ミステリーナイトにキュートなアイテム導入
榊原くるみは小走りに交差点を渡る。そのまま高架下を通り、ひと気のない狭い路地に入って、ネコカフェ『キャットテール』の前に着いた。腕時計を見ると、午後9時40分。『ミステリーナイト』が始まるまで、まだ1時間近くある。くるみは学習塾を終えて急いでやってきたのだ。
入口の前で深呼吸をして、乱れた呼吸を整える。窓から店内の様子を見ると、『ミステリーナイト』のメンバーはまだ誰も来ていないようだ。
『よかった、まだ誰もいないみたい』心の中でそう思いながらドアを開ける。
くるみが店内に入ると、石橋店長がカウンター席で何か作業をしているのが見えた。店内はまだネコカフェ仕様のままだった。石橋店長はよほど作業に没頭しているのか、くるみが入ってきても気がつかない。くるみは忍び足で石橋店長の背後まで来ると、店長の背中に触れた。
「こんばんはー」
「うわあ、びっくりしたあ。くるみちゃんか、こんばんは」芸人並みのオーバーリアクションをする。
「店長、なにしてるんですか?」
店長はカウンターの上にあるものをくるみに見せる。
「くるみちゃん、これなんだと思う?」
店長が見せたものはプラスチック製の丸くて平たいものだった。
「小物入れですか?」
「小物入れじゃないんだ。これは『ミステリーナイト』で使う早押しボタンだよ」
「早押しボタン?」
「そう。今まで、質問とか答える時とか、みんなに手を挙げてもらってたでしょ。それを今度から、このボタンを使ってやってもらおうと思って買ってきたんだ」
よく見ると、その白いものから細い線が伸びていて、その先にネコのイラストが描かれている薄っぺらのプラスチックの物体とつながっていた。
「くるみちゃん、ちょっとこのボタンを押してみて」
店長はボタンをくるみの前に差し出す。くるみは恐る恐る、人差し指でボタンを押してみた。『にゃーん』という音とともに、ネコのイラストが勢いよく起き上がった。
「なんか、かわいいですね」
「はははは、気に入ってもらえたかな。今日からこれを使ってやるからね」
くるみはそのまま石橋店長の隣りの席に座る。テーブルには、他にも同じボタンが5つ並んでいた。
「くるみちゃん、今日は早いね。塾が早く終わったの?」
「そ、そうなんです」くるみはバッグの中に手を入れる。バッグからあるものを取り出して、テーブルの上に置いた。
「店長、家でクッキー焼いてきたんですけど、よかったら食べてください」
「クッキー?大好物だよ」
店の隅に置かれている長テーブルの下から、なにかごそごそという音が聞こえた。音に続いて、テーブルの下から誰かが出てきた。茶色の髪をしている。陸斗だった。陸斗は服についた汚れを払いながら立ち上がる。
「くるみちゃん、クッキー焼いてきたんすか?」陸斗はカウンターに近づいてくる。
「はい、みんなで食べようと思って」『なんだ、リクさんもいたんだ』
「オレもクッキー大好きっすよ、みたらし団子の次くらいに好きっす」
「リク、テーブルはどう?直った?」店長がテーブルの様子を見ながら聞く。
「大丈夫っすよ。直ったっす」リクは2人が座っているカウンター席にやってくる。クッキーが入っている白い箱を見つけると、
「1つ食べちゃっていいっすか?」と、くるみの返事も聞かないまま、箱を開けて、クッキーを取り出して口に入れた。
「うーん、MUKっすね」
「なんですか、MUKって?」くるみが聞く。
「マジでうまいクッキーって意味っす」
「はははは、リク、お前は某テレビタレントか。くるみちゃん、ぼくも1個もらうよ」
『店長はなんて言ってくれるかな』
「うまい!うまいよ、このクッキー」
「よかったー。いっぱい食べてくださいね」
入口のドアが開いた。遠慮がちに入ってきたのは、『ミステリーナイト』の新人、天衣みるくだった。スーツ姿で仕事先からまっすぐに来たようだ。手には何かビニール袋を持っている。
