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間章 姫君と騎士と陽国の人々 その一



 夕焼けに染まる後宮。王宮お抱えの庭師が手入れしている整えられた庭園の、石造りの噴水の縁に腰かけた人影が一つあった。

 その人物は王国の第二王女、メノウである。王城に戻って父王たちに事の顛末を伝えたあと、湯船が用意され、身支度を整えるとすでに陽が沈みはじめていた。夕食までは時間があり、メノウは風にあたりたくなり外へとでた。


 ついてこようとする侍女をやんわりと拒否し、後宮区画からでないことを約束して、ひとり噴水の水音を聞きながら、青から橙色へ、そして闇色へと変わっていく空を眺めているメノウ。

 その表情は空のように暗いものだった。


「……はあ」


 ついため息を漏れつつ、神子姫のいっていたことを思い出す。

 父王はまずハーシェリクとその筆頭たちがさきに謁見しているため、それまでの時間、待機している部屋でメノウは思い切って神子姫に話しかける。部屋には陽国の者と龍之丞しかいないため、切り出すことができた。


「あの、本当にこの目を封印できるのでしょうか?」

「はい。まだメノウ様の状態ならば可能でございます」


 神子姫は首を縦に振る。


「神眼の能力の覚醒には個人差があります。まだ常に金の瞳でないならば、半覚醒の状態です。その状態ならば、妾の力を持って封印することができます」


 神眼は他の瞳と違って、能力の発現は個人差がある。それこそ生まれてすぐの者もいれば、十歳を超える者も。さらに完全に神眼として目覚めるのも、その者の資質と心によって変わるのだ。


「それは、神子姫様に負担があるのではないのですか?」


 神眼の能力は神子姫の寿命を削ると聞いたばかりだ。確かに自分のことも心配だが、だからと言って神子姫の寿命を犠牲にすることは躊躇われた。

 そんなメノウに、神子姫は微笑む。


「……ありがとうございます、メノウ様。多少はありますが問題はございません。これも神子姫の義務のひとつなのです」

「義務、ですか?」


 首を傾げるメノウに、神子姫は言葉を続けた。


「神子姫になることは神眼を持った人間の使命です。ですが、その使命を受け入れることができない者もいます」


 己の命を削って国の礎となる。それは大義でもありが、重責でもある。ただ偶然神眼を持って生まれたというだけで、年端もいかぬ少女たち全員が全員、背負える者ではないのだ。

 それにそのような者の神眼の能力は精度が低く、また精神面の不安定さから、素質を持つ者が少なかろうと神子姫という要職に就くには不適格とされた。


「そういった者は、神眼が使えぬよう封印され、神子姫やお付の者の侍女をしたり、市井へと戻されたりします」


 神子姫は神眼だけでなく、封印の術式を扱えることも必須となる。これは魔力や身体能力、記憶にも作用する神子姫のみに口伝される操作系魔法で、言霊縛りもその一種だ。

 市井に戻ることを希望する者は、神眼だけでなく城で過ごした日々の記憶も封印される。神子姫の秘密を外に出さないためだ。


 そう説明して、神子姫は金色の瞳でまっすぐと見据えた。その視線の鋭さにメノウはビクリと肩を震わせる。


「ただ、これだけは心してください。封印は絶対ではございません」

「え?」

「メノウ様は、きっと私よりも神眼の素質も魔力も高い。もしメノウ様が神眼の力を再度欲した場合、封印は解けてしまうかもしれません」


 瞳を丸くするメノウに、神子姫は続ける。


「決して神眼を頼らない、強い心が必要なのです」


 メノウが何と言っていいかわらず、しかしなにか喋らねばと思っているうちに、父王との謁見の報せを受け、二人の会話は打ち切られた。


 その後、陽国の面々は王や側近たちとの会議に出席しているため、神子姫と会うことができず、一人悩むことになったのである。


(私に、そんな強さを持てるんだろうか?)


