3-1:On School Days Part1
《神野家》
朝、鳴恵はいつもの時間にいつものように起きた。
顔を洗って、寝癖を整え制服に着替えてリビングへ、パンを焼いている間に新聞のテレビ欄と社会欄とスポーツ欄に目を通して、パンが焼き上がるとテレビの天気予報を見ながら、バターとハムでパンを食べる。
そう、いつもの朝だった。
母親が単身赴任の父親の元に行っている間の朝とそうは変らない。
でも、今までと大きく違うことがある。
鳴恵は今、一人ではないのだ。
「明里、すみませんが、そのジャムを取ってくれませんか?」
「了解」
鳴恵と向かい合う形で、二人の宇宙人が座っている。
水代 晴菜と九曜 明里だ。
あの日、鳴恵がティア・ブレスの戦士として二人の仲間に認められて以降、二人は鳴恵の家で共に暮らしている。
聞けば、二人は鳴恵と知り合うまではこの星にやって来た宇宙船の中で暮らしていたらしく、それだったら一緒に暮らさないかと鳴恵が提案したのだ。
晴菜達も『雷』のティア・ブレスを持ったがために、反逆者から狙われる危険性もまた有することになった鳴恵をなるべく近くで監視しておきたかったらしく、二つ返事で鳴恵の提案を飲んで、今に至っているのだ。
「鳴恵さん、あなた今日も学校なのですわよね」
「ああ、そうだ。だから、特訓もまた夜だけになるな、晴菜」
パンを食べ終えた鳴恵は、食後のレモンティーを飲みながら言った。
「だから、気安く名前を呼ばないでください」
今、晴菜と明里は『雷』のティア・ブレスにより変身した鳴恵―ティア・サンダー―を少しでも強くしようと連日のごとく戦闘訓練を行っている。
元々剣術を習っていたため基礎ぐらいは出来ていた鳴恵だが、ティア・ブレスの戦士として何度も死闘を繰り広げ来た二人の前では赤子も同然で、天地が逆転してもあの二人には勝てない。
「了解。鳴恵さん、もう学校さぼっちゃ駄目」
「分かってるって。お、もう時間だな。じゃ、オレは行ってくるわ」
残っていたレモンティーを一気に飲み干して鳴恵は椅子から勢いよく立ち上がった。
テーブルの横に立てかけていた鞄を手に持ち、新しい同居人たちに軽く手を振る。
「二人とも戸締まり、しっかりと頼んだぞ」
「了解」
「分かりましたわ。あなたも反逆者に気をつけなさい」
「おう、行ってくるぜ!」
毎朝の恒例になりつつある会話を交わした後、鳴恵は家を出て行った。
こうして、鳴恵の一日が始まった。
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《羽黒高等学校》
バスを降りるとそこはもう学校の目の前だった。
満員に近い状態だったバスも振り返って見れば、かなり空いている。
それだけ、あのバスには学生が乗っていたということだろう。
鳴恵は人の流れに沿って歩き出し、正門をくぐり、下駄箱で靴を履き替え、すれ違う知人達に「おはよう」と挨拶を交わして、教室に辿り着いた。
自分の机に鞄を引っかけると椅子に座ることもなく、そのまま教室を出て隣のクラスへと赴く。
そこには、いつものように彼女が居て、いつものように教室に置かれている花瓶に水を与えていた。
「おはよう、美咲」
「おはよう、鳴恵さん」
この学校で鳴恵の一番の親友である三菱 美咲は水差しを傾けたまま顔をよこに向けて朝の挨拶を交わした。
そして、お花に水を与え終えると、母親が子供を励ますように優しくその花弁にふれた。
「美咲はさ、本当、花が好きだよな」
「はい。見ているだけも綺麗ですし、何より、私は花の香りが好き。学校には、そう香りが良いお花をおけないのが寂しいですよ」
「そうそう、一回持ってきたら、クラスから大反発だったみたいじゃないか」
「うっ、あれはもう昔の話よ。良いと思ったんだけど、みんな香りがに気になって授業に集中できないって言うんですもの。それで、今度は考えたんですけど………」
花を前にしてどうでも言いような雑談―主に美咲が花について話すことが多いが―を繰り広げる鳴恵と美咲。
学校生活のいつもの朝の光景だ。
ホームルームの始まりが無惨にも告げられる鐘が鳴るまでの短くも充実した時間は今日もまた美咲の花講義で終わりそうだ。
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《平和慣れした日本の街中》
街の喧噪の中、二人の宇宙人が歩いていた。
