3-2:On School Days Part2
《羽黒高校 校長室前の廊下》
放課後。
窓から夕焼けの赤い光が差し込む中、鳴恵は校長室の前にいた。
別に校長室に用があるわけではない。
ただ校長室のとなりに設置された生徒相談室にいる親友を待っているのだ。
あの後、鳴恵の教室では何事もなかったかのようにホームルームが開かれ、生徒達は下校の徒についた。
何人かの生徒達は美咲の事件についての話題で盛り上がっていたが、部活やバイトがある者達はもはやそんなことにかまう暇も惜しいのか早々と教室を出て行った。
鳴恵がここにきて三十分ぐらいした頃だろうか。
やっと生徒相談室の扉は開き、美咲と男子生徒がそれぞれ出てきた。
美咲は落ち込んでいたようだが、鳴恵の顔を見ると目を見開き嬉しそうにえくぼを作った。
最後にもう一度、教師から「もう二度とあんなことをしないように」と注意を受け美咲と男子生徒はやっと解放された。
男子生徒は鳴恵に何か言いたそうな顔をしていたが、先生がいる手前か、黙って廊下を歩いていく。
「っよ」
片手を挙げ、遊びの待ち合わせでもしていたかのような気軽さで鳴恵は挨拶した。
「お待たせしちゃいました」
美咲の問いかけにはあえて答えず、鳴恵は彼女の教室から持ってきた美咲の鞄を彼女に手渡して、優しく肩を叩いた。
「さあ、帰ろうや」
「はい」
帰路についた鳴恵と美咲だったが、いつものような弾んだ会話はなく重苦しい空気の中二人は黙って歩いていた。
そんな沈黙に耐えきれなくなったのは美咲の方だった。
「あの、鳴恵さん、怒ってる?」
「怒っているって何をさ」
「だから、今日の私のこと。ごめんなさいね」
立ち止まり頭を下げる。
そんな美咲の姿は彼女を待っている間に容易に想像できていた。
そして、そんな彼女に伝えるべき言葉もすでに用意していた。
「なあ、美咲。確かにあいつを叩いたのは美咲で、悪いのは美咲。先生からは謝れって怒られたかもしれない。でもな、謝罪するのは大事なことかもしれないけど、大切なことじゃないんだよ。大切なのはな、悪いことをした自分がこれからどうするかだよ」
自分を勇気づけてくれる鳴恵からの言葉に美咲は目を大きく見開いた。
大雑把というか、男勝りな所がある鳴恵言うには少々違和感がある言葉だった。
鳴恵自身も自覚しているのだろう、顔を赤く染めて視線をわざと美咲から外している。
「鳴恵さん、今の言葉、おばさんからの受け売り?」
「ああ、そうだよ。ママが言うとなんかしっくり来るんだけど、オレが言うと途端に胡散臭くなってしまうな」
「ふふふ、そうかもしれません。でも、私は勇気づけられましたよ」
やっと笑った。
鳴恵はやっと親友の顔に戻ってきた笑みに安堵のため息をこぼし、心機一転、美咲の肩を思いっきり握りしめ彼女らしく豪快に言った。
「うっしゃ、じゃ、カラオケにでも行ってイヤなこと忘れてストレス発散しようぜ。どうせ、美咲、今日のバイト休みで暇なんだろう?」
「はい」
こうして、鳴恵と美咲は繁華街行きのバスに乗り込んだ。
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《神野家リビング 二人だけの食卓》
鳴恵のいないリビングで、晴菜はあからさまに不機嫌だった。
買ってきた総菜のサラダとヒレカツをただただ黙々と食べているだけなのにその不機嫌さは動作の節々から伝わってくる。
「晴菜、怒ってる」
「怒ってませんわ」
「やっぱり、怒ってる」
一方の明里は相変わらずに無表情でお茶をゆっくりと飲んでいた。
鳴恵から今夜の帰りは遅くなると電話がかかってきたのはもう二時間も前の話なのだが、それ以降、晴菜の機嫌は最悪な状態だった。
少々のことでは動じない明里だから良いものの、生半可な者がここにいたのなら五分とて晴菜の不機嫌さを前にして持つかどうか。
「ねえ、晴菜」
「何でしょうか?」
隣におかれていたクリームコロッケが乗った皿を乱暴に引き寄せながら晴菜は明里を軽くにらみつけた。
ちなみに、このクリームコロッケは鳴恵のために晴菜が選んだ物だったりする。
「鳴恵さんは、この星で生きてきた。私たちとは違って、反逆者との戦いが終わってもこの星で生きていく。だから、鳴恵さんはこの星での生活を大事にしていないといけない。それは、晴菜も分かっているはず。なのにどうして、そんなに怒っているの?」
的を射た質問に晴菜は持っていたフォークとナイフを置き、向かい側に座る明里の目をちゃんと見てから話し始めた。
「別にわたくしも、遊んでいる鳴恵を攻めている訳ではありませんわ。ただ、わたくしには鳴恵の気持ちが理解できないのですわ。そのことがただ悔しくて、わたくしは自分自身に苛立っているのですわ」
言うことをすべて言い終えると晴菜はもうこれ以上聞く耳は持たないとばかりに食事を再開し始めた。
そんな晴菜を明里はゆっくりと緑茶を飲みながら見守り彼女には聞かれないように心の奥で呟いた。
(晴菜は、彼女に助けられて以降、ずっとティア・ブレスを持つことだけを目標に生きてきたか。晴菜にとって、彼女は憧れで、私は戦友でしかない。じゃあ、鳴恵さんは何?)
