01 『その日は僕にとって特別な日になった』
「汝は、如何なる時も新たなる道を指し示し、進む事を誓うか?」
「……誓います」
それは、揺るぎない誓い。
誰でもなく、自分自信に誓約する。
「汝は、降りかかる災難を振り払い、幾たびも立ち上がる事を誓うか?」
「……誓います」
それは、確固たる意思。
どんな逆境に立たされようとも、決して諦めない。
「汝は、世界の真理を解き明かすために生涯を捧げる事を誓うか?」
「……誓います!」
それは、望むべく決意。
未開の地図を行く、僕の歩く道。
「よかろう。ならば面を上げよ」
「はい!」
僕は俯いていた顔を、ゆっくりと引き上げる。
目に映るのは、大賢者。フレデリック=ガレル様の聡明な、お顔だった。
真っ白の髪に、長く白い髭。
緑碧の双眸には年齢を全く感じさせない、力強い光を感じる。
大賢者様はコクリと頷くと、僕の眼前に腕を伸ばし手のひらをゆっくりと広げた。
途端に暖かい陽の光を連想させるような、巨大な魔法陣が姿を見せる。
どこまでも雄大で、壮大な魔法陣。
僕は、あまりにも綺麗な魔法陣の紋様に思わず、見惚れてしまう。
魔法陣は、幾何学的な動きを見せると一際強い輝きを放った。
視界に、細かな光の雫が舞い降りる。
それは全てを癒し、祝福するかの様な優しい煌めき。
僕は光の粒が織りなす、どこまでも幻想的な光景に、ただただ心を奪われた。
大賢者様が、そっと手を差し伸べる。
そこには誰が見ても芸術品としか思えない、精巧にして緻密な装飾が施された懐中時計が握られていた。
「受け取るがよい、ルーシュ=ルシウス。汝に賢者の資格を与える」
その言葉を聞いた時、僕の頬を涙が流れる。
とんでもない、自分には恐れ多い称号だと思う。
「これは夢だよ」と、誰かに横から言われれば「ですよね」と、素直に言ってしまうと思う。
それ位、自分でも信じられない見に余る名誉。
限られた、選ばれし者にしか与えられる事のない証明。
僕の追い続けてきた夢だった。
ずっと憧れていた、賢者と言う名の頂。
頂点ともいえる位置に僕はようやく届いた。
なんとも言えない感情の渦が、形になって溢れる様にポタポタと地面を染める。
「あ……ありがとうございますッッ!」
あまりの嬉しさに声がうまく出ない。
嗚咽に混じった情けない声が、広い聖堂内に響き渡る。
僕はゆっくりと、手を伸ばし王賢者様から懐中時計を受け取った。
「よくやった、ルーシュ=ルシウス。お主は、賢者協会が設立されてから五百年という長きに渡る歴史の中で、僅か齢十二にして賢者の資格を手にした史上最年少の賢者じゃ。儂は実に誇らしく思う。お主の能力は見事としか言いようがない。これからも、その才能に決して驕る事なく、更に研ぎ澄まし、いずれ世界の真理に到達する事を信じておるぞ」
「ーーはい!」
その日は僕にとって、特別な一日になった。
これから始まる。ここから僕の賢者としての生き方が、あり方が始まる。
賢者として恥じる事なく、誰からも尊敬されるような、立派な賢者になれるように生きて行く。
賢者になることが目的じゃない。大切なのは賢者になった後、どう生きるかだ。
誰かに手を差し伸べ、世界の謎を解き明かし、真理を追い求める。
そして、他の誰でもない。僕にしか出来ない事を新たに創造する。
僕は、自分自身に誇れるような賢者になりたい。
強く、強く、自分の心に誓った日だった。
けれど、賢者の資格を得てから数ヶ月が経った『ある日』。
その日を境にーー『僕は、魔法が使えなくなった』
→
世界は、ありとあらゆる謎と可能性で満ちている。
蠢く怪物に眠る財宝。踊る美食に謎の迷宮。古代の遺跡に伝説の幻獣。夢の秘境に未踏の魔境。
そんな未知という名の真理に、心を奪われた人たちがいた。
その中でも、常人の及ばない領域に悠然と足を踏み入れる超人が存在する。
あらゆる知識を備え、あらゆる魔法を使いこなし、あらゆる技術に精通する。
どこまでも気高く聡明な人たち。その人たちは、世界中から賞賛の意を込めて『賢者』と呼ばれていた。
世界に於いて、賢者の名は絶大な効力を発揮する。
それは、数多の難関を潜り抜けた、選ばれし者にしか名乗る事が出来ないからだ。
