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第十章 疑惑と疑念と王国の番犬 その一



 ハーシェリクの筆頭騎士が放った台詞に、誰もが言葉を飲み込み静まり返る室内。

 その沈黙を破ったのはマルクスだった。


「オクタ、それは本当なのか?」


 頷くオランに、次に言葉を投げたのは次兄のウィリアムである。


「門番に確認は?」

「失踪がわかってすぐに門番に確認をとった。黒犬らしき人物が馬車に乗って町へと行ったらしい。黒犬が馬車で出かけるなんて珍しいから、門番の印象に残っていた。馬車の荷物についても、特に問い詰めなかったとそうだ」


 王族の筆頭であることが、人物の証明であり信用であり保障である。筆頭となる者は王族と同様に、検問にかけられず王城を行き来することができる。


(とはいっても、クロなら門など使わずに行き来することはできる。なんでわざわざ門を通り、目立つよう馬車を使った?)


 そこに引っ掛かりを覚え、ハーシェリクは考えを巡らせる。

 そのとき、オランが入室して開けたままだった扉から、別の声が響いた。


「さらに陽国の使者団の外交官以外の内、半数以上がいなくなっているようです。相手は隠していますが」

「ルーク殿?」

「断わりもなく、入室してしまい申し訳ありません」


 一斉に注目を集めたのは、国王の筆頭執事ルークである。

 視線を受けて、ルークはにこりと微笑みながら、丁寧かつ完璧な礼と謝罪をした。


「ルーク殿、今は私的な場所ですから畏まらずに」


 そう苦笑を漏らしつつマルクスが言った。

 王子たちにとって、幼いころから近くにいたルークは父の臣下というより親戚のおじさんという感覚が強い。多忙を極めていた父に代わり、なにかと動いていたのは彼だからだ。それはルークも同じで、公式的な場所でなければ、気軽に名を呼びあう仲である。

 ルークはマルクスの言葉に頷くと、若干姿勢を崩して口を開いた。


「まず結論から言う。今回の件で、大っぴらに兵を動かすことはできない」

「だろうな」


 すぐに同意したのはウィリアムだった。テッセリも兄に続いて頷く。


「先の戦の英雄の第七王子の筆頭執事と第二王女が消えたなんて、とんでもない醜聞だからねぇ。外に漏れたら最後、翌日にはメノウ姉上が結婚を嫌がってハーシェの執事と駆け落ちしたとか根も葉もない恋物語が王都中で語られるだろうなぁ」


(だろうなぁ。クロにアプローチしていた女の人たち、何人泣くだろう……)


 テッセリの言葉に、ハーシェリクも心の中で同意し遠い目をする。

 ハーシェリクの筆頭たちは貴賤や老若、そして城内城外関係なくモテるのだ。容姿は上等、地位も一等、収入も安定と、結婚相手として超優良物件である。


 とはいってもオランは亡くなった婚約者が忘れられず丁重にお断りしているし、シロは男女問わずモテるというよりは、美貌から崇められ遠巻きにされているというのが正しい。


 ただクロは二人と違う。彼にとって言い寄ってくる女性も貴重な情報源なのだ。それとなく言い寄る女性をうまく使って、多岐にわたる情報を集めてくる。

 恋愛は個人の自由だが、相手を泣かすことだけはしないようクロに厳命しているハーシェリクである。そのあたりの調整もうまいのがクロだが。


 きっとテッセリの言った噂が広がれば、多くの女性が涙を流すことになる、とハーシェリクが簡単に想像することができた。


(とりあえず、それは置いといて……)


 ハーシェリクは思考の海に沈んだ。

 クロの様子が少しおかしくなってから、今日までの様子を思い出す。

 少なくとも朝までは、いつも通りのクロだったはずだ。


 今にも唸りそうなほど、頭をフル回転させている末弟の横で、マルクスが眉間に皺を寄せながら、ルークといくつかの確認事項を言い合う。

 そしてそれが終わると、小さくため息を吐いて言葉を続けた。


「陽国が関わっているのは確実だろうが、表向きは否定するだろう。逆にこちらの不手際を追求するだろうな。ハーシェは執事についてどう思う? ……ハーシェ?」


 まったく発言をしないハーシェリクに、マルクスが首を傾げる。みると末弟は、視線を落しテーブルの一点を見つめたまま、考え込んでいるようだった。


「ハーシェリク?」


 愛称ではなくフルネームで呼ばれ、ハーシェリクははっとして視線を上げ、思考の海から浮上する。


「あ、ごめんなさいマーク兄上。考え事をしていて、聞いていませんでした……」

「ハーシェ、ちゃんとしろ。おまえの執事が関与している話だぞ」


 謝るハーシェリクに、ウィリアムが冷たく言う。とは言っても怒っているのはなく、普段から冷めた物言いをする。赤の他人ならばすくみ上る迫力だが、慣れているハーシェリクはただただ申し訳なく、兄たちに謝罪した。


