第十四章 王子と神子姫と神眼 その一
地下室から地上へと戻ったハーシェリクは、まず陽国の密偵、月影と呼ばれる者を数人捕縛していたリュンに事情を話し、王城へと連絡をお願いした。
(血だらけの姿見て、すっごく嫌な顔されたけど……)
もともと、リュンは最後の最後までこの作戦に反対だったのだ。あまりにもハーシェリクの危険が大きすぎると。
不機嫌そうに用意しておいた服を渡すと、さっさと出発していった。ハーシェリクだけでなく、オランやメノウ、クロの分も用意してあり、チャラい見た目と違って気が利く男である。
さすがに浴室は水が出ず使えなかったが、シロが魔法で用意したお湯に浸したタオルを絞って、全身を拭いさっぱりしたあと、ハーシェリクは陽当たりのいい部屋に案内をされた。家具は机や長椅子など最低限のものしかないが、話すだけなら十分である。
部屋の中央に置かれた机を挟むように置かれた対の長椅子に、片方はハーシェリクとメノウ、もう一つには神子姫と名乗った少女が座っていた。
ハーシェリクとメノウの背後には、同じく着替えていつもの簡素な恰好に戻ったオラン、同じく普段着のクロ、龍之丞が控え、やや離れた窓際にはシロが勝手に椅子を用意して座っている。
シロには屋敷の周囲に探知の魔法を張ってもらい、誰かが侵入したらすぐに知らせてもらう手筈となっている。
逆に神子姫の背後には志狼とお付の者の女性二人が控えているだけだった。
「では、何からお話しをいたしましょうか」
まず口を開いたのは神子姫の少女だった。
だがハーシェリクは、首を振って遮る
「なら先に、あなたが本当に神子姫だという証明をしてください」
「神子姫様を侮辱する気か」
ハーシェリクの言葉に、途端に殺気を纏う志狼。それに反応して、自分の背後にいるクロも不穏な空気になる。
王子は背後については、己の騎士に任せ、志狼ににっこりと微笑んでみせた。
「侮辱する以前の問題です。私には、目の前のこの方が神子姫だという確証が持てない。タツさん、あなたは神子姫かどうかわかりますか?」
ハーシェリクは神子姫が誰か、顔を知らない。龍之丞に意見を求めると、彼は数瞬迷ったが首を横に振った。
「拙者が知る神子姫様は先代まで。先代様との越権も、紗で顔を覆っておいでで、お声しかわかりませぬ」
龍之丞の言葉に、ハーシェリクは「ね?」と首を傾げて見せる。
「あなた方の常識が、こちらに通じるとは思わないで頂きたい」
そう厳しくいう王子に、少女は少し考えたあと口を開く。
「我が国では、金の瞳を持つ者女性は、神子姫もしくは、神子姫付きというのが常識なのですが……」
「それを言ったら、シロだって金に近い色だし、私の母も金の瞳でしたよ」
ただし母は魔力を持たない、特殊な能力もない一般人だったと聞いているが。
少女はさらに考えたあと、首を横に振る。
「……妾では思いつきませぬ。いかがすれば?」
「そうですね……タツ殿の呪縛を解いて頂きたい。神子姫しか解けないのでしょう?」
ハーシェリクはさも今思いついたように言ったが、実際は『言霊縛り』を知ってから、龍之丞や黒曜の呪いを解きたいと考えていた。
(神子姫の証明もできて、タツさんや黒曜様の呪いの解除もできて一石二鳥! ……相手が受け入れてくれるならだけど)
