或る祖父の手記
祭りの日の夜の出来事を彼の祖父の視点から見たお話です。
これは儂がこの夏に経験した不思議な出来事だ。
この手記を読む者には、1つだけ心に留めておいて欲しいことがある。
それは、儂の孫は昔から人でないモノを引き寄せやすいで性質を持っているということだ。
何を馬鹿なことを言っているのかと思うが、儂の孫が生まれてからというもの、孫の周囲では不思議な出来事が頻繁に起きていた。
例えば、孫が夜泣きをした時に母親があやそうと起きた際に、既に孫は誰もいない方に顔を向けて笑っていたそうだ。
それはまるで、母親が起きる前に別の誰かがあやしていたようだったという。
他にも、孫が幼稚園に入って間もない頃に、孫の住んでいた地域では児童を狙った傷害事件が何件か起きていたそうだ。
その後に捕まった犯人の供述によれば、犯人は儂の孫と孫の幼馴染の2人が公園で遊んでいる際に襲おうと後ろから近づいて来たそうだが、気が付くと犯人の方が頭から地面に倒れて気絶していたそうだ。
犯人の背後から誰かが押したとしか見えない状況だったそうだが、当然ながら犯人の背後どころか周囲には孫とその幼馴染しか人がいなかったらしい。
また、犯人の取り調べをしている最中に犯人が突然何か恐ろしいものでも見たかのように怯え始めたそうだ。
その時の犯人によれば、取り調べの最中に突然視界の隅に赤い花の簪をした女性の影が現れたらしい。
もちろん、同じ部屋にいた職員の誰もが見ていなかったこともあり、犯人が幻覚でも見たのではないかと言うことで片付けられたそうだ。
何はともあれ、その事件の後から孫には何かが憑いているのではないかという噂が一時期流れておった。
そのためか、孫の幼馴染を除けば孫と同世代の子供たちやその親たちは誰も孫に近付こうとしなかったそうだ。
そんな状況でも、孫の両親は決して孫のことを不気味に思おうとせずに深く愛情を注ぎ、幼馴染の方も変わらない態度で接していたこともあり、孫は現在まで健やかに育ってこれた。
そんな孫が今年の夏、儂と婆さんが住む家に遊びに来た。
孫は儂のことがどうも苦手なのか、あまり近付こうとはしなかったが、両親と祭りに行くことは楽しみにしていたようで、祭りのことを話す時だけは儂にも楽しそうに話しかけておった。
孫には嫌われているようだが、孫はいくつになっても可愛い者だ。
なので、儂は孫が来る度に息子夫婦を経由して孫にお小遣いを渡す様にしている。
婆さんは、素直に自分から渡せば良いのにと言っておるが、儂自身どうにも素直になれない気質があるようだ。
孫にまでこの気質が遺伝していなければ良いのだが…。
それはともかくある日のことだった。
その日は夜に近くの神社でお祭りが行われるということで、孫は息子夫婦と浴衣姿で仲良く手を繋いで出かけて行った。
儂もこっそりと孫の後について行こうとしたが、婆さんにご近所さんに通報されたくなければ堂々と行けと玄関先で説教されることになり、少し遅れてから祭りの会場へと向かうことになった。
それから祭りの会場に着いた儂は、孫と息子夫婦の行きそうな場所を中心に探すことにした。
祭りの会場には、都会からわざわざこんな田舎まで来る者も多く、色鮮やかな浴衣に身を包んだ女性や本物の髑髏を思わせるようなお面を着けた若者などもおり、今年の祭りも大賑わいの様子だった。
また、普段の静かな田舎の夜とは打って変わって、多くの若者たちや子供連れの夫婦なども多くいた。
行き来する人が多くなる分、多くの迷子になる子供も多いためか、簡易的な迷子センターの様な場所もあり、そこには孫よりも年下位の子供が何人もいた。
儂は孫が好きそうな射的や輪投げ、綿あめや金魚すくいの店などを中心に回ることにした。
すると、何軒目かの屋台を回った時に、困惑した顔の息子夫婦の姿を見つけた。
「オメエ、孫は何処に行った!?」
儂は息子夫婦が孫を連れておらず、困惑した表情をしていたことからある程度のことを予想した上で息子夫婦にそう問いかけた。
「お父さん!?どうしてここに!?」
「そんなことは後でもいいだろうが!それよりも孫はどこに行ったんだ!」
そう儂が息子に怒鳴ると、息子はいつの間にか孫が自分たちの手を放して何処かに行ってしまったのだと説明をしていた。
儂としては、普通ならば息子夫婦のどちらかが気付くはずなのではないかとも思ったが、息子夫婦は嘘をついているような顔ではなく、本当に心配をしている様子だった。
息子夫婦の話を聞いた儂は、とある不安が脳裏を過ぎった。
それは、最近この辺りで夜の山林に入ったまま行方不明になる者がいるという注意喚起だった。
この辺りの夜の山林は非常に暗く、足場も悪い。
その上、山林の付近で夜に野犬の声や不審者の影を見かけたという情報もある。
