ通しで打ち合わせである。
長くなりそうだったので日が傾きはじめた頃、自分の筆頭たちには先に帰って休むよう指示した。政治に興味がないシロは頷きすぐに退出したが、オランとクロは渋った。
しかしオランは、この場にいてもやることはない。クロも操られていたり今回の件で心労も溜まっていたりするだろうと思い、ハーシェリクは休息をとることを命令したのだった。
オランはともかく、クロは普段ならみせないような落ち込みようで、部屋を出て行った。
(クロのフォローはまたするとして……さすがに今回は、父上や兄上たちを説得するのは骨が折れたな)
ハーシェリクは帰城してからすぐに父王に報告に向かい、陽国の人々は客間に案内させた。
出迎えた父とその執事、そして丁度その場にいた官吏たち。事前にリュンが触りだけでも報告していたのだろう、国王の執務室に入った瞬間、ハーシェリクは駆け寄った父により抱きかかえられ、足が地を離れた。
心配する父を宥めつつ周りを窺えば、ルークが微笑みながら官吏たちを退出させている。そして連絡を受けたのだろう長兄と次兄とすぐ上の兄が王の執務しつにやってきて、七才にもなろうというのに父に抱き上げられている末王子を目撃されることとなった。
やっと父に放してもらい、メノウと己の執事が無事であること、今回の事の顛末を報告。自分の暗殺については、どう伝えたらいいか迷ったが、結局はそのまま伝え、執務室の温度を体感数度下げることになったが。
誰も犠牲がなかったことと、陽国の人々にはすでに敵意はないことに重点を置いて話をし、今回の件は、『メノウがハーシェリクの執事に頼み込んでお忍びで外出。その先で偶然陽国の使者たちと会い、会談の場を設け、そして王城に帰って来た』と表向きはしてほしい、願った。
父は渋々だが了承し、陽国との謁見に臨んだ。
そして神子姫と対面し、相手の真摯な謝罪を受けて、表向きの理由で彼らを受け入れた。
その後の会談で、メノウの陽国行きは陽国の申し出により、正式に取り下げられた。また陽国は今後開国を進めるために、王国へ常任の大使を派遣、大陸と陽国の窓口となる大使館を置くこととなった。
さらに貿易に関して、大国が幾分か有利な条約が交わされた。これは陽国の誠意であり、その申し出を王国は受け入れた。そしてその合意書の草案には「両国は神子姫に関することの全ての事柄を禁秘すること」の一文が入れられていた。
これはハーシェリクが強く希望した一文である。
(『神眼』の力は、デメリットが大きすぎる)
巨大な力は、国の均衡を崩す。しかもその力は、その能力者の命を削って行使されるものだ。
もしその能力が外に漏れ、神眼を手に入れようと為政者たちが動き出したら……大陸全土を巻き込んだ戦争が始まってしまうかもしれない。それも決して低い可能性ではない。為政者にとって、未来がわかることは、自国の大きな利益なのだ。
しかし戦争が始まってしまったら、神眼で得られる利益より、不利益のほうが大きい、と冷静な人間は判断できるんだろう。
だが世の中、そう全員が判断できるとは、ハーシェリクは思えない。全員が冷静ならば、そもそも戦争なんて起こらないのだ。
それは、父や兄たちも同じ考えだった。それに、まず狙われるのはメノウである。もしメノウを狙って戦争を仕掛けられたなら、王国は応戦しなければならない。ならば、少なくない犠牲が民にでることとなる。
父も兄たちも、陽国の人々も察して神眼の存在を秘匿することに賛同した。神眼について知るのは、王国側は王家の者とその側近数人だけである。秘匿するのは簡単なことだ。
(きっと、英雄も同じ考えだったんだろうな)
戦争が頻発していたときなら、神眼の力は必要だったかもしれない。
英雄フェリスは、村の小さな自警団からはじまり、段々と大きくなり、連戦連勝で大陸を統一した人物。それは神眼の力もあったからこその偉業だったのだろう。
だが、平時には入らぬ諍いを起こす力だともわかっていたからこそ、聖女の出奔を許した。
「神眼……いわゆるチートってやつ、ね」
前世で流行っていた小説の主人公のチート能力としては、代償が大きすぎるが。
「とりあえず、外交についてはプロに丸投げしてっと」
外交に関しては、次兄や外交官たちがうまくやってくれるだろう。
ハーシェリクは視線を落す。机の上には、神子姫から託された指輪があった。
「問題はコレか」
そう言って、一度両手を上げて背伸びしたあと、指輪を手に取る。
「初代神子姫の指輪、ね」
石は蛋白石で、光りの加減で七色に輝く。土台は金で貴婦人がするような華奢なものではなく、腕の部分は幅広く、表面は枝をモチーフにした模様が刻まれていた。
ハーシェリクは、神子姫の言葉を思い出す。
彼女が言っていた合言葉は……
『ヒノモトデイチバンタカイヤマハ』
聞きなれないようで、聞きなれた音。それが言葉だと理解するのに、ハーシェリクは数秒時間を要した。この世界では聞いたことのない言葉は、それがかつて生きていた世界の、母国の言葉だと理解するのに、時間が必要だった。
そしてそれを理解した瞬間、ハーシェリクは驚き、今度は思考が停止した。
そのあとすぐ異変を察知したクロが戻ってきたので、ハーシェリクは神子姫に促されるまま指輪を受け取り、帰りの馬車に乗った。その後忙しくしていたため、指輪はポケットにいれたままになっていた。
しかし、とりあえず問題が片付いた今、ハーシェリクの思考を妨げる者はいない。
(ヒノモト……日の本。つまり……日本)
この世界に日本という国は存在しない。もちろんその国の言葉も存在しない。
その言葉を合言葉にした初代神子姫。つまり彼女は……
(初代神子姫は、日本人?)