破れば死に直結する呪。陽国はそれほど外に情報が漏れることを恐れている。ならこの申し出を受け入れるか否かで、彼らの本気を測れるとハーシェリクは考えた。
すぐには答えぬだろうとハーシェリクは思ったが、少女はあっさりと首を縦に振った。
「龍之丞殿、こちらへ」
「……よろしいのですか?」
ついハーシェリク殿が問うと、少女はふわりと微笑む。
「はい。これからの話し合いに、この呪があっては不便でしょう。それにこの場にいる方々を信用いたします……これからのことを考えれば、言霊縛りの意味もなくなることです」
最後の彼女の妙な言い回しに、ハーシェリクは内心首を傾げたが、言及はしなかった。
龍之丞が進み出て、少女の傍で膝をつく。
少女は聞き取れない言葉を囁くと、人差し指と中指を彼に差し出した。指先には淡い光や宿っており、その指で龍之丞の額を触ると、彼の身体が一瞬だけ光り、収まった。
「これで言霊縛りの呪は解けました。ご確認を」
「オラン、タツ殿の舌を確認してもらっていい?」
舌には言霊縛りの独特の紋様が刻まれている。
立ち上がった龍之丞に、オランが近寄って口の中を確認すると、確かに紋様は消えていた。
「タツさん、クロについて教えてくれる? ……あなたが嫌なら強制はしないけど」
それはここに来る前に、話せなかった質問だ。そして今は、誰もが知っていること。
だが呪を解いたのが見た目だけならば、龍之丞がクロの正体を口にした瞬間、彼は死ぬことになる。彼女らが自分を偽ろうとするなら、この時点で決裂。
だからと言って、龍之丞の命を賭けることは、ハーシェリクの権限にはない。彼は兄の騎士なのだから。
しかし、龍之丞は躊躇なく口を開いた。
「ハーシェリク殿下の執事殿は、『月影』の者である」
そう龍之丞が言葉を発しても、何も起こらなかった。もちろん彼が死ぬこともなかった。
以前、クロ自身に問うたときは、『月の、影の者』と区切ったおかげか、彼の正体を確信できず断定しなかったおかげか、言霊縛りは発動しなかった。
龍之丞はこの呪が割と抜け道があることを、ある人のおかげで知っていた。その人はもうこの世にはいないが。
ハーシェリクは立ち上がり、少女――神子姫に頭を下げる。
「失礼しました、神子姫殿」
「いえ、的確な判断です。のちほど黒曜殿の呪も解除いたしましょう」
その言葉を聞いて、ハーシェリクは頷き、再度腰掛ける。
「ではなぜ、このようなことをしたのか、お話を伺っても?」
「単刀直入に申します。妾の第一の目的は、殿下のお命でした」
ハーシェリクの問いに、神子姫は明確に答えた。
次の瞬間、室内に複数の殺気が発生した。室温も十度くらい下がったかと錯覚するほどだった。
志狼がピクリと反応したが、それ以上行動を起こさなかったのが、賢明である。少しでも不信な動きをすれば、きっと彼の命までも取られなくとも、悲惨な状態になっただろう。主にシロの魔法で。
「皆、抑えて」
ハーシェリクは見ずとも解かる発生源たちを諌め、言葉を続ける。
「『でした』ということは、もう狙っていないということでいいですか?」
「はい、もう機を失いました」
機を失った。その意味が解らずハーシェリクは首を捻る。
暗殺に時が関係するのか。むしろ、それが露見した今、自分を含め全員を抹殺せねば、国と国との争いになる。それを避けるために、自分を郊外までおびき寄せたのではないのか?