『天衣さんも店長になにかあげるのかな』
「こんばんは」
「みるくさん、こんばんは。今、準備するから、そのへんに座ってて」
「あ、はい」みるくはそう言って、店内を見回す。
「店長、チーズってもう寝ちゃったんですか?」
「チーズ?チーズならあそこだよ」
石橋店長は店の隅に置かれているネコタワーを指さした。チーズはネコタワーのてっぺんにいた。みるくがそこに視線を向けると、チーズは急いでタワーから降りてくる。そのままみるくの近くにやってきた。
「にゃーん」
「元気だった?チーズ。チーズの大好きなチーズ入り鱈買ってきたよ」
「にゃー」
みるくは持っていた袋からチーズ入り鱈を取り出す。
「ははは、チーズはほんとにチーズ入り鱈が好きだな。これでよし。じゃあ、これをテーブルにセットするか。ちょっとリク手伝って」
石橋店長と陸斗は『ミステリーナイト』用の長テーブルを店の真ん中に運んでいった。その上に早押しボタンを置いていく。
「これでいいかな。後はメンバーが来るのを待つだけだな。みんな椅子に座っててよ」
陸斗、くるみ、みるくは指定の場所にそれぞれ座った。チーズもテーブルにポンと飛び乗って、いつもの場所で毛づくろいを始めた。
入口のドアが開いた。神楽坂と本郷がいっしょに入ってきた。神楽坂もビニール袋を持っている。
「こんばんは、あらみんな早いわね。駅前でたこ焼き買ってきたわよ。みんなで食べましょう」
「たこ焼きっすか、いただきまーす」
「あとは柊さんだけか」石橋店長は時計を見る。午後10時25分。
「あのじいさん、いっつもギリギリに来るからなあ」陸斗はさっそく神楽坂の買ってきたたこ焼きを頬張る。
「神楽坂さん、本郷さん、わたしクッキー焼いてきたんで、よかったらどうぞ」
「くるみちゃんが作ったの?おいしそうね」
「本郷さんもどうぞ」
「じゃあ、1ついただきます。うまい!」
「よかったー、また作ってきますね」『ほんとは店長だけにあげようと思ったのにー』
壁にかかっている時計の針が午後10時29分をさした。ドアが開いて、柊じいさんが入ってきた。
「おっす」
「おっすじゃないっすよ、じいさん。早く、もう始まる時間っすよ」
「年寄りを急がせるでない」柊は小さな歩幅で所定の椅子に向かう。椅子に座ると、かぶっていた帽子を取ってテーブルの上に置く。髪の毛が1本もない頭があらわになる。
「じゃあこれでそろったね、ちょうど時間だから始めるよ」店長は恒例のネコの置物をテーブルの中央に置いた。
「みなさん、静粛にお願いします」と言って、店長はその置物に一礼する。他のメンバーも一礼する。
「それでは、今日の一言。おっほん、えー、『ネコに猫背と言う』」
店長に続いてメンバーが復唱する。
「ミステリーナイトを始めます」店長が高らかに宣言する。
「ちょっといいっすか。ネコに猫背と言うって、どういう意味っすか?」
「はははは、リクは分からないかなあ。誰か想像つく人いる?」
「もしかして…」みるくがためらいがちに言おうとすると、
「みるくさん、分かった?」
「ネコはもともと猫背じゃないですか。だから、ネコに猫背って言っても、当たり前のことだから、そういう当然のことを言うんじゃないですか?」
「イエス、ざっつらいと!」
「なんでいきなり英語なんすか」陸斗は、大丈夫かこの店長はという視線を向ける。
「はははは、最近、駅前の英会話教室に通い出したんだ。その影響かな」
「発音がおもいっきり日本語英語だったわよ」神楽坂がからかうように言う。
「おかしいなあ、先生のキャシーには発音が良いって、褒められたのに。まあ僕の話は置いといて、今日から導入する早押しボタンの説明をするよ」
店長はさっき、くるみたちにした説明を繰り返した。
「ていうわけで、今日からこのボタンを使ってね。試しに押してみてよ」
メンバーはいっせいにボタンを押す。
