9-2:Broken Nexus Part2
《絶望へと誘うバスの中》
土曜日、学校前に向かうバスは平日とは雲泥の差と思えるほど空いていた。
登校時にはけして考えられないことだが、鳴恵は二人席に一人で腰掛けて窓
の外をぼんやりと眺めていた。
(美咲の奴、急に呼び出していったい何のようだろうな?)
事の初まりは30分ほど前に、携帯に掛かってきた電話だった。
『鳴恵さん、私、鳴恵さんとあの水代晴菜にやっと追いつきました。だから、
私、鳴恵さんに大切な話があるの。学校で待ってます』
一方的にそれだけ言うと、美咲から掛かってきた電話は鳴恵の呼びかけにも
かかわらず途切れてしまった。
その後、何度かリダイアルしてみたが、美咲はもう電源を切っているようで
全く繋がらない。
(電話じゃ言えない、大切な話というわけか)
だから、鳴恵は怒る晴菜を振りきってまで学校に向かっている。
それは親友のためを思ってからの行動でもあるし、美咲が電話口で言った言
葉が心の嫌な部分に刺さっている。
(それに美咲は、オレとハルに追いついたと言っていた。どういう意味なん
だ?)
鳴恵と晴菜にはあって、美咲にはない物。それは彼女の左腕にはまるティア
・ブレスである。
しかし、そんなわけ無いと、鳴恵は首を振る。
では、一体なにを持って美咲は、鳴恵と晴菜に追いついたと言ったのか。そ
の疑問が今、こうして鳴恵を動かしている。
バスが停留所に止まった。
これから四つ先の停留所が『学校前』だ。
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《鳴恵と晴菜の部屋》
昨夜からお世話になっている鳴恵の部屋。
彼女の好みだろうか、ベットの上のシートやカーテンは淡い黄色で統一され
ており、枕元にもそんな淡い黄色をした掌に収まるぐらいの虎の縫いぐるみが
ぽつりと置かれていた。
(虎って辺りが、鳴恵にぴったりですわね)
そんな鳴恵の部屋で一人、暇をもてあましていた晴菜は、そっと虎の縫いぐ
るみを引き寄せると、押してみたり伸ばしてみたりしてその感触を楽しんでみ
た。
「鳴恵は一体、三菱美咲と何を話しているのでしょうね?」
思わず、言葉が口を飛び出し、虎の縫いぐるみに話しかけるような格好にな
ってしまった。
らしくないと思ったが、どうせ、ここには晴菜一人しかいない。
そして、縫いぐるみならどんなに弱さを見せつけても、誰かにばれることは
ない。
だが、突如ドアがノックされたことに晴菜は飛び上がり、手にしていた虎の
縫いぐるみを思わずポケットの中に押し込んだ。
「晴菜、何してたの?」
ドアから顔を出したのは、明里だった。
彼女は不思議そうに部屋を見渡す。
顔が朱に染まるのを押さえきれない晴菜はそれでも、平穏を装って答える。
「別に、少し考え事をしていただけですわ」
だけど、残念なことに丁度良い言い訳は思い浮かばず、見苦しい言い訳のよ
うな台詞しか出てこなかった。
「そっか」
そう言うと、明里は笑みかけた。
「ねえ、晴菜。虎の縫いぐるみって可愛いね」
顔が引きつるのは防げなかったし、心臓も一瞬止まるような気がした。
だが、そんな動揺など全く気にしないかのように明里はさらに言葉を紡ぐ。
「晴菜。今は鳴恵の事は忘れて、心を集中させて。鳴恵に会わなければならな
い人がいるように、晴菜にも会わなければならない人がいる」
言葉に従って、晴菜は目を閉じて、美咲という存在にかき乱された心に平穏
を作り出す。
鳴恵や美咲といった存在が、澄んだ水面の中へ吸い込まれていく。
そして、鏡のような水面に残ったのは、波紋を作り出す小さな『風』だけだ
った。
「……カザミス」
