12-4:Dis Light Part4
《闇に染まり始める海岸》
マロードが放つ闇の渦に少しずつその身を削られながら、明里は思った。
たった右腕一本無いだけで、なんという有様だろうか。
憎むべき宿敵が、殺すべき悪魔が、断ち切るべき因縁が、すぐそこにいると
いうのに、自分は何も出来ない。
玩具のごとく彼女に玩ばれ、苦痛のうめき声を上げ、心がどす黒い血を流し
始める。
マロードに武術を教えたのは明里自身だった。
一国の姫なれば、護身術の一つや二つ覚えておかねばならない。
その光栄なる役目を仰せつかったとき、明里は狂気狂乱したものだ。
親族、一族、友人、恩師、城下町の皆に自慢話を頼まれもしていないのに、
わざわざ出向いて話しに行ったのも、今のなっては自分を苛む悪夢でしかな
い。
姫は予想以上に飲み込みが早かった。
元々学者肌な部分があり、戦いを論理的に解釈して、非力な部類に入る己
が、より有効に使えるよう独自の解釈を加えていった。
あの時、自分は確かに幸せを感じていた。
姫と組み手を行い、二人で話し合い、二人でマロード姫のためだけの武術を
作り上げていく過程は何事にも変えられない幸福を明里に与えてくれた。
あの時間が永遠に続いていれば……。
今でも明里はたまにそんな事を夢想する。
でも、現実は絶望でしかない。
彼女の愛した母星は消えた。
彼女の愛した姫の手によって、塵一つ残さずに消滅した。
マロードの手がティア・ライトの腹を叩く。
刹那の後、闇が生まれ、渦がティア・ライトの全身を、美しき白銀の衣を、
切り刻んでいく。
「弱いわ。あなた、本気で私を殺すつもりあるのかしら?」
右腕が使えなければ、ホワイト・ファイ・ウェーブを使うことも出来ない。
ティア・ライトは右足を振り上げるが、かつての教え子は優雅とさえ思える
ステップで身を翻し、光の攻撃をかわす。
「ある。そんなモノは、あの時からずっと、抱いている」
今度は右足を軸に、左足を大きく振り上げて勢いよく踵を振り落とす。
マロードは咄嗟に闇の渦を生み出して、盾とするがティア・ライトは止まら
ない。
闇の渦が、ブーツを、ソックスを、その下の骨までも切り刻むが振り落とす
踵を止めない。
「はあああぁぁぁあ!」
ティア・ライトの踵が闇の渦を一刀両断した。
しかし、その僅かな隙にマロードは右へ転がっている。血まみれの踵が砂浜
へ打ち下ろされ、砂を巻き上げる。
今の一撃でどうやら、左足も逝ったようだ。
かろうじて立つことは出来ているが、流れ落ちる血と共に力が抜けていく感
触が、確かにある。
この身がどれだけ傷つこうと構わない。
例え、命を落としても後悔はしない。
この絶望の化身さえ殺すことが出来たら、後は何も望まない。
だが、それまではけして諦めない。
視界が砂埃で満たされ、マロードの姿を確認できない。そして、それは敵も
同じ。
(ここで、決着か)
明里は確信した。
勝つにしろ、負けるにしろ、この砂埃が晴れたら勝敗は付くであろう。
ティア・ライトは、ただ垂れ下がっているだけだった右手に左の掌を重ね合
わせ、武士が抜刀するかのように腰を沈める。
全神経をとぎすまし、来るべき瞬間に備える。
微かに砂埃が晴れていく中、音が聞こえた。
「だから、お前もさっさっと目を覚ましやがれ!!」
波音に混じって聞こえてくるこの声は、鳴恵だ。
彼女は再び雷のティア・ブレスを取り戻したのだろうか?