「にゃーん」
「にゃー」
「ニャーン」
「ちょっとずつ音が違うようですね」本郷が興味深げにボタンを眺める。
「わざと違う音にしたんです。誰が押したかすぐに分かるようにと思って」石橋店長はテーブルに置いてあるメモを見る。
「説明が終わったところで、本題に入りますか。あっ、そうだ、思い出した。今日は2日だから、にゃんにゃんデーでポイントが10倍だよ」
「にゃんにゃんデー?」みるくには初耳だ。
「みるくさんは知らないんだっけ?にゃんにゃんデーは、2のつく日に『ミステリーナイト』がある場合、ポイントが10倍になるんだ。それから当店のオリジナルメニューから好きなものを一品、無料で食べることができるんだ」
「えー、そうなんですか、すごい!」
「なにか頼みたかったら、頼んでいいよ」店長はメニュー表をみるくに渡す。
「いいんですか、ええと、じゃあミステリーおにぎり2個セットお願いします」
「ミステリーおにぎりお願い!」
「はーい」店の奥から声がした。
「今日の1番目はくるみちゃんだね。くるみちゃんお願いします」
「あ、はい、ええと…」くるみは、次はなにを店長に作ってこようか考えていて、石橋店長の話がうわの空だった。急いでノートに目を向ける。深呼吸して気持ちを落ちつかせる。
「突然ですけど、みなさんは図書館って利用しますか?わたしは市立図書館によく行くんです。最近リニューアルされて、きれいになったので、まだ行ったことがない方は行ってみてください。わたしは自習コーナーとか雑誌コーナーとかをよく利用するんですけど、その自習コーナーで中間テストの勉強をしてた時のことなんです」
くるみは一息ついてノートをめくる。
「中間テストなんて、なつかしいわね。私なんかもう何十年も前のことよ」そう言って、神楽坂はたこ焼きを口に入れる。
「おばさんの時代にもテストがあったんすね」
「私を何時代の人間だと思ってるの。テストくらいあったわよ。ごめんね、くるみちゃん、続けて」
「えーと、勉強に飽きてくると、スマホでゲームしたり、ぼーっと、図書館の中を眺めたりするんです。この前も、そうやって図書館に来ている人を見てたりしてたら、ちょっと気になることがあったんです」
「にゃーーん」柊じいさんのボタンがなった。
「柊さん、まだ質問タイムじゃないですよ」
「わしは押しとらんぞ」
「柊さん、ひじがあたってますよ」本郷が教える。
「あっこれか、すまん」柊はボタンを正面に置きなおした。
くるみは笑いながら続ける。
「図書館のスタッフさんが、返却された本を本棚に戻すのを何気なく見てたんです。しばらくして、スタッフさんが本を戻した後に、ある男の人がそこに来て、その返却された本を借りていったんです。なんかその男の人は、返却されるのを待ってたっていう感じでした。そんなに人気の本なのかなと思って、ちょっと興味が出てきたので、わたしはその本棚に行ってみました。その本棚には国内と海外のミステリーが並んでいました。男の人が借りた本は1冊しかなかったみたいで、なんという本なのか分かりませんでした。
それから数日後、また図書館に行きました。ファッション雑誌を読もうと思って。雑誌コーナーに行ったんですけど、あの男の人が借りた本が気になっちゃって。それで、本が置いてある本棚に行こうとしたら、その男の人が、ちょうど本を返却するところだったんです。返却台に置かれた本のタイトルを見ると、『天草警部と9つの謎』っていう国内ミステリーで、その本以外にも何冊か借りてました。『ネコと暮らすために必要なこと』『2000年代音楽史』『ここがすごい!日本人』他にもあったんですけど、タイトルは忘れちゃいました」
「なんかいろいろなジャンルね」たこ焼きを食べ終えて、メンソールたばこに火をつける神楽坂。
「返却された本って、すぐには本棚に戻されないみたいで、ちょっと中を見たかったんですけど、その日は時間もあまりなかったので帰りました」