「うぃる殿、そうあまり王子を責めずとも。いきなりのことですし、信頼していた執事に裏切られたのですから……」


 だが見た目子どものハーシェリクが、ウィリアムに怒られている構図が居たたまれないのか、龍之丞がハーシェリクを庇う。ちなみに彼は、やはり王国の名前の発音がうまくできず、許可を得て愛称を呼ばせてもらっていた。


「タツ殿、それはありえないです」

「はい?」


 龍之丞は言葉に首を傾げる。

 そんな彼に、ハーシェリクは彼の瞳を真っ直ぐと見据え、言葉を続けた。


「クロが私を裏切るなんて、空から太陽が落ちてくるという話くらいにありえない」


 断言するハーシェリク。

 もちろん根拠はない。だがそれだけは確信を持っていうことができた。あのクロが、自分を裏切るはずがないと。


 自信満々で宣言するハーシェリクに、なぜか場の空気が緩んだ。


「で、ルーク殿」


 黒曜が扇で掌を叩き、緩んだ空気を引き締めてルークを呼ぶ。


「お主がこの場に来るということは、我が娘がどこにいるか既に把握しておるのであろう?」

「え!?」


 黒曜の言葉に、声を上げて驚いたのはハーシェリクである。兄たちは互いに視線を混じ合わせただけで声を上げず、なにか察したようだった。

 それが解らず、ハーシェリクはルークや兄たち、黒曜の顔を見比べて首を傾げる。


「ハーシェリク殿下は、まだこの男の本性をわかっていないな。この男、妾が知るなかで一等腹が黒いぞ」

「コクヨウ様、酷い言いようですね」


 黒曜の言葉に、ルークは軽く肩を竦めただけだった。


「ほらみよ、腹が黒いことは否定しないぞこの男。そのもったいぶった言い方といい、一度その腹掻っ捌いて何色か確認してやりたいわ」

「黒曜殿、黒曜殿。側妃という身分なのですから、言葉遣いを気を付けてくだされ。あとどんな人間でも腹を捌けば赤いです」

「わかっておるわ! 一々煩いのう、龍は!」


 悪びれもしないルークに、黒曜は苛立ちからか閉じた扇を広げ扇ぐ。龍之丞はうっかり荒くなった言葉遣いを昔のように注意するが、火に油を注ぐ結果となった。


 娘が誘拐されて緊急事態だというのに、幼稚なやり取りをする大人たちに王子たちは苦笑し、呆れ、笑いを堪え、困るという各々の表情をするしかない。


 そんな空気を一人の男がぶち破った。


「あのー? そろそろ入ってもいいですかぁ?」

「え! リュンさん!?」


 その人物にハーシェリクが驚き名を呼ぶ。


「よう坊ちゃん。そして殿下方々」


 城下町一のモテ男(自称)がにやりと笑いながら挨拶し、兄王子たちにも一礼をする。


「どうしてここにいるんだ?」

「『仕事』ですよ」


 オランの問いかけにも、人を食うような笑みを浮かべたリュンが答えた。


「……なるほど、フェーヴル家の『番犬』か」


 マルクスが納得したように呟く。


「フェーヴル家の、『番犬』?」

「まだハーシェリクは知らなかったのか」


 首を傾げるハーシェリクに、マルクスが若干目を見開く。ルークに視線を向けて、彼が頷くのを確認してから、簡潔に説明をはじめた。もちろんこの場にいる者全員、口外を禁じると念を押して。


「ルーク殿のご実家のフェーヴル侯爵家は、裏で長年王国の諜報組織を統括しているんだ。表では出回らない情報を収集し、裏から王国を守るのがフェーヴル侯爵家の役割なんだ」


