八.華想い、懺悔
「おばさんッ」
床に伏したまま、女は声のする方へ首を回した。
「──弥栄葉の坊やかい」
坊やはひどいなと苦笑いを浮かべながら、声の主、弥栄葉は敷居を跨ぐ。
「おばさん、具合は──」
どうかと聞こうとして、はたとある物に視線が止まる。
「おばさんそれ、どうしたの」
あァ、これかい。と言いながら、女は枕元のそれを手に取る。
白い紙包みだ。いやに値が張りそうなその紙からは、何だか苦い香りがする。
「薬、蛍が買ってきてくれたのよ」
「買ってきてくれたって……」
薬なんて、と弥栄葉は思う。薬はとても高価で、農民に買えるような代物ではない。しかも見る限り、この包みは城下町の大棚、海遷屋のもの。
蛍が買ってきたと言う。ならば金の出所はいったいどこだ。
「───紅い椿がね」
置いてあるのよ、と言いながら女は嬉しそうに笑む。弥栄葉は意味がわからなくて顔を僅かにしかめる。
「決まって満月の夜に。戸の前に金銭と一緒に」
私はね、と女は薬を持つ手を見ていた顔を上げる。
「椿じゃァないかと思ってるの」
弥栄葉は瞠目した。
「椿、が……」
そんな顔しないでと女は笑う。
「一度手放したとは言え、娘だもの。椿だと信じたいだけなの」
身勝手が過ぎるねと言いながら、女はうなだれた。
「おばさん──」
「私は後悔してる。どうしてあの小さな身体をこの胸に引き寄せなかったのか、どうしてあの子を理解しようとしなかったのか──」
弥栄葉は言葉が見つからず、ただ黙って女の言葉に耳を傾ける。
「蛍はね、あの子は知らないでしょう、椿のこと。椿が居なくなったのは、あなた達がまだ五つの頃──もう十四年も前のことだものね。姉が居るという事実を、私はまだ蛍に伝えられないで居る。私はこの家からあの子の存在を実質消してしまったの。私と夫の記憶の中だけの存在にしてしまったのよ」
弥栄葉は、そんな言い方と言い掛けて、女にいいのよと制される。
「あの子は生きているのかしら。今、いったい何処で、何をしているのかしら…」
そう言って儚く笑う女の横顔から、弥栄葉は目を逸らした。
昨日見た光景が頭をかすめる。一面に紅黒く染まった地面、小さな一室、首のない亡骸───
咄嗟に口を押さえる。胸がむかついて、酷く吐き気がする。そんな弥栄葉を見て、女は心配そうに声をかける。それに片手を挙げるだけの返事をして、その場に座り込む。
「兄ちゃん、どうしたの」
開け放たれたままだった戸口から、蛍が慌てた様子で飛び込んできて、弥栄葉の背中をさする。
少しすると、次第に苦しさが和らいできた。
「もう大丈夫だ。ありがとう、蛍」
なおも心配そうな表情を浮かべた蛍に、弥栄葉は出来るだけ柔らかく笑んだ。蛍の顔が少し安堵の色を見せる。
本当に大丈夫かと聞いてくる女に、大丈夫だと笑みを返す。そして、返しながら、思う。
あなたの娘は、今───
事実を告げるべきか否かと問われれば、告げるべきではないのだろうと、弥栄葉は思う。あの事実を受け入れるために、椿を闇から助け出すために苦しむのは、俺と朔乃だけでいい。
弥栄葉は小窓から僅かに覗く青空を見やる。何の汚れもない空の青さを、少しだけ羨ましく思った。