束の間の休息、新たな出会い。
風呂から上がり、タオルで髪をわしわしと拭く。ドライヤーが無かったので、どうしたものか、と思ったが、不思議なことに水分はどんどんタオルに吸われ、むしろ髪から弾かれ?ともかくすぐに乾き元の髪型にまで戻った。ゆるくかかっていたウェーブもそのままに。
形状記憶、精神。自分の事だからこそわかるけど、どうやらこの身体は、心が形作った元の状態に現状復帰をするらしい。現状復帰、といえば聞こえはいいが、ただの停止だ。永遠に変わらないだろう狂気と、時が止まった肉体。これから先、何を経験していっても、それは自身に変化をもたらさない。
ただ、考えてみれば順序が逆かもしれない。停止していた精神にあわせて、肉体が作り変えられた。それがパラノイアという存在?
例えば、だ。ボクがあのままの世界で身体が大人になったとして、それが周りから見てマトモな人間とされるはずがない。
バスルームから出て、下着姿のまま椅子に座って思考する。
客観視すれば、そして取り繕えば、ボクは社交的だったし、大人からの受けも良かった。人当たり良く、批判されないよう努めて生きていた。
中身は今とおんなじだ。ぶっきらぼうだし、思いやりなんて欠片もない。他人がどうなろうと知ったこっちゃないし、信じられる人は一人だけ。友達なんて全員嘘で、この惨状で全員死んでいたって、ほんの少しも感情が動かない。路上で轢かれて死んでいる猫を見た時のほうが、よっぽど悲しいだろう。
そんな子供が大人になれば、結果は容易に想像出来る。あの人はどこかおかしい、信用出来ない、そんな陰口と並んで歩いて、白々しく日々を過ごす。いつか限界が来て、心だけでなく身体も壊して病院行きだ。
成長しない、変化しない精神と、成長し、やがて老いる肉体との乖離は必ずどこかで起きて、ボクを廃人たらしめたろう。
つまり、これはある意味で救済だ。タリアもれなも、恐らく大人になれない。
運が良かった。それに尽きる。
ふと、どろり、と床が波打つ。
驚いてそこを見ると、黒い水たまりのような穴から、蝶の女中が羽化するように、ぬらっ、と羽を広げて現れた。
「えっ、キミたち、そんな事も出来るの?」
顔のない女中はもちろん返事をすることも無く、手に持ったボードを胸元に抱えた。
『お荷物をお届けに参りました。』
そう書かれていた。タリアの言っていた、ボクの私物だろう。
「わかった、お願いするよ。」
返事をすると、扉がすっとあいてダンボールを持った女中がぞろぞろと入ってくる。そうして箱を山のように積み上げつつ、中身を取り出して服はクローゼットに、本は本棚に、と物を収
めていく。
『所在を指定するものがある場合、お申し付け下さい。』
ボードの文字が変わっている。ためしに、本はレーベル毎、ジャンル毎に纏めて作者の名前であいうえお順、左上から文庫、右下に行くに連れ大判へ、と言うと、魔法のように次々にそのとおりに並べられていく。一つの棚に収まりきらなくなると、瞬きした瞬間には棚が増えている。空間に対する冒涜じゃないか、と思うほどだ。収納のプロを名乗る有名人が見たら卒倒するだろう。物にあわせて収納スペースが自動で増設されるのだから。
『物が見つからない場合お呼びください。』
また、ボードが書き換わっている。
「ボクの時計はあるかな。あと、木で出来た小さな小物いれがあるはずだから、それは目につく所へ置いてほしいな。」
そうすると、一人の蝶がまだ未開封のダンボールをあけて中からそれらを取り出し、小さい引き出し付きのサイドテーブルの上へと置く。他の荷物は女中にまかせて、宝箱の形をした小物いれを開ける。
水族館や動物園の半券、電車の乗車切符、小さな貝殻、観光地のパンフレット・・・。そんなとりとめのないものが入っているそれは、本当の意味でボクの宝箱だ。
すべて、あの人と行った時の思い出のもの。
ボクは少しだけ、思い出を記憶することが苦手だ。どんなに大切な記憶でも、どんなに幸せな記憶でも、人より早く色あせて、うろ覚えになってしまう。
それを知ったあの人が、誕生日にくれた小さな箱。これに思い出を詰めればいい、と、優しく言ってくれたのは、これを見れば完璧に思い出せる。