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《帰宅路途中の繁華街》
「それじゃあ、鳴恵さん。今日はありがとうございました」
繁華街で行きつけのカラオケ屋を出た美咲は手を振って鳴恵と別れた。
鳴恵は普段学校までバスのみで行くことが出来るのだが、美咲は電車とバスを乗り継いで学校まできている。
いつもは学校からバスに乗って駅まで行っているのだが、この繁華街からなら駅はもう目の前だから一々バスに乗る必要性はなかったのだ。
一方、鳴恵の方はというと駅前まで行く必要もなくカラオケから歩いて1分のバス停から直通で自宅まで最寄りの乗り場まで行くことが出来る。
いつもなら美咲を駅まで送って、駅前のバス停から乗るのだが、美咲が「もう、大丈夫」と言ったので彼女の意志を尊重することにしたのだ。
バス停の前に立ち、時計と時刻表を見比べて乗るバスを調べていると、鳴恵はあることに思いつき慌てて鞄の中身を確認した。
不安は当たり、忘れ物があった。
忘れ物は今日の放課後に同じクラスの男子からもらったラブレターだった。
男がラブレターっていうのはどうなのだろうかと一瞬疑問に思ったが、鳴恵にラブレターを渡す彼の必死さを目の当たりにしたら、アレが彼が出せる最大限の努力だったのだと分かった。だからといって、鳴恵は彼と付き合うつもりは毛頭ない。
だが、そんな彼が書いたラブレターだけは一度ちゃんと目を通しておくのは、もらった自分の最低限の義務だと思っている。
まあ、それなのにラブレターを机の中に入れたまま忘れってしまったのだが。
(っしゃ、となればさっさと取りに戻るか。あんまり遅くなると晴菜の奴がまたうるさいだろうし)
両手を軽く握りしめて、意志を決定した鳴恵はそうして、学校前に停車するバスに乗り込んだ。
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《深夜の羽黒高校》
夜の学校。
そこは、昼間の喧噪が嘘のように静寂に包まれていた。
誰もいないからもちろん明かりもつけられていない。
鳴恵は窓から入り込む月明かりだけを頼りに廊下を歩き、自分の教室へと目指していた。だが、
「!?」
自分の教室を目前にして鳴恵は足を止めた。
こんな時間に学校にいるのはせいぜい、忘れ物を取りに来た自分と警備員のおじちゃんともしかしたら日直の先生ぐらいだろうと考えた。
だが、違う。誰かいる。
鳴恵が普段使っている教室のすぐ隣に―美咲のクラスだ―人の気配が感じられてる。
先生や警備員ではないと鳴恵は直感した。
気配に動きがないのだ。
何をしているのか知らないが、静かに佇んでいるだけのようだ。
一瞬だけ鳴恵はためらったが、好奇心と言いようのない不安が頭を包み込み、教室の扉を一気に開け広げた。
教室の中にいたのは一人の女性だった。
皺一つない、黒のスーツを着こなしていて、眼鏡の奥に見える瞳は知的に輝いてた。
すらりとして姿勢の良いその立ち姿は何処かの秘書のように思えた。
「この学校の生徒さんですか?」
秘書風の女はいきなり扉を開けた鳴恵に驚きも見せず、整然とした口調で尋ねた。
「ああ、そうだが」
逆に拍子抜けを感じたのは鳴恵の方だった。
見慣れた教室の中にあって、異物である彼女の存在が妙になじんでいるのにどう対応していいのか分からなかった。
「ああ、あいつ、やっぱり間違えたのかしら?」
秘書風の女は何か自分で納得したようにため息をつき、視線を鳴恵から黒板の方へと向けた。
秘書風の女の先にあるのは一輪の花。
毎日、美咲が心を込めてお世話をしているあの花があった。
「あなた、美しいお花は好きですか?」
「え?」
唐突な質問に鳴恵はちゃんとした答えを返せなかったが、女はかまわず続ける。
「それとも、散らしてしまいたいと思ってますか?」
秘書風の女が浮かべた冷酷な笑みに鳴恵の背筋が凍った。
そんな驚きなど気にしていないのか秘書風の女はゆっくりと右手を挙げる。
