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8-3:Dark Cherry Blossom

《独りぼっちの公園》


 深夜11時過ぎ。

 人影が全くない公園の中を三菱美咲は独り、歩いていた。

 バイトが終わり、食事を終えて、本屋で時間を潰していたが、ついに行く当てがなくなってしまった少女は独り、彷徨っていた。

 美咲に家がないわけじゃない。

 だが、そこには誰もいない。

 美咲の帰りを待っているのは、彼女が手に塩かけて育てた花達だけで、人間の温かみなどはそこにはない。

 ふと、何気なく向けた電柱の下にタンポポが咲いていた。

 美咲は電柱の側までたどり着くと、腰を下ろして、コンクリートの柱のすぐ側に儚くも花を咲かせている一輪を見る。


「あなたも、ひとりぼっちなんですね」


 タンポポを優しく触りながら、美咲は呟いた。

 脳裏に、今日の自分がまるでピエロのごとき滑稽さで蘇ってくる。

 一昨日まで、あれほど仲が良かった鳴恵に、自分はあからさまなまでの距離を取って接していたのだ。

 美咲の方から、鳴恵の教室に行くことはなかったし、鳴恵から話しかけられても適当な言い訳を述べて逃げるように彼女の前から去ってしまった。


(あんなことしてると、いつか、鳴恵さんにまで愛想尽かされるかもしれない)


 それは美咲にとって、もっとも恐ろしいことだった。

 こんな自分に愛想を尽かすのは両親だけで良い。

 なのに、鳴恵と一昨日までのように接することが出来ない。


(でも、鳴恵さんは何か大切なことを私に隠してる。私に言えない秘密を持っている)


 海よりも澄んだあの青い瞳が美咲の儚い心を射抜く。


(水代晴菜は、その秘密を鳴恵さんと共有している。そして、それはきっと、あの二人がしているブレスレットに関係している)


 強く風が吹いた。

 その強風は無情にも、美咲の目の前で咲くタンポポから、すべての花びらをちぎり取るのだった。


「あ」


 思わず、風に流された花びらを掴もうと手を伸ばすが、花びらは美咲の手を通り過ぎ、彼女一人置いて空へと舞い上がって行く。

 呆然と花びらが飛んでいた夜空を見上げる美咲に、後ろから見知らぬ女性の声がかけられた。


「キミが、『儚き一輪』ね」


 振り返った先に立っていたのは、まるで中世の魔法使いの様な真っ黒な法衣に全身を包み込んだ女性だった。

 電柱の真下にいるため街灯の光をあびているが、一歩後ろに下がればそのまま、闇にとけ込んでしまいそうな雰囲気を持っていた。

 まるで意志を持たぬマリオネットが立っているかのような感覚だった。


「私に何か用ですか?」

「そう、キミを迎え入れに来た」


 法衣の女性は左腕を持ち上げた。

 そこにあったのは、緑色の宝玉をはめ込んだブレスレット。


(水代晴菜と鳴恵さんが、しているのと同じ物?)


「何で、あなたがそれを?」


 法衣を着た女性がゆっくりと、美咲に向かって歩いてくる。

 普通なら、こんな謎な格好をした人物に真夜中いきなり近寄られたら、迷うことなく逃げるだろう。

 しかし、今は、逃げることなど頭の隅にすらなかった。


「これは『風』。そして、キミは……」

「『花ぁ』なんだよぉ~~」


 法衣を着た女性の声は、その横から湧いて出てきた変に間延びした声によって遮られた。

 思わず、声のした右側に視線を向ける。

 そこに立っていたのは、まるで何処かの研究所から瞬間移動してきたかのような、白衣に身を包んだ女性だった。


「やとぉ、見つけたよぉ。初めましてぇ、これからぁ、あなたのことぉ、いっっぱい、研究させてねぇ」


 まるで、転校生を迎え入れるかのように白衣の女性は元気よく手を振って、美咲にアピールしてくる。

 白衣の女性も法衣の女性も、こんな普通の夜の公園にては異常者と思われても仕方ない雰囲気を持っている。

 それでも、美咲はあの法衣の女性が腕にはめたブレスレットが気になってしかたない。


(もし、わたしにもあのブレスレットがあれば、鳴恵さんに追いつける? 水代晴菜に負けることもない?)