中身もそう。水族館。とてとてと歩くペンギンは可愛くて、鳥は嫌いじゃなかったの?と悪戯っぽく笑いかけてくるあの人に、彼らは飛べないからいいの、と答えた。その代わりペリカン
を見た時は、鳥が嫌いを通り越してその大きさに驚いた。あんな大きい生き物が飛ぶなんて、未だに信じられない。魚より、カニやエビが印象的だった。カラフルな魚も可愛くて、柄にも無くはしゃいでしまったのを思い出している。
動物園は、楽しかったけれど不思議な気分になった。チンパンジーは子供の三歳児程度の知能を持つ、なんていう説明書きを見てとてもバカバカしいな、と思ったんだった。ちょうどその時、隣に親子連れが居て、その子供は三歳くらいだった。檻に居れられた三歳児を、服を着せられた三歳児が見つめてはしゃいでいるなんて、面白い皮肉。とつぶやくと、キミは人と動物の境界が曖昧だね、って言われたんだ。ライオンやチーターは檻の中でも優雅で、飼い慣らされているはずなのに、むしろそれを仕事にしている、というような堂々たる威厳があった。彼らの一挙一動は、客を喜ばせて飼育員に餌を持ってこさせるための演技に違いない。昆虫館で見た、一面を舞う色とりどり蝶。自由に羽ばたくはずのそれらは、天井のあるドームに閉じ込められて、外に出れば環境の違いによって死んでしまう、箱庭の住人。ふれあい体験で巨大なナナフシを腕に乗せると、つい自分が木の真似をしないとナナフシに失礼かな、と思って動け
なくなってしまった。ボクの腕で、枝のふりをする虫。あの人は、裏山に行けば居るから、次の子供に譲ってあげなよ、と耳打ちしてきて、それを見た係員さんにくすくす笑われたのは恥ずかしかった。
そうやって、箱の中身を確認しながら思い出を確認していく。そうしていたら、いつのまにか部屋に荷物は全て収まって女中は一人だけになっていた。
「・・・もう終わったの?」
『お荷物は、おおよそソレが収まるべき場所に収まっています。』
どうも、会話をしているわけではないみたいだ。事前に準備された内容をボードで表現しているようす。
『貴重品はキャビネットの中に、服と靴、鞄はクローゼット、下着類はタンス、コートは扉の横へ、小物は棚へ。』
「そう、ありがとう。」
『食事は朝8時、昼12時、夜22時に大食堂にて。それ以外の時間の場合、電話の横にあるメニューからお選び頂きご連絡下さい。』
うん、確かに電話の横に、冊子が置いてある。24時間用意してもらえるのだろう。
『それでは失礼致します。ご用事がありましたら、お気軽にお申し付けください。』
最後にみせたボードにはそう書かれていて、すうっと消えていく。なんか複雑だなあ。
そこでずっと下着のままだった事を思い出して、クローゼットから私服を取り出して着替えた。だらしなかったかなあ・・・。
さて、ボクの元の部屋は、人に言わせたら意外なほど物が多かった。まあ、生活感の無い部屋、っていうイメージがあるのは否定しないけど。
瓶に詰めたビーズや木の実、パワーストーンとして売られていた鉱石、なぜか買ったはんだごてややすり、ドライバーなどの工具類、ぬいぐるみ、水草を育てているガラス瓶。そんなとりとめのないものが沢山、いろんな所に仕舞ってあって、ふとした拍子に役に立ったり、立たなかったり。それに本とCDがとにかく多くて、それらがこの部屋に全部収まったとすると、場所を把握するのも少し大変そうだ。まあ、そもそも何を持っていたかもうろ覚えなので、正直なとこ財布と鞄と服と宝物があれば十分なのだけど。
一通りの棚の中身を確認して、部屋の一番明るい所に水草の入ったガラス瓶を置く。たしか、南米ウィローモスとかいう苔の仲間で、水と空気と光だけでそこそこ育つのだ。気が向いた時に水をかえたり、少し液肥をあげたりはしている。クラスメイトが、学校の理科室にあった水槽へ植えつけたものの切れ端を捨てようとしていたので、なんとなくもらってガラス瓶に放り込んでおいたら、結構育った。後から知ったけれど、流通し始めたのが比較的最近なので少しめずらしいもの、らしい。まあ、とにかく割れ物のこれが問題なく残っているということは、本当に私物の全てが回収されたんだろう。いよいよやることがなくなったので、少し街の下見でもしようかと玄関へと降りていく。すると、偶然か必然か、一人の少女と7人の女性・・・
