なくしていた記憶
どこかで泣いている声が聞こえた。
ずっとずっと、ひたすらに泣き続けていた。
自分の心までも溶かすかのように流れ続けるその雫を、ずっと私は見ていた。
……ああ、そうか。
これは、私のなくしていた記憶だ。
◆
「……あ」
「…良かった、目覚めたんだねカノン」
目が醒めるとそこには緊張が抜けたかのような表情でこちらを見つめるユウくんの姿があった。
どうやら私は感情との一体化を果たすまでの間、眠りについていたようだ。
「…う、うん。その、ここは…?」
「ナミダノマチの宿屋だよ。
街の人に頼んでここまで運んでくれたんだ」
「そっか…」
私はあの記憶を再び思い出していた。
泣き続けていた記憶。
悲しみの感情が伝えたかったかのような、そんな記憶。
でも、私にそんな覚えはなかった。
考えられることは一つ。
……あれは私が心を壊し、そのショックから封印していた記憶が感情を通じて呼び起こされているんだ。
考え事をしていると、ユウくんが顔を覗き込んできて。
「大丈夫?
どこか痛んだりする?」
「ううん、どこも痛くない。
ちゃんと、悲哀の感情もここにある」
「そう言えばカノン、どうやって感情を抑えたの?」
「……意志だよ、私自身の意志。
理性と意志は似ているようで違う。
本能、感情に捕らわれずに思考し、判断できるのが理性。理性は死を選ぶ道が正しいと判断したんだと思う。
意志は何かをしたい、成し遂げたいと思う心に働きかけるもの。
悲哀の私と話して、ふとそんなことに気がついたんだ。そしたら…出来た」
「意志が…」
「うん。これは私も、理性の私も知らなかったことだと思う。
意志と理性がどう違うのかって聞かれてもすぐには出てこないと思う。
まぁそのことを考えたことがある人ならすぐにわかるんだろうけど。
少なくとも私はそれを考えたことがなかったから…。
でも、このことに気付けたおかげで、私は感情を抑え込むことができた。
この現状を何とかしたい、そのために感情をコントロールしなくちゃって」
理性の私がどこまで知っていたかはわからないけど、あの口振りから察するにこのことに関しては理解が及んでいなかったように感じた。
やっと一矢報いたという感じだけど、理性はまだ何かを知っていて、それを隠しているという気がする。
一体彼女はどこでそんな知識を得たのだろうか…。
「…そう言えばユウくん。私が眠ってからどれくらい経ってたの?」
「うーん、3日…かな」
……そんなに。
三日間も私は感情を抑えるために眠っていたんだ。
「あ、そうそう、カノン宛に手紙が届いてたんだ。
届けてる人がカノンって人はこの町にいますかって聞き回ってたのを見かけたんだ。
僕は見てないけど、誰からのものかは何となく察しがつくんじゃないかな」
手紙。
この世界で私のことをよく知ってる人はたった1人しかいないはず。
「ミユ……?」
◆
……カノンお姉ちゃんへ。
この間はありがとう。
お陰で今、私は傭兵の人たちに保護されて安全な生活を送っています。
…これを読んでくれてるってことはお姉ちゃんはまだ生きてる。
そう思ってこの手紙を書きました。
あの橋に落ちて無事…なんてあるのかわからないけど、私は無事だって思いたい。
カノンお姉ちゃんは生きてるんだって思いたい。
私はあの後、手紙を送るためにカノンお姉ちゃんが流れ着いたであろう地域から目星を立てて、そこから近辺の街にカノンお姉ちゃんがいるかどうか探してほしいと頼みました。
もしもカノンお姉ちゃんが生きていて、この手紙を読んでいるなら、もう一度私はお姉ちゃんに会いたいです。
あの橋の先にある、傭兵たちの関所で待ってます。
ミユより。
「ミユ……心配かけちゃってごめんね」
ミユはあの後、私のためにここまでしてくれたのか、そう思うと胸の奥が苦しくなって、瞳からは涙が零れ落ちそうになった。
「カノン…」
「ユウくん、私…」
「うん、わかった。ミユに会いに行くんだよね?」
ユウくんは即決で私の意見を肯定した。
何が書いてあるのか、何となくわかったんだろうか。