五人のティア・ブレスの戦士が、皆、心に闇を抱かねば『闇のティア・ブレ
ス』は生まれない。
もし、鳴恵がもう一度、ティア・サンダーとなれば、それだけで闇のティア
・ブレスの誕生は阻止できる。
鳴恵は絶望の底で希望を見いだして這い上がってきた戦士、『憧れ』を追い
続けることを諦めなかった少女。
彼女は明里と一緒だ。
きっと今の鳴恵を絶望されるには殺すぐらいしか手はないだろう。
(鳴恵、後は任せた)
砂が完全に晴れる前に、明里は動いた。
敵の居場所はもう分かった。
空中に舞う砂が闇の渦によって確かに動いたのだ。
ティア・ライトは膝が壊れるほどの跳躍でマロードに迫る。
その速さが、右足一本の脚力だけ生み出されたとは到底信じられない。
膝が割れ、それより下の神経が全く言うことを聞かない。
だが、大丈夫だ。
スピードに乗った右足はちゃんと姿勢を保っている。
「うぉおおっっっ!」
太股の筋力で一気に右足を振り抜く。
敵が用意していたのは五連の闇の渦だったが、ティア・ライトは一蹴でその
すべてを無へと返した。
その代わりに、右足も完全に切断されてしまったが、今のティア・ライトは
痛みさえ感じていない。
マロードの顔に驚愕が浮かぶ。
彼女も明里が一撃で全ての闇の渦を蹴散らすとは想像していなかったらし
い。
しかも、明里にはまだ、必殺技が残っている。
跳躍の勢いを残った左足一本で何とか吸収する。
あまりの負荷に骨があらぬ方向へ曲がってしまったが、この身が地面に倒れ
るまでは、まだ僅かに時間がある。
ティア・ライトの輝く瞳が、悪しきマロードを捉え、
「ホワイト・ファイ・ウェーブ!!」
居合い抜きのごとく、一気に左腕を振り上げた。
両の手の間に形成された五条の光の糸は、左腕の軌跡に従い、狂気の姫へと
伸びる。
明里は、この糸がマロードの脳髄を、首を、心臓を、肺を、左腕を、確かに
貫くと確信した。
確信したのに、それが現実になることはなかった。
輝く閃光は、マロードの前に現れた黄金の光によって、すべて断ち切られて
しまったのだから。
「えっ」
ティア・ライトとマロードの間に割って入ってきたのは、黄金の衣を身に纏
いし戦士、ティア・サンダーだった。
変身しているのは、もちろん、明里が望んでいた彼女ではない。
「マロードォ。危なかったねぇ、もうぅ、危機一発ぅって奴ぅ」
ドレイルの間延びした声を聞きつつ、明里は自分の敗北を知り、もはや為す
術なく砂浜へ倒れ落ちるしかなかった。
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《光が消える時》
右足は吹き飛び、左足の骨はあらぬ方向へ曲がり、右腕はもうピクリとも動
かない。
この状態なら、もはや一人で起き上がるのさえ不可能だろう。
だけど、まだ、左腕が残っている。
この腕一本だけで何が出来るのかは知らない。
『輝き一閃』は最後の最後まで諦めないのだ。
ここ砂浜、石でもあれば投擲に使うことが出来るし、砂だって敵の目つぶし
ぐらいになら使える。
ティア・ライトは左手を動かし、手探りで何か武器を探すが、不意にその手
を力の限り踏みしめられた。
顔を見上げれば、銀髪の女性が勝ち誇った笑みを浮かべている。
「今のあなたの姿って、惨めであり滑稽ですらあるわね。もう分かっているで
しょう? あなたの負けよ。潔く負けを認め、絶望しなさい」
「嫌だ」
声を絞り出す、その姿はまさしく敗者で、なんと醜きことか。
唯一残された戦力である、左腕を何とか動かそうとするが、マロードの足が
邪魔で何もつかめない。
どんなに惨めでも、どんなに滑稽でも構わない。
足掻けるだけ足掻いて、なんとしてもこの女を殺して、闇のティア・ブレス
の誕生を止めなくては。
(でも、こんな自分に何が出来る?)
