9-3:Broken Nexus Part3
《羽黒高校 花壇》
「あああ」
桜色の『ティア・ブレスの戦士』を前に、鳴恵は吐き気さえも催していた。
思わず、口元に手を当てるが、それで目の前の光景が変わるはずもなかっ
た。
「美咲……お前……」
問いかけたい疑問は山のようにあるというのに、何も聞けない。
これだけの現実を突きつけられているというのに、心はまだ現実を受け入れ
ていないのだろうか。
いや、違う。
鳴恵は恐れているのだ。
これ以上の現実を知ることを。
これ以上の絶望を知ることを。
「違いますよ、鳴恵さん。今の私は三菱美咲じゃない」
だが、『敵』はそんな鳴恵の心中を察してくれない。
まるで、親の心配など全く知らないし、気にもしない子供のように桜色の戦
士は言葉を紡いでいく。
「今の私は、『ティア・フラワー』よ」
ティア・フラワーがそっと左腕を前に突き出す。
拡げられた掌の先にいるのは、鳴恵ただ一人。
自分が標的にされたことには気づいていたが、その現実はまるで夢のよう
で、全く重みが感じられない。
「さあ、鳴恵さんも変身して。私に見せてよ、『雷』の力を」
桜吹雪が舞った。
ティア・フラワーの左腕から放たれた桜吹雪が一直線に鳴恵へと迫り来る。
その桜吹雪はもちろん、普通の桜吹雪ではない。
よく切れる包丁のように鋭く研がれた桜が鳴恵の頬を、肌を、服を無惨にも
斬りつけていく。
全身に拡がる痛みと、血の中途半端な温かさが鳴恵を現実へと誘っていく。
「何でだ、美咲。何で、お前が反逆者なんかになったんだよ!」
目の前に立ちはだかる現実を吹き飛ばすがごとく、力の限りの大声を上げ
る。
「だって、こうしなくちゃ、私、鳴恵さんに追いつけないから。こうしなくち
ゃ、鳴恵さんを水代晴菜に奪われるから。こうしなくちゃ、私は独りだったか
ら」
ティア・フラワーが前に向かってゆっくりと進む。
磁石が反発するように、ティア・フラワーが近づいた分だけ鳴恵は後退す
る。
しかし、その背中はすぐさま校舎にぶつかり、それ以上後退出来なくなっ
た。
逃げれない鳴恵に、近づいてくるティア・フラワー。
「来るな、美咲!」
「そんなこと、言わないでよ、鳴恵さん」
親友に向かい恐怖のあまり首を横に振る鳴恵と、親友に向かって残念そうに
首を横に傾げる美咲。
二人のティア・ブレスの戦士の距離は徐々に縮まっていき、やがて、握手を
交わせるほどに近づいた。
ティア・フラワーは、そっと鳴恵の左手を握りしめ、持ち上げる。
「何のつもりだ」
狼を前にした少女のように、何の抵抗もなく為すがままにされる。
鳴恵の問いにティア・フラワーは行動で答えた。
左腕にはめられた『雷のティア・ブレス』を右手で何度も、何度も、何度
も、撫でていく。
鳴恵が誓約の言葉を紡ぐその時まで、この行為は続くのだろう。
だが、それでも鳴恵は言えなかった。
変身すること、それはすなわち美咲を敵だと認めることになるからだ。
「止めろ。美咲、止めてくれよ」
懇願するが、美咲は元に戻らない。
それどころか、左腕は『雷のティア・ブレス』を撫でたまま、右手を拡げ、
鳴恵の胸に押しつける。
掌が柔らかい胸を力強く押し込み、その下にある心臓に狙いを定める。
今、ティア・フラワーがほんの少し念じるだけで、鳴恵の心臓は桜の花びら
によって無惨にも切り裂かれることになるだろう。
「鳴恵さん、これでもまだ変身しないの?」
「っくうう」
胸がさらに圧迫されて、堪らず苦痛のうめき声を上げる。
生死の境目に立っているのは自覚できるが、あの美咲がこうやって自分を殺
そうとしているなんであまりにも現実離れしすぎていて、危機感が湧いてこな
い。
「私は鳴恵さんを絶望させなくてはいけない。でも、その前にティア・サンダ
ーに変身した鳴恵さんを見ておきたいの。だって、あの水代晴菜は知っている
のに、私が知らないなんて不公平でしょう」
掌から桜の花びらが一枚だけこぼれ落ちた。
その花びらが鳴恵の服に一筋の切れ込みをいれる。
「鳴恵さんの服、脱がしちゃおうかな。そしたら、鳴恵さんも恥ずかしくて、
変身してくれるのかな?」
これは名案とばかりに大きく頷くティア・フラワー。
その顔は無邪気に笑っているかのようにも見え、鳴恵はもう一度首を横に振
って、現実を否定しようとした。
(何で、こんなことになったんだろうな)
だが、鳴恵にだっていい加減分かってきた。
これだけ変わり果てた親友を見せつけられれば、彼女が昨日までの鳴恵が知
る美咲ではなくなっていることに。
美咲が敵であることや、ティア・ブレスを手に入れたことは、正直まだ心が
ちゃんと受け入れていない。
頭もこの現実離れした光景に麻痺している。
(でも、体は正直だ。美咲に押さえつけられている胸は凄く痛いし、体中の切
り傷も妙に生温かい)
ティア・フラワーの右手は止まっていない。
ゆっくりとした動作でそっと、金色の宝玉を撫でている。
鳴恵はその光景をなんとか認めると、小さく言葉を紡いだ。
いつもの雄々しい叫び声からは想像も出来ないほどのか細い声であったが、
確かにそれは誓約の言葉であった。
「ティア…ドロップス……コントラケット」
そして、体が金色の光に包まれる。