『水』と『光』のティア・ブレスの持ち主であり、反逆者を追ってこの地球へとやってきた水代 晴菜と九曜 明里だ。
「反逆者は、この星の情報を集めようとしている」
「そうですわね」
すれ違う人たちの中に倒すべき敵が潜んでいるかもしれない。
この星を『楽園』に変えるべくやってきた者達。
彼らが奪い去った二つのティア・ブレスを奪還することがまず、何よりも最優先されるべき二人の使命だった。
「少なくともあのシャーグルは、この星の人間をさらい、直接話を聞いている」
「恐らく、そうでしょうね。彼に面と向かって聞いたわけではないのですが」
ティア・ブレスには近距離にいる他のティア・ブレスを関知することが出来る。
この能力こそが今のところ晴菜達が反逆者を見つけ出すことが出来る唯一の手段であった。
もちろん、反逆者が奪い去ったティア・ブレスは二つで、反逆者全員がティア・ブレスを持っている訳ではないことは晴菜達だって十分理解している。
が、他に反逆者を見つけ出す方法がない現状では、わずかな可能性とはいえこれぐらいしか方法がないのだ。
「反逆者は全部で七人。全員が、人さらいをしているとは考えられない」
「彼は戦闘担当の反逆者でしょうが、鳴恵を襲ってきた科学者風の反逆者は対峙した感じ、戦闘経験者には思えませんでしたわ。反逆者内でも個々の役割分担はされていると考えるのが妥当ですわね」
「だとしたら、ティア・ブレスを持った反逆者は人さらいをしている可能性は低い」
「そのように言い切る根拠は何でしょうか?」
「それは効率が悪すぎる」
「その考えには否定はありませんわね。では、明里はこれからわたくしたちはどうするべきだと考えているのですか?」
この通りは人が多い。
だから、晴菜はここを選んで重点的にティア・ブレスの反応を探しているのだが、何故人が多いのかまでは彼女は気にしていなかった。
人が多いのは、ここがこの辺りでは一番栄えている駅前の繁華街だからだ。
見渡す限りにいろいろなお店がある。
お土産屋に靴屋、服屋に何故か競うように向かい側に店を構える二つの薬局。
本屋は見えないが、代わりに地下につながる階段の先にはゲーセンがあり、頭一つ飛び出したあのビルの中にはカラオケだってある。
「ねえ、晴菜。遊ばない?」
晴菜は眉を寄せ、思いきっり顔をしかめた。
提案に嫌悪を示したというよりも、提案そのものが理解できていないといった表情だった。
現にあまりに突拍子もない明里の提案に晴菜は怒るとも、笑うことも何も出来ないでいた。
「冗談」
明里はため息にも似た一言を呟き、
「嫌な冗談ね」
晴菜はいつも以上に冷えた声で返した。
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《羽黒高校 1年D組》
7限目が終わり、後はホームルームを終えれば今日の学校は終わりという時に事件は起きた。隣の教室から女声の怒鳴り声が聞こえてきたのだ。
「ちょっ、神野、大変。三菱さんが」
何事かと思いざわめく教室の中、廊下からクラスメートが大声で鳴恵を呼んだ。
三菱。
美咲の名字が出てきことに鳴恵の心臓は跳ね、何かを思う間もなく廊下へと飛び出していていた。
隣の教室の前にはすでに野次馬が何人かいたが、中が見えないほどではない。
廊下側の窓ガラスの先、一人の男子生徒と美咲がにらみ合っている。
「てめぇ、何でいきなり、ぶつんだよ!」
男子生徒がドスの聞いた声をあげる。
別に、不良という訳ではないのだが、このあたりの年頃の男子がキレればこのぐらいの怒気は放つ物だろう。
「だって、あなた、花を。あの花を倒したでしょう!」
対する美咲も鋭い目つきで相手をにらみつける。
その姿は普段のおとなしい印象の美咲からは想像も出来ず傍観している誰しもが言葉を失っていた。
「だから、わざとじゃねって。たまたま悪ふざけていていたら、当たっただけだろうが。何でこんなことでぶたれなちゃいけないんだよ!」
男子生徒のおかげで鳴恵は何となく状況が理解できた。
普通の人ならなんでそんなことでと疑問に思うかもしれないが、美咲の花に対する情熱を一番よく知っている鳴恵からすれば至極当然の理由だった。
もっとも、だからと言って人をぶって良い理由にはならないし、誰かから簡単に理解してもらえる感情でもない。
このままことが長引けば美咲はどんどん不利な状況に追い込まれていく。
ここは一刻も早く、この場を納めなければ。
「おい、二人ともやめろよ!」
