球技大会5
「ねぇ……ここ、座ってもいい?」
「え……っ?」
俺が許可を出す前に、凛は小さくスプリングが軋む音を響かせベッドに座った。
「ねぇ……」
「お、おう……?」
な、なんだなんだ!?
凛からわざわざ部屋にまで来て、この雰囲気は──まさか息子のことがバレてたのか!?
「あ、えーと……その、だな凛。あれは男として仕方のない──」
「奏は……」
「え──」
凛は俺の弁明中の言葉がまるで聞こえていなかったかのように遮った。
「奏は──あたしのことが、嫌い?」
「は、はぁっ!?」
俺はあまりに突拍子もない質問にバカみたいな声を出してしまい、口をあんぐりと開けた。
「だ、だって奏ってば、結衣とあや姉にバカみたいに鼻の下を伸ばしちゃってさ」
「伸ばしてない伸ばしてない! だいたい、うつ伏せなんだから見えるわけないだろ!」
「わかるもんっ! ──あたしには、わかるもん……」
凛は俺の目の前に身を乗り出す勢いで顔をグイッと突き出し叫ぶと、また戻り、ぼそぼそとつぶやいている。
ん~、こういう時になんて声を掛ければいいのかよくわからないけど、とりあえず、俺は凛のことが嫌いじゃないことを伝えないとな。
「凛、俺はお前のことが好きだぞ?」
「なっ!?」
「凛は可愛いし勉強も運動もできるし、自慢の妹だぞ!」
俺はグッと親指を立てた。
「な、ななな、なに言ってんのよ!? と、突然好きだなんて──ただ嫌いかどうか聞いただけなのに……」
凛は顔を真っ赤にしながら叫ぶと、今度は俯き、先程みたいになにやらつぶやいている。
「たしかに、もう少し素直になればいいと思うときもあるし、胸ももう少し欲しいとは思うけどさ──それでも俺は凛が好きだ……ぞ?」
あれ……? なんで凛のやつ拳なんて握ってるんだ?
心なしか同じ赤色なのにその意味が違う気がするし。
あー、えーと、これはあれだな、うん。殴られるパターンだな。
っておいおいおい! せっかくマッサージしてもらって疲れを取ってもらったのに、マッサージした本人にダメージを与えられてれば意味がねえじゃねえか!
仕方ない、緊急的手段だ!
「許せ、凛!」
「えっ? ──きゃっ」
俺は拳を封じるため、バッと布団で凛を包み込むように──包み抑えるように、のほうが正しいかもしれないが──抱きついた。
「ちょ、奏!? な、なにしてんのよ!? 離れなさいよ!」
「嫌だ!」
「い、嫌だって……」
「今離したら、絶対俺を殴る気だろ!」
「殴んないであげるから、早く離れなさいよ! ──じゃないとあたしが恥ずかしくて堪えれないわよ」
ん? 今日の凛はよくぶつぶつつぶやくな。
友達がいなさすぎて、独り言が増えてるのか?
それはそれで兄として凛のことが心配だが、今は自分の心配だからな。
「いい加減に──しなさい!」
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
ジタバタと布団の中で暴れる凛は渾身の力を込めたのか、俺は耐え切れずに凛を抱いたままベッドに倒れ込んでしまった。
「痛たたた……大丈夫か、凛?」
俺は頭を抑えながら聞く。
「え、う、うん。大丈夫」
俺は閉じていた目をゆっくりと開ける。すると、眼前に頬を紅潮させている凛の顔があった。
その距離僅か数センチ。
俺の額に凛の垂れ下がっている前髪が触れるほどの近さだ。
「…………」
言葉を失う俺。
えーと、これはどういう状況だ?
