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間幕─通り雨─

 食料は尽きかけていた。さすがにもう調達に行かねばなるまい。なんとも物寂しい小さな調理場を見て、椿は嘆息した。

 小さな窓から、外に拵えられた小さな畑に無残に枯れる植物を眺めながら独りごちる。

「農民の出、のはずなんだがなぁ」

 じっと己の手を見て苦笑した。

 あまり人の多いところには出たくはないのだが、このままでは飢え死には避けられない。観念したように髪を結い、質素な着物を身に着け、口元から首の辺りまでを白い布で覆った。見た目には少し訳ありの旅の浪人の体裁。

 がらりと戸を開け、足を踏み出す。

 思わず顔をしかめる。久々に見る昼間の世界は、あまりにも眩しかった。




※※※




 町は丁度市が開催されていて、それなりに賑わっていた。

 まずは米、次に日持ちする野菜、後は蝋に布…と優先順位を付けつつ己が駆って来た馬を引きながら町中を歩く。

「蝋は」

 どこで売っていたかとぼそりと呟く。

「蝋ならこの先を真っ直ぐ行って左手に見える、鶴屋と言うお棚で買うと良い」

 その声に、弾かれたように顔を上げる。酷く緩慢な動作で背後に目を向ける。

 ───弥栄葉

 そこには、籠を背負った、日に焼けて快活そうな青年が、己の幼なじみが立っていた。

「───ッ」

 青年の名を呼んでしまいそうなのを慌てて飲み込む。

「鶴屋、だな。ありがとう」

 どう致しまして、と青年は柔らかく笑む。

 ──気づかれてはいけない

 弥栄葉を背に歩き出しながら、自分に言い聞かせる。

 もう、関わってはいけない。弥栄葉とは住む世界が違うのだ。

 無意識に唇を噛む。馬を引く手に力が籠もる。馬が小さくいなないた。

 あの日から、全ては始まったのだ。私たちがまだ無垢な子供だったあの日から。

 そんなことを鬱々と考えながら歩いていると、鶴屋と書かれた大きな看板が目に入った。




※※※




 蝋は買った。他の必要品も買った。買ったは良いが、

「何だ、この雨は」

 先ほどまで晴れていたのが嘘のような強い雨脚。荷が無ければ馬を駆って帰るところだが、さすがに米を濡らすことは出来ない。よって、仕方なく近くの旅籠はたごで雨宿りと言う訳である。

 薦められる茶菓子や茶をやんわりと断って、代わりに水の入った桶と手拭いを借りて、人気のない隅の方ので、埃と泥塗れの脚を丁寧に拭った。

「あれ、また会ったな」

 からりとした快活な声。

「お前は」

 己の脚から視線を上げると、そこには予想通りの人物が人懐っこい笑みを浮かべて立っていた。

「雨宿りかい、お兄さん」

「あぁ」

「じゃぁ、俺と同じだ」

 そう言って弥栄葉は隣に、どかっと腰を下ろした。

 無意識にため息をつくと、辛気くさいなァと言って彼は笑った。

「雨は嫌いかい」

 そう聞いてくるので、出来るだけ不機嫌さを装って嫌いだと答える。すると、何故かと問うてきた。

「嫌いな物は、嫌いだ。理由も何も無い」

「俺はなかなか好きだけどなァ、雨」

 外に目をやりながら、彼は少し残念そうに呟いた。

「何故だ」

 隣に座る彼の横顔を見ながら、無意識に問うていた。その問いに、彼はニヤリと笑ってこちらを見る。

「好きな物は好きだ。理由も何も無い」

「その通りだ」

 私たちは、どちらともなく笑っていた。

「なァ、お兄さん。椿、と言う女を知らないか」

 弥栄葉のその言葉に、一瞬にして笑いが引く。

「見たところアンタは旅の人だろう」

 弥栄葉の問いから逃げるように、まだ降り続く雨を見た。

「紅の、姫」

「え」

「お前の探している女だ。通称、紅の姫。生業は始末屋。彼女の仕事の後は地面、建物至る所が血の紅に染まる」

 言ってから、呆然とする弥栄葉に笑みを向ける。

「裏の世界じゃぁ有名だ」

「アンタ、椿に――」

「無いよ」

 弥栄葉が言い終わる前に遮る。

「残念ながら、私は噂にその女のことを聞いただけだ。でも、これだけは言っておく」

 言葉を置いて、弥栄葉の眼を見据える。

「──関わるな。死にたくなければ」

 弥栄葉が何か言おうと唇を僅かに開いたが、私はそれをまた遮った。

「彼女がお前にとって何なのか、それは知らん。しかし彼女はもう、裏の人間だ。関わって良いことなど有りはしない」

 私のこの言葉に、弥栄葉は───微笑した。

「ありがとう」

 そう言って彼は、今度はしっかりと笑った。

「そんなこと聞かされちゃぁなァ。益々探しに行かなくちゃぁいけなくなったよ」

「お前ッ、私の話を」

「俺は何と言われようが、アイツを探す覚悟はとっくの昔にできてンだ。アイツは俺にとって……」

 弥栄葉は再び視線を店の表へと移した。

「おっ、雨が上がってらぁ」

 そう言うと、彼は立ち上がった。

「じゃぁな、お兄さん」

 そう言って表へと歩いて行く後ろ姿をぼんやりと見送る。頭の片隅で、もう一人の自分が彼に全てを話してしまえと叫ぶのに、私は耳を塞いだ。

 この日以降、私は弥栄葉に会ってはいない。ただ、私が仕事をした後の地に、二人の若い男が現れるようになったことを風の噂に聞くようになったのは、丁度この翌日からである。

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