いや、あれは、人じゃないのか?が館へ入ってきた所だった。
少女がこちらに気付き、笑顔を向けて駆け寄ってくる。
「ねえ、お姉ちゃんもパラノイア!?夢子もなの!名前は!?世界は!?」
矢継ぎ早に投げかけられる言葉に気圧されながら、まじまじと少女を見る。年は12くらいだろうか。黄色い髪をツインテールにして、同じく黄色い瞳をきらきらと輝かせている。着ている服はふわりとしたパステルイエローにフリルのあしらわれたワンピース。街を歩けば、かなり目を引くだろう。それは好印象という意味で。
とてもかわいい顔立ちをしている。けれど、少女モデルや子役といった子とは違う、微笑ましく、可愛らしい歳相応の無邪気さを持つ魅力だ。彼女が笑顔で友達とでも話していれば、10人中全員が「可愛らしい光景を見た」と振り向くだろう。それが、普通の人間なら。
問題はボクに対して「も」パラノイア、といった事。つまり、彼女もパラノイアということだ。狂気の子であるならば、その印象はがらりとかわって爆弾を仕掛けられたぬいぐるみとか、
毒が混ざったケーキだとか、そんなものを想像する。人の事は言えないけど。
まあ、敵対したり一々掘り返すのも面倒なので、とりあえずは普通に接しよう。
「うん、初めまして。ボクは岬灯花っていうんだ。世界の名前は「虚飾の聖痕-きずなはいたみ-」。皆からはステラ、タリア達からは岬って呼ばれてる。キミは?」
「私は皆野夢子!世界は「お砂糖スパイスリボンにレース-スイート・ゴア・プレゼント-」。皆からはロリータって呼ばれてるの。ねえ・・・もしかして、零無に気に入られた?」
「少ししか話してないけど、気は合いそうだったよ。」
「じゃあじゃあ、夢子は?あ、夢子って呼んでいいよ!夢子はどう?」
どうも子供は苦手だけれど、本能的にこの子も危険な節があるのがわかる。なのでいらないトラブルにならないよう、取り扱いには注意しよう。年齢が下がるにつれ、狂気を理性で制御できなくなるのかもしれない。
「うん、素敵だとおもう。元気一杯で、可愛いし。アイドルになれそうだね。」
そう言うと、やった、と声を上げながら飛び跳ねる。躁病?いや、自分の評価を気にする子供・・・自己愛性パーソナリティ障害?極端なナルシスト・・・とすれば、彼女に抱くだろう好感は、調整されない狂気が漏れだして、人間の無意識に影響を及ぼし彼女を魅力的だと認識させるもの・・・?推測にすぎないけれど、要注意人物。
そこに、7人の人型から、ふわりとなにかが飛び立つ。
「夢子、彼女が困っているわよ?どうも、はじめまして。あなたの自己紹介は聞かせてもらったから、私もするわね。私はピグマリオン・フランドール。通称は乙女って呼ばれてるわ。ま
あマリーとでも呼んで頂戴。世界の名前は「時限人形-発火侵食-」。後ろの人形たちは、わたしのもの。ああ、そうそう、夢子と私は騎士型よ。」
そうして話す彼女は・・・今まで出会ったパラノイアの中で、一番変わった見た目をしていた。
50cmほどの、人形。球体関節人形だ。栗色のストレートの髪は腰まで届き、シックなロリータ・ファッションに良く似合っている。同じように栗色の瞳はぱちりとしているが、メイクで少
し強気そうな印象を出している。表情と瞳の様子から、全く敵意や害意を感じない。
「ええっと・・・螺子を巻いた記憶はないんだけれど。」
「・・・だいたい皆それを言うわね。まあ、しょうがないのよ、色々と。」
「で、後ろの等身大ドールは、タリアの女中みたいなもの?」
さっきから圧倒的な存在感を放つ、7体のドール。また等身大なだけましかもしれないが、各々えらく物騒な得物を持っている。
そのうちの一人、和服に薙刀を持つ和風美人のドールが一歩進み出て一礼し、はっきりと通る声で説明を始めた。
「私は近衛隊隊長、椿です。あの女中と同列に語られるのは、少々心外ですね。あれは式神・・・いえ、ただの「式」のようなもの。使い捨ての道具、意志の無い空っぽのモノ。椿達は付喪神です。フランドール様がただの少女であった頃から愛され、魂の宿った人形。この身体となる以前から、彼女に寄り添い、そして愛していただいた生きている人形です。通称で言えばオートマタ、と言った所でしょう。なので、椿達8人の意識がつながっているわけではないですし、個別の性格や嗜好を持つ一つの生き物として扱って下さい。フランドール様からは行動の自由を頂いておりますし、部屋も行動も別々です。戦闘時はもちろん一緒ですが。」
