十五.絆─予─
彼女は不思議な子だった。
道端で花を愛でていたかと思うと、空を見上げてぼぅっとしていたり、反対に地面をじっと見つめていたりすることもあった。そうしているときの彼女の顔は、例外なくとても穏やかなものだった。
ある日、彼女がその小さな掌に何かとても大事そうに持って、楽しそうにしていたことがあった。
「どうしたの、椿。楽しそうだね」
僕が言うと、彼女はにこにこしながら、掌の中を見せてくれた。
「──ッ」
僕はそれを見て、思わず一歩、後ずさった。
小さな掌に収まっていたのは、数匹の蝶の幼虫だった。
「早く捨てなよ、気味が悪い」
その当時、病弱で、あまり外出をしなかった僕は、蝶を愛でたり、虫の声を聴いたりすることは好きだったが、毛虫は大の苦手だった。
「何で。捨てるなんて、かわいそうだ。朔乃、知ってるか、これが何になるのか」
出来るだけ毛虫から目を逸らしながら、蝶に決まっていると、僕は答えた。
「うん、この子たちは蝶になるんだ。この姿から、あのかわいい蝶になるんだよ。それじゃあ何で蝶は好きで、毛虫は嫌いなんだ。どちらも同じ生き物じゃないか」
当時の僕にはよく解らなかったが、今なら彼女が言わんとしたことが、何となく解るような気がする。
髪も、長いのを嫌って男の子のような短髪にしていたし、しゃべり方も同年代の女の子とは一風変わっていた。
まぁとにかく、彼女はそんな不思議な子だった。
しかし彼女を嫌う者は居なかった。寧ろ、皆、彼女のことを好いていた。中でも、僕と弥栄葉は特に。
僕らは暇さえあれば彼女と一緒に居た。河原で遊びもしたし、一日中鶏を見ながら過ごしていたこともあった。やはり同年の子供とは一風変わっていたが、それが僕らの形だったのだ。
そんな毎日がある日、あの寒い冬の日に、僕らの前から消えてしまうなんて、いったい誰が想像しただろう、否、彼女以外の誰にも想像なんてできなかった──
「私は要らない子供」
ある冬の晴れた日、まだ誰にも汚されていない、冷たく清廉な白を見ながら、彼女はぽつりと漏らした。
その場所を善行寺と言う。一見寂れているように見えるが、その装いは質素ながら上質。建立した者のこだわりが随所に見える。その寺の講堂に、僕らは居た。
「何でさ」
弥栄葉が驚いたように問うと、椿は少し困ったように笑った。
「椿が要らないなんて、あるはずがない」
僕が言うと、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「父様も母様も、私には何も言わないけど、この前くちべらしの話をしてたのを聞いた」
「くちべらし」
僕と弥栄葉は顔を見合わせた。
「私はね、椿は、遠いところに行かなきゃ駄目なんだって。そうしないと、父様と母様がご飯を食べられないんだって」
「お前の親が、そんなことを言ったのか」
いきなり背後から渋い声が聞こえてきて、あわてて振り返る。
この寺が主、永斎が眉根を寄せて、しかしどこか悲しげな様子で、そこに立っていた。
その問いに、椿は軽く頷いた。その様子を見て、永斎は小さく、戯けが、と悪態をつく。
「永斎様、くちべらしって何」
僕はどこか不穏な空気に耐えきれず、永斎に問うた。しかし永斎はこの問いには答えず、じっと椿を見ていた。
「椿は“さとすぎる”から、怖いんだって」
椿は自嘲するように、ぼそりと呟いた。当時の僕には言葉の意味が解らず、椿の言っている意味が理解出来なかったが、彼女が傷ついているのだと言うことだけは痛いほど解った。