ユウくんもミユとは付き合いが長いだろうし。
「ミユは何処にいるって言ってたの?」
「えーと…傭兵の関所ってところだよ」
「傭兵の……」
ユウくんは一度考えるような顔をして、そのあとすぐにまた元の優しい表情に戻り。
「…まずは旅の準備をしようか。
どうやって行けばいいか調べる必要もあるし」
そんな訳で、私たちは旅の準備をすることになった。
◆
「ほら、これもサービスしとくよ」
「え、でも…」
「いいんだよ、街を救ってくれた礼さ」
どうやら事の顛末を知らない町の住民からはすっかり私たちは英雄扱いされているらしく、様々なものをサービスしてもらった。
元はと言えば自分が原因で起きたことなんだ、と思うと罪悪感にも襲われる。
ユウくんは街を救ったことは事実なんだし、ありがたく貰ってもいいのではとは言っていたけど……。
「カノン、とりあえずこれで終わりだよ」
「う、うん」
私は何処か納得のいかない顔つきでユウくんの元へと向かった。
「……カノン、やっぱり気にして…」
「う、ううん!だって折角貰ったものだもの。
その好意に甘えてもらうことにするよ」
うん、その好意を無下にするのもまた失礼だなと思い、私は素直に好意を受け取ることにした。
「ねぇ、カノン。聞いた話によると傭兵の関所があるところへ向かうには船に乗る必要があるんだって」
「……船?」
「うん。なんでもここから少し南にある港で出航してるみたいだよ」
「じゃあそこに向かおうか」
私たちは帰路を歩きながら、今後の目的地を決めていた。
南の港、次はそこに向かう必要があるみたい。
……せめてこの旅で、私がどうしたいのか決めたい。
私はそう思いながらユウくんの隣を歩き、宿屋へと向かっていった。
◆
それから翌日。
旅の支度を終えた私たちはナミダノマチを出発し、南へと向かっていた。
「でやっ!」
襲われたハーツイーターに立ち向かうユウくん。
不思議な剣を持って戦っている姿はとても頼もしく、思わず見惚れてしまっていた。
その剣閃はハーツイーターをたちまちと斬り刻み消滅させる。
もう既に何度も見た光景だけど、いつ見てもつい眺めてしまう。
「終わったよ、カノン」
「いつもありがとう、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
戦いを終えるとまた私たちは出発し、それを繰り返した。
それからまた数時間が経ち、日が暮れ始めた頃。
「カノン、街まではまだ少し距離がある。
ハーツイーターは夜だと視認し辛くて苦戦すると思うからこの辺で休みたいと思うんだけど…」
ユウくんが休息を持ちかけてきた。
私もその意見に異論はない。
……ただ一つの疑念を残して。
「でも、寝てる時にハーツイーターに襲われないの?」
「大丈夫、これがあればね…」
そう言ってユウくんが取り出したものは何かが入った袋だった。
「これはキャンプ用簡易コテージ。
ほら、僕らがキャンプの遊びをしてた時に言ってた……」
「あ、アレ?
なんか話がやたら飛躍してた…」
そう言って昔のことを思い出した。
7年前のこと。
ユウくんとミユと私はみんなでキャンプに行きたいという話をしていたことがあった。
そんな時にふとみんなで話してたこと。
◆
「そういえばゲームやってるとたまに見かけるんだけどさ、魔物がうろついてるフィールドでよく野宿とかできるよね」
ゲームが好きだったユウくんはそんなことを呟いていた。
「確かに。絶対襲われるよね」
「だよね、どうやってるんだろ?」
うーん、と頭を悩ませているユウくんとミユ。
そこで私は何を閃いたのかこんなことを言っていた。
「…虫除けみたいに魔物が寄り付かないようになってるんじゃない?」
「「確かに!」」
…なぜか2人とも妙に納得した。
いやいや、虫とかより色んな生態系がいる魔物が匂いだけで何とかなるのとは思ったけど。
その考えはユウくんが別の答えを導き出したので、口に出さずに終わった。
「虫除け…虫除け…そうだ、魔法だ!
ゲームにあるじゃん、魔法!