冷静に1つ1つ把握しよう。
俺は布団に包まれている凛と一緒に倒れた。
俺の眼前には、瞳に俺が映っていることが視認できるほどの距離で凛の顔がある。
俺の背中には確かにベッドの感触がある。
つまり俺の上に覆い被さるように凛が乗っているわけか。
それもうまい具合に凛を包んでいた布団が広がって、俺が寝ているところに凛が乗っかってきたかのようだ。
これではまるで、俺が凛に夜這いをされている図じゃないか!
だからといって何とかしようと少しでも動けば、凛とキスをしてしまいそうだしな。
そんなことをしたら確実に殺されてしまう。
危険だ。とても今の状況は危険だ。
「……奏……」
と、俺がどうやってこの状況から抜け出そうかを思案していると、少しもさっきから動こうとしない凛が話しかけてきた。
「ど、どうした?」
「……奏……──ううん。お、お兄ちゃん……ホントにあたしを好きなら、このまま一緒に寝てもいい?」
お、お兄ちゃん!? 凛がお兄ちゃんだと!?
凛が俺をお兄ちゃんって呼ぶのなんて、何年振りだろう。
それに、こんな風に甘えてくるなんて。
俺は眼前にある凛を改めて見る。
頬は紅潮させ、瞳はうるうると潤んでいる。その瞳には俺が映っていて、少し気恥ずかしい。
桜色の唇は僅かに開き、そこから微かに漏れる吐息が俺の頬を撫でる。
俺は衝動的に抱きしめキスをしたくなったが、瞬間ギュッと目を瞑り、なんとか理性で寸前で留まった。
「ああ、いいよ」
「ん、ありがと……」
そう言うと、凛は密着したまま俺の身体からスルッと左側に滑るように移動し、腕と左胸の間ら辺に顔を埋めた。
なんてことだ! 期せずして夢にまで見た腕枕になってしまった!
リアルでの腕枕なんて、彼女がいなければ絶対に出来ないと思っていたけど、まさか妹でそれが叶うとは。
「あっ、お兄ちゃんの心臓の音が聞こえる」
俺は気恥ずかしくなりながらも、すぐ左にある凛の顔を、僅かに顔を動かして見る。
俺の鼓動を聞きながら、それを子守唄替わりのように聞いている凛の表情は、とても柔和な顔をしていた。
そんな幼子のような凛の顔を、一体どれくらいの間見ていたのだろう。
──ただひたすらな静寂。
そのうちに凛は、すーすーと可愛らしい寝息を立てて眠ってしまった。
これは頭を撫でるくらいはしてもいいのだろうか?
いや、以前凛と2人で遊園地に行った時はいろいろあって誤魔化すことになってしまったが、あの時できなかったことを今なら容易くできるな。
実行してしまおうか。いやでもしかし、隣で無防備に眠っている妹にあんなことをしてもいいのだろうか。
否、ここでしなければ男ではない!
よーしいくぞぉ! と俺は内心で呟きつつ、自由に動かせる右手をそろそろと凛に向かって動かす。
そう、俺はあの時邪魔が入ってしまい結果的に誤魔化すことになってしまった──凛の胸を揉むという行為を、今再チャレンジしようとしているのだ。
指先に全神経を集中させ、そろそろと慎重に凛の胸に動かしている間にあることに気がつく。
現在凛は俺の腕の付け根辺りに顔を埋め、身体の右側面がベッドと接している。もっと言うなら左側面は天井を向いているわけだ。
つまり何に気づいたかと言うと、凛の体勢的に──左胸しか揉めないのだ!