よくよく考えてみれば、思い当たる節も多いのだ。
まず国名。陽国を少しもじれば陽の国とも読める。日の本と似ている。
次に当主の受け継がれる名前。二宮の当主名は如月。如月はちらでの二月の異名である。二宮で二月で如月。偶然にしてはできすぎている。
それに龍之丞をはじめ、大陸では聞きなれない和名が多いのだ。
最初は、そう聞こえているだけかと思っていたハーシェリク。この世界に転生してから、言葉をいつの間にか覚えていたし、日本語に聞えているようでそれはこの世界の言葉である。
だから神子姫の言った言葉を、はじめは日本語と認識できなかったのだ。
(もし、国名や家名が意図的につけられていたら……)
「初代神子姫は、私と同じ転生者か、転移者」
その可能性がかなり高い、とハーシェリクは考える。
華族の家名を付けたのが初代神子姫で、十二家になるとわかっていたなら、かつての故郷を懐かしみそうつけたのかもしれない。単純に考えるのが面倒だったのかもしれないが。
「とりあえず、合言葉をいってみるか」
そう言って、ハーシェリクは指輪を机に戻し、合言葉を言うことにする。
ただ、それからハーシェリクは苦労なった。約七年ぶりとなるかつての母国語は、この大陸での発音とは異なったのだ。龍之丞が訛って聞こえるのは、きっと初代神子姫の影響で言葉が受け継がれてきたのだろう。
そんなことを考えながら、ハーシェリクは日本にきたばかりの外国人のような発音の日本語を繰り返す。
そしてやっとゆっくりではあるが、言葉を紡いだ。
「『日の本で、一番、高い山は……富士山』」
次の瞬間指輪は光り輝き、テーブルの上には二つの品が現れた。
「これは、手帳と、スマートフォン?」
そこには、色が落ち劣化しているが桜の花びらがモチーフの合成皮カバーの手帳と、前世では誰もが手放せなかった文明の利器だ。
とりあえずハーシェリクはスマートフォンを手に取る。電源を入れようとボタンを押したが、予想通り画面は暗転したままだった。
「さすが電源は入らないか」
電気のない世界で、これを使うのは難しいだろう。充電しようにも、この世界は浮遊魔力が電気の代わりを果たしており、雷の属性魔法で充電しようにも出力次第で精密機械は一瞬で壊れる。
初代神子姫も壊れることを恐れ、充電することは諦めたのだろう。
(だけど、これで確定。初代神子姫は転移者。来てしまったのか、呼ばれたのかはわからないけど)
ハーシェリクはそう結論に達し、次に色褪せた手帳に手を伸ばした。
そこには、こちらの世界に呼ばれてから何があったのか、誰と出会ったのか、何をしたのか、何を諦め、何を得たのか。そしてそのときの心情が、日本語で綴られていた。
彼女の名は、日向 桜。高校二年のとき、この世界に呼ばれた。そしてそのとき、神眼と膨大な魔力を手に入れた。多くの犠牲を払って。
そのあと、召喚した者の命令で神眼を使っていたが、護衛兼監視役の者とともに逃げ出し、英雄に保護され、ともに戦うことになった。自由を得るために。
戦争が終結したあと、元護衛の者――剣聖とともに黒髪黒目のものと陽国へ旅立ち、そこで国を起こしたこと。神眼の力をもってしても、かなりの苦労をしたこと。
だが剣聖と結婚し、子どもや孫に恵まれたこと……さきの未来で子孫が神眼のせいで大変になるだろうこと。
そしてハーシェリクに、自分の尻拭いをさせて迷惑をかけることの謝罪が書かれていた。
「……大変だったんだね、桜さん」
ただの女子高生が、無理やり召喚され、力を与えられ、酷使された。
悲観せずにはいられなかっただろう。手記には彼女の正直な気持ちが綴られていた。
それでも彼女は、最後は力を使ってでも幸せを掴み、そして周りを守った。
そんな彼女を、ハーシェリクは責めることはできなかった。
手帳は厚さの割にはページが多い。指輪と同じ、特殊な魔法がかかっているのかもしれない、と思いつつハーシェリクは最後のページを捲った。
『これを読んでいるあなたにお願いがあります。もし元の世界に戻ることができたのなら……』