 今まではただ視せるだけの忌々しい力だった。だが神子姫から話を聞いた今、この力があれば家族や国を守ることができるのではないか、と考えてしまう。


 死ぬのは怖い。でも、ハーシェリクを視たときのような、大切な人を失うことも怖い。

 その怖いという気持ちが、神眼の能力の発動条件だとは思わなかったが。

 もし自分の預かり知らぬところで、家族がまた危険にさらされたら……


「はあ……」


 だが先を視て知って、自分には何ができるだろうか、ともメノウは考える。

 今までは、それが変えられないことだと思っていた。


 でも、神子姫たちは命を賭して、未来を変えてきたのだと知った。

 自分もハーシェを助けたい、と漠然と思ったとき以上の覚悟を持てば、この力を使って未来を変えられるのかもしれない。


 そうすれば、何もできなかった過去の自分と決別できるのではないかと……


「そこに誰かいるのか?」

「っ!?」


 男性の声に、メノウは驚きで身体を震わせる。

 声がしたほうに顔を向ければ、そこには空の夕焼けと同じ色を持つ、ハーシェリクの騎士がいた。

 オランは、メノウの姿を見つけると、すぐに騎士の礼をする。


「メノウ殿下でしたか。失礼いたしました」

「オクタヴィアン様……お気になさらず」


 それで会話が途切れる。

 奇妙な沈黙のあと、先に口を開いたのはオランだった。


「……そちらに行ってもよろしいでしょうか?」

「は、はい!」


 メノウは反射的に返事をして、そのあと顔を赤く染めた。家族以外の男性と二人っきりになることが初めてだと、今更ながら気がついたのだ。

 薄暗さと夕焼けの色で、自分の顔の色がオランに気が付かれないことを祈るばかりである。


 オランがメノウとの間に、二人分ほどの空間を空けて腰を下ろす。

 再度、二人の間に沈黙が訪れた。


「……あの」

「……殿下は」


 その空気に耐えられなくなったのか、二人同時に言葉を口にし、再度沈黙が場を支配する。


「申し訳ありません、メノウ殿下どうぞ」


 オランが謝罪し促すと、メノウは慌てて首と両手を振る。


「いえ、オクタヴィアン様からお願いします!」


 自分は今、真っ赤に染まっているだろうと意識して、メノウは顔から火が出るほど恥ずかしくなった。

 そんなメノウに気がつかず、オランは首を横に振る。


「いえ、メノウ殿下から……」

「いいえ、オクタヴィアン様から!」


 お互いに譲り合い、再度沈黙する二人。

 その均衡を崩したのは、オランだった。


「く、くくく……」


 吹き出し口元を片手の甲で隠しながら、堪えることができなかった笑いが漏れる。


「ふふふ……」


 メノウもつられ、両手で口元を隠しながら笑う。さきほどは違った、穏やかな空気が二人の間に流れた。


「お互い譲り合って、なんだかおかしいですね」


 笑いをおさめたメノウがそう言うと、オランも頷く。


「そうだな……いや、ですね」


 つい敬語を忘れたオランが、取り繕う。そんな彼にメノウは微笑んだ。


「オクタヴィアン様、できたら敬語ではなく普通で、ハーシェと同じように楽に話してしてください」

「……やはり、俺の敬語はおかしいか? 昔、マークにも俺が敬語を使うと背中が痒くなるって言われたし、ハーシェも初日から敬語不要だって言われるし」


 過去のことを思い出し、苦虫を噛みつぶしたような表情になるオラン。


「そんなことはないのですが……」


 メノウはオランの問いに苦笑で返した。