彼女に密着していたティア・フラワーは『雷のティア・ブレス』の力に思わ
ずたじろぎ、鳴恵から離れるが、その顔は満足げに微笑んでいた。
コロンブスがアメリカ大陸を発見したときもこんな錯綜した顔つきだったの
だろうか。
「雄々しき一撃 ティア・サンダー。やっとその姿を見ることができた」
ティア・フラワーの前に姿を現したのは、金色の衣を纏いし戦士。
ティア・フラワーはゆっくりと左腕を持ち上げると、先程と同じようにその
矛先を鳴恵―ティア・サンダー―へと向ける。
「え?」
驚きの声を上げたのは、ティア・フラワーであった。
思わず左腕をおろしてその先にいる彼女の姿を確認してしまう。
確かに、そこにはティア・サンダーが立っているのだが、
(違う)
美咲はそう思った。
何故ならば、鳴恵が纏っている黄金の衣は今にも消えてしまいそうな程薄
く、ティア・サンダーと神野鳴恵の姿を行ったり来たりしている。
「何だよ、これ」
鳴恵も初めての事態に少なからず驚いた。
だが、こんな事、美咲が反逆者になったことに比べれば取るに足りない衝撃
であり、それに、今は美咲と戦うために誓約を言葉を紡いだ訳ではない。
(ま、10秒でも持ってくれたら、それでいいや)
ティア・サンダーは左腕に込めれるだけの想いを込める。
しかし、変身が不完全なためにいつもより力が全然錬ることが出来ない。
それでも、この地面を抉ることぐらいは何とか出来るだろう。
ティア・サンダーは力の限り左の拳を振り落とした。
「ライジング・ゴウ・インフェルノ」
雷の拳によって、地面がえぐれ砂埃が舞った。
二人のティア・ブレスの戦士の間が、巻き上がった砂によって遮られる。
ティア・フラワーがやっと鳴恵の考えを読む。
慌てて、桜の花びらを砂ぼりの中に乱射するが、聞こえてくるのはコンクリ
ートに桜の花びらが突き刺さる音のみであり、人肌が裂け血がしたたり落ちる
音は一切聞こえない。
ティア・フラワーが視線を上に向けるのと、ティア・サンダーが屋上から住
宅地の方へ飛ぶのはほぼ同時だった。
逃がすまいと慌てて、屋上へと飛ぶティア・フラワーだったが、360度拡が
るパノラマの中に黄金の衣を纏いし戦士を見つけることは出来なかった。
既に変身も解いているのだろう。ティア・ブレスの気配も全く感じることが
出来ない。
「逃げを選ぶなんて、鳴恵さんらしくありませんね」
風になびく髪を押さえながら呟く。
一度目を閉じると、ティア・フラワーの姿は桜色の光に包まれ、その姿は再
び三菱美咲に戻っていた。
美咲は左腕の『花のティア・ブレス』をそっと撫でる。
「鳴恵さん。私、そんな弱い鳴恵さんは嫌い。だから、今度会ったときは、躊
躇わず絶望させてあげる」
『花』に選ばれし、新しき反逆者は踵を返し、校舎へと入っていく。
ここは学校、鳴恵と美咲が友情を育んだ思い出の場所であり、二人の友情を
あの水代晴菜に踏み握られた場所でもあった。
「そして、水代晴菜。あなただけは、死よりも辛い運命にあわせてあげる」
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《逃亡者が逃げ込む路地》
「うっ、がはあ」
おぼつかない足取りで学校から少しでも離れようとしていた鳴恵は、地面の
凹凸に足を取られて無様にもその場で転んでしまった。
丁度住宅街と住宅街とを繋ぐ役割の道らしいが今は人通りが全くない。
起き上がる気力も湧いてこない鳴恵は、その真っ黒なアスファルトの上に視
線を這わせる。
別に何かを期待した訳じゃない。
どちらかと言えば、何もあって欲しくなかった。
だが、そのアスファルトの隅に小さな一輪の花が咲いていた。
「ぅつっっ」
花はどうしようもなく一人の少女を思い出させる。
彼女の親友であり、彼女を殺そうとしてきた反逆者の一員。
胸が痛かった。それは先程、ティア・フラワーに肋骨が軋むほど強く押され
たためか、もしくは胸の奥にある心が絶望に軋んでいるからだろうか。
「ああぁぁぁ」
行き場のない思いをアスファルトに叩き付けた。
アスファルトを殴りつけた拳から血がにじみ出たが、痛みを感じる心の余裕
は鳴恵には無かった。
コロン。
心にブラックホールが生まれて思い出がすべて吸い込まれていく気がする
中、何かが地面を転がった。
何が転がろうと今の鳴恵には関係のないことだが、心が空っぽになるのと同
じように鳴恵の中からとても大切な何かが抜け落ちた気がした。
けして、落としてはいけなかった物。
けして、手放してはいけなかった物。
けして、無くしてはいけなかった物。
金色のブレスレットがアスファルトの上を転がり、鳴恵から遠ざかる。
「あぁ」
まるで、自分の左腕が転がっているかのようで、思わず間抜けな声を上げて
しまう。
だが、美咲が反逆者になってしまったように、コレもまた受け入れなければ
ならない現実であった。
左腕がいつもより軽い。
だって、そこにはもう何もないから。
『雷のティア・ブレス』は、アスファルトの上をさらに転がり、まるで鳴恵
を見捨てるかのように転がり続けていく。
その光景が、鳴恵には絶望という地獄へ誘う荷車の車輪にしか見えなかっ
た。




