第八章 大樹と親と子 その一
クロは十宮家当主、神無月と邂逅してから一週間、毎夜屋敷を訪れては内偵をした。
といっても既にばれている上、内偵の標的である当主が資料を万全に用意しているため、内偵というよりは監査となっているが。
(……特に、怪しいところはない)
帳簿も正確に記帳され、利益を隠している様子もない。武器なども過剰に保有してもいない。もちろん帳面上だけでなく屋敷内をつぶさに捜索し、隠し部屋も含め隠匿していなかも確認した。若干研究費用が嵩んでいるようにも思えたが、十宮の研究を常とし結果も出しており、例年通りの金額だったため、問題なしと判断する。
クロにとって怪しいのは、そんな十宮の内情よりも、目の前で家探しされているにも関わらず、悠々と茶を飲み、菓子を摘まんでいる当主の存在だ。
神無月はクロのやることには一切口出しせず、問われれば明瞭に答え、むしろ足りないものはないかと聞いてくる。さらには茶と菓子、時には軽食までも勧めてくる始末である。
そしていつも話しかけてくる。
他愛無い話から、政治に関することと話題は多岐にわたり、任務のため様々な事柄に通じているクロでも、話題についていくのにやっとである。
今日も席に着き茶を飲むクロに、神無月はいつも通りの口調で話しかけた。
「例えばとてもお腹が空いて死にそうだったら、君ならどうする?」
「食事を用意すればいいだろう」
クロは答えつつ、用意された菓子を摘まむ。
既に毒が仕込まれているという心配はしていない。生まれた時から少量の毒を摂取し耐性をつけた身体は、微量の毒なら無害だし、味が解かるほどの毒ならすぐにわかるし死にはしない。
それに、この当主がわざわざ毒を盛るなど考えるのは、馬鹿らしかった。
今日用意されていたのは、『まどれーぬ』というものらしく、茶とともに王国から作り方を教わってきたそうだ。
ふわふわとした食感は初めてのもので、クロはしげしげと観察する。
(陽国にはない菓子だ……どう作るんだ)
神無月の質問に適当に相槌を打ちつつ、意識は菓子のほうにむく。
(二拾四番が好きそうな菓子だな)
昔から甘い物が好きで、任務のついでに菓子を買いあさっては食堂で幸せそうに食べる彼の顔が思い浮かぶ。
そんなクロに、神無月は質問を重ねた。
「ではその食材が、手に入らなかったとしたら?」
「手に入らない?」
菓子から意識を当主に向けたクロに、神無月は頷いてみせる。
「干ばつや水害で飢饉になり、家畜も病気で死に絶え、川も海も魚の不漁。備蓄もなく、どうにもならない状態だとしたら」
「……他の領土に救援を依頼する」
多少諍いがある仲であっても、救援を断わることはしないだろう。それこそ神子姫様が許さないだろうし、自領が窮地に落ちいった時のことを考えれば、他選択肢は存在しない。
そう答えたクロに、神無月は言葉を続けた。
「では陽国全土でそうなっていたらどうする?」
その言葉にクロは眉を顰めた。
「この問いに何の意味がある。そもそも我が国がそんな事態になることなどない。神子姫様がいらっしゃるのだから」
神子姫の天啓により、国は何度も難を逃れた。それは人災だけでなく天災も含まれる。
過去、神子姫が翌年飢饉ため備えよと告げれば、各領で食糧が備蓄され、天啓通り飢饉が起き難を逃れた。
病が流行るため、薬の開発をせよと告げれば、国を挙げて特効薬が生成され、多くの命が助かった。
陽国は神子姫がいるかぎり、国難も難ではなくなるのだ。それがこの国の常識である。
クロの言葉に、神無月は苦笑を漏らした。
「じゃあ、神子姫様がいなくなったら?」
「……それは叛意か?」
クロの手には音もなく小刀が握られている。
神子姫がいなくなれば、国は混乱し傾くだろう。過去にあった内乱よりも惨事が安易に予想できる。だからそれを維持するための組織があるのだ。