 ただなんというか、オランとは対等で話したいと思わせるのだ。それがあの烈火の将軍の血筋だからなのか、彼個人の纏の雰囲気なのかは判断つかないが。

 オランは諦めたように一度肩を竦ませる。


「じゃあ遠慮なく敬語はやめさせてもらう。あと、俺のこともオクタでいい」


 そう微笑まれ、メノウは自分の鼓動が高鳴った。それを悟られないよう、視線を彷徨わせ、さも庭園を眺めているよう装う。


「ありがとうございます、オクタ様……あの、なぜオクタ様はこちらに?」

「今日はもう帰宅していいとハーシェのお達しでな。帰る途中で気配がして、一応確認に」


 普段、この時間帯には誰も庭園にはいない。後宮区画は、王族の住まいのため易々と不審者が侵入はできないが、秘密の抜け道を使用して毎度城下町へ繰り出す者もいるため、念のため見回りにきたのだ。

 その言葉にメノウは恐縮する。


「それはご迷惑をおかけしまして、申し訳ありません……」

「職務だから気にしないでくれ。で、メノウ殿下はこちらに?」

「……風に、あたりたくなりまして」


 オランの問いに、メノウは一拍おいて答えた。ふわりの風が二人の間を駆けぬけ、メノウの長い黒い髪とオランの橙色の緩いくせっ毛を揺らす。春は近いが、まだ冷たさを帯びた風だった。


「あのオクタ様、一つお伺いしてもいいですか?」


 意を決し、メノウはオランに問いかける。


「オクタ様は、力があるのにそれを使わないことをどう思われますか?」


 自分は迷っている。力があるのに使わない……使わない自分が、とても卑怯に感じた。

 もしオランならどう考えるのか、知りたかった。


「そうだな……」


 オランもメノウの質問の意図を知ってか、数拍考えたあと、ゆっくりと話し始める。


「昔、俺は大切な人を守れなかった」


 その話は王城でも、特に女性たちの間では有名だ。オランが婚約者を失い、その後も一途に彼女を思い、誰ともお付き合いしないという。告白されても丁寧に断わり、遊びでもいいという女性には窘め、それが余計彼の人気に拍車をかけている。

 王城に戻って日が浅いメノウでさえも、ハーシェの筆頭たちの人気はすぐに耳に入ってきた。


「学院では首席、剣の腕も自惚れかもしれないが人並み以上だった。きっと俺は、そこいらのやからより強かった……それでも、彼女を守ることができなかったんだ」


 剣の柄に手を置き、握る手に力を入れるオラン。当時のことを思い出してか、眉間に深い皺が寄った。


「力ってなんだろうなってときどき考える……いつも思い浮かぶのは、ハーシェだ」


 ハーシェリクのことを思い出したのだろう、オランの口元に微笑みが浮かぶ。その様子をメノウは口を閉ざして見守った。


「ハーシェは強いと思う。武力とか魔力とかじゃない……心や精神面の強さと力の使う判断する能力が、ずば抜けていると俺は思う」


 ハーシェは己が剣を持てずともオランを、魔法を使えずともシロを、情報収集にはクロを、冷静に的確に判断して使い、そして全ての責を己にあるとし、決断をする。


 決して部下を裏切らないし、全幅の信頼を寄せつつも、盲目にはならないハーシェリク。

 彼は自分が弱いとよく口にするが、自分の弱さと向き合えることができるのは、とても強いとオランは思う。本人は否定するだろうが。


「メノウ殿、もしあの力について迷いがあるのなら、とことん迷ったほうがいい。一人が難しいなら、周りに聞いてみればいい。きっと誰もが真剣に悩んでくれるはずだ」


 ハーシェリクも、迷うことはある。臣下に相談し意見を請うこともある。そして答えを見つけたならば、覚悟を持って全力で突き進む。だからハーシェリクが行動を移すとき、迷いがない。