今日何度目か覚えていない、「相変わらず何が何だか」、でもうそのまま流してしまおうかと思うと、今度は巨大な両手剣を持ち、プレートメイルを着た金髪のドールが割って入る。
「椿はプライドが高くて、言い方が堅苦しいのよ。私は1番突撃隊隊長、クラスペディア。簡単に言ば、私達は異変以前から魂と意志を持っていたの。で、こうなってからは人間と同様
の扱いを受ける事になったのよ。まあ、フランの見た目がドールだから、もう人間とそれ意外の区別なんてあってないようなものだしね。ちゃんと街の庁舎では住人登録もされてるわ。」
「じゃあ、とりあえずボクはキミたちとは普通に接すればいいのかな?」
「そんなとこよ。よろしくね、ステラ。」
にこやかに微笑まれて、もうなんでもいいか、という気分になる。
「で、皆は何から帰ってきたの?」
「ああ、夢子が今日こそアーリマンを振り向かせるって突っ込んでいったのよ・・・。で、それの回収。私達は疲れたから部屋に戻るわ。彼女たちも、メンテしないといけないし。たぶん
一緒に戦うこともあると思うし、仲良くしてね。私、友達居なかったから、こうして人と話せるの、嬉しいのよ。」
「・・・うん、もちろんいいよ。よくわからないけど、夕飯はどうするの?」
「食堂で食べるわ。岬もそのつもりなら、その時また話せると嬉しいわ。」
「夢子も一緒だよ?」
「はいはい・・・。」
マリーは、どうもよくわからない。狂っているわけでもなさそうだけれど、ピグマリオン、という言葉は引っかかる。人形偏愛がそれだからだ。ただ、それは直接的に関係があるようには見えない。パラノイアになる条件は、心の歪みだけではないのだろうか。
「じゃあ、夕飯でまた会う事になるね。ボクは今日目が覚めたばかりだから、まだ色々わからない事が多いんだ。お喋りしつつ、教えてくれると助かるよ。」
「うん、待ってるわ。」
そうして9人と別れ、先ほど手元に戻ってきた時計に目を落とす。ゼンマイ式の懐中時計は、一日でも巻かない日があれば狂っていしまう。もちろん、何日も放置されていたために針は止ま
ったままだ。
つまり、どこかで正確な時間を見てそれにあわせて巻かなければいけない。さすがに夜の10時ともなれば気付くだろうが、今から街へ降りたとして、電気の通っていないだろう街がそんな時間まで機能しているとは思えず、結局引き返して部屋の私物で暇をつぶすことにした。幸い、内装も気に入っているし、無駄に見える私物はそういう一人で居る時間をつぶすために買ったものだ。まだ触ってないものも多いから、今から夕食まで十分遊んでいられるだろう。
部屋に戻り、女中にアイスティーとミネラルウォーターを頼んで適当な引き出しを漁る。電話で頼んだ時は、向こうからの返答がなかったから少し不安になったが、5分程度で運ばれてきて少し安心した。サイドテーブルにおいてもらって、適当に棚の中を漁ってみる。自分でも驚くほど、くだらないものが多い。とはいえ、どれもこれも手に入れた時の記憶はきちんとある。
無いのは、思い出だ。うつ病になったせいではない、と思う。そういう脳のつくりというか、生来のものだろう。例えば、中学時代。何をしていたかと聞かれると、正直全く覚えていない。小学校もそうだ。友
人の名前すら、うろ覚え。。
まあ、ともかくそんなものが沢山収まっている棚は、見ていて飽きなかった。いや、我ながらどうかとは思うけど。自分のものなのに、何があるのかわからないなんて。
そうして暇を潰した後、今度は本を読み返すことにする。特に好きな作家の小説。ノベルスなので、挿絵もある。一作目は13巻で完結して、二作目は17巻で完結した。どちらにしようか少し悩んでから、二作目にする。理由は、ヒロインと気が合いそうで気に入っているから。