普通ならば、好き好んで1人で山林などには入ることなど無い筈だが、儂は何故だかその可能性が高いような気がした。
そして次の瞬間、儂は息子夫婦を置いたまま山林の方へと駆け出していた。
儂の様子に息子夫婦は非常に驚いていたが、儂は構わず山林の方へと向かって行った。
そして、老体に鞭を打ち、息を切らしながらも無事に山林へと続く一本道のある辺りに到着するのだった。
そこから、さらに山林の近くへと向かおうとすると、聞き覚えのある大声が聞こえてきた。
「僕もシャカお姉ちゃんのことは忘れないよー!!」
それは聞き間違えようもない孫の声だった。
シャカとは一体誰のことなのか儂には分からず、孫が声を掛けた先に人影はなかった。
そして、何よりも儂には孫にまず言わなければならないことがあった。
「オメエ…今まで何処におった!!あいつ等も心配してずっと探しておったんだぞ!!」
儂は腹の底から絞り出した周囲に響き渡るような声で孫を怒鳴った。
「お爺ちゃん!?」
儂の声に孫は驚いた様に振り返った。
孫には儂の顔が鬼のような形相に見えているだろうが、儂は構わずに続けて怒鳴った。
「しかも、ご近所さんに迷惑になるような大声を出して、どういう了見だ!?」
儂の怒鳴り声も十分に五月蠅い声だったが、孫には自分が皆に心配をさせたことを反省させるため、儂は固く握った拳を孫の頭に落とした。
「痛!!?」
儂の拳骨が当たった孫は、涙目になりながら頭を押さえていた。
だが、これぐらい仕方ない。儂も息子夫婦も心の底から心配していたんだからな…。
しかし、孫は一体誰にあんな大声を出していたんだ…?
儂は孫が声を掛けていた方向を改めて見返したが、やはりそこには小道から山林に向けて暗闇が広がっているだけで、人影は全く見当たなかった。
そのため、儂はそのまま孫を連れて息子夫婦が待っているだろう祭りの会場へと足を向けて行こうとした。
しかし、その後直ぐに儂は思わず自分の眼を疑う光景を目にした。
つい先ほどまでは山林へと続く道には誰もおらず、暗い小道が広がっているだけだった。
だが次の瞬間、そこには薄っすらとした人影が立っていた。
儂と孫がいた位置からは遠くて顔こそ見えないものの、鮮やかな赤い着物を纏い、夜道の中でも光沢のある白い髪、夏なのに日焼け1つない肌をした少女だった。
赤い着物はよく見れば、儂も近所で咲いているのを見かける彼岸花の模様をした着物だった。
少女の醸し出す雰囲気や格好を見た時、儂はその少女は人間ではないと思った。
だが、同時に孫のことを害そうとする気配はなく、むしろ孫のことを守っている存在なのではないだろうかと儂は考えた。
「孫を守ってくれてありがとうよ…」
儂は頭を殴られて痛そうにしている孫に聞こえない位小さな声で、その少女に向けてお礼を言った。
無論、遠くにいる少女には聞こえるはずもないのだが、その少女は「どういたしまして」と儂の言葉に返事をしたような気がした。
そして、その少女は現れた時と同様にまるでそこには誰もいなかったかの様に姿を消すのだった。
それから、儂らは何事もなく息子夫婦の元へと向かうことが出来たのだった。
蛇足になるが、後日、儂はあの日に見かけた少女の正体に繋がるしれない民間伝承を見つけた。
伝承によれば、儂の住む辺りには昔から子供を助ける『彼岸坊』(あるいは『彼岸童子』)と呼ばれる怪異がいるようだ。
この怪異は、夏から秋の時期に現れては親とはぐれた迷子の子供を親のいる所まで案内してくれるようで、この辺りでは昔から度々目撃されているようだ。
その怪異は子供の姿で彼岸花の模様をした着物を常に着ており、稀に狐のお面で顔を隠していたり、彼岸花を手に持っていたりすることもあるようだ。
また、目撃者によれば、その怪異は少年の姿の時もあれば少女の姿をしている時もあり、迷子になっている子供と会話をしやすくするために、このようなことをしているのではと言われている。
一説によると、この怪異は江戸時代頃に「間引き」と称して親に捨てられた子供たちの無念が生み出したものだとも言われている。
そのため、自分達の様に親とはぐれてしまった子供を見過ごすことが出来ず、子供を無事に親の元へと届けようとするのではないかと考えられているが、発祥は定かではない。
あの少女がこの伝承の通りの怪異だったのかは儂には分からない…。
何しろ、この伝承の通りならば不自然なところがあったからだ。
だが、あの時最後に儂の前にも姿を見せた様子からして、今でも孫のことを見守っているのではないかと思う。
もしかしたら、意外と孫の傍で一緒に日常を過ごしている可能性もあるのではないかと儂は考えている。
赤い彼岸花の花言葉『また会う日を楽しみに』『悲しい思い出』『あきらめ』など...。