 ただ一つ心配なのは、ハーシェリクは自分を軽視している部分があるのだ。無意識に。

 それはこの姉も同じ傾向がある、とオランは見抜いていた。


「だけど家族は、その力じゃなくメノウ殿下が必要なんだと、それだけは心に留めといて欲しい」


 メノウが家族や国、国民を大切に思うように、周りもまたメノウが大切なのだ。


「私自身……」


 ぽつりと呟くメノウに、オランは頷く。


「ああ。そして力を手放すことが不安なら、それに代わる何かを手に入れる努力をすればいい。今までじゃなく、これからを見て考えるんだ」


 彼女を失い、マルクスとも疎遠になり、毎日が無気力だった。それでも鍛錬を怠らなかったのは、不安を取り除きたいということがあったかもしれない、と今振り返ってオランは思う。


「……様も?」

「ん?」


 メノウの声が小さくて聞き取れず、オランは首を傾げながら聞き返す。

 王女はまっすぐと騎士を見つめ問いを投げた。


「オクタ様も、そうやって乗り越えてきたんですか?」


 メノウの言葉に、オランは一瞬目を見開く。だがすぐに首を横に振った。


「……俺は、まだ乗り越えられていないよ」


 まだ自分のなかには、彼女がいる。彼女を救えなかった自分への怒りと共に。

 だけど……


「だけど、その過去があったからは今がある。ハーシェと共にいれば、歩き続けていれば、いつか過去を受け入れてきっと……」


 それは希望でもあり確信でもある。

 オランの言葉は尻すぼみで最後まで聞き取れなかったが、メノウは彼が何を言いたいかわかった気がした。


 再度、冷たい風が吹き抜ける。その冷たさにメノウは身震いをした。


「冷えてきたし、そろそろ戻るか。華宮前まで送るよ」

「ありがとうございます……」


 オランが立ち上がり、手を差し出す。メノウはおずおずと彼の手に己の手を重ねた瞬間、草原と黄昏の空、そして茶色い長い髪の女性が佇む光景が広がる。


(あなたは!)


 声は出せなかった。彼女はそんなメノウに微笑みかける。


『オクタ様を、お願いしますね。あなたなら、きっと大丈夫……』


 次の瞬間その光景は消え、代わりにオランが覗き込んでいた。

 メノウの鼓動が大きく鳴った。


「メノウ殿下?」

「も、申し訳ありません……」


 あまり納得いかないオランだったが、それ以上は追及せず、メノウをエスコートして石廊下を進む。その間、メノウは無言だった。


「では、俺はこれで」


 華宮につき、一礼をしてその場を去ろうとするオラン。


「オクタ様!」


 そんな彼をメノウは声をあげてとめた。


「私、頑張ります!」


 それは今までのメノウにはない、力を込めた声だった。


「この目に頼らず、自分の力で、国と家族を支えるようになりたいのです!」

「……うん、それがいい」


 その言葉にオランは満足そうに眼を細め頷く。

 だがメノウは、それだけでは終わらなかった。


「あと、オクタ様を支えられるようになりたいです!!」

「うん……うん?」


 頷きかけて、オランは固まった。今起こったことが、理解できずにいた。

 逆にメノウは理解していた。


 メノウは初めてあったとき、オランに一目ぼれしていたのだ。

 それは容姿や強さではない。亡くなった婚約者を今も大切に思い続け、傷つきながらもそれでもハーシェリクとともに歩むことを選んだ彼を。彼の過去も婚約者も全て含め、彼に一目惚れしたのだ。


 そんな思いが、あんな未来が視えたかもしれない。だが未来は確定していない。未来は変わる。

 ならば彼の隣に立ち、彼女に恥じぬ人間にならなければいけない。

 メノウは優雅にお辞儀をする。


「本日は、ありがとうございました。では、おやすみなさいませ」


 そう言ってドレスを翻し、華宮へと入っていくメノウ。

 そんな彼女を、オランは固まったまま、礼もできずに見送ることとなった。


「…………は?」


 ある意味言い逃げされたオランは、しばらくの間動くことができず、巡回にきた騎士に不審な目を向けられたのであった。





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