復讐とテストと転校生
7月中旬。
桜蘭高校の球技大会は、終業式当日と前日の2日間で行われる。2日目の球技大会終了後、表彰と終業式を同時に済ませるわけだ。
だけどみなさんお忘れではないだろうか。その前に重要なイベントがあることを。
「はーい、みんなわかってると思うけど、期末テスト1週間前ですよー」
「嫌なこと思い出させるなよみっちゃん!」
「で、でも言わなきゃみんな球技大会に浮かれて、勉強しっかりしないでしょ?」
みっちゃんは少しおどおどしながらも正論を言ってきた。
そうなのだ。この時期になると体育の時間も球技大会の練習になり、学校全体が球技大会の雰囲気でテストなんてまるでないかのようなのだ。
そしてもう1つ。
他のクラスに1週間くらい前からアイドルが転校してきたらしい。
俺は未だに見たこともないし興味もないけど、他のみんな、特に男子共はその娘を一目見ようと毎日そのクラスには人だかりができているみたいだ。
リアルのアイドルなんてクソゲー以下だというのに。
「と、とにかくみんな勉強をしっかりしてください!」
そう言うとみっちゃんはスタスタと教室を出て行った。
逃げたな。
朝のホームルームが終わり、俺は昨日深夜までエロゲをやっていて寝不足なので、授業が始まるまで寝ようとすると、
「藤森くん」
西園寺がやってきた。
「なんだ西園寺か」
「なんだってなによ」
「特に深い意味はない。ちょっと寝不足なだけだ」
「どうせ夜遅くまでゲームでもしていたのでしょ?」
「超能力者か!?」
「まえにも言ったと思うけれど、私は藤森くんのことを骨の髄までしゃぶり尽くしているのよ?」
「……そういえばそうだったな」
「今日はノッてこないのね」
少しつまらなさそうな表情をする西園寺。
「眠いんだよ。それより何か用なんだろ?」
少し思案顔をしたあと西園寺は「やっぱりいいわ」と言うと自分の席へと帰っていった。
なんだったんだ?
俺は少し気になり西園寺を見ると、西園寺は勉強していた。
あー、なるほど。テストだもんな。また勝負をしたかったのかも。
なんかちょっと悪いことしちゃったかな。
まぁ本人がいいって言うんだしいいか。
俺は今度こそ眠ろうと机に伏せた。
──ガラガラ。
「お、おい、あれアイドルのひまりじゃね?」
「なんでうちのクラスに来てんだ? 誰か知り合いでもいるのかな」
誰かが入って来たようでなんだか騒がしいけど、今は眠くてそんなことを気にしている余裕はない。
「やっと見つけましたよ、藤森奏くん」
誰かが俺を呼ぶ声が訊こえた気がするけど、まぁ気のせいだろ。
「ちょ、ちょっと、無視しないでよ。──お願いだから起きてよ、こっちが惨めになるじゃない!」
うるさいなぁ。
「…………」
「や、やっと起きたわね、藤森奏くん」
「…………」
「な、なにをそんなにジロジロ見ているの」
「…………」
「ちょ、ちょっと気持ち悪いですよ」
「……誰?」
「はぁ!? ──ちょっと付いてきてくれませんか? ここでは話し難いので」
「えー、嫌だよ眠いも──」
ガシッ!
「いいから来て!」
俺は誰かわからない娘に、腕を引っ張られながら屋上に連れて行かれた。
「ったく、手間かけさせて」
えっ? さっきまでと口調が違──
「藤森奏! わざわざこのわたくし様から来てやったってのに忘れたですって!?」
「あっ! 握手会の」
「やっと思い出すなんてあんたバカ!? あの後わたくし様がどんだけ恥ずかしい目にあったかわかる!?」
「この前とかなり印象が違うのは気のせいかな」
「アイドルの本性なんてこんなものよ」
「…………」
「それよりなんで来ないのよ」
「は?」
「だから! なんでわたくし様のことを見に来なかったのか訊いてるのよ!」
「リアルのアイドルに興味なんてないよ」
「あったまきた! 覚えておきなさい、絶対わたくし様のことを好きにさせてみせるから!」
「好きにさせてくれるの?」
「絶対にね!」
「いきなり言われても思いつかないけど……じゃあまずは──」
「は? あんたなんか勘違いしてる?」
「え、好きにさせてくれるんじゃないの?」
「…………──っ!?」
ぼんっ、となにを思ったのかいきなり赤面するひまり。
「へ、変態! あんた変態なのね!? そうなんだ、変態なんだ!」
……意外と純情?