賢者は資格制。その資格は、あらゆる資格の頂に位置すると言われている。
なぜなら、世界で一番受験者の数が多いと同時に、世界で一番合格者の少ない試験だからだ。
過酷な試練を突破した者だけが、賢者の資格を得る事が出来る。
世界において賢者の資格は、驚く程に凄まじい効力を発揮する。
ありとあらゆる国家や組織を大きく上回る規模と信頼性を持ち、選ばれし賢者のみに与えられる、懐中時計が示す絶対的権限は、一国の王と同様。または、それ以上。正に、地位と名誉を兼ね揃えた偉大な資格なのだ。
どうして、そんな事を唐突に説明しだしたかと言うと、何を隠そう。
僕もそんな賢者の一人だからだ。
莫大な権力を持っていても、世の中に理というものが存在している。
いくら世界に賞賛される賢者だとしても、抗えない理は世の中に沢山あるのだ。
「てめええええ!! 待ちやがれ!!」
「いやあああぁぁぁあああ!!」
僕は、絶叫を撒き散らしながら走っていた。
仮にも、世界から尊敬される賢者だけれど、めちゃくちゃ逃げていた。
後ろからは如何にも強面な顔をした、お兄様が血相を変えて追いかけてくる。
曲がりくねった道を、あちらへこちらへ。命からがら逃げ続ける。
「ちょこまか、ちょこまか逃げやがって! 逃げきれると思ってんのか!」
「思ってないです! 思ってないですけど、今日は、許して下さい!! 本当に勘弁してください!」
「許すとか、そういう問題じゃねえだろうが! おとなしく止まりやがれ!」
「いやだああああ!! 理不尽だああああ!!」
理不尽。この世界は理不尽でできている。
世界の真理はきっと理不尽で、できていると言っても過言じゃないぐらい、理不尽でできていると思う。
もう、絶対間違いじゃないと思う。だって、どうして僕がこんな目に!
「止まらないと、どうなるか分かってるんだろうな! 待ちやがれえええ!!」
「これ以上、どうにもなりませんからああああぁぁぁ!!」
泣き声を喚き散らしながら必死で走り抜ける。捕まれば終わり。終焉が待っている。
今だけは、今日だけは、絶対に捕まるわけにはいかない。
「!?」
路地の先に映った姿に驚き、僕は強引に足を引き止めた。
靴底が勢い良く地面に接触し、少なからず土煙が舞い上がる。
「……あはははは……えっと、その……今日もなんていうか……素晴らしい筋肉ですね……」
前に現れたのは……逞しい体つきをした、お兄様Bの姿だった。
僕は引きつった笑みを浮かべながら、一歩、二歩とゆっくりと後ずさる。
そのまま十字路が交差する位置まで戻ると、左右に目を向けた。
映った光景を前にして、思わず背筋に寒気が走る。
「ぐへへへへ……逃がさねえぜ!」
左側に強面のお兄様Cが現れた。
「ぐへへへへ……諦めるんだな!」
右側に強面のお兄様Dが現れた。
最悪の場面。最悪の展開。最悪の状況。額からツーっと嫌な汗が流れる。
僕はゴクリと喉をならし、ゼンマイ仕掛けの人形の様にカクカクカクと後ろを振り向く。
「こいつ……はぁはぁ……手間を取らせやがって……はぁはぁ……」
強面のお兄様Aが現れた。
現れたというより、逃げるのに失敗した。
僕は声を震わしながら背後から、ゆっくりと間合いを詰めてくるお兄様Aに声をかけた。
「あのー……その……今日はどうか勘弁してもらえないでしょうか?」
「ああ? そいつは、無理な相談だな!」
「ああああああああ!!!!」
→
「うう……ううぅぅ……」
結局、僕は逃げ延びる事叶わず、お兄様ABCDに捕らえられた。
残酷な光景そのものだと思う。
持っていた鞄を剥ぎ取られ、体の隅々まで弄られ、強奪された。
端的に言って、有り金の全てを奪われた。
靴の底に隠していた、緊急時のお金まで奪われた。
「そんなに泣くなよ。他の奴らがみたら、まるで俺らが悪者みたいに見えるだろうが」
お兄様Aは、僕の鞄の中から抜きだした、お金を数えながら口にする。
見かけは極悪人っぽいけれど、お兄様方は決して悪者じゃない。歴とした商人さんだ。
商人にしては、強面すぎる気がするけれど、商人組合に籍を置く、立派な社会人。
「ううう……それは、そうですけど……」