そこには住所が書かれてあった。あちらの世界での。
「……ごめんね」
ハーシェリクは声に出して謝る。自分は転生者。あちらの肉体はすでに朽ちている。戻れる可能性は無に等しい。それが申し訳なかった。
それが解っていたのか、文章はこう続いていた。
『涼子さん、ありがとう。私のために悩んでくれて』
「ふふ、さすがは初代神子姫。何百年経っても先のことは、御見通しってわけですか」
これだけで彼女が望まずして与えられた力がどれほどのものだったか、押して知るべしだろう。
ただ文章はそれで終わらなかった。
『そして頑張って、諦めないで。未来は決して無くならない』
最後は、日向桜と名前が綴られている。
その文には、ハーシェリクは沈黙で答えた。
今日、神子姫と話したとき、ひっかかることがあった。初代神子姫のことの言葉は、それを肯定しているようだった。
ふとハーシェリクは時計を見る。すでに深夜を回っていた。そろそろ休まないと、明日に響くだろう。
「えーと、指輪に戻す合言葉は……あれ?」
日記に書いてあったが、これ指輪を媒介にして、異空間にしまったある手帳とスマートフォンを交換する魔法だということで。その異空間は時が止まっており、そのため物が劣化せずに済むという。
指輪は『最古の遺産』であり、それに神子姫自身が『収納物は手帳とスマートフォン』『発動には合言葉が必須』条件付けをしたということだった。
ハーシェリクは偶然にも、作動する最古の遺産を二つ手にすることなった。もし研究局の者が知ったら、嫉妬でその場で足踏みどころか転がっていたかもしれない。
さて、出すことができればしまうこともできるはず、ハーシェリクはパラパラとページを捲るが、しまう合言葉は描かれておらず、首を傾げる。
ふとカバーと手帳の間に挟まっている紙切れを見つけた。そこにはハーシェリクが予想したとおり、しまうときの合言葉が記されていた。
「『タケルはむっつりエロすけ』」
ハーシェリクは、何も考えず読み上げる。
「タケルって剣聖の? ……あ、もどった」
合言葉を合図に、手帳とスマートフォンは指輪へと戻った。
(エロすけって……)
ハーシェリク笑うのを堪えつつ、とりあえず銀古美の懐中時計の鎖に指輪をとおして無くさないようにすることにした。後日、細い鎖でも用意してもらい、ネックレスのように首にかけておこうと考える。七歳児の指には、まだ指輪は大きいから。
すべてを終えて、ハーシェリクは大きく息を吸い吐き出した。
「なんだか、今日はいろいろあったなぁ……」
一気に年を取った気がした。身体は七歳児で、中身はアラフォーだが。
「これからさきも、まだまだいろいろあるんだろうなぁ」
そう言って視線を投げた先は、公国を通じて渡されたクレナイからの手紙である。
「とりあえず、これもなんとかしないと」
手紙を取り出し、中身を再度読む。そして最後のほうに書かれた文に目が留まる。
『ルスティア連邦の代表が、内密での会談を希望されております』
「さすがクレナイ。仕事が早い。 ――――さて、どうするか」
ハーシェリクは、ため息を漏らすと、窓から空を見上げる。
綺麗な月が、ハーシェリクを見下ろしていた。
とある貴族の邸宅。窓を閉め切り、厚いカーテンで覆った室内に、綺麗な月の光が届くことはない蝋燭のみの薄暗い空間。いたるところで注がれる酒類や、葉巻の匂いが充満し、空気がよどんでいた。
空気が淀んでいるのは、照明のせいだけではない。集まっている者ほぼ全員が、まるでこの世の終わりかのような陰気な雰囲気で、ぼそりぼそりと会話をしていた。
さらに半刻ほど時間がたったとき、一人の初老の男が、酒の入ったグラスをテーブルに叩きつけ、立ち上がった。
「このまま我ら、王国貴族が蔑にされたままでいいのか!?」
それを皮切りに、集まった者たち――ハーシェリクがきっかけをつくり、王が粛清で罪に問われた王国の貴族たちは、不平不満が噴出した。