「冗談だよ、ちゃんと意味くらいわかってるよ」
俺はひまりの頭を、ぽんぽん、と軽く撫で──
パシッ!
「触らないでよ変態!」
「変態!?」
ようとしたらその手を叩き払われてしまった。
む、凛でも撫でられはするのに。
「あ、今思いついた。変態のあんたにぴったりな呼び名よ」
「呼び名?」
「下僕」
「げ、下僕!?」
「そうよ下僕。あんたは今からこのわたくし様の下僕よ」
「…………」
下僕……バカにしやがって……下僕なんて……下僕なんて……。
「喜びのあまり声も出ないかしら?」
「なんて最高な響きなんだ!」
「本当に喜んでた!? 変態だわ、正真正銘の変態だわ!」
「ご主人様! 何なりとこの醜い下僕にご命令を!」
「そ、そうね……まずはわたくし様の脚でも舐めてもらおうかしら」
そう言うと脚を差し出してくるご主人様。
俺はご主人様の靴を脱がし靴下も脱がすと、ゆっくりと舌を近づける。
「ま、まさか本当に舐めるわけないわよね? だって脚よ? 汚いのよ? わたくし様の脚は汚くないけど、脚なのよ?」
なんか訳のわからないことを言っているけど、そんなことは無視。
俺はそのまま舌を近づけ──
「やっぱ無理!」
「ぐはっ!?」
ご主人様は俺を蹴り飛ばし、走って逃げて行ってしまった。
惜しい、あと数センチだったのに。
「あ……」
靴と靴下忘れてる。
やれやれ、世話のかかるご主人様だ。
「はっ!? いつまでご主人様なんて言ってるんだ俺は!? これじゃ本当に下僕になるじゃないか!?」
でも下僕ってフレーズ、なんかゾクゾクしちゃうよね。
俺は靴と靴下を拾うと、それを片手にぶら下げ、ひまりがいるクラスに向かうことにした。
あれ、そういえばひまりのクラスって何組なんだ?
もう授業が始まっているから、他の生徒に訊くこともできないぞ。
俺はクラスがわからないまま、2学年の階へ着くと、
「あ……」
おそらく自分のクラスであろう前に、ひまりは俯いてしゃがみ込んでいた。
隣りのクラスだったのか。
俺がひまりの前まで歩くと、足音で気付いたのか顔を上げた。
「なにしてんの?」
「わたくし様がこんな格好で、教室に入れるわけないでしょっ」
言葉遣いは変わらないけど、さっきまでの威勢がない。
意外とメンタル弱い?
「ほれ」
「あっ、それわたくし様のじゃない」
靴と靴下を掲げて見せると、ひまりは両手を伸ばしてきた。
やばいっ。しゃがんだまま両手を伸ばし、さっきまで泣いていたのか瞳はうるうると輝き、俺はそれを上から見下ろす体勢になっているわけで……なんというかまるで、抱っこをせがむ子供みたいで可愛い。
俺は持っていた靴と靴下を置き、衝動的に──
「え、なに? はっ!? ちょっとなに、ひゃっ!」
ひまりを抱っこしていた。
「ちょ、ちょっと! 下ろしなさいよ、下僕のくせにぃぃー」
腕の中でジタバタと暴れるひまりを見ながら俺は──
「持ち帰りてぇ~」
心の声が漏れていた……。
「へ、へへへ、変態っ! ──放しなさいよこの変態がぁ!」
「うっ……!?」
急に激しく暴れ出したと思ったら、俺の股間を蹴りあげやがった。
俺は抱いていたひまりを放し、股間を押さえてその場に倒れ込んだ。
「ふんっ、これだから変態は。やっぱり下僕として、わたくし様が調教してあげないとダメなようね」
そう言いながら靴下と靴を履くと、ひまりはどこかへ行ってしまった。
そういえば、ひまりのクラスってあいつがいたよな。
俺は昼休みになると目当ての人物がいる教室、つまり隣りのひまりもいる教室に向かった。
「結城、ちょっといいか」
「藤森か。ボクになんの用だい?」
目当ての人物とは結城隼人のことだ。
結城とは、結衣と秋葉原に行った時に出会ったんだけど、あれ以来、ゲームが発売してはメールでやりとりしていたのだ。
そのメールで知ったことがいくつかあるけど、どうやら結城は、アイドルオタクでもあるらしい。
つまり、結城にひまりのことを訊こうというわけだ。
俺は結城を連れて、一緒に食堂で昼食を取りながら話を訊くことにした。
「咲神ひまり、身長155cm、バスト81cm、ウエスト56cm、ヒップ80cmだ。ちなみに、本人はDカップと言っているが、本当はCカップ」
なんでそこで見栄を張るんだよ。
「去年から人気急上昇中で、ファンにはひまりんと呼ばれている」
ひ、ひまりん!? 似会わねぇー。
「他に訊きたいことはあるかい?」
「いや、もういいかな。助かったよ、結城」
「役に立てたならなによりだ。それではボクはこれで失礼するよ」
結城は食べ終えた食器を乗せたトレイを持って、先に行ってしまった。
俺はまだ食べ終えていないので、1人で食べていると、突然背後からトントンと肩を叩かれた。
誰だ?