店の奥から、ネコの着ぐるみを着た店員がやってきた。
「お待たせだにゃん、ミステリーおにぎり2個セットだにゃん」
みるくは着ぐるみの店員をまじまじと眺める。
「やっぱり横山さんですよね?」
「横山さんって誰だにゃん、ぼくはコマだにゃん」
「はははは、みるくさん、あんまりコマを困らせないでよ。僕がどうしてもってお願いして、時給100円アップでやってもらってるんだから」
「店長、それは内緒だにゃん」着ぐるみの店員は恥かしそうにキッチンの方に戻っていった。
「くるみちゃん、それからどうしたの?」神楽坂が話を促す。
「それから1週間くらいは、その男の人には会いませんでした。中間テストも終わって、そんなに図書館に行く必要もなかったんですけど、学校からの帰り道にあるし、ちょっと寄ってみたんです。何げなく返却カウンターを見たら、あの男の人がいて、ちょうど本を返却するところだったんです。
わたしは、男の人に気づかれないように返却された本を見ました。5冊借りたみたいでした。1冊ずつ見ていくと、その中に、前に借りてた『天草警部と9つの謎』があったんです。他の本は、前のとは違うものでした。わたしは、その時はたぶん、貸出期間中に全部読めなかったんだろうって思いました。わたしがそうやって返却された本を見てたら、女性の方が近寄ってきて、
「興味あります?」って聞いてきたんです。その女性はスタッフの方だそうで、自分もミステリー系は好きだけど、まだその本は読んでないって言ってました。この本って人気があるんですかって聞いてみたら、スタッフの方は周りを気にしながら、確かに人気はあるが、さっき返却してきた男の人が何回も借りるから、他の人があんまり借りられないって言ったんです。わたしは、その男の人はどのくらい借りてるんですかって聞いてみました。びっくりしたんですが、その人はこれまでに6回くらいは借りてるそうです。それじゃあ、わたしからのミステリーは、『男の人はどうして何回も同じ本を借りたのでしょうか』です」そう言い終えると、石橋店長の顔をうかがう。
「くるみちゃん、なかなかグッドなミステリーだよ、ありがとう。それじゃあ質問タイムにいきますか。質問ある人はボタンを押してね」
「にゃーん」
「にゃあ」
「ニャーン」
ボタンが一斉に押される。
「オレが早かったっすよ」
「いいえ、私よ」
神楽坂と陸斗はほぼ同時にボタンを押したようだ。
「どっちが早かったかはそのネコのパネルを見れば分かるよ。ネコの目が赤く点滅してる方が1番に押したって意味なんだ」店長が説明する。見ると、神楽坂のネコの目が光っている。
「私の方が早かったみたいね、じゃあ質問ね。市立図書館の本の貸し出し期間ってどのくらいかしら?」
「10日間です。新刊の本は1週間です。ちなみに男の人が何回も借りた本は新刊の本じゃないので、貸出期間は10日間です」
「10日間ね、読もうと思えば読んじゃえるわね。その男の人は6回くらい借りたそうだから、60日借りたことになるのかしら?」
「スタッフさんが言ってたんですけど、男の人は早い時は2日くらいで本を返却したみたいです」
「2日?じゃあ、10日間めいっぱい借りてたわけじゃないのね」神楽坂は不思議そうな表情をする。
「にゃー」
「みるくさん、質問どうぞ」
「このおにぎりおいしいですね。ええと質問ですけど、男の人はどういう方なんでしょうか?」
くるみは、みるくが食べてるのを見ていたらお腹がすいてきた。後でわたしもなにか頼もう。
「若い方で、たぶん大学生か20代前半くらいだと思います。いつも私服で帽子を深めにかぶってるので、顔はよく見えないんですけど、けっこうイケメンっぽい顔です。誰かといっしょに来てる感じではないです」
「イケメンか、オレといっしょじゃないっすか」陸斗がなんのためらいもなく言い切る。