 それも王家と侯爵家の強固な信頼関係があるからこそ成り立つ。そのためか、王太子の筆頭たちのうち、一人はフェーヴル公爵家の人間が就任することが多い。

 マルクスの筆頭執事もフェーヴル公爵家の者である。もちろん強制ではなく、マルクスが選んだのだが。

 番犬の存在を知るのは王家、公爵家、一部の高官。もしくは裏に精通している者だ。


「どこの国でも同じようなものでござるな……」


 話を聞いて若干遠い目をする龍之丞。黒曜は知っていたのか、茶を飲んで我関せずの対応をしていた。


「でも……」


 言いかけた言葉をハーシェリクは呑みこんだ。

 なぜそのような組織があるのに、ヴォルフ・バルバッセの専横を許したのか、と。


 ハーシェリクの表情から悟ってか、ルークが苦笑いしながら、ただ瞳には悲しみを称えて答えた。


「ハーシェリク殿下の言いたいことは、わかります。情けないことですが、彼は当時のフェーヴル侯爵家当主よりも上を行った。ただそれだけです」


 王国の番犬は、国にとって重要な組織でも表沙汰にできない組織。

 当主が表でうまく立ち回れば、王都から遠い地方へと飛ばされることなどなかっただろうが、その上をヴォルフ・バルバッセが行ったのだ。


 狡猾なバルバッセに、当時の当主は身に覚えのない施策の失敗の責任を追及され、その時にはすでに外堀を埋められていた。

 諜報組織の力を使えば、フェーヴル侯爵家を守ることはできたかもしれないが、そうすれば組織のことが表沙汰になる。

 当時の当主は己の不名誉よりも、徹底抗戦はせず身を引くことにより、バルバッセの追撃をかわし、組織を残した。

 もちろんそこまでも、バルバッセの手の内だったのだろう。バルバッセ自身も、組織の重要性をわかっていて、それ以上の追撃はしなかったのだ。


 そして王国の番犬の存在は秘匿され、バルバッセの監視を逃れつつも、細々と活動を続けた。バルバッセの権力の失墜させるため、長年虎視眈々の狙っていたがそれは叶わず、いなくなった今は本来の『番犬』の仕事をこなしている。


「で、その番犬からの報告なんだけどー」


 はーいと片手を上げて、リュンが発言の許可を求める。ルークが頷くのを確認し、リュンは言葉を続けた。


「坊ちゃんの執事が乗った馬車は、途中で陽国の使者たちと合流。今は他の者が追跡しているけど、方向からして郊外の別荘地に向かっているようですよ」

「奪還や捕縛は?」

「無理言わないでくださいよ」


 ウィリアムの問いに、リュンは両手を上げて降参のポーズをとり、首を横に振る。


「俺たちはまあ一般人以上には腕が立ちますよ? でも俺たちの仕事は原則諜報活動が主で、坊ちゃんの執事には束になっても勝てないですよ。あと合流した陽国の人間も同類ですので無理です」

「情けない事を言う……」


 きっぱりと宣言するリュンに、やや芝居罹った風にルークが額を押えて首を振る。それにリュンはいい歳なのに頬を膨らめて抗議した。


「ならルークさんが行ってくださいよ。俺たち番犬は命が惜しいですからね。それにどんな情報も生きて持って帰らなくちゃ意味なしって最初に躾けられるんですから」


 リュンの言葉にルークは苦笑を漏らす。


『番犬』に入った者がまず教えられることは、戦闘訓練でも情報を聞きだす為の話術でもない。

 必ず生きて帰還するという『掟』だ。


 どんな重要な情報を得ても、帰還し報告せねば意味がない。もし相手に囚われれば、死体であっても諜報組織の存在について足がつく。掟があれば、冷静な判断をし、無理な深追いが制される。

 いろいろな意味を含めて、生きて戻ることが番犬の絶対的な掟なのだ。


 もちろん掟を破る判断をしなければならないときもあるだろう。だがその判断は個に任される。

 過去、その判断を誤まった者もいたが、いまだに番犬の存在が国民の多くに知られていないのは、その掟が守られているからだ。


 ハーシェからリュンと呼ばれるこの男は、その見極めがうまかった。ギリギリのところで危険を回避し、重要な情報を持ち帰る。組織でもその能力は三本の指に入る腕の持ち主であり、情報収集能力だけならば、ハーシェリクのクロといい勝負となるだろう。


「はあ……本当にお前は弁が立つな」

「お褒めに預かり光栄至極。言葉だけじゃ足りないので給金も上げてくださいね」


 わざとらしく片手を胸に置き深々とお辞儀をする男に、ルークはわざとらしくため息を漏らしたのだった。





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