開いた手のひらの先に鳴恵を捕らえて、軽く意識を集中させる。
すると、女の手の先に渦が生まれた。
月明かりだけだ差し込む教室の中であっても、さらに暗く、宇宙の闇とはこういうのかと思うほどに黒ずんだ渦は急激に成長して女の背丈ほどにまでなった。
「お前、反逆者なのか?」
自分が日常的に生活を営んでいる空間に、しかも戦いとは全く無縁の場所に反逆者が現れた。
夢さえ思わなかった事態に鳴恵は動揺した。
「そうです。あなたがシャーグルの報告にあった『雷のティア・ブレス』の持ち主なのですよね」
秘書風の女は自らが生み出した暗闇から出来た渦を優しく押した。
渦は秘書風の女と鳴恵との間にある机や椅子をなぎ払いながら鳴恵に迫り来る。
どうしてこんな状況になったのか鳴恵は全く理解できなかったが、戦闘は有無を言わさせれずに始まってしまった。
こうなると迷いや不安はすべて邪魔で自らの足を引っ張るだけしかならない。
晴菜と「勝手にティア・ブレスの力を使うな」と約束していたが、そんなことを律儀に守っていたら今ここで死んでしまう。
「ティア・ドロップス コントラッケト!」
左腕の『雷のティア・ブレス』を親指で力強くこすりつけた鳴恵の姿は、刹那、光に包まれてその姿を黄金の衣に身を包んだ『雄々しき一撃 ティア・サンダー』へと変わった。
渦は目の前の物をすべてなぎ払いながらティア・サンダーの目前まで迫りきていた。
その上秘書風の女の手を離れた今もその成長は止まっていない。
逃げるか、迎え撃つか。鳴恵はすでに決めていた。
「ライジング・ゴウ・インフェルノ!」
雷光に包まれた黄金の拳が、闇よりも深い黒の渦を迎え撃つ。
しかし、雷撃は渦に飲まれ辺りに散乱してしまった。
黒板、机、窓ガラスなどが無惨にも雷で壊されていく。
友人たちが使っていた教室を壊していることに鳴恵の心は痛んだが、だからといってもう退くことは出来ない。
ここで攻撃をやめたら、ティア・サンダーはこの暗黒の渦によって体を切り刻まれるのだろう。
「うわあわあああ!!」
ためらいを捨て、ティア・サンダーは渾身の力で拳を振り抜いた。
拳は渦に打ち勝ち、闇は月明かりの教室の中に粉々に砕け散り、消えた。
そして、同時にあの秘書のような姿をした反逆者もその姿を教室から消していた。
どうやら、今の攻撃は鳴恵を倒すための物というよりも鳴恵の注意をそらすための攻撃だったようだ。
「戦うことが目的じゃなかった。じゃ、何で反逆者がオレの学校に……」
ティア・サンダーへの変身を解き、この学校指定の制服に戻った鳴恵は疑問を呟いてみたが残念なことにその問いに答えてくれる人も問いを聞いてくれる人もこの場所には誰もいなかった。
今、鳴恵の目の前にあるのは、無秩序に転がった机、夜風を通す割れた窓ガラス、一生消えない引っ掻き傷を負った黒板、など今朝まで美咲と仲良く話していたのと同じ場所とはとても思えない教室だった。
「あっ」
そんな廃墟のような教室の中、鳴恵はもっともみたくない物を見つけ出してしまった。
砕けたガラスと水たまりの中、花が散っていた。
毎日、美咲が大切に世話をしていたあの花が、今日、クラスメートと喧嘩してまでも守りたかったあの花が、地面に落ち、その生涯を終えていた。
「ごめん、美咲」
小さな謝罪の呟き。
だが、花はもう元には戻らない。
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《破壊の爪痕残る羽黒高校》
翌日、学校は混乱に支配されていた。
一夜にして使い物にならなくなった教室。
教職員は事態の把握に右往左往して、警察が現場検証をして、地方局が取材にやってきた。
深夜に窓ガラスが割られたぐらいならこんなにも大騒ぎにはならなかっただろうが、あの内部で爆発でもあったかのような教室の惨状を見るととてもじゃないがそんなレベルではないと誰もが思った。
生徒達は登校してきたが、結局何もせずままに一時間後臨時休校が決まった。