「誰がイケメンだって?」神楽坂が間髪入れずつっこむ。
「おばさんの目の前にいるじゃないっすか」陸斗が親指で自分を指す。
「私の目の前には、ぼさぼさ頭の、顔がにきびだらけの男しかいないわよ」
「ちょっとひどくないっすか、オレだって…」
「にゃあ」本郷がボタンを押した。
「本郷さん、どうぞ」
「女性のスタッフの方なんですが、そのスタッフの方は、男の人が何回も同じ本を借りてることについて、くるみさんに何か言ってませんでしたか?」
「スタッフさんは、確かに6回も借りるのはちょっと多い気がするけど、図書館に来る人はいろいろな人がいて、たまにはそういう人もいるって言ってました。特に不審に思ってるようではなかったです」
本郷はなるほどという感じでうなずく。
「リクは何か質問ない?」
「うーん、そうっすね。その女性のスタッフさんはかわいいっすかね?」
「リク、ミステリーに関係ある質問しろよ」
「関係あるかもしれないっすよ」
くるみはリクさんらしい質問だなと思った。
「すごくかわいいです。リクさんのタイプかもしれないですよ」
「明日、図書館行ってくるぜ」イケてない決めポーズをする陸斗。
「まだ質問ある人いるかな」質問はないようだ。
「そしたら解答タイムにいきますか」
石橋店長が宣言しようとすると、
「にゃーーん」柊じいさんのボタンがなった。
「じいさん、またひじで押したんすか」
「柊さんじゃないみたいですね」横にいる本郷がリクに教える。
柊じいさんの目の前にはスリーピーの姿があった。スリーピーは興味深々な様子で、にゃんボタンを見ている。しばらくそうしてから、慎重に獲物を狙うみたいにボタンに近づいて、ネコパンチを繰り出した。
「にゃーーん」またボタンがなった。
「スリーピーのしわざだったのね」神楽坂がそう言うと、スリーピーがタイミングよく、
「にゃー」と鳴く。スリーピーはボタンに飽きると、柊じいさんのお腹に乗って眠りだした。
「柊さんのお腹がスリーピーの特等席か。じゃあ、解答タイムスタート」
いつもならば、解答タイムが始まると同時に、陸斗がまっさきに答えるのだが、今回は難しいのか、陸斗は腕を組んで考えている。数秒間の沈黙の後、
「にゃー」みるくがボタンを押した。
「みるくさんだね、前回みたいに正解できるかな。どうぞ」
「おにぎり、ごちそうさまでした。横山さん、じゃなくてコマって、おにぎり作るの上手ですね。ええと、答えですね。ちょっと自信ないんですけど、その男の人が借りた本って、実は一冊で完結じゃなくって、上下巻とか上中下巻になってるんじゃないですか。ぱっと見には同じ本に見えるので、同じ本を借りたように見えただけじゃないかなあ」語尾に力が入っていないから、やっぱりあまり自信がないようだ。
「うーん、違います」
「やっぱり違うか」
「あー、残念だったね、僕もそう思ったんだ」店長がなぐさめるように言う。
「にゃーん」陸斗が豪快にボタンを押す。
「リク、あんまり強く叩きすぎて壊すなよ。どうぞ」
「つい力が入りすぎちゃったっす。えーと、答えっすけど、その男の人は忘れっぽい人で、前に借りてたのを忘れて、同じ本を借りてたんじゃないっすかね」
くるみは陸斗に向かってニッコリ笑う。
「はずれです、リクさん」
「そうっすよね、そんなに簡単なはずないっすよね」
「私は、リクがまた別人説を言い出すのかと思ったわよ」神楽坂がからかう。
陸斗が答えた後、再び沈黙が続く。柊じいさんは目を閉じてうつむいていて、起きているのか眠っているのか分からない。
「さあみんな、どんどん押してね。3回までは答えられるんだから」石橋店長が促すが、ボタンは押されない。
「それに今日は、にゃんポイント10倍の日だよ」
「にゃんポイント!」柊じいさんが反応する。
「にゃあ」ボタンがなった。
「本郷さんですね、どうぞ」