神無月が言ったことは、神子姫を弑そうという風にもとれる。
身構えたクロに、彼は首を横に振って苦笑した。
「神子姫様を弑そうなんて思っていない。だけど、私は真っ当な疑問だと思っているよ。うかつに口に出すと、君みたいに言われちゃうけどね」
そう神無月は言うと、茶を一口含んでから言葉を続けた。
「私はね、昔からこの国の在り方に違和感を覚えていたんだ」
誰もが神子姫の天啓ありきの政治が当たり前だった。
天啓さえあれば、最小限の労力で最大限の効果を発揮するからだ。
例えば水害が起こる場所がわかれば、その場所さえ治水をすれば防げるし、避難も迅速にできる。
疫病も飢饉も、事前にわかれば対策がとれる。
内乱も芽を摘むことができる。
この国の政は、天啓が前提の政だ。
神無月は当主に着く前から、それに対して、言葉にし難い違和感を覚えていた。
他国には天啓が存在しない。
起こりうる全てのことを想定し、対策をしている。特に唯一の国交があるグレイシス王国は、内情はどうであれ、大国と称されるほどの政をしていた。
もちろん天啓のある陽国と違い、無駄になることも多々あるだろう。だがその分、次へと生かされ、付随して国力が増す。
それを知り、神無月は長年抱いていた、自分の定まらない違和感が形を成した。
「この国は歪んでいるんだ」
神無月ははっきりと言葉にする。
「何を……」
「神子姫様のお言葉は先を見通し、違うことはない。だが、神子姫様の天啓に縋り続け、成長せず停滞する陽国は、どうなる?」
クロの言葉を遮り、神無月は続けた。
「もし、神子姫様が急に身罷られたどうする? 次代の神子姫様を指名していなかったら? 神子姫候補がいなかったら? ……この国の舵取りは、一体誰がする?」
クロは神無月の言葉に、声を失った。
神子姫は陽国の象徴であり標。
神子姫は不老でも不死でも、神でもない。幼子はそう思っているかもしれないが、誰もが知っている。
時がくれば神子姫は次の神子姫を指名し、御隠れする。今まではそうであり、神子姫の座が空席になることはこれまでなかった。
神無月が言うことを考えたこともなかった。
「そう。君のように、この国の大半の人間は、それについて考えない。もしくは考えることさえ禁忌だと思っている。神子姫様は存在するという前提条件がなくならないと疑わず、そこで止まってしまっているんだ」
神無月は拳を強く握る。
「成長を止めた大樹はどうなる? ……やがて腐り、倒れ、朽ちる」
国民は葉。十二華族は幹や枝。そして神子姫は根。
根が腐れば、大樹は枯れる。
「私は、一人の女性に国の全ての責を背負わせ、それに胡坐をかいている今の状態が、正しいとは思えない」
もっとやるべきことがある、と神無月は言い、さらに言葉を続けようとする。
今までもよく喋る男だとクロは思っていた。だが今日はいつにもまして口数が多く、そして真剣なため、 クロは口を挟む事ができなかった。
「神子姫様を弑そうなんて、考えたこともない。いや、開国派の私たちほど、神子姫様のことを考えている人間はいない。保守派や日和見な中立派の輩よりもずっと」
「……どういう意味だ?」
最後は侮蔑の混じった声音で吐き捨てるように言った神無月に、クロは問う。
だがクロの問いに、彼は首を横に振った。
「その理由を、君たちが知ることはないだろう。知ってしまえば、揺らいでしまうから」
それだけ言うと、神無月は硬く握っていた拳を解き、急須に手を伸ばして己の茶器にお代わりを注ぐ。
その行動が先ほどの張り詰めた雰囲気とは真逆で、クロは息を吐くとともに肩の力を抜いた。
そこで自分が初めて、緊張していたのだと自覚する。
それを彼に悟られたくなくて、クロはわざとらしく肩を落とした。
