第十三章 王子と執事と真なる目的 その二
いきなりのことにクロが目を白黒させたが、ハーシェリクは言葉を続けつつ、再度手を振り上げた。
「私は怒ってる!」
そう言ってまた手刀を落とす。とは言ってもたかが子どもの腕力。痛みはほとんどないだろう。
「クロってさー!」
また一発。
「いっつも! 私に一人で抱え込むな! とか説教するけどさー!」
区切りをつけて三発。
「そういう自分はどうなの!?」
また一発。
前世でいうところのパワーハラスメントであり、普段のハーシェリクなら絶対にやらないことだ。
でもハーシェリクはポコポコとクロを叩く。
「別に! クロが言いたくないなら! 追及しないけどさ!」
段々と自分の手が痛くなってきたが、それでもハーシェリクはやめない。
「だけど! 解決できないのに! うじうじして付け込まれて! 報告! 連絡! 相談! は大切だって! 何度も言ったよね!?」
社会人にとって報告連絡相談はできて当然のスキルだ。できていれば例え誰かが失敗してもフォローができる。否、失敗する前に対策を練ることもできる。
結局クロは全て抱え込んで、どうすることもできず、こんな事態を陥ったのだ。
「お、おい、ハーシェ」
クロの頭をポコポコ叩く、あまりにも幼稚なハーシェリクの行動に、オランが見かねて声をかけた。
「オランは黙ってて!」
制止しようとする騎士に、主君は睨んで拒否し、ポコポコと叩くのをやめない。
「そりゃ私は子どもだし! 貧弱だし! 頼りないけどさ!」
ハーシェリクは、ただクロにだけ怒っているわけではなかった。
ずっと一緒にいたクロに、相談されない自分が不甲斐ない自分が許せなかった。
クロよりも自分への怒りのほうが大きかった。
「これでもクロの主なんだよ! 少しは信頼しなさい!」
はっきりと言い、ハーシェリクは手を降ろす。手の側面が痛かったし、クロにはさほどダメージを与えていないが、言いたいことは言ったし、少しはすっきりした気がした。
「だいたいクロが普通の密偵じゃないって、ある程度予想はしてたよ」
その言葉にクロは瞳を見開く。
ハーシェリクは、クロが普通の裏稼業の人間じゃないことは、察することができた。
一緒に過ごし初めて、すぐにわかった。彼の能力は、自己流というには洗練されすぎていたのだ。
情報収集能力だけではない。執事の業務も難なくこなし、王城の礼儀作法にも精通する。貴族たちからの評判もいい。
ただ腕っぷしのいい裏稼業の密偵というには、彼はできすぎるのだ。そんな人材が裏とはいえごろごろ転がっているはずがない。
どこかでそういう厳しい訓練を受けていた、と言われた方が納得するほどの能力なのだ。
(たぶん、ルークさんあたりは察してそうだけど……)
今回の件で、ルークが王国の番犬という裏の顔と腹黒いと知ったハーシェリク。きっと彼はクロの生い立ちを知らずとも、そのあたりを分っていてハーシェリクの筆頭執事につけたのだと直感した。
夜の内部監査や城下町へとお忍びのことが知られていたことも含め、すべて彼の手の上だったと思うと、ありがたいが少し面白くないハーシェリクである。
いつか見返してやろうと思いつつ、ハーシェリクは己の執事に言葉を紡ぐ。
「それに、約束したでしょ」
そう言って彼の頬に両手を添える。
それはハーシェリクが彼と出会い、この国を変えるための一歩を踏み出したときの馬車の中。
彼が自分に初めての『主従の誓約』の言葉をくれたときの約束だ。
『私より先に死ぬことは絶対に許さない。あなたが死ぬときは私も死ぬときだ』
「だから、私は絶対死なないし、クロをずっと信頼してる。だって私の初めての部下はクロなんだから」
ハーシェリクの言葉に、クロは泣きたいのを堪え、何度も頷いた。
なぜ自分がハーシェリクに惹かれたのか。その器の大きさに惹かれたとも思った。
自分の忠誠に足る人物だと思った。
でもそれだけじゃない。
彼は父親に似ていた。雰囲気も国のために己を犠牲にする精神も。
母にも似ていた。繊細で優しく包み込むような空気が。
弟にも似ていた。性格も屈託ない笑顔も。
全て自分が守れず失った者。だから無意識にそれを求めた。