心にわき上がった恐怖を明里は必死に押さえ込む。恐怖は絶望に繋がり、絶
望は闇へと繋がるのだから。
残された道はもう一つしかない。
明里に残された希望の道、それは信じることだ。
「あらやだ、何、あなた、この状況でも絶望しないの? 流石は、輝き一閃
ね。そのけして挫けない心は賞賛に値するわ、ね!」
「くぅ」
マロードが左腕を踏んでいた足を持ち上げたかと思うと、今度はその足でテ
ィア・ライトの頭を思いの限り踏みつけた。
苦悶の表情を浮かべるティア・ライトにさらに追い打ちをかけるように、マ
ロードは彼女の頭を踏む。
まるで煙草の火を消すかのごとく、何度も何度も足をねじり、砂浜の中へ明
里の頭を埋め込んでいく。
それでも、闇のティア・ブレスは生まれない。
光が、輝き一閃が、九曜明里がまだその心に闇を抱いていないからだ。
マロードはティア・ライトを何度も踏みつける。
執念にも似た、そうすぐそこにまで闇のティア・ブレスが迫っているという
のに手に入れることの出来ないジレンマが、マロードの動きを加熱させる。
強く、鋭く、激しく、ティア・ライトの頭を踏みつける。
今、自分の足が踏んでいるモノは、闇のティア・ブレスを生み出すための道
具に過ぎない。
壊れようが、それで闇のティア・ブレスが生まれるのなら何の問題もない。
足の下から言葉になっていない悲痛のうめき声が聞こえる。
それでも彼女は絶望していない。
一際激しく足を踏みつける。
足の裏で何かが砕けた音がした。
なのに、闇のティア・ブレスは出てこない。
「やめろ!!」
あらぬ方向から聞こえてきた声に、マロードは足を止めた。
足の下から伝わるティア・ライトの荒れた息づかいがまだ、明里は死んでい
ないことを教えてくれる。
声の主を捜してみると、それは鳴恵だった。
ティア・アクアとティア・フラワーの二人と戦っている力を無くした哀れな
戦士だ。
あれも所詮は負け犬の遠吠えだ。
ティア・ブレスも無いような奴は何も出来ない。
あんな奴を絶望させても何の得もないが、あの悲壮な声はコクアの心を闇に
染める良き鎮魂歌になるであろう。
「…たし…は、あ………らな…い」
足下で虫の声がした。
マロードが興味深げに下を眺めると、ティア・ライトが口に入った砂を吐き
出しながら何かを言っている。
「ん? コクア、遺言かしら。私で良かった聞いてあげるわよ」
そう言ってマロードはティア・ライトの頭を踏んでいた足を持ち上げた。
上からの圧力が無くなり、何とか口がまともに動かせそうになる。
顎の骨が砕けているので上手く喋るか自信はないが、ティア・ライトは最後
の言葉を残す。
「わたしは、諦め……ない。わた、しは……『輝き、一閃』。例え………死ん
でも、諦めない…………ぶぐぁ」
今まででもっとも強烈な蹴りが明里の頭を踏みつけた。
自分の骨が砕けていくことを明里は確かに聞いたが、それ以降彼女の世界は
無音となった。
どうやら、今の蹴りで聴覚が完全に逝かれてしまったらしい。
今頃、マロードは明里に対して何かを言っているのだろうが、残念なことに
彼女は何も聞こえない。
衝撃は止まらない。
先程の言葉は完全にマロードの神経を逆撫でしたのだろう。
マロードの蹴りから遠慮が消え失せている。
幾重も脳が上下に振動させられたせいだろうか。
頭の中で何も考えられなくなっていく。
気が付けば、何時の間か視界も消え失せている。
音もなく、光もない世界。
感じるのはただ、頭が揺れる事に自分が壊れていく感覚のみ。
そこにあるのは闇だけだった。
死という言葉さえも考えつかない純粋な無の世界に、明里は取り込まれてい
く。
頭が揺れる。その度に何かが壊れていく。
切れていく。
壊れていく。コクアの思い出が壊れていく。
頭が揺れる。その度に何かが消えていく。
切れていく。
消えていく。明里の輝く心が消えていく。
頭が揺れる。その度に何かが切れていく。
切れていく。
ティア・ライトの絆が切れていく。
諦めない。そう誓った。その過去がもう思い出せない。
それでも、その何も考えられなくなった頭で、その何も感じられなくなった
心で、明里は最後まで信じていた。
この光は絶対に消えはしないと。
そして、今、一つの光が踏み消された。
五つの闇が、一つへと収束していき、全てを飲み込む『闇』が生まれる。