「……あなたと話しをすると、疲れる」
うんざりした口調のクロに、神無月はクスリと笑う。
「それは、君が今まで自分で考えてこなかったからだよ」
「考えて?」
「そう、本来人とは考え、迷うものなんだ」
神無月はそう言って茶を飲みほして、茶器を手にしたまま、クロを指さす。
十二華族の当主として、あるまじき行儀の悪さにクロは眉を顰めた。
「だが君たちは、考えることも迷うこともない。そう昔から教えられてきたんだろう?」
「それはこの国のっ!!」
彼の言う通り、クロはそう教えられてきた。
従順に任務を遂行する。それが神子姫の、ひいては陽国のためになるのだと、ずっと。
クロだけではない。組織に所属する全員が、それを誇りに思い、誰からも感謝されずとも、過酷な訓練も命の保証もない任務も遂行している。
全ては陽国のために。
言葉にできないクロに、神無月は悲しそうな瞳を向け、指をおろし茶器を机に置いた。
「そう、君たちもこの国のために、自覚なく犠牲になっている」
断言する神無月に、クロは食って掛かろうとしたが、それを片手で制止し、彼は言葉を続けた。
「君や組織を責めるつもりはない。そうなるよう組織を作ったのは、この国であり、十二華族だ」
そして血反吐を吐くように、神無月は言った。
「それは私たち、十二華族の罪だ」
「何を……」
まるで断罪されることを望むような声音に、クロは動揺する。
その時、部屋の扉がゆっくりと開いた。
「……お館様、お客様がいらっしゃっているの?」
「ッ!?」
女性の声が室内に響き、クロはビクリと肩を震わせた。
(まずい、気がつかなかった!)
神無月との話に集中しすぎて、人が接近していることがわからなかった。
十宮家の任務を受けてから失態ばかりする自分に、クロは舌打ちをしたくなったが堪える。
そんなクロを隠すように、神無月が女性の前に立った。
「ああ、そうだよ。お前こそ、こんな夜更けにどうした」
「夜風に当たりたくなりまして……」
優しく問う神無月に、女性は儚げな声で応える。
顔が見えずとも、微笑んでいることがわかった。
「最近体調がすぐれないと聞いている。無理はするな」
「はい……それでお客様は?」
そう言って女性が神無月の肩越しにクロを覗いた。
その女性を見た時、クロの印象は声からの想像通り、儚げだった。
だがそれは病的にとつく。
触れれば折れてしまいそうなほど細く痩せており、月光に照らされている以上に肌は青白く、頬はこけている。それでも美しいことは変わらない。むしろその儚さが神秘的なものを醸し出している。
クロと彼女の視線が交わった瞬間、彼女が黒い瞳を見開き、大きく息を吸った。
「まあ……っ!」
そう声を上げると同時に神無月を押しのけてクロに駆け寄り、両手を広げると、己より少しだけ身長が高い彼の頭を胸に抱きかかえた。
「紅蓮っ!」
「っ!?」
女性は初めて聞く名をか細い声で叫び、クロはなにが起こったか理解できず、されるがまま。
いつもの冷静で冷徹な彼ならば、即座に振りほどき、彼女の喉を小刀で掻っ切っていただろう。だがクロは、なぜかそれができなかった。
女性に抱きつかれたことも、知らぬ名を呼ばれたことも、そして行動できない自分についても、その全てに混乱していた。
そんなクロに気づかず、彼女は彼の頭を片手で固定し、空いている手で黒い髪を撫でる。
「こんなに大きくなって……今までどこに行っていたの。母は心配したのですよ」
それは慈愛に満ちた声だった。
名と同様、初めてかけられた声に、クロは停止する。
女性はお構いなしに言葉を続けた。
「ちゃんと食事はとっていますか? 体は大丈夫ですか? 当分は屋敷にいられるのでしょう?」
細いはずと腕にがっちりと固定され、クロは目を白黒させる。