非常に微弱であり、確かに明里に言われなければ分からなかったであろう僅
かな『風のティア・ブレス』の反応。
「これは、罠ですわね」
「うん」
これだけ微弱なら、多分鳴恵は気づけないだろう。
そして、カザミス程の使い手ならばティア・ブレスの気配を完全に消すこと
が可能だ。
今になってこんな失態を起こし、晴菜達に尻尾を捕まれるなんて、どう考え
てもわざととしか思えない。
「ですが、これでやっと、カザミスと正面切って会うことが出来るのですね」
ベットから腰を上げた晴菜。彼女はゆっくりと、左腕を上げて同じティア・
ブレスの仲間に、『気高き一滴』の証を見せつける。
(今は、鳴恵の事も。美咲のことも忘れましょう。その前に、わたくしには、
会って倒さねばならない存在が居るのですから)
そして、ブルーアイの少女は決意に満ちた瞳で、未だ乗り越えきれない彼女
の『憧れ』と戦う道を進んでいく。
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《羽黒高等学校》
土曜日の学校。
校庭から野球部の叫び声が木霊して、校舎からは吹奏楽部から笛をただ鳴ら
しているとしか思えない音だけが奏でられ、体育館からシューズが床を擦りつ
ける音が反響してくる。 そんな中、鳴恵は迷うことなく人気のない校舎の裏
手へと向かっていく。
彼女を呼び出した少女が居るとしたら、そこしか思いつく場所は無かった。
向かった場所は花壇であり、いつものように彼女の親友は腰を下ろして花壇
に咲く花達を眺めていた。
(あ、そういや、オレ、私服で来てしまったな)
花壇の前にいる美咲が制服だったので、鳴恵は思わず顔をしかめた。
別に部活動とか学校の用事ではなかったので、気にしなかったのだが、一方
が制服で一方が私服というのは何となくきまりが悪い。
そんなどうでも良いことを考えていた鳴恵に、美咲が声をかける。
「ねえ、鳴恵さん。私、また一段と花が好きになったみたい」
「何だよ、いきなり。そんなこと言いたくてオレを呼んだのか?」
鳴恵は親友相手に、少しおどけて答えてみた。
しかし、親友は、未だ花から視線を上げることはなく、淡々と人形が喋って
いるかのような感情のない声で先を続ける。
「種が埋められて、地中で目が出て、光と水をあびて茎は成長して、時を重ね
て蕾を作り、辛く長い旅路の果てにやっと美しい花を咲かせることが出来る。
まるで、私みたいですね」
「おい、美咲、一体どうしたんだよ。やっぱり、なんかあったのか?」
「はい。電話でも言ったけど、私はやっと鳴恵さんに追いつくことが出来た
の」
ゆっくりと立ち上がり、鳴恵と対峙する。
感情がないと言うよりも、光を失ったかのような親友の瞳に見つめられ、鳴
恵は思わず立ちすくむ。
「美咲、お前……」
不安や悩みがあるとかそんなレベルではない。
あえて言うなら、まるで極度の鬱病者のようなだ。
変わり果てた親友に言葉を失う。
だが、対する美咲はまるで子供がサンタクロースに貰ったおもちゃを自慢す
るかのように、口元だけ笑ってみせた。
「鳴恵さん。私、全部聞いちゃった。鳴恵さんが腕にはめている『雷のティア
・ブレス』の事とか、あの水代晴菜が宇宙人だって事。後、私は全然知らなか
ったけど『光』の人も、鳴恵さんの仲間なんだってね」
衝撃が鳴恵を襲う。
だが、雷に打たれたような真の衝撃はその後にやって来た。
「でね、鳴恵さん。実は私も貰ったのティア・ブレスを」
美咲がゆっくりと左腕を持ち上げる。
それまで、制服の袖口が隠していた左手首が、袖口が重力に従い下に落ちる
ごとに露わになっていく。
(ああああああ。そんなことって………。これって一体、どういう事だよ!)