教室の中に入り、鳴恵は今まで誰も口に出そうとしても出せなかった一言を二人に言った。
この一言で二人も幾分冷静になったのだろう。
張りつめていた空気が少し和らぎ、また辺りにいた他の生徒達も先陣が切られたことで勇気づけられ、二人に止めるように促す。
場の空気が変わり、二人が何も言わなくなってから数分後、生徒達からの報告を受けた担任があわてて教室にやってきた。
いまいち状況が分かっていなかった教師は話を聞いて何とか状況を飲み込むと、美咲と男子生徒の二人を連れて職員室に戻っていった。
二人がいなくなった教室は、厄介ごとがなくなりいつもの空気を取り戻したかのように思い、鳴恵は自分の教室に戻ろうとした。
だが、ヒーローに対する羨望の声が彼女を呼び止めた。
「鳴恵さん。さっきの鳴恵さん。すごく格好良かったです」
「そうだそうだ、流石、神野だぜ」
「本当、女にしておくのはもったいないわよね。私が男だったら絶対に惚れてるわ」
みんなが思い思いのことを言い出した。
「止めろよ。別にオレはそんなんじゃなくてだな」
鳴恵の反論なんてもはや誰も聞いていない。こうして女番長 神野鳴恵の逸話が一つ増え、生徒達からの彼女に対する評価もまた一つ増えたのだった。
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《反逆者達の宇宙船内》
「ねえぇ、マロードちゃん、みんなはぁ?」
脇目もふらず画面の前に座り、タッチパネル式のモニターに何を入力している女性に白衣を着た女性が尋ねた。
「ロッグ様は奥でお休みになっております。シャーグルは人間を捜しに街へと行きましたし、アーガは拷問部屋で人間に対しての尋問を行っておりますわ。ルイとカザミスには私のほうから少し調べて欲しいことがあったのでそちらをお願いしております」
ピッシとして皺一つ見えないスーツを着こなしモニターの前に座っているのがマロードで、白衣を着た科学者のような女性がドレイルである。
晴菜達が追っている反逆者のメンバーであり、二人がいるのは反逆者の基地とも言うべき宇宙船の中だ。
「そっかぁ。じゃあぁ、みんな、いないんだねぇ」
「はい。そうですわ。誰かに用事でも? よろしければ私が受けたまっておきますが」
「うんうん、違うのぉ。まあだ、未完成なんだけどぉ、ロッグぅから頼まれてたアレがねぇ、反応したのぉ」
「アレと言いますと、頼んでおいたティア・ブレスの適合者を見つけ出すための装置ですわね。未完成ということですが、その状態での反応はでどれほどの信用度があるのですか?」
相変わらずモニターからは視線をそらさず、入力している指も止めることなくマロードが口だけをドレイルのために動かす。
「それは、わからないのぉ。だってぇ、未完成なんだよぉ。だからね、誰か、暇な人とがいたらぁ、反応があった場所に行ってもらおうぅと思ったのぉ」
テーブルの端に両肘をついて、蓮のようにした手のひらの上に顔を乗せながらいつものように間延びした口調で答える。
「ただねぇ、反応ぅ、三分も持たずに、消えちゃったのぉ」
「それなら、未完成品での誤作動と考えるのが普通ですわね」
「だけどぉ、なあんか、気になるんだよねぇ」
頬に空気をため、不満の意を示す。
もっともマロードはドレイルの方を見ていないのでそんな意思表示は無意味だったが。
しばらくマロードは無言で入力を続けた。
ドレイルは黙って彼女の働く様を見ている。
「ドレイルさん、いつまでそこにいるおつもりなのですか?」
「誰かぁ暇人が帰ってくるくまでぇ」
こうなると駄々をこねた子供と同じだ。
彼女はまさしく、誰かが反応のあった場所に赴くまでマロードの側を離れないだろう。
別に、人に見られていると緊張するとか落ち着かなくなるとかはないのだが、仕事中に意味のない話を掛けられてくるのはうざかった。
「分かりましたわ。ドレイルさん、反応があった場所と時間を正確に打ち出して持ってきてください。今日の私の仕事はもうすぐ終わりますから、私自身から確認しに行きましょう」
「わああぁ、ありがとうぅ、マロードぉ」
相変わらずマロードの視界には入ってこないが、ドレイルは満面の笑みを浮かべると白衣をはためかせて部屋を飛び出しながら自分の研究室へと戻っていった。
「あいつ、自分で行けばいいのに」
ドレイルが部屋から出て行ったことを音だけで確認したマロードは小さく吐き捨てるように言うと、何事もなかったかのように黙々と仕事を続けるのだった。