「……お前、紅蓮は仕事で神子姫様にお仕えしているのだ。無理を言ってはいけないよ」
質問にも答えることができずにいる彼に、神無月は苦笑をしながら女性……己の妻を諌めた。
「仕事にご執心なのは父親譲りね」
クロを抱えたまま、ふて腐れたように彼女は言う。
「希流も帰ってこないし、なぜこうも十宮家の男衆は仕事ばかりにかまけて……」
「そろそろ紅蓮を離しておやり。それからもう休みなさい。また体調を壊しては、紅蓮も希流も悲しむだろう?」
ぶつぶつと文句を言う妻を宥める神無月。
「ふふ、わかりました。では先に休ませて頂きますね」
夫の言葉に妻は微笑むと、クロを解放し、話しかける。
「紅蓮、明日の朝餉は食べていけますか?」
「……いえ、申し訳ないのですが」
だいぶ間を開けたが、なんとか応えるクロに、彼女は残念そうに肩を落とす。
「母に敬語なんて必要ないのですよ。真面目なんだから……お仕事、無理はしないでね。いつでも帰ってらっしゃいね」
そう言って彼女は「おやすみなさい」と言い、部屋を後にした。
彼女を見送った二人の間に、微妙な沈黙が続く。
「……あの女性は奥方ですか?」
先に言葉を口にしたのはクロだった。
神無月は彼の問いに頷く。
「ああ、私の妻だ……息子を二人産んだが、亡くなってね。心が病んでしまった」
つられるように最近は身体のほうもね、と神無月は付け足す。
それはクロも知っていた情報だった。
十宮の正妻が第一子を産後間もなく亡くし、翌々年にも第二子も亡くした。その時、心を病んでしまい、表に出ることはなくなった。国の公式行事も、既婚の当主たちが奥方を連れてくるなか、いつも一人での参加だった。
妻の状態では次の子を期待できるはずもなく、妾もいないため、正式な十宮の次代当主の候補はいない。とはいってもまだ当主は子が残せる年齢で、可能性は皆無ではない。子ができずとも、当主の弟の子を養子に迎えることも考えているようだった。
「長男が生きていれば、君くらいの年だ……すまなかった」
長男と次男を失ってから。現実と妄想の世界を行き来するようになった妻。
妻の中では、兄弟ともに本島で神子姫様にお仕えしているという設定になっているのだ、と神無月は説明をする。
特に気分を害したわけではなかったので、クロは首を横に振り、己の頬を撫でる。
まだ頬に彼女のぬくもりが残っている気がしたからだ。
月影に引き取られた子どもは、母親を知らない。もし母がいたらあんな感触だったのだろうか、とつい想像してしまい、首を横に振ってその考えを霧散させる。
そんなクロの頭の中が御見通しだったのか、神無月は吹き出し、彼に睨まれた。
「久々に妻の笑顔を見たよ。ありがとう」
そして神無月は表情を引き締める。
「さて、君の任務もそろそろ期日が迫っているだろう。上の報告は君の思った通りにすればいい」
「……俺が、あなたに不利な報告をしてもいいのか」
彼の言う通り、任務の報告期限は迫っていた。そして自分が調べられることも、なくなりつつあった。
彼に叛意はない。だがその思想は、国を否定する危険なものではないのか。
神子姫の存在を否定するような物言いをする彼は。
だがもしクロを騙し、謀反を起こす気があるならば、彼は何も話さなければいいだけだ。
わざわざ話したということは謀反を起こす気はない、となる。
だからつい、彼を試すような言葉を言ってしまった。
自分の報告の内容によって、彼は極刑になりえる可能性もあるのだ。
クロの言葉に、神無月はいつものように人を食ったような笑みを向ける。
「それを決めるのは、君だよ。考え、迷いたまえ」
その言葉にクロは沈黙し、いつものように背を向け窓から庭へと出て、そのまま闇に溶ける。
ただその心の中は、いつも通りではなかった。