大半の生徒は昨夜眠りにつくときには予想にもしなかった休校に歓喜したが、中にはこの臨時休校を喜べない者達もいた。
そのうちの一人が、今学校の備え付けの花壇の前でしゃがみ込んでいる。
いつも用務員のおじさんが水をやっていて、生徒達の大半は目をくれることもないが、それでも逞しく育っている花達。
きれいに花を咲かしているのもあれば、まだ蕾の状態だったり、やっと芽が出てきただけの物もあったりする。
「っよ、ここにいたか、美咲」
花壇の前でしゃがみ込んでいた少女の後ろから声がかかったが、少女は振り向かずにただ静かに花壇を眺めているだけだった。
少女を呼んだ鳴恵は小さくため息をついて親友の隣に立った。
「あのさ、美咲、ごめんな」
「何で、鳴恵さんが謝るの? 私の花をあんな風にしたのは鳴恵さんのせいじゃないでしょう?」
「そうだな」
鳴恵は苦笑を浮かべた。
美咲が大切に育てていたあの花を散らしてしまったのは間違えなく自分のせいだったが、その理由をちゃんと説明できないことに腹が立った。
今の美咲を見れば彼女がどれだけ落ち込んでいるのか分かるし、彼女がどれだけあの花を大事してきたのかは親友である自分はよく知っていた。
ちゃんと謝りたかった。心が痛んだ。
『ねえ、鳴恵ちゃん確かに将太ちゃんを泣かせたのは鳴恵ちゃんで、悪いのは鳴恵ちゃん。先生からは謝りなさいって怒られたかもしれない。
でもね、謝るっていうのは大事なことかもしれないけど、大切なことじゃないわ。
大切なのはね、鳴恵ちゃん。悪いことをした自分がこれからどうするかですよ』
ママの言葉が心に響いた。
昨日、美咲に教えた言葉がそのまま今の自分に降り注いでくる。
鳴恵は小さく舌打ちをして自身を叱咤した。
(こんなんじゃ、オレの言葉に説得力なんてあるわけないよな)
自虐的な笑みを浮かべながら、鳴恵はもう一度母の言葉を反芻して心に刻み込む。
「なあ、美咲」
「はい」
美咲の花を散らしてしまったのは鳴恵にも責任があり、それはどうあがいても消すことは出来ない。
それでも、そんな彼女が美咲を励まし、元気づけても罰は当たらないはずだ。
「オレさは、美咲みたいに花のことなんて全く分からない。だからさ、どんな花をプレゼントしてやれば良いのか分からない。けどさ、花瓶の善し悪しぐらいは分かるから今度一緒に花瓶を買いに行こうや」
そう言うと鳴恵はしゃがみ込んでいる美咲を起きあがらせるために、右手を差し出した。
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《羽黒高校前道路》
学校の校門の前にはたくさんの野次馬がいたが、彼から道を挟んで少し離れるようにしてブルーアイの少女と銀髪の女性が鳴恵の通う学校を眺めていた。
「あれが鳴恵の学校ですね」
「そう。そして、反逆者が現れた場所」
淡々と事実のみを述べる明里は左手のティア・ブレスを見たがこれといって反応は感じられない。
少なくとも今はこの近くにティア・ブレスを持つ反逆者はいないようだ。
もっとも鳴恵の話を聞くいて、この学校にやってきた反逆者が誰であるのかは明里には分かっていたが。
「何故、ここにやってきたのでしょうか? 鳴恵が狙いなら戦わずして逃げるなんて有り得ませんし。このような普通の建物に反逆者が反応する理由、明里は何か思いつきますか」
明里は小さく首を横に振った。
「私には、分からない。でも、分からなければ調べればいい」
「調べるとはどのようにですか?」
「私は見た目の年齢が、この星で言うところの20代ぐらいに見えるから難しいけど、晴菜なら行ける」
明里はこれから戦地へと赴く息子を見送る親のようにしっかりと晴菜の両肩を掴み、力強く頷いた。
「な、な何を考えているのですか、明里」
狼狽する晴菜。
明里はそんな晴菜が言葉を聞き逃さないように一言一句ゆっくりと囁くのだった。
「ねえ、晴菜。学校、行ってみない?」
普段無表情な明里の顔に珍しく笑みが浮かび、晴菜は訳も分からず血の気が引ける気がしていた。