十六.絆─誓─
「さとすぎる」
何となくその言葉に引っかかりを覚えて、口の中で呟いてみる。何だか、随分冷たい印象のする言葉だと思った。
ふと、弥栄葉の方を見ると、彼は相変わらず怪訝そうな顔で、懸命に事を理解しようとしているようだった。会話の一言一言の意味を、その幼い思考でもって咀嚼している、そんな風だった。
「椿」
永斎は大きく溜息をつくと、彼女の名を呼んだ。そして、それに応じて己を見上げる、澄んだ、しかしどこまでも悲しげな瞳を真っ直ぐに見据えた。
「この世に要らぬ人間など居らぬ」
凛と放たれた言葉を聞いて、彼女は一瞬目を伏せた。しかし、
「──ありがとうございます」 次の瞬間、彼女はそう言って微笑んだ。
その笑顔に、弥栄葉と僕は息を呑んだ。彼女の見せる笑顔は、幼子が見せるそれとは思えないほど大人びていた。そしてそれは、僕らの知らない椿、いや、僕らの知らない女だった。
「椿」
永斎の溜息混じりの声で、僕らは我に返った。
「縁起、と言う言葉を知って居るか」
椿は首を軽く傾げた。
「縁起と言うのは、仏教の考え方の一つだ。この世に存在する我々は、誰しもが少なからず、互いに影響し合って生きている。物も、獣も、自然も、人間もな。例えば、お前と言う人間が今ここに居るには、お前の両親がこの世に存在する事が必要条件である事は解るな」
椿はゆっくりと頷く。
「それと同じように、今お前と話をしている儂がここに存在するには、お前という存在が必要であるし、今現在のお前と話したり遊んだり、ここへ訪れる弥栄葉や朔乃の存在にもお前という存在は必要だ。もっと広い範囲で言うと、この建物を使うと言うことを通して、お前はこの建物を建てた職人達とも繋がっていると言える。使う存在が居るからこそ、職人は者を造ることをやめない」
椿は静かに、また一つ頷いた。
「要するに縁起とは、この世に存在するあらゆるもの達の間に張り巡らされた、繋がりと言う名の網目のこと。みな繋がっているのだ。誰か一人でも欠落してしまうと網目は成り立たず、解れてしまう」
椿はそっと目を伏せた。
「必要ない人間なぞ、居てたまるか」
吐き捨てるような永斎の言葉に、椿は苦笑した。
「でもね、永斎様」
苦笑しながら、彼女は静かに続ける。
「父様と母様の網の目の中には、“要らない椿”の存在が必要なんだと思うの」
永斎は軽く舌打ちをした。
「父様と母様が生きるためには、やっぱり“要らない椿”が存在してないと。網目の中から消えるんじゃなくて、“要らない椿”って言う存在に成るの。そうしないと父様と母様は生きられないから」
「朔乃ッ、弥栄葉ッ」
突然己の名をぶっきらぼうに呼ばれて、二人そろってびくりと身体を震わせた。
「どうやら儂の説教も、椿には効かんらしい」
格好だけの坊主が慣れぬ事をするものではないと、永斎は苦笑した。
「椿を」
それだけ言うと、永斎はどこかへ行ってしまった。頼んだ、と目線で言われたような気がして、僕と弥栄葉は顔を見合わせた。
相変わらず、少し悲しげに雪景色を見ていた彼女の横顔を見ながら、僕らは誓ったのだ。絶対に、何に代えても、椿を守ると、僕らは、そう誓ったのだ。
──寒い冬の日、純粋な白。僕らだけの、約束の景色。