 頭の中で声が聞こえた。

 それは昨日も聞いた声だったが、より明確な声音で美咲の脳裏に響いてきた。


『早ク私ヲ咲カセテ』


 それはとても儚い声色だった。


「既に声が聞こえているというのは、期待できますわね」


 白衣の女性とは逆側からまた別の声が聞こえた。

 今度は、法衣や白衣のように突拍子もない格好ではない。

 まるで大企業の社長秘書の様に、皺一つないスーツを着こなして、目元には銀縁の眼鏡をかけた女性だった。

 しかし、美咲の視線は女性を見てはいない。

 美咲が見ているのは、ただ一つ。

 秘書風の女性の掌に乗せられた桜色の宝石をはめ込んだブレスレットだった。

 鳴恵が持ち、晴菜も持っているが、美咲だけは持っていないブレスレットが、彼女の目の前にある。

 まるで、美咲を待っているかのように、桜色のブレスレットは儚く電柱の光を反射させた。


「それは、一体、何?」


 掌にある桜色のブレスレットを自らの腕にはめる気配を全く見せない秘書風の女性に、尋ねた。

 しかし、秘書風の女性は薄く、まるで今から無力な奴隷を思いのままいたぶる貴族のような、怜悧な笑みを浮かべるだけであり、答えは別の場所から返ってきた。


「女、それは『花のティア・ブレス』と呼ばれており、その名の通り『花』の力を有しておる」


 声は、秘書風の女性の左側―法衣を着た女性とは正反対の場所―から聞こえてきた。

 しかも、この公園では初めて聞く男の声であり、陸上自衛隊員を思わせるような低く胸に響く声だった。

 これで、四方を囲まれたことになる。

 しかし、美咲は自分の左に立つ男の姿を確認しなかった。

 いや、正確には出来なかった。

 目の前にある桜色のブレスレット―花のティア・ブレス―から、もう視線を外すことが出来ず、頭の中に何度も『花のティア・ブレス』の儚き願いが咲き誇る。


『早ク私ヲ咲カセテ』


『早ク私ヲ咲カセテ』 


『早ク私ヲ咲カセテ』


「早く私を咲かせて」


 求められて、そして自らも求めて、『花のティア・ブレス』に向かい一歩を踏み出した。

 もう置いてきぼりは嫌で、自分も鳴恵のいる世界に踏み込みたくて、彼女はこの一歩がこれから起きる悲劇の幕開けでもあるとはまだ知らなかった。


「拾いなさい。これはあたなの力であり、私たちのために使われる力よ」


 そう言うと、秘書風の女は惜しみもなく『花のティア・ブレス』を投げ捨てた。

 桜色のブレスレットは地面を転がり、美咲の足下で止まる。

 ティア・ブレスを拾い上げる美咲、そんな彼女に『風』が念を押す。


「キミ、それをつけると、何が待っていてももう後戻りは出来ないよ」


 だが、躊躇わなかった。

 桜色の宝玉を持つ『花のティア・ブレス』を左腕にはめることで、自らの意志を示して、彼女は『ティア・ブレスの戦士』となる。


「それが、あなたのぉ選んだ道だねぇ。だったらぁ……」


「唱えなさい、『花』の力を引き出す、誓約の言葉を。さすれば……」


「女、お主は、我らが仲間へとなる」


 取り囲む彼、彼女らは口々にそう言う。

 美咲は『花のティア・ブレス』をゆっくりと眼前に持ち上げると、儚い動作でそこに埋められた桜色の宝玉を撫でる。


「ティア・ドロップス コントラケット」


 誓約の言葉。


 美咲の体は一瞬にして桜色の光で包まれ、次の瞬間、彼女は生まれ変わっていた。

 ついに、反逆者が待ち望んでいた『花』がその蕾を開いた。

 桜色の衣を纏いし戦士に向かい、たった一つの拍手が浴びせられる。

 取り囲む四人の一の誰かではない。その後ろから音は聞こえる。


「ようこそ、反逆者へ。ティア・フラワー」