次こそは守ろう。自分の命に代えても、守り抜こうと思ったのだ。
だがハーシェリクは守られることのみをよしとしない。ハーシェリクは自分も守ってくれたのだ。
やはり彼は、自分にとって『光』なのだ。
目の前の状況に理解が追い付かず呆気にとられていた志狼。
拾参番が王子を切り裂くことは、言われた通りだった。なのに自分の睡眼は破られ、王子は生きている。
さらに目の前で、王子が拾参番の頭を叩き続けるという茶番を目のあたりにし、常に冷静であることを訓練してきたにも関わらず、わなわなと苛立ちを抑えることができなかった。
「ふざけるな!」
そう声を大にして続ける。
「信頼しているだと? こいつは主を裏切ったのに? 殺されかけたのに?」
まるで怪物でも見るような視線を向けられ、ハーシェリクはクロの頬から手を離しながら、肩を竦めてみせる。
クロを操ってそう仕組んだヤツにそんなこと言われても、と呆れたが言葉にはしなかった。
「いろいろとツッコミたいけど、それは置いといて」
問題はそこではない。ハーシェリクは本題を突きつける。
「あなたたちの狙いは、私の命だったんだね」
瓢箪から駒のようなハーシェリクの言葉に、その場にいる全員が息を飲んだ。
「クロへの報復でもなく、メノウ姉上でもない。私の命が狙いだった」
あのとき、ハーシェリクがオランの前に飛び出そうとしたときだ。今までまったくクロに指示していなかったのに、あのときだけ彼は『やれ! 拾参番!!』と命令した。
拾参番とはきっとクロの昔の呼び名だと想像できた。そういえば執事になった当初、本名は知らないが、呼ばれていた名はあると言っていた。『影の牙』のほかに『拾参番』という意味もあったのだろう。
「こんなところに私をおびき寄せて、なぜ私の命を狙う?」
クロもメノウも、自分をおびき寄せるための餌。事を成したあと、手に入れることができれば幸運なのだろう。
なぜ、こんな手の込んだことをしてまで、縁もなにもない自分が狙われるのか、身に覚えがない。
「……計画通り、とはいかないが仕方なし」
冷静さを取り戻した志狼が、そう呟くと、部屋に隠れていたのだろう、黒い衣装を纏った者たちが音もなく現れた。
数は十人程度で、降りてきた階段は三人が配置されていて、逃げることは難しそうだった。
「黒犬、いけるな」
「ああ」
オランの言葉にクロが頷き、短剣を再度構えた。
「タツ殿は、二人を」
「承知ッ」
龍之丞がメノウを誘導し、ハーシェリクの傍まで来て太刀を鞘から引き抜く。
「ハーシェリク王子、そのお命、頂戴する!」
志狼の言葉に全員が、ハーシェリクたちに襲い掛かった。
「そこまでです」
あと数歩で刃が交わろうとするとき、静かな、それでいて凛とした女性の声が、響いた。
声量は大きくないのに、それでも全員の耳に届き、襲い掛かってきた者たちは動きをピタリととめる。
ハーシェリクが声のしたほうを見ると、陽国の使者一団にいた紗を被った女性たちがいた。
「これ以上は、無意味です」
「しかしッ!」
志狼は食って掛かるが、女性は首を横に振る。
「妾たちが関与できる分岐点は過ぎ、先が『視え』ました。もう一度言います。これ以上は無意味です」
女性の言葉に、志狼は数拍葛藤のように無言となり、やがて片手を上げた。それを合図に襲い掛かった者たちは、各々の武器をしまいその場で片膝をついて頭を垂れた。
きっと降伏の合図だろう。ハーシェリクも視線で、自分の筆頭たちと龍之丞に武器をしまわせると、女性と対峙する
「……あなたは?」
ハーシェリクの問いに、女性たちのうち中央にいた一番小柄の人物が前に進み出る。
「妾は陽国の主、『神子姫』と呼ばれる者です。ハーシェリク殿」
ハーシェリクはその言葉に明朗に彼女は答え、紗を取る。
黒い髪に白磁の肌、そして金の瞳の、メノウと同じくらいの可愛らしい顔立ちの少女だった。
「まずは場所の移動を。ここでは落ち着いて話せないでしょうし、着替えも必要では? お持ちになっているのでしょう?」
何を答えるか迷っているハーシェリクに、神子姫は微笑んでそう促したのだった。