右胸は、抱きついて寝ているから自然俺に当たっているわけだ。つまり触れているが触れないという変な状態。
まあでも、俺も右腕1本しか自由は利かないわけだからよしとしよう。
と俺は加速した脳内で素早くそんなことを考えているうちに、凛の胸まであと5cmとまで迫った。
──その時。
突然タンタンタンという、誰かが階段を上ってくる足音が俺の耳に伝わった。
やばい!? この軽快な上り方は──
俺は慌てて右手を急停止させ、その手を布団の中に突っ込む。そして目をギュッと強く閉じ、あたかも寝ている風を装った。
直後、バタンというドアの開閉音と共に予想通り結衣の声が響く。
「お兄ちゃ~ん! なかなか降りてこないから結衣さん様子見に来たよぉ! ……って……え、これはどういうことなのかな……?」
俺と凛は結衣から見たら仲良く2人で寝ているように見えているはずなので、後半の言葉は誰かに向けて言ったものではないはずだ。
俺は結衣に気づかれないように右目を薄らと開け、結衣の様子を確認する。
すると結衣は何かに取り憑かれたかのように、右に左にゆらゆらと揺れながら、まるで一歩一歩に全体重を預けているような歩き方でゆっくりと近づいてきていた。
「お兄ちゃん……結衣ですら今まで我慢してきたのに……先に凛と一緒に寝ちゃうなんて……」
ゆらゆらとゆっくり近づいてくる結衣の瞳にはすでにハイライトが消え失せ、焦点がどこに向いているのかがわからない。
一歩一歩近づく度にカクンカクンと左右に揺れる頭に合わせて、髪もゆさゆさとなびく。それが実に恐怖心を仰ぎ、俺は今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆り立てられた。
どうしよう。どうしたらこの危機的状況から脱せるだろうか。
いっそのこと起きてしまおうか。いや実際は起きてるんだけれど。
バフ……ッ。
俺が打開策を思案しようとちょっと目を閉じた隙に、俺の右隣に何かが乗っかる音が鳴る。
恐らく結衣なんだろうけれど、それを確認するのが怖い。
「お兄ちゃん……結衣も一緒に……」
そう耳元で微かに結衣の声が聞こえた直後、ギュッと腰の辺りに腕を回される。
いくら布団越しとはいえ、両側から美少女の妹2人に抱き着かれ続ければ、俺はもう理性で衝動を抑える自信がないぞ!
──すると突然、ドアをノックする音が鳴るのと同時にあや姉の声が響いた。
「奏君、凛、結衣、みんなそこにいるの? もう30分も経つし私も様子を見に来たんだけど……」
ドアの開閉音。
と同時に言葉に詰まるあや姉の気配。
「ちょっとみんなでなにしてるの!? ──私1人除け者みたいにして……」
もちろん今あや姉が話してることは客観的に見れば独り言だ。なぜなら結衣の時と同様で、俺たち3人はあや姉から見れば仲良く眠っているように見えているはずだからだ。
「──ってそうじゃなくって!」
また独り叫ぶと、ドシンドシンと近づいてくるあや姉。
いや実際にはスリッパを履いてるみたいだし、そんな音は鳴り響いてはいないんだけれど、俺の気持ち的にはそう表現するのが正しい気がする。
ベッドのすぐ脇、結衣側にまで近づき立つと、あや姉は仁王立ちよろしく勢いよく両手を腰に当てる。
「みんなが寝ているなら、今日の夕御飯は私が作りますからね!」
そんな姿勢から発せられた言葉は、とんでもない爆弾発言だった。
「あや姉それは待って!」
「ちょっとストーップ!」
「ダメだよお姉ちゃん!」
俺は、いや俺たちは一斉に飛び起きると俺、凛、結衣がほとんど同時にそれぞれ叫び止めにはいった。
あれ? 2人とも起きてたのか?
「お姉ちゃんちょっと待って! それはあたしたちがやるから!」
「そうだよお姉ちゃん! 結衣たちがやるからお姉ちゃんはゆっくり休んでなよ!」
凛と結衣がそれぞれ早口に言うと、素早くベッドから降り、一目散に部屋を出て階段を駆け降りていく音が響く。
その2人が出て行って開け放たれたままのドアを眺めながら首を傾げたあや姉は、俺の方へ振り返ると「どうしたの?」と聞いてきた。
俺はそんなあや姉に微苦笑で応えてあげることしかできなかった。