プニッ。
振り向こうとすると、誰かに頬を指で突かれた。
「ばーか」
「なんだ、ひまりか」
「なんだってなによ、下僕の分際で」
少し拗ねた様に、ふんっ、とそっぽを向くひまり。
「……ひまりん」
ボソッと俺がその名を呟くと、
「っ!? なんで下僕がそれを……!?」
バッ、と慌てた様にこちらに振り向くひまり。
「それよりひまりん、何しにきたんだよ」
「ちょ、無視するな!」
「え~、いいじゃんひまりん──ぐはっ!! ……すいませんでした……」
いきなり腹を殴るなんて……ありがとうございます!
「……なんであんた謝りながら笑顔なのよ」
「俺は変態じゃない!!」
「あんたは変態よ!!」
「……隠しても無駄なようだな」
「なによその厨二なノリは。はぁ……──誰なの!?」
俺が眼で訴えると、しょうがなくノってくれるひまり。
この娘やっぱりいい子なんじゃないのか?
「もうお気づきなんだろ? ──」
「変態」
「そう、スーパー変態! ──って、あれ? 台詞の途中で喋るなよ。つられて変態って言っちゃったじゃないか!」
「あんたは変態でしょうが。それより下僕、あんたに命令よ。わたくし様に勉強を教えなさい!」
ビシッ! と指を突きつけてくるひまり。
なんかるみかちゃんの時と同じような展開な気がするけど。
まさか今回もこの展開でルート突入か!?
ならここが分岐点だな。選択肢次第で、ひまりルートを回避できるかもしれない。
リアルのアイドルを攻略しようとしても、クソゲー並につまらないだろうしな。
「断る!」
俺は迷いなく叫んで断った。
これでルート突入は防げたな。
「命令って言ってんでしょうが! なに下僕の分際で、わたくし様の命令に逆らおうとしてんのよ!」
「痛っ! いたたたたたっ。ギブギブ!」
俺が断ると、ひまりはなんの躊躇もなく腕十字固めをかけてきた。
「ここが家だよ」
あのあと俺はジャイ●ンよろしく、ひまりに暴力で従わせられることになり、放課後ひまりと俺の部屋で勉強することになった。
「で、何を教えて欲しいんだよ」
「だから勉強だって言ってんでしょうがっ」
「何の教科だってことだよ」
「はぁ? 全部に決まってるじゃない。あんたバカァ?」
全部って……。
やっぱりリアルのアイドルなんてクソゲー以下だ。
ギャルゲのアイドルなら、影で努力をしたりしているのに、リアルのアイドルのひまりときたら初めから俺頼みだもんな。
だからってもう部屋に来ちゃってるし、今さら追い返せないしな。
「じゃあまずは数学な。公式と解き方を教えるから、ちゃんと覚えてくれ」
俺は言いつつバッグから数学の教科書を取り出し、テーブルに置いた。
「なによ偉そうに。わたくし様の下僕だってことわかってんでしょうね」
ひまりもブツブツと文句を言いながらも、バッグから教科書などを取り出し、準備を始めた。
なんか凛と似てるかも。
もしかしてひまりもツンデレ?