「これが、私のティア・ブレス。『花のティア・ブレス』に選ばれて、そし
て、私は、反逆者の一員になったの、鳴恵さん」
現実をうまく受け入れられず、美咲から逃げるように後退してしまう。
あまりにも現実離れした現実を否定しようと、首を何度も振るが、現実は変
わらない。
(美咲が、あの美咲がティア・ブレスを……。そんな、馬鹿な。それにあいつ
は今、最後になんて言った……)
立ち止まり、顔を上げて、『花のティア・ブレス』をまるで結婚指輪のよう
に見せつける美咲を凝視する。
美咲と自分の間に、けして飛び越えられない絶壁が形成される錯覚に襲われ
る。
「反逆者………」
「そうなの、鳴恵さん。私は、やっと迎え入れてくれる人たちと出会うことが
出来たの」
笑顔で肯定する美咲に、鳴恵は目眩を覚えたが、今や敵である反逆者の一員
となった親友は、待ってはくれない。
「だから、ごめんなさいね、鳴恵さん。私は、あなたを絶望させなくてはいけ
ないの」
忘れ物を取ってくると言っているかのような軽い口調で、美咲は鳴恵に謝罪
する。
そこには、命を奪う事への僅かな罪悪感はあれど、親友と戦うことへの躊躇
いは微塵もない。
美咲はゆっくりと右手を持ち上げて、掌で優しく、『花のティア・ブレス』
に埋め込まれた桜色の宝石を包み込んだ。
親友の一挙挙動を鳴恵は息を止めて見守る。
これはたちが悪く手の込んだいたずらではないのかと言う微かな希望が鳴恵
の中にはまだある。
しかし、ここで美咲が本当に、ティア・ブレスで変身してしまったら、それ
こそ、すべてを受け入れるしか道は残っていないことになる。
そして、美咲の右手がゆっくりとおろされて、水が波紋を広げるような―鳴
恵がよく聞き慣れた―美しい音色が響き、騒々しかった学校の喧噪を掻き消し
てしまう。
「ティア・ドロップス コントラケット」
そっと囁くように、紡がれる誓約の言葉。
その次の刹那、鳴恵の視界を桜色の光が包み込んだ。思わず、鳴恵が手で目
を覆う。
桜色の光はすぐに止み、そして、鳴恵は『絶望』に打ちひしがれた。
「儚き一輪 ティア・フラワー」
桜色の衣―鳴恵が変身した『ティア・サンダー』とは細部の装飾は違うが、
全体的には同じ作りの戦闘服―に身を包んだ美咲、いや、ティア・フラワー
が、倒すべき敵に名乗りを上げた。
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《風の吹き荒れるビルの屋上》
気高きブルーアイの瞳を持つティア・アクアと銀髪を煌めかせるティア・ラ
イトは、とあるビルの屋上にあるヘリポートの上に舞い降りた。
ここは地域では一番高いビルであるらしく、風が何にも遮られることなく、
二人のティア・ブレスの戦士の髪をなびかせる。
そして、彼女が着ている魔法使いのような法衣もまた、風にはためいてい
た。
「カザミス」
僅かに感じていた『風のティア・ブレス』の気配が一気に膨れあがった。
躊躇いは無かった。
今や彼女は倒すべき敵なのだ。
例え過去にどんなに『憧れ』を抱いていたとしても、それはもはや過去でし
かない。
ティア・アクアは右手の人差し指と中指だけを立てた状態で、右手をまるで
弓矢のように見立ててカザミスの背中に狙いを定める。
あの風使いが、二人の存在に気づいていないはずはない。
それでも、彼女は未だ二人に背を向けたまま眼下に広がる景色を眺めてい
た。
「ウォーター・レイ・アーチェリー!」
水の使い手が必殺の雄叫びを上げる。
すると、ティア・アクアの右手の伸ばした指先に膨大な水が集まり、圧縮さ
れていき、一条の矢となる。
水の矢は、殺すべき敵に向かい放たれるが、かつて憧れていた背中を射抜く
ことは出来なかった。
けして、ティア・アクアが手を抜いた訳ではない、敵がただ単純に強かっ
た。
それだけのことだ。
「ふぅ」
カザミスは攻撃されると、迅速の反応を見せ素早く振り返り、必殺の水の矢
を左腕で受け止めた。
並の装甲などは、その水の矢の前では紙切れ程の存在でしかない。
しかし、カザミスは水の矢を受け止めた。
何故ならば、彼女は左手にはめた『風のティア・ブレス』で『ウォーター・
レイ・アーチェリー』を受け止めていたのだ。
「私は、やっとキミと戦うことが出来る」
ほんの少し嬉しそうに笑うと、左腕を無造作に振った。
水の矢は形を保つことが出来ず、使命を全うすることなくその場に盛大な水
溜まりを作ってしまう。
「久しぶり、ミシハ」
そう言って、まるで道ばたで偶然クラスメートにあったような気楽な仕草
で、ティア・アクアに向かい左腕を振る。
もちろん、これは挑発だ。
そんなこと、晴菜にだって分かっているが、理解していても心の奥に燻る怒
りと悔しさの炎が消えることはない。
「わたくしを、もうその名前で呼ばないで下る。あなたに憧れていた頃の名は
