第一章 雪解けと街並みと成長 その二
孤児院に入ったハーシェリクは、毎朝清掃しているのだろう目立つ埃もなく、窓辺には小さな花が飾られている陽当たりのいい廊下を進む。
食堂を覗き込むと、丁度雑巾を持ってテーブルを拭いている明るい茶髪の少女がいた。
栄養が足りているのか、初めて会ったときよりもふっくらと子どもらしい肉がついている。背も伸び、ハーシェリクと同じくらいになっていた。
(……女の子のほうが、成長が早いと言うし)
己が王国男子の平均身長より下という現実から目を逸らし、ハーシェリクは内心ごちる。
執事のおかげでバランスの良い食事をとり、鍛錬も欠かさずしているのに筋肉がつきにくい体質で、下手したら女の子より華奢な体躯は、ハーシェリクの劣等感を刺激する。
とはいっても、その感情に振り回されたり、持て余したりする彼ではない。そういった感情を御する術は前世で会得している。
「おはよう、コレットちゃん」
子どもたち全員が座れるよう複数のテーブルを、花の蜜を集める蜜蜂のように、くるくると動くコレットに、ハーシェリクは声をかけた。
その声にコレットはビクリと肩を震わせて振り返り、ハーシェリクの姿を髪と同じ色の大きな瞳が捕えると、零れんばかりに微笑んだ。
「リョーコ君! おはよう!」
彼女も未だに最初に名乗った偽名で呼んでくれる人の一人だ。ハーシェリクも微笑み返す。
「お仕事中ごめんね。学院、入学試験合格おめでとう」
「あ、ありがとう……」
ハーシェリクの微笑みに当てられ、コレットは頬だけでなく耳も赤く染め、礼を言った。
本人は忘れがちだが、ハーシェリクは美貌を誇る第二十三代国王ソルイエの息子である。王家の中では華がないと言われるが、それでも一般人とは一線を画す容姿である。
そんな王子の極上の笑みを直撃したコレットに、赤面するなと言うほうが無理な話である。
「コレット、なにか手伝うことある?」
声が聞こえ、ハーシェリクが振り返ると、濃い榛色の気の強そうな瞳に同色の髪を後頭部で束ねた少女と目が合った。
「ヴィオ、おはよう」
「おはようございます、ハーシェ様」
ハーシェリクの挨拶に、ヴィオも微笑みを返す。ただコレットとは違い、赤面するようなことない……否、以前より大人びた表情だ。
それは自然な精神の成長ではなく、成長せざるを得なかったからだろう、とハーシェリクは推察する。
彼女は現在孤児院に世話になっているが、本来は侯爵令嬢で貴族の一員だった。
父の名はヴォルフ・バルバッセ。かつて王国を陰から支配していた大臣である。
彼女はとある事件をきっかけに、侯爵家から勘当され……というよりは己から家を捨て、孤児院に身を寄せた。
ヴィオレッタ・バルバッセという名を捨て、ただのヴィオとなったのだ。
その経緯を知る者は少ないが、彼女がバルバッセの娘だと知る者は多い。大臣の悪事が公となったとき、ヴィオへの世間の風当たりは強いものだったが、彼女はそれを受け止めた。
もちろんハーシェリクも孤児院の後ろ盾をするオルディス家も、周囲からバルバッセの娘へと向けられる悪意から守ったが、すべて守られるわけではない。
ヴィオはすべてを受け止め、耐え続けていた。それが大人びた表情をさせているのだ。
国を救うと決意したとき、ハーシェリクに迷いはなかった。
だがそれはヴィオの実の父親を処罰するという意味と同意だ。
本来なら貴族の令嬢として何不自由なく暮らすはずだったヴィオは、間接的にだがハーシェリクのせいで苦労している。彼女は己を恨む権利がある。
だが彼女は恨み言も泣き言も言わなかった。
実の父の葬式の参列さえ許されなかった彼女は、その後はじめて会ったハーシェリクにただ一言「ごめんなさい」と謝罪しただけで、その瞳や目尻はやや赤くなっていた。
どんな父親であっても、勘当されても、肉親である。
ハーシェリクが彼女にできることは、その話題に触れずにただいつものように接することだけだった。
「ヴィオ、試験合格おめでとう」
「ありがとうございます」
ハーシェリクが祝いの言葉を言うと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「優秀な成績だったと聞いたよ。コレットも」
学院に入学する者は、全員事前に入学試験を受けなければならない。
各々の実力にあったクラス分けするためだが、奨学生には入学選考の意味合いもある。
奨学生には学費が免除されるため、一般生徒以上の実力の知力や才能が必要とされるのだ。入学してからも成績を上位三十位内や出席日数、模範的な学院生活態度などを要求される。
奨学生は狭き門なのだ。
逆に貴族や裕福な家庭の子は一定の学力があれば、入学はさほど苦労せずできる。ただし入学はできるが、卒業までとなると全員ではない。国立学院は最高学府である。相応の実力が無ければ卒業はできない。
初等部、中等部、高等部、国立院と上がるにつれ進級しない、もしくはできない生徒も少なくない。
その場合は表向き家庭の事情で学院をさっていく。中には教師に賄賂を渡し、成績を捏造していた輩も過去にいたそうだが、現在は先の粛清によりなくなっている。ちなみに国立院は研究局の一部でもある。
試験は王族であるハーシェリクも受けた。
最高学府の試験とはいっても、所詮子どもの受ける試験だ。
楽勝だろう、と思っていたハーシェリク。念のため過去の問題を見たところ、唸ることとなる。
