1 もう、限界だった
「あー、あー、そこのお坊ちゃん!」
「……あ?」
呼び止められて、振り向く。
そこには……ナゾのピンクの物体。
「……」
「ちょっとだけお時間いただけますかねぇ?」
「……」
何だ、コレ……。
ピンクのウ●チだ。
ゴーグルをつけた、ピンクのウ●チが喋ってる。
ピンクのウ●チが、浮き輪に掴まって宙にふわふわ浮いている。
そうか……。
俺、ついに狂ったのか。
「あの~、聞こえてます?」
「……俺に、言ってんの?」
「そうですよ? えーと……」
ピンクのウ●チは浮き輪の中で何かゴソゴソすると、レシートのようなものを取り出した。
「シマダ、タクヤさん」
「えっ……」
何で俺の名前を知ってんだ、こいつ。
……ああ、そうか。コレ、俺の幻覚か。
俺が作った俺の幻覚だから、俺の名前を知ってるのは当たり前か。
「あのさ……」
「はい?」
「今……俺、取り込み中なんだけど」
「はぁ……」
「見て、わかんねぇ?」
俺の両手は、冬の冷気に晒された冷たい金属の柵を握っている。
俺の右足は、その柵を乗り越えようと、柵の上に乗り上げたまま。
俺の左足は、まだ屋上のコンクリートにかろうじて残されている。
「……とりあえず、この柵のアチラ側に行こうとなさってるのは、わかりますがねぇ」
「その先は?」
「この建物の外ですねぇ」
「……」
「で?」
「……つまりな、俺はこのビルから飛び降りようとしてんだよ」
「なぜ、また?」
「……この世から消えようとしてんだよ!」
イラッとして怒鳴ると、ピンクのウ●チはポン、と手を打った。
「――なるほど! だから上司はすぐにスカウトして来い、と言った訳ですね!」
「はぁ?」
上司? スカウト?
俺の頭は、いよいよオカシくなったらしい。
幻想が暴走している。
「いえね、我々ウンチャカ人、このたび、この『地球』を模倣して新しいゲームを作ったんですがね。データ収集のため、地球人を我々の作ったゲームの世界にご招待して1日過ごしていただき、感想を頂くというキャンペーンをただいま行っているのです。ワタクシ、この企画の責任者のテーヘンと申します」
ピンクのウ●チは一気に捲し立てると、チャッとお辞儀をした。
「はぁ……?」
「早い話が、この現実世界から消えられますよ、ということです」
「――えっ……」
テーヘンとかいうピンクのウ●チが、手に持っていたレシートを俺に見せてきた。
『シマダ タクヤ 地球年齢:15歳
容姿:73pt 頭脳:85pt 運動能力:82pt 運:12pt 252/400
内向性:32pt 外向性:85pt
思考:93pt 感情:82pt 直感:12pt 感覚:81pt 385/600
計:637/1000
外向−思考タイプBA・SP』
……何だ、コレ。
俺は右足をとりあえず柵の内側に下ろすと、テーヘンからレシートを受け取り、まじまじと見つめた。
「とりあえずご説明しますね。内向性は主観的なことに関心が向くタイプで、周りの意見に左右されない。外向性はその逆。自分以外への関心が強く、周りの意見に敏感なタイプということです。で、思考は理屈で考えるタイプ、感情は好き嫌いで物事を判断するタイプ、直感は文字通り直感的に判断を下すタイプ、感覚は五感、つまり見たり聞いたりしたときの自分の感覚を信じるタイプを表します」
俺に余計なことを考えさせまい、とでも思っているのか、妙に早口で捲し立てる。
「つまり、あなたは頭の回転が速く身のこなしもスマートですが、とにかく運が悪い。そのため自分の見聞きした情報を元に十分に考えた上で慎重に行動するものの、それは自分の感情とはかけ離れた行動であることも多く、心身ともに非常に疲れている」
「……」
「SP、とあるのは優先的にスカウトすべき人材につけられています。あなたの場合は、もともとは感情タイプだったのですが、後天的に思考が発達しました。……それも、急激に」
「はぁ……」
「この相反する2つの要素が高ptの人材は非常に稀で、我々のゲームの世界には向いています。そして――現実世界から消えたい、という願望を持っている人材のことです」
「え……」
俺は初めてまともに、テーヘンを見た。
……やっぱり、ピンクのウ●チだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
「俺……やっと、オカしくなったか?」
「はい?」
「狂っちまえばさ……楽になる、と思ったんだよ」
ふらりと、よろける。
足に力が入らない。膝から崩れ落ちる。
「タクヤさん?」
「何でもいいよ……。俺を、この世界から消してくれるなら」
自分の声が……わんわんとリフレインされ、頭の中に響く。
視界が――濁った紫色に変わった。