この星に来るときに、捨てましたわ。覚えておきなさい。わたくしの今の名前
は、水代 晴菜よ!」
敵の強さは誰よりも知っているし、彼女が誰よりも強いと確信しているのも
晴菜であった。
だから、敵に隙を与えるわけにはいかない。
勝機は、まだ彼女がティア・ブレスの力を使っていない今にこそある。
ティア・アクアは両手の十本の指すべてから、小針のような小さな水の矢を
何発も連射する。
最高で、一秒間で200本の小型水の矢を生み出せる自分の力を出し惜しみ無
く発揮して、敵を殺しにかかる。
小さな水の矢が、豪雨よりも激しく法衣に突き刺さる。
しかし、それはけして、カザミスをも刺した訳ではない。
さすがに、あれだけの数の水の矢は左手一本で、捌くことは出来ないと思っ
たのだろう。
蜂の巣のように変わり果てた法衣の真上に、褐色の肌の女性が浮かんでい
た。
飛んでいるわけではない、上にジャンプして逃げただけだ。
再び地面に足がつくまで、カザミスは身動きが取れない。
その隙をついて、ティア・ライトが右手から彼女を絡め取るべく銀糸を伸ば
す。
「カザミス、ごめん」
銀糸がカザミスの首と四岐にまとわりつき身動きを封じる。
後は敵の体にまとわりついた銀糸の半径を縮めていけば、この風使いを殺す
ことが出来る。
が、晴菜が憧れがそう易々と負けるわけがなかった。
たわんでいた銀糸が、張り、カザミスの皮膚をほんの少し押し込んだその瞬
間、
「キミは、何を謝っているのかな?」
彼女は空中で勢いよく体を捻り反転させた。
今は、何もない空中にただ浮かんでいるわけではない、カザミスの体は彼女
を殺そうとする銀糸によって固定されているのだ。
張力が最大限にかかり、鉄のようになった銀糸が逆に、ティア・ライトを窮
地に追い込んだ。
カザミスが体を反転する動きをそのまま、ティア・ライトも追従しなければ
ならないのだ。
しかも、銀糸が張っているため、力が余計な方向に逃げることもなく、回転
半径が大きい分遠心力もかかる。
ティア・ライトの体が宙に浮き、大きな半円を画いて反対側の地面へと叩き
付けられる。
そのはずだっだ。
しかし、カザミスが立っていたのは、この屋上の最端である。反対側に床な
どあるはずもなかった。
重力従い床に着地したカザミスと、その下、まさに地面へと落ちていこうと
するティア・ライト。
二人の視線が交差する。
ティア・ライトの瞳の奥に写るカザミス、その後ろでは、ティア・アクアが
二撃目の必殺技を今まさに放とうとしていた。
カザミスの体は、未だ銀糸にまとわりつかれたままだ。
(なるほど、強くなったね、ミシハ。キミ達の方が、一手先を行っている訳
か)
ティア・ライトの銀糸を取り除くことはカザミスにとって簡単なことだ。
だが、その隙に水の矢がカザミスの体を貫くだろう。
だから、カザミスはあえて動かないことにした。
「ウォーター・レイ・アーチェリー!」
背後から、滝よりも激しい豪流が迫り来る。
これで王手だった。
(でも、王手になったら勝負が終わる訳じゃない。命をとって初めて勝ちにな
んだよ、ミシハ)
カザミスに迫り来るのは、水の矢であって、本物の矢ではない。
しかも、短時間で錬られた水の矢は、圧縮しきれていない。
豪流はその激しさ故に辺りに水をまき散らしながら、敵を射抜こうとやって
くる。
そんな水しぶきはこれから死ぬであろう者には気にもとめない事だっただろ
う。
しかし、晴菜の『憧れ』として彼女と何度も共に戦った過去を持つカザミス
はティア・アクアの―本人すら気づいていない癖なども含めて―戦い方すべて
を把握していた。
『ウォーター・レイ・アーチェリー』の副産物である水しぶきがカザミスの
頭に、背中に、腕に降りかかる。
命を飲み込もうとする激流がすぐそこに迫っているのに、カザミスはきわめ
て冷静だった。
そして、水しぶきが彼女の左腕、正確にはそこにはめられた『風のティア・
ブレス』に当たった。
「ティア・ドロップス コントラケット!」
勝機を逃すことなく紡がれる誓約の言葉。
その瞬間、風が吹き荒れ、彼女を縛っていた銀糸を引きちぎりや、床に染み
込み始めていた水溜まりや、彼女のすぐ背後にあった激流さえも飲み込む暴風
となる。
風と水が一つになり、カザミスの視界を、ティア・アクアの視界を覆い隠
す。
風が止む。
押し上げられていた水は重力に従い、雨のごとくブルーアイの少女と褐色肌
の女性に降りかかる。
まるで、過去のすべてを洗い流すような雨に打たれながら、ゆっくりと彼女
―『風』―が、かつての教え子―『水』―の方へ向き直る。
「強き一陣 ティア・ウィンド」
カザミス―ティア・ウィンド―が名乗りを上げ、人差し指と中指だけを伸ば
した状態の右手をティア・アクアに向け、そして、『気高き水』を突き破る
『強き風』が迸った。




