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未題  作者: のどごし10円
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未題

 雨が降っていた。

分厚い雲が、秋の夜をもう少し寒くさせる為に、

自慢の大きな雨粒を次々と送り出している。


雨粒達は暗い空を滑り、遥か下のアスファルトの駐車場を目指し、車の天井やガラスに勢いよく叩きつけられて飛び跳ねていた。


その駐車場の入り口から一番離れた暗闇。街灯の光が微かに届く車と車の狭い、狭い空間に人影が見える。


そこには、身を守るように小さく丸まり、上ではなく正面に傘を小さく開いて体を隠している男がいた。


雨粒は容赦なく男の髪を濡らし、首筋を伝い、男の体温を奪いながらワイシャツの一部となった。


男はじっと耐えながら、目の前に突き出した半透明のビニール傘に雨粒がべたりと張り付き、なんの迷いもなく次から次に流れ落ちていく一連の動作をじっと見ていた。


目が異様である。


近所の住人であろう遅い帰宅者の車が、その駐車場に明かりと共に入って来たのに気付いた時、びくり、と男の目に生気が戻った。


目的を持った瞳で息を細めて、半透明の傘ごしに、明かりがこちらに来ない事を願いつつ、男は時計を見た。


頃合いだ。といったふうに正面の傘を天へと掲げ、帰宅者が遠く離れたのを確認してから、駐車場を出て近くの公園へ向かった。


砂場と数本の樹が植えられただけの、芝生がまばらに生えた小さな公園に入ると、正面に傘をさした人影の塊が街頭のオレンジ色の光に照らされて見えた。

男は泥を跳ねながら小走りで近づくと 


雨音が飛び退く様な大声で人影に挨拶をした。


『お疲れ様です。』


『遅かったな。で、どうだったんだ。』


人影の中から男をねぎらうように声がかけられた


『申し訳ありません、雨の中走り回ったのですが、結果はありません。』


これは、ウソである。

男は夕方からずっと、あの人気のない月極駐車場の隅の隅に隠れていたのだ。


だがずぶ濡れの男を見て周囲の目は男を憐れんだ


『まぁ、今日は早めに帰ってゆっくり休め』


夜の深さも手伝ってか、普段は怒鳴り散らすリーダーも男をいたわっている。


先に戻ってきていたのだろう同僚達は乗ってきた車に向いながら男に優しい言葉をかけ、近況を伝えた。


『 風邪を引いちゃいけない。俺のタオルを使えよ』


『アイツは今日も一件、先に電車で帰ったよ。俺たちは全員タコさ、まあ明日も休日出勤になったからいつもの反省会も長くはやるまい。今夜は早めに帰れそうだな。』


早め、と言っても既に夜の10時である。

皆で営業用のバンに乗り込み、後部座席に居るリーダーが電話で今日の成績を上司に伝えている。


運転席で頭を拭きながら話を聞いている男は不甲斐なさそうな表情を崩さずに、自分の体に溜まった雨粒を絞り、また拭いていた。


リーダーは荷台に積まれた在庫を苦々しく睨みながら報告を続けている。箱の中身は浄水器だ。

営業成績は伸びず、チームは赤字続きである。

彼らはこれを売るために会社から1時間程離れたこの地域に来て、違法でありながらも深夜の営業をしていた。


リーダーの電話が終わり、男はタオルを固く絞ると感謝の言葉とともに持ち主へ返してワイパーのスイッチを下げた。



男は7度転職し、この仕事を初めて1年半になる、

彼も若い頃は多くの学生達がそうである様に、自分もいつかは選ばれた人達の様に振る舞う資格があるはずだと信じていた。


誰がいつ用意したのかは分からないが、多くの若者が目を輝かせて夢を熱く語る時にそこにいる。顔も声も知らない選ばれた人達。時が来れば自分もそうなるのだと。 


その後大学を中退し職を転々としながらも次こそは、次こそはと自分を奮い立たせていた。


やがて履歴書の職歴の行を増やすよりも、短期間で失った仕事を改竄して入力する方が手早くて利口だ、と気付いた頃には男はもう若者では無くなっていた。


一年半前の、入社時に灯した燃える様な気持ちはロケット花火の様に打ち上がり、曲がり、火薬を使い果たし落ちていくばかりである。

今ではちゃんと湿気っている。なんとか火をつけようと試みてはみたが、マッチが来ると水滴を伝播させて湿らすまで湿気っていた。



雨で滲んだ赤信号を、ワイパーがクリアにしていく。その直後にまた、ぬめり、ぬめりと雨粒が視界をぼやけさせるのを通して、男は信号が変わるのを待っていた。ブレーキを踏む靴からは雨が染み出している。


『アマカワ、お前は今日の反省会は無しだ。部長に許可を貰ったから俺たちを降ろしたらそのまま帰っていいぞ。』


『それとわかっているだろうが明日は出勤だ。体調を整えておけよ。』


風邪でも引かれたら面倒だ、と言う調子でルームミラー越しにリーダーが言った。



車が駐車場に着き、足元を気にしながら挨拶を交わすと、同僚達は商品の箱を大事そうに傘で守りながら会社へ戻って行った。


アマカワは申し訳なさそうにそれを見送り、黒く濡れたアスファルトを見つめながらとぼとぼと歩いた。

もう少し。もうすぐだ。と耐えている。

アマカワの心に突然。小さな、小さな感情が。遠いどこかから、かすかに。まっすぐに走って来るのを彼は感じた。こっちに来る。それはだんだんと大きくなりそこにあるのだと意識した途端。思わずアマカワに笑みがこぼれた。もう彼らからは見えなくなる。


アマカワは足早に道を曲がり、駅へと続く裏路地に入った。

次の瞬間に彼は仕事も、生活も、疲労も、明日も、寒さも、暑さも、濡れた下着を着ているのも、靴の中に残る水の不快さも、全てが今湧いた感情の炎によって焼き尽くされて灰すら残さずに消え去ったのを感じた。


火だけが残った。


アマカワの心は彼自身に映る世界を一変させた。


ひとけのまばらな繁華街は初めて夜を明かした十代の頃の様に輝きを取り戻し、振り続ける雨は命を増やす使命を持った様に平等に降り注ぐ。黒く光るアスファルトはそのステージの足元を照らし音響までも見事につとめている。


アマカワは急に自信に満ち溢れ傘を投げ出したい衝動にかられながら、何かに急かされるように、一秒でも早くといった動作で携帯を取り出し電話をかけた。


佐川急便 ドライバー 


薬物の売人だ。もちろん偽名で登録してある。

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