「……ごめんなさい。全くわからないから、順を追って説明して貰ってもいいですか?」
明らかに矛盾していることに、ハーシェリクは考えることを早々に諦めた。説明してもらって、それで納得するか、わからなければ再度質問すればいい。相手にはその気があるのだから。
「もちろん。では、長くなるので茶を用意しましょう」
「はっ」
そう言って神子姫の指示通り、付き人がお茶の用意をする。
前世でいう緑茶と和菓子が目の前に用意された。
「ハーシェ、毒見を」
「クロ、必要ないよ」
執事が勝手でたことをハーシェイクは不要とし、緑茶を一口すする。
前世で飲んだお茶と近い味がした。もちろん毒など入ってはいない。
「私は、神子姫殿を信用する」
神子姫は己がそうであることを証明した。ならそれに応える必要がある。
「ありがとうございます」
ハーシェリクの言葉に、神子姫は深く一度深くお辞儀をしたのだった。
「では、なぜ、妾たちが殿下のお命を狙ったのかをお話しいたします」
神子姫が本題をきりだす。
「理由は、『神託』があったからです」
「神託、ですか」
王国では聞きなれない言葉に、ハーシェリクは首を傾げた。
「神託からご説明させて頂きます」
そう言って、神子姫は言葉を続けた。
曰く、神子姫、または神子姫の素養を持つ者は、特別な『瞳の力』を持っている。それは志狼たち『月影』の者と同じようだが、その性能は全く異なる。
「我々はそれを『神眼』と呼んでいます。主な力は『視る』ことです」
「見ること?」
ハーシェリクは首を傾げる。
「視力のことではないのです。この意味は、メノウ殿が一番お解りになられると思いますが」
ちらりと神子姫がメノウに視線を投げると、姉姫はびくりと肩を震わせて顔を伏せた。その様子に神子姫は、一度肩を竦めてみせる。
「妾の場合はこの場を動かなくとも離れた場所が視える『遠視』、魔力の流れが見える『魔眼』、この世ならざる者が見える『霊視』、人の心が見える『心眼』など視ることができます」
ただ個々の能力は、月影の者と大差はない、と彼女は付け加える。
神眼はすべての瞳の力の祖であり、歴代の神子姫には他にも個々に瞳の力を持っていたと。
「神子姫だけの瞳の力……それは。己、他人、国、そして世界の、過去、現在、そして未来を視ることできます。全てを見渡すことができる力が神眼であり、神子姫なのです」
ハーシェリクは息を飲む。ハーシェリクだけではない。陽国出身者以外の全員が、ハーシェリクと同じ反応だった。
神子姫は淡々と言葉を続ける。
「未来を視ること、また直感的に感じたり、降ってきたりすること……それらを妾たちは神からのお告げ『神託』と呼び、『天啓』として臣下に伝え、政を行います」
これが陽国の神託と天啓の仕組みです、と神子姫は締めくくり、茶器に口を付けた。その仕草はとても洗練されている。
室内に沈黙が満ちたが、それを破ったのはハーシェリクの魔法士だった。
「……つまり、あんたは魔瞳能力者ということか?」
「シロ、知っているの? 魔瞳ってなに?」
神子姫をあんた呼ばわりしていて、不敬だと一瞬思ったが、そのあたりは頓着しない彼なので諦め、ハーシェリクが問う。
シロは美しい顔立ちを、超難問を目にしたかのように苦い表情で、眉間に皺を作りつつ答えた。
「魔瞳とは瞳を媒介にした能力のことだ」
シロ曰く、魔瞳能力を持つ人間は希少だが皆無ではない。
獣人族のなかにもいるらしいが稀有な存在のため、まず表沙汰になることもない。そのため文献も少ない。
そして能力者の多くが、三つ子王子たちと同じように血脈による遺伝だと言われている、とシロは付け加える。
(アオの望遠能力も魔瞳能力のひとつか)
本人は親からの遺伝と言っていたが、クレナイに口止めをされていたので黙っていたハーシェリク。希少な能力なため、バレればアオの扱いがどうなるか、火を見るよりも明らかだった。
「ただ、神眼という性質は初めて聞く……いや、時に干渉する能力自体、初めて耳にしたが」
シロは胡乱気な視線を送る。その目は現実的にありえないし、本当の話ならこの場で暴露してもいいのか、という不審感からくる視線だ。
そんな視線を神子姫は微笑みで受け止めた。
「神眼は、初代神子姫様の血筋の能力です」
「その神子姫というのは、どんな人だったんですか?」
つい興味からハーシェリクが聞く。
「初代神子姫様は、英雄ふぇりすの仲間であり、聖女と呼ばれていた者でございます」
「ふぇりす……え! 聖人フェリス!?」
若干発音が訛っていたが聞き覚えのある名前に、ハーシェリクは目を丸くした。