語学、数学は問題ない。前世でいうところの小学生程度だ。だが自国や他国の歴史に魔法学、自由課題の作文、さらに男子は剣術と馬術など実技もあった。
まさかの事態に泣きたくなったハーシェリクである。
過去、王族の兄と姉たちは、上位の成績で入学している。己だけ成績が残念になることは避けたい。国の上に立つ王族の面子もあるし、ハーシェリクの見栄もある。
ハーシェリクは試験まで頑張った。教師に試験対策を頼み、筆頭騎士に頼んで鍛錬を積み、筆頭魔法士に魔法学を教わった。
同時に筆頭執事に補佐されつつ自分の公務も進め、目が回るような日程だったが、結果学院の入試を首席で突破した。
筆記はすべて満点、実技はなんとか及第点、魔法については魔力が免除される代わりに筆記の難易度が上がりそれも高得点。
さらに作文では自国の監査制度の導入及び、導入による利点と弊害、問題点についてまとめ、作文というよりは論文となり教師陣を唸らせた。
ある意味大人気ないハーシェリクだったが、おかげで己の矜持は保たれたのだった。
やっと試験勉強から解放されたとほっとしたのもつかの間、入学式で首席の挨拶をしてほしいと依頼され、その原稿に頭を悩ませている現在である。
自分には王族という重圧があったが、孤児院から受験した子どもたちには別の重圧があった。
まず孤児院から国立学院への受験者が初だということ。
生まれが貴族以外の者は後見人が必要である。もし貴族が優秀な子どもを得るためならば、後見人というまどろっこしいことをせずとも、養子に迎えればいい。養子に迎えるなら、奨学金など必要はない。
次に彼らの後見人があのオルディス将軍だということ。
ローランド・オルディスは退役した今でも、国民に人気のある人物である。もし受験に失敗すれば、ローランドの顔に泥を塗ることになるからだ。
とはいってもローランドはもし不合格だったとしても、気にも留めず「祝いは次に持越しだな!」と豪快に笑うだけだろうが。
中身はアラサーなハーシェリクならまだしも、まだ十にも満たない彼らにはかなりの重圧だっただろう。
だが孤児院のみんなは、その重圧を跳ね除けて狭き門を突破することができた。
「頑張ってくれて、ありがとう」
ハーシェリクの口から、自然と礼の言葉が漏れる。
それに女子二人は目を見開いて驚き、顔を見合わせた。
「もしかして、今日はそれをわざわざ言いに来てくれたの?」
コレットが首を傾げて問うと、ハーシェリクは頷いた。
「もちろん」
「あの、筆頭の方々には……」
ヴィオが続いて問うと、王子は笑顔を一瞬強張らせ、明後日の方向を見ると、「……バッチリデスヨ」と答える。
なにがばっちりなのか二人は思ったが口には出さず、奇妙な沈黙が流れた。
「おい、いつまでしゃべってるんだよ」
そんな気まずい空気を変えるかのように、苛立った声が響き渡る。
「リック兄ちゃん……」
コレットがその声の主の名を呼んだ。
彼の名はリック。孤児院の最年長であり、ハーシェリクたちより二つ上だ。
紺色の短く切りそろえられた髪に、意思が強そうな黒い瞳。左頬に獣に引っかかれた三本の痕がある。初めて会った時よりも身長が伸び、大人びた顔つきで眼光に鋭さを増したようだった。
その眼光を向ける彼に、ハーシェリクは微笑んでみせた。
「リックもおめでとう」
そう祝いの言葉を述べる。
「初等部に中途の入学だから大変だったろうけど、成績も運動能力も申し分ないって……」
リックは新学期から二つ上の学年のクラスへと編入する。本来入学の年齢は決まっているが、今後の人材育成を考え、来年度より中途入学も可能となった。というか進言したのはハーシェリクである。
国の宝である子どもは、国の礎でもある。
識字や算数など基礎的な勉強は、国が寺子屋のような学校を各町に配備しているためさほど低くはない。だがそれ以上の勉強となると、貧富の差がそのまま教育の差になっていた。
まずはそこを改善すべきだとハーシェリクは父や兄たちに主張した。学力の底上げは将来の国力へと繋がると。
といいつつそれは建前で、前世で教育が当たり前だったハーシェリクは、勉学の大切さを身に染みてしっている。子どもの頃は嫌だった勉強も、大人になるについれ「やっておけばよかった……」と思うことが多々あったのだ。
知識があれば、未来への選択の幅が広がる。国のためではなく、自分のために、子どもたちに機会を与えたかった。
まだ枠が少ないが、それは今後増やしていく予定である。
その少ない奨学生の枠の、さらに少ない途中入学の枠をリックは勝ち取ったのだ。
それはリックの努力の賜物だろう。純粋にハーシェリクは嬉しかった。
「黙れよ」
そんな彼をリックは一瞥し、吐き捨てるように言う。
「お前の声を聞くだけで、虫唾が走る」
「リック!」
「リックお兄ちゃん!」
ヴィオとコレットが同時に非難の声を上げる。
「ハーシェ様は……」
「ヴィオ」
ヴィオが憤ってリックに詰め寄ろうとするのを、ハーシェリクは手を掴んで止めた。
振り返ったヴィオにハーシェリクはただ微笑んで横に首を振る。
その様子にリックは舌打ちすると部屋を出て行った。
また奇妙な沈黙が室内を包む。
「そういえば子どもたちと遊んでって言われてたんだ。二人も一緒にどう?」
何事もなかったのようにハーシェリクは言い、その場を取り繕うしか術がなかった。
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よろしくお願いします。 楠