「こちらとら、商売第一なんでな。恨むんなら、お前さんの師匠を恨むんだな。噂はしっかりと流れてきてるぜ。なんでも、北の大陸で美女100人を集めて、飲めや歌えやの大宴会。最高級の美酒を浴びるほど飲んで美女の心を根こそぎ刈り取って他の地に向かったって噂だ。はぁー……羨ましいったらないぜ。俺も一度でいいから、そんな遊び方してみてえよ」
「……び、美女100人の宴会に、最高級美酒ですか……」
開いた口が塞がらない。一体全体、どこの王族の話だ。
自分の体からガックンガックン! と凄まじい勢いで精神力が削られていくのが解る。
「おうよ。まあ、お前のお師匠さんの通った後にはペンペン草も生えないって噂だからな。お目にかかった事はないけど、さぞ色男なんだろうな」
「………………」
その言葉を聞いて、完全に声を失った。
彼此、二年ほど見ていない師匠の姿が脳裏に浮かぶ。
師匠……それは、僕が賢者になる前に弟子にしてもらい、教えを乞うた恩人だ。
僕が師匠に初めて出会ったのは、八年前。六歳の時。
そこから色々な出来事があって、僕は直ぐに師匠の弟子になった。
師匠と居た期間は約六年。最早、育ての親といっても過言じゃないのかもしれない。
師匠の名はクロス=アンセム。
知る人ぞ知る高名な賢者の一人。
師匠には感謝してもしきれないけれど、賢者になった今だからこそ、言える事がある。
今までずっと言えなかったけれど、今ならはっきりと言える。
あの人は、最低の賢者だ!!
もう、ぶっちぎり最低ランキング単独首位!!
人として、ありえない鬼畜で傲慢で最悪な人間だ!!
弟子になった時から、僕の地獄は始まった。
正直に、どうして今も命があるのかわからない。
もう、何百、何千、何万、何億回と死にかけた。
というか、一、二回。いや、五、六回は死んだ気がする。
あれ? そういえば僕、どうしてまだ生きてるんだろう?
世の中、不思議な事が多いと思う。
ーーある時は、何の前触れも無く、崖から蹴り落とされ。
ーーある時は、迷宮に鎖で縛られたまま放り込まれ。
ーーある時は、つまらんから、酒の肴に踊って見せろと剣を向けられ。
ーーある時は、あっさりと、僕を賭けの代償に支払い。
ーーある時は、ある時は、ある時は、ある時は……。
「増えた今月分の集金は、これで良しとしといてやるよ。なんたって新しい借金のおかげで、利息が増えたからな。で、これが噂の北の商人組合から回ってきた、お前さん宛の請求書。見たこともねえ額だけど、きっちりと返してくれよな」
お兄様Aは恐い笑みを浮かべながら、僕に向けて紙の束をドサッと渡してきた。
明らかに請求書の重さじゃない。
請求書っていうよりは、一冊の本だ。
それも、薄い本じゃない。賢者が書き綴る魔導書と同じくらいの分厚さ。
ワナワナと手が震える。この手の震えは、紛れもない恐怖。
僕は、恐る恐る、とんでもない分厚さの請求書に目を落とした。
落とす……。
落と……す…………。
落……と…………。
落…………………………。
「お、おい! 大丈夫か! しっかりしろ!」
「え……? ああ、すみません……。ちょっと見たこともない数字の桁に気を失ってました」
「気を失うって、お前! 口から、こう、なんか出てきてたぞ?!」
「はい……。なんていうか、綺麗なお花畑が見えた気がします。あっ、でも大丈夫ですよ。見慣れてますから……あはははは……」
「お、おう……。よくわかんねえけど、よくも、まあこんだけ金使えるんだって思うよな。俺にはちょっと想像もつかない額だ。なんていうか、気を落とすなよ」
「そうですね……今更、借金がいくら増えようと、同じですよね……」
「あ、ああ。よくわかんねえけど、お前さんなら大丈夫だろ? なんたって、史上最年少の賢者様なんだからよ。まあ、あれだ。次は逃げずにちゃんと払えよ! じゃあ、またな」
賢者になってから二年の月日が流れた。
僕は、世界の真理を探究する為に賢者になったはず……。
それなのに……それなのに……。
今の僕は、師匠の借金を肩代わりするという地獄のような生活を送っている。
「んんんなああああああああああああああーーーー!!!!」