5冊目を読み終えた頃、部屋がノックされて返事をすると、女性の声で夕飯の時間と告げられた。女中は話せないし、知らない声だったからまだ会っていないパラノイアか、マリーのオートマタだろう。部屋を出ると、ピンク色の髪を、ふんわりと広げ、緑色の瞳を持つ、優しげな笑顔のオートマタが立っていた。服装は黒いドレスなので、髪を一層引き立たせている。ドレスは礼服のようだ。例えば、ヴェールをかぶれば葬儀に参列する女性のような。
「ステラさん、フランが待ってるわ。」
「うん。時間がわからなくてね。ありがとう、呼びに来てくれて。」
「フランはステラさんが来るのをまだかまだかとまっているわよ?ああ、私はスイートピー。少し呼びづらいかもしれないけど、よろしくね。」
しっくりくる名前だった。言われれば、ピンク色の髪は春に咲く甘い香りのスイートピーを連想させる。
「ふと思ったんだけど、キミたちはマリーと主従関係にあるわけではないんだよね?だとすると、どういう関係なの?」
「あら、面白い事を聞くのね。基本的に親友同士よ。今も昔も変わらずに。」
「・・・そう。ごめんね、変なことを聞いて。」
「いいのよ。ステラさんみたいな子は、確かに疑問に思うでしょうから。ちなみに、私としては妹みたいなものかしらね?ステラさんも、私のことお姉さんだと思ってくれてもいいのよ?」
なんとも形容しがたいお誘いに、苦笑いで答える。ボクには分からない世界だ。
「とりあえず、マリーが待ってるなら早く行ったほうがいいかな。」
「そうね。まあ、適当な扉を開ければ付くけれど。」
そうして部屋を出て、スイートピーが隣の部屋の扉を開ける。言ったとおりに、食堂へ繋がっていた。
「ごめん、時計が止まっちゃってて。待たせたかな。」
一応謝りつつ食堂へ入ると、大きいテーブルに並ぶ椅子の中から一つを女中が引く。そこにがボクの席のようだ。
他の面々は、タリアに、れな、マリーとスイートピー、それと夢子に、智恵。
「いえ、今がちょうど10時ですわ。時計を持っているようでしたら、あとで時間合わせをしておくといいですわね。女中に正確なものを持って行かせますわ。勿論、それを使ってもいい
ですわよ。」
「んー、一応、自分のがあるから、大丈夫だよ。ありがとう。」
「あれ?岬お姉ちゃん、着替えたんだ。それ、どこで買ったの?すっごくかわいい!」
夢子が目をきらきらさせながら聞いてくる。どこで買ったもなにも、もうその店もないだろうに。
「原宿の竹下通り。駅を背にして左側を歩いて行けば見つかると思う。でも、さすがに閉店してると思うよ・・・。」
「原宿かあ、いいなあ!さすがお姉ちゃんだね。夢子も行ってみたかったなあ。」
年頃の少女としては、確かに憧れるところがあるだろう。正直、店は魅力的とはいえ、人が多すぎてイライラする場所だけど。
「私はその店、心当たりあるわ。最も入った事は無いけれど。」
マリーは、専用らしい足の長い椅子に座っている。遠目に見れば違和感は無いが、ドールの大きさだとどうも遠近感が狂う・・・。そのうち慣れるだろうか。というか、食事できるんだ。
「岬ちゃん、結構おしゃれなのね。でも、私服で猫耳パーカーはちょっと目立ったんじゃないかしら。」
これは智恵。彼女はたしか原宿の店を紹介している記事があったから、何度か行ったことはあるのだろう。
「普通にしてればあまり気にされることはない・・・と思うよ、多分。」
目立つのは確かかもしれないけど。ちなみに、今の格好は紫と黒のボーダー柄で袖口が広がってフリルが付いている猫耳フードのパーカー、に黒い三段フリルのミニスカート。黒いタイツはほぼいつも履いているので、そこは変わらない。お気にい入りの服だし、結構着心地がいいのだ。
「そういえば、他のオートマタの人たちとか、パラノイアは居ないの?」
「彼女達なら、街で食べてたり部屋で食べてたりよ。別にここで食べるのが強制じゃないもの。」
「そっか。順応しているんだね。一応、挨拶くらいはしようと思ってたんだけど。」
「ま、とにかく食事にしましょう。お喋りは食べながらでもできるし、食後のお茶も待ってるわ。」
そう言いながらスイートピーがタリアにウインクすると、タリアはこくんと頷いてテーブルの横においてあったベルを鳴らす。どうやら、彼女もスイートピーとの接し方がよくわからないみたいだった。運ばれてくる食事は各々まちまちで、ボクのものはサラダにベリーレアのステーキとご飯、スープなど。ただ、問題はテーブル・マナーを知らないことだ。