「全然自信はないんですが、10倍デーだし、もしかしたら正解するかもしれないので。私が思いますに、その男の人は本の中身を違う本とすり替えているのではないでしょうか。すり替えた本はどこかの中古屋で売ってるとか。大きな図書館で、たくさん人が来るようなところでは、1つ1つ返却された本の中身をチェックしてないところもあるんじゃないかなと思ったんですが」
「本郷さん、残念、違います。あそこの図書館では、返却された本は全部チェックされてます」
「そうでしょうね」本郷はそんなにダメージを受けていない様子だ。
くるみの出した問題はメンバーにとって難しいらしく、ボタンを押そうとする気配がない。
「それじゃあ、1つ目のヒントいっちゃっていいかな?」店長は誰もボタンを押さないのを確認する。
「くるみちゃん、じゃあヒントお願い」
くるみは自作ノートをめくる。めくったページには、話す順にヒントが書かれている。
「ええと、ヒントですね。1つ目のヒントは、男の人が借りた『天草警部と9つの謎』っていう本がある本棚は、その正面が広い自習スペースになっていて、その自習スペースから本棚を見渡すことができるんです。これがヒントです」
「それがヒントなの?なんだかますます分からなくなっちゃったわ」ヒントに期待していた神楽坂がため息まじりに言った。
くるみがヒントを出しても、しばらくは誰もボタンを押さなかった。ボタンに手を伸ばしては押すのをためらっていた陸斗が、やさしくボタンを押した。
「にゃーん」
「リク、アンサー、プリーズ」
「店長、たまに英語になるの、ちょっとうっとうしいっすよ。答えっすけど、その自習スペースから本棚が見渡せるんすよね。ってことは、誰が本を借りようとしてるのか、そこから見えるわけじゃないっすか。その男の人は、その自習スペースにいて、その本を借りようとしてる人が来たら、その人よりも先に本を本棚から持ち出してるんすよ。理由はよく分からないっすけど、まあ意地悪みたいなもんすかね」
「意地悪をしてるか、どうかな?くるみちゃん」
「違いまーす」
「オーマイガー」陸斗も石橋店長の影響が出てきたようだ。
メンソールたばこをたて続けに灰にしていた神楽坂が、どうしようか迷いながらもボタンを押す。
「ニャーン」
「神楽坂さん、どうぞ」
「あんまり自信がないんだけど、とりあえず答えてみるわ。その男の人は実は図書館のスタッフの人で、本棚から本を取り出してるのは借りるためじゃなくて、業務上そうしてるんじゃないかしら。本の状態をチェックしてるとか」
「神楽坂さん、残念です。ちなみに男の人はスタッフではありません」
「そうよねえ」
神楽坂が答えた後、誰もボタンを押さず、店内は静まりかえってしまった。スリーピーのいびきだけが聞こえてくる。
「スリーピーぐっすり眠ってるわね」神楽坂が言うと、
「スリーピーは起きてますよ」本郷が教える。
「えっ?じゃあこのいびきは何?」
「柊さんじゃないですか」くるみが、うつむいているじいさんを覗きこむ。
「柊さん、起きてくださーい」石橋店長が声を張りあげる。じいさんは起きない。
「起きろ、じじい」陸斗の声にも反応しない。
「柊さん、にゃんポイントいらないんですか?」くるみも店長にならってにゃんポイントと言ってみる。
「ムニャムニャ、にゃんポイント!」目を大きく見開いて目を覚ました。
「じいさん、ミステリーナイトの日はちゃんと寝てこなくちゃだめっすよ」
「失敬、失敬」
「1つ目のヒントは聞きましたか?」店長が確認する。
「聞いとったぞ」
「じゃあ2つ目のヒントいきますよ。くるみちゃん、お願い」
「2つ目のヒントは、本を返却する図書館のスタッフさんは何人かいるんですけど、その男の人が借りた本を返却するのは女の人なんです。これがヒントです」
「なんかヒントを聞くたびに分からなくなってきますね」本郷が正直に発言した。