それを使ってるんだよきっと!」
魔法。
現実にそんなものが存在するならきっと誰もが欲しがるようなまさに夢とも呼べるもの。
確かにゲームならそれはありえるけど…。
「キャンプで使うテントもさ、そういうのがあれば良いよね!」
私もそう思う、魔法のテント。そんなものがあったら良いのになぁって。
みんなと安心して一緒に居られるのになって。
過去の私たちはそんな他愛もない話をしながら幸せに暮らしていた。
そんなことをふと、思い出した。
◆
「そのテントだよ、カノンの心で考えていたことが具現化してくれたんだ」
「あの時の会話もこんな風に反映されてるなんてびっくりだよ、ユウくんはもう使ったことあるの?」
「あるよ、最初はちょっと不安だったんだけど凄く効果があったんだ、寝心地も良いし」
確かに当時の私はそんなことを考えてた。
折りたためるけど広くて寝心地が良くて、危ないものとかが入り込まない安心して眠れるようなテントが欲しいって。
まさかそんなことも再現されているのだろうか?
期待に胸を膨らませながら私はユウくんと一緒にテントを張る作業をした。
…………ちょっと待った。
「ね、ねぇユウくん。テントってことはもしかして…」
「うん?………あ」
そこでユウくんは私の言いたかったことを察するかのように顔を赤くしていた。
「い、一緒に……ね、ね、寝るって子と…になる、ね……」
広くて〜とはいえ所詮はテント。
コテージではあるまいし当然同じ場所で寝るということになる。
年頃の男女2人で。
……いやいや、ユウくんに限ってそんなことはないと信じているけどもやはり意識してしまう。
「じ、じゃあ僕は外で寝ることにするから…」
「う、ううん!大丈夫だよ、ユウくんは変なことしないって信じてるし、何よりユウくんが危険だから…」
そう言って私は半ば押し切る形でユウくんの意見を否定することになった。
◆
次の日……。
「「ね、眠れなかった……」」
ユウくんがどう思ってたのかはわからないけど、ユウくんも眠れていなかったようだ。
その証拠に目にクマができている。
かくいう私も同じ感じだった。
何しろこういうことは初めてだったから緊張が止まらなかったんだ。
何もなかったとはいえ…やっぱりドキドキが止まらなかった。
私の中に残っている小さな感情が最大限まで膨れ上がっていったのを鮮明に覚えている。
……そういえば私はユウくんをどう思ってるんだろう?
一緒にいてとても楽しくて、一緒にいると心強い。
今までずっと友達としか思ってなかったけど、お互い大きくなってこうして一緒にいて、前よりも強く大きく、そして優しくなったその背中に何故だか心が温かくなる気がする。
…でも今まで男の子について意識することもなかったからこの感情が一体何なのか私にはわからなかった。
「もうちょっとだよね、眠れなかったけど頑張っていこうか」
「そうだね、ミユも待ってるだろうし。
行こう、カノン」
私はこの考えを一旦胸に秘めたまま、待ってくれているミユの元へと足を進めていった。
続く
悲哀と一体化しながらも感情を抑えることができたカノンはこれからどういう道を選択していくんでしょうか?
取り敢えず、カノン視点で描かれている今作ではどうしてもユウがどんなことを考えてカノンを救おうとしているのか分かりづらいと思います。
これはユウの視点で描くつもりの「幸せを掴むために」を何らかの形で作っていきたいと思っているからです。
とは言えひとまずはここにどんなことを思ってるのかくらいは書いていきたいと思います。
まずユウは作中で何度も語られていますが、7年前、ある事情で転校を繰り返すカノンが出会った彼女にとって最も大きな友人の1人です。
というのも、人を避けていたカノンに臆することなく接し、その結果カノンが心を許したからという経緯があります。
彼自身にも事情があるにせよカノンを非常に大切に思っていて、彼女を守りたいと誓っています。
「声」に導かれ、この世界にやってきたと語り、その声から様々なことを教えてもらったと言っています。
カノンが決めたことなら受け入れるが出来ることなら救いたいと思っていて、そのために強くなろうとしています。
…とまぁユウに関してはこういうキャラとなっています。
ユウもいずれは過去について語られる時期が来ますので、その時初めてユウというキャラが分かるはずだと思っています。
それまでまだまだ時間はかかりますがどうか応援よろしくお願いします。