「・・・これは、どうしたらいいんだろう?」
つい戸惑ってしまうと、それまでぽえっーっとしていたれながゆっくりと口を開く。
「たりあも、てーぶるまなーしらないから、だいじょうぶ。」
舌足らずに告げると、タリアは少し赤くなりながらその通りだと答え、好きなように食べていいと言われる。
「はじめてふるこーすたべたあと、おなかこわした。」
「それは、れなが?」
「ううん、たりあ。」
「ちょっ・・・れな、あなた、わたくしを辱めて楽しいんですの?確かに、その通りですけれども・・・」
タリアはぷくっとむくれて自分の箸を手に取る。そう、箸だ。彼女のメニューはまさかのご飯とお味噌汁、漬物にアジの干物と完全なる日本食だった。
「・・・タリア、なんというか、言っていいのかちょっとわからないけれど、それはどうなのかな・・・。」
「・・・今はもう気にしていないですけれど、以前はひどかったのですわ。食事なんて、カップ麺やら買いだめされたお菓子やら、何度小学校の頃の給食が懐かしくなったことか。」
頂きます、と言ってから、幸せそうにアジの干物に箸をつける彼女を見ると、それ以上の追求は出来なかった。そもそもパラノイアに過去を聞くのは侮辱だろうから、何も言わないことにする。一方、タリアをからかったつもりらしいれなは器用にナイフとフォークを操り、少量ずつのフルコースを丁寧に食べている。服装に目をつぶれば、完全にいいところのお嬢様だ。智恵は当然のように洋画のディナータイムを演出していて、人形であるはずのスイートピーはスパゲティをくるくる巻いて食べつつ、ワインを傾ける。マリーは彼女サイズにリサイズされた簡単なフレンチ、夢子は国旗の立つお子様ランチを嬉しそうに食べている。
なんだかもう、なんでもありだ。面倒なので、深く考えるのはよそう。そもそもボクが考えるのは、あの人の事と、とてもどうでもいい、哲学もどきの妄想がメインで一々人に深入りはしない主義だし。最低二人、人間じゃない存在が居る時点で、ツッコミを入れるのも無意味だろう。
談笑しつつ食事を終え、食後のお茶の時間に、少しマリーが自分の事を話して、それで彼女がパラノイアとなる理由が伺えた。多分、わざわざ分かるように言ってくれたのだろう。それは彼女が友人を欲している理由と、狂気を持っていないように見えるであろう、精神の質の差を埋めるために。
後天性相貌失認。事故などのなんらかの原因で、人の顔が認識できなくなる病。目の前にいる人が、ひどい場合男なのか女なのかわからないほど、「失認」してしまう。
それで彼女は、なぜか認識できた人形を友人とするようになった。孤独な期間が長く、そしてパラノイアとなり、その失認は回復した。人との交流に餓えていた彼女は、積極的に友人、知人を増やし、たくさんの人の顔を覚えたいようだった。
お茶会も終え一人自室へと戻り、ベッドに倒れこむ。
疲れた。
それは、今日一日が濃密過ぎたせいではなく、同時に何人もの人と話したから。二人くらいまでなら、特に問題は無い。けど、同時に複数人と話すと、なぜかとても疲れるのだ。
嫌というわけではないから、いいのだけれど。まあ、今回はタリアが顔合わせのために用意したそうなので、明日以降はこういったことも減るはずだ。現に、夢子は後半眠そうにしていた
から普段はもっと早い時間に夕食を食べて寝てしまうのだろう。
重い心を引きずって、もう一度シャワーを浴びようとバスルームへ入ると、寝間着代わりかベビードールが用意されていた。バスタブには湯が張られている。タリアは個室は干渉しないと
言っていたので、女中によるプログラムに近いルームサービスなのだろう。嬉しいことは嬉しいが、可愛らしく、かつ煽情的なベビードールはボクには不釣り合いに思えた。
着替えて姿鏡に移すと、やっぱりどこか似合わない。そもそも目つきが悪いし。こればかりは、以前と変わりがない。
まあ、もうなんでもいいや、と歯を磨いて部屋の明かりを全て消し、うっすらと物の輪郭が把握できる程度の暗闇の中、深い夢の中へと落ちていった。