うーんとうなっていた陸斗がボタンに手を伸ばす。
「にゃーん」
「リク、レッツ、アンサー」
「うーん、ダメもとで答えちゃうっす。男の人は、その女性スタッフが気になってたんすよ。それで、自習スペースでその女性スタッフが来るのを待ってて、本を返しに来たら、さりげなく近づいたり、時には本を借りるふりをして体に何げなく触れてみたり言葉をかけてみたりしたんじゃないっすか」
くるみはすぐには答えなかった。少し考えるような表情をしてから、
「ちょっと違います」と言った。
「ちょっと違う?答えに近かったってことっすか」
「リク、残念だけど3回間違ったからアウトな。他に答える人いない?みるくさんはどう?何か思いつかない?」
「さっき思いついたことがあったんですけど、2つ目のヒントを聞いたら、やっぱり違うなって思って。もうちょっと考えてみます」
石橋店長は腕時計に視線を向けた。
「じゃあ続けて3つ目のヒントいっちゃおうか」誰もボタンを押さないのを確認してから、
「くるみちゃん、ヒントお願い」
「はい。ええと、3つ目のヒントは、男の人が借りた『天草警部と9つの謎』っていう本はタイトルの通り、謎解きミステリーなんですが、本の構成が問題編と解答編に分かれているんです。本の1番最後のページが袋とじみたいになっていて、その中に解答が入れてあるんです。その本はもう何度も借りられているので、袋とじはすでに開けられているんですけど、全部は破られていないので、そこに小さな紙のようなものだったら入れることができるんです。これがヒントです」
くるみがそう言ってから間髪入れずにボタンが押された。
「にゃーーん」柊じいさんのボタンだ。
「柊さん、どうぞ」
柊じいさんのボタンが押されると、メンバーはみんな固唾をのんで待つ。
「こういうことかな。今リクが言ったように、その男は本を返却している女性スタッフに好意をよせておるんだ。どうにかして自分の気持ちを伝えたいんじゃが、告白するような勇気がない。そこで、その男は恋文を書くことにした。でも、直接渡すことはできないから、本の中に入れることにしたんじゃ。男が借りていた本には、ちょうど恋文を入れるのに適した袋とじがある。
男は恋文を入れると、本棚を見渡すことができる自習スペースで本が返却されるのを眺めている。女性スタッフが袋とじの中身に気づいてくれるのを期待しながらな。
もし、気づいてくれなければ、返却された本を手にして、もう一度借りるか、恋文を抜き取って、次の機会にするかを決める。そうやって、恋文を入れては、スタッフが気づいてくれるのを待つうちに、6回も同じ本を借りたんじゃないかな。どうじゃ?」柊は淡々と答えた。
メンバーの視線は、くるみに集中する。くるみは悔しそうな顔をしたので、メンバーには察しがついた。
「柊さん、正解です」
「ヤッホー」
「こんぐらっちゅれーしょん、柊さん。20にゃんポイントゲットです」
「やっぱり強いわね、柊さん」神楽坂は素直に称賛する。
「強いのもそうっすけど、恋文なんて言葉聞いたの、人生で2回目っす」
「でも、くるみさん、どうして本の中に男の人のラブレターが入ってるって分かったんですか?」みるくがたずねる。
「実は、わたしも気になっちゃって、男の人が自習スペースから一時離れたすきに、本棚から本を抜きとって、こっそりと中を見たんです。そしたら袋とじの中にラブレターがあるのを発見して、ちょっとだけ中を見ちゃったんです。男の人が戻ってこないうちに戻しました。そのラブレターがどうなったかは分かりませんが、何日か後に図書館に行ったら、男の人と女性スタッフの方が親しそうに話してるのを見ました。後は、みなさんのご想像におまかせします」
「なるほどね、電子メールやSNSの時代にラブレターか。なんかいい話だったね。柊さん、おめでとう」店長が拍手する。
「にゃーーん」柊のボタンを押したのはスリーピーだった。