領地を没収された者、財を失った者、家族に去られた者……自分の罪を棚上げし、王や王族への罵倒がそこらかしこで上がった。
もしこの場にハーシェリクがいれば「罪によって領地や財は没収しても、重罪でないかぎり命まではとってないし、罪によっては職も奪ってない。情状酌量もあったし懲役刑でなく罰金刑ですんでいるなら感謝してもらいたいくらいだ」と呆れて反論しただろう。
「学院では、来期より平民の特待生を増やすというぞ」
「学院の者の話では、今後は積極的に下々の受け入れを増やしていくという……あの憎き末王子の進言で、国王が動いたと!」
「国王は何をお考えだ! 年端もいかぬ子どものいいなりか! 所詮は平民の寵姫に溺れた男ということか!」
どこからか仕入れた話題に、全員が憤る。貴族は幼少の頃より高等な教育を受け、支配する側の人間だ。貴族が支配しているからこそ下々の者たちは生きていける、と思っている。
もし話題の末王子が聞いていたら、鼻で笑って皮肉の一つや二つ言っていただろう。
「王は貴族を軽んじておる!」
「バルバッセ殿がご健在だったならば、このような蛮行許しはしなかったものを……」
ヴォルフ・バルバッセが生きていた頃は、彼の不興さえ買わなければ贅沢な暮らしをし、下々の者たちからへりくだられ、少しの悪さもなかったことになった。今の肩身の狭い暮しとは、雲泥の差だった。
「このままではこの国の貴族は、廃退してしまう」
「建国より国を支えてきたのは、我ら貴族だというのに」
「どうすればよいのでしょうか、アーヴィン様!」
そう名を呼び、貴族たちが一斉に視線を向けた先には、一人の男が一等豪奢なソファに身体を預け、酒を傾けていた。
「皆の者、静粛に」
そう厳かに告げて、一口酒を含む。
彼の名はアーヴィン・ラングトン。前の姓はバルバッセ。バルバッセ侯爵家の長男であり、次期当主となるはずだった。だが父が失脚し侯爵のくらいは剥奪され、今は母方の姓を名乗っている。
「我が父は、あの末王子の謀略のせいで、志半ばにして天の庭へと旅立った」
もし彼の父の被害者がここにいたならば、誰がもが天の庭へと行けるはずがない、と否定したであろう。
アーヴィンは言葉を続ける。
「私は国に献身的に使えてきた貴族たちが蔑ろにされること、決してよしとしない。父の無念を晴らすためにも……私は必ずバルバッセ侯爵家を、王国貴族の地位を回復することを誓う」
一瞬の沈黙のあと、皆が立ち上がり拍手を打ちつつ歓声をあげた。
「おお、さすがはバルバッセ大臣のご嫡男! なんとも頼りになる!」
「我らはアーヴィン殿についていきますぞ!」
囃したてる貴族たちを、アーヴィンは片手で制止しながら立ち上がる。
「今は雌伏のとき。下手に動いてはすべてが水の泡だ……各人、注意されたし。今宵はこれにて失礼する」
そう言ってアーヴィンは部屋を後にする。部屋の扉を閉めるころには、さきほどの陰鬱な空気はどこへやら。賑やかな宴へと変貌していた。
アーヴィンは自室に向かいながら、ふと足を止める。視線の先には男が一人、壁に寄り掛かって立っていた。
「レオナルド、バルバッセ家の者ならば、わかっているな」
その言葉に、男がアーヴィンに歩み寄る。
窓から降る月光が、男の孔雀色の髪を神秘的に瞬かせた。
「解っていますよ、兄上」
兄からレオナルドと呼ばれた者、ハーシェリクからはリュンの愛称で呼ばれる彼は、人好きしそうな、それでいて軽薄な笑みを浮かべる。
そんな彼にアーヴィンは一瞥を投げると、再度歩みを進めた。
「……妾腹風情が兄と呼ぶな。そう呼びたいのなら、成果を示せ」
弟とすれ違う瞬間、アーヴィンは吐き捨てるように言う。
「はいはいっと。わっかりまーした!」
弟は軽く返事をし、兄を見送る。
兄がいなくなると、軽薄な笑みを一転させ無表情になる。冷めた視線を兄の方へとむけた。
「もちろん、精一杯働かせて頂きますよ。兄上?」
そう呟き、リュン――ヴォルフ・バルバッセの次男、レオナルドは音も立てずその場を後にした。