「じゃあまず、ここからな。これはここをここに代入して──」
俺はひまりのことなどを考えつつも、勉強を教え始めた。
──勉強開始から1時間程過ぎた頃。
ひまりがキレた。
「あぁーもう、わっかんない! なによこれ、呪文にしか訊こえないわよ、下僕のバカ!」
「ひまりがバカだからだろ」
俺はやれやれと、両手を上げて首を振った。
数学は「もう完璧だわ!」と、テスト範囲の半分も教えてないのに強制的に終わらせられ、次は英語を教えている時にひまりが突如喚き始めたのだ。
「誰がバカですって下僕の分際で!」
「いてててててっ! 痛い痛いっ!」
上げていた右手を後ろに廻され、関節技を決められた。
俺は透かさずタップするが、ひまりはなかなか止めてくれない。
クソッ、ひまりめ。凛より性質が悪いぞ。
俺は痛みに耐えながら、ある言葉を背後に立つひまりに向かって言った。
するとひまりは即座に右手を解放し、ズザザザッとドアに背中が付くまで後退した。
「へ、変態。わたくし様をどうするつもり……。はっ!? 凌辱されるっ。変態に襲われるぅぅぅっ!」
ひまりは何を思ったか自分の身体を両手で護る様に抱き、ブルブルと震えている。
待て待て! 俺はそこまで引かれるようなことは言ってないぞ。
俺が言った台詞と言えば「き、気持ちいいっ! あぁ、この快感をひまりにも味あわせてあげたい。そうだ、俺がひまりにもやってあげるよ!」と言っただけだ。
俺は痛めつけられた関節を確認する様に右肩をグルグルと廻しつつ、ひまりの様子をしばらく見ていることにした。
「きっとわたくし様にあんなことやこんなことまで、恥ずかしい格好までさせられるんだわ」
おいおい、一体どんな妄想してるんだよ。
「あぁでも、あんな格好までならしてもいいかも……」
ひまりは両手を頬に当てて微かに赤らめ、クネクネと動いている。
ほんとにどんな妄想してるんだよ! できればその妄想世界に入れさせてください!
おっと、俺も妄想するところだった。そろそろ止めさせないとひまりが危ない気がする。
俺はふるふると頭を振り、危うく自分まで妄想世界に突入するのを抑え、ひまりを止めに立ちあがる。
「な、何をする気!? まさか本当にわたくし様を凌辱する気じゃ──」
ビシッ。
「にゃっ。──何すんのよ下僕!」
俺はひまりの頭に軽くチョップを叩き込み、リアルワールドに戻してやった。
「それはこっちの台詞だ。何を妄想してるんだお前は」
危うく俺まで妄想世界に突入するところだったんだぞ。
「何をって、下僕がわたくし様に──って、なに言わせてんのよこのド変態がぁっ!」
「ぐはぁっ!」
腹を思いっ切り蹴ってきやがった。凛より痛いぞ。
そんなこんなで勉強は夜8時まで行われ、ひまりは帰るといって立ち上がった。
家まで送ると言っても迎えを呼んでいると断られ、玄関まで見送ることにした。
「ま、まぁ、下僕にしては役に立ったわ。褒めてあげる」
ひまりは少し頬を赤らめ、恥ずかしそうに眼を背けながら言った。
ひまりがお礼を言える子だとは思わなかったな。
ちょっとは付きやってやるか。
「ありがとうございます、ご主人様」
俺はその場に跪き、ひまりの手を取りそっと口を付けた。
「な──っ!? なにしてんのよあんた!?」
「忠誠の証?」
「────」
ひまりは怒っているのか顔を真っ赤にし、プルプルと震え始めた。
「バーカバーカッ! 下僕のバーカ!」
殴られる!?
俺はバッと身を護る様に両手を出す。
…………あれ?
殴ってこない?
俺はそっと瞑っていた眼を開くと、ひまりは迎えの車のドアの前に立っていた。
「また明日学校でね、下僕」
ニコッと微笑み、車の中に入って窓を開けると、手を振ってくるひまり。
「……また明日……」
俺は釣られて手を振っていた。
ぽぉーとする頭でひまりの笑顔を思い出す。
「はぁっ!?」
俺はやっとリアルワールドに戻ってくると、あることに気付いた。
「ひまりがデレた!?」
貴重だ、貴重すぎるぞこれは!
アイドルだから営業スマイルは得意だろう、それは何度か見てきた。
だけど今の笑顔はどこか違う。明らかに違う。
俺はどこをどう間違ったんだ!?
こんな展開になるつもりはなかったのに。いつの間にルート突入してたんだ!
クソゲー以下のはずなのに……。
「くそ……」
可愛かったな……。
俺は内心ひまりを可愛いと思い始めている自分がいることに驚きつつ、リビングに向かったのだった。
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