 拍手がより鮮明になってきて、ついにその男が姿を表した。

 その氷河のような冷たい風貌を持つ男は、怜悧な笑いをその頬に刻み込む。


「反逆者?」


 初めて聞く単語は首を傾げるが、男は答えない。

 変わりに、声を発したのは、あの法衣を纏った女性だった。

 彼女が、美咲と同じ誓約の言葉を唱える。

 一瞬、公園の闇が緑色の光で包まれ、再び闇に支配されたとき、もう一人の『ティア・ブレスの戦士』がそこに立っていた。

 緑色の戦士がゆっくりと美咲に向かって歩き出す。

 いつの間にだろうか。

 緑色の戦士の右手を一人の少女が握りしめて、彼女と共に歩いていた。

 まるで小学校の低学年と思えるぐらいに小さな少女だ。

 先程まで、彼女が纏っていた法衣の後ろにでも隠れていれば公園の薄暗さに紛れて、美咲が姿を見つけ出せなくても不思議はない。

 『風』の戦士と、少女が蕾が開いたばかりの『花』へと近寄ってくる。

 ティア・フラワーは、咄嗟に左腕を前に突き出して攻撃を開始した。彼女が敵と決まったわけではない。

 だが、『風』と手をつなぐ少女に『花』は恐怖したのだ。

 ティア・フラワーの左手から花びらが飛び出し、『風』と少女を包み込むが、しかし『風』の戦士が左手を振るだけで、強風が吹き荒れ花びらは儚く夜空へと散っていた。


「あ」


 赤子の手を捻るように簡単に自分の攻撃が防がれたことにティア・フラワーは思わず呆然とした。

 その隙に再び風が吹き荒れ、気がつき時には『風』と少女が、『花』の目の前まで来ていた。


「これが、ティア・ブレスの力。ティア・ブレスに選ばれし者は皆、キミや私のように力を持つ」


 ティア・フラワーの左腕は、『風』と少女を攻撃したときのまま前に突き出されている状態のままだった。

 手を動かす暇さえなく、『風』は『花』へと近づいてきたのだ。


「ティア・ブレスは他にも三つある。でも、残念なことに、彼女たちは私やキミの敵。どんなに大切な人だろうと、殺さねばならない」


 そして、『風』は自らの左腕も持ち上げ、『花』の左腕に打ち付ける。

 互いのティア・ブレスが打ち付けられ、誓いの音色を響かせる。


(それって、あの水代晴菜と………、鳴恵さんのことっ!!)


 誓約の美しい音色は美咲の耳には入ってこないで、彼女の頭の中を、衝撃だけが走る。


「違う。私はただ、鳴恵さんに追いつきたかっただけ。このブレスレットがあれば、あの水代晴菜だけが独占している鳴恵さんの元に私もたどり着くことが出来ると思った。ただ、それだけのこと。私は、鳴恵さんと戦いたくはない。絶対に嫌!」


 『風』から一歩下がり、首を激しく横に振る。しかし、『風』も少女も、そして、この場に居る他の反逆者の誰も美咲の願いを聞き入れはしなかった。


「だから、私はキミに言ったでしょう。もう、後戻りは出来ないって」

「でも、私には絶対に出来ない。私が、鳴恵さんと戦うなんて、そんなことなら、こんなブレスレットもう要らない」


 『花のティア・ブレス』に手をかけるティア・フラワー。

 これから自分の進む道に恐怖を抱く儚き戦士の瞳を、少女が見つめ返してきた。


「お姉ちゃん、独りが嫌なんだね」


 心を抉るその言葉に、何も言い返せなかった。それでも、少女は語り続ける。


「大丈夫だよ、お姉ちゃん。お姉ちゃんはもう独りじゃないよ」


 ニッコリと少女がティア・フラワーに笑いかけてくる。

 まるで、美咲が必死に隠してきた心の闇を掻き出し、闇がすべてを覆い隠してしまいそうな気がした。

 少女から目を反らさねばならない。

 頭ではそう分かっているのに、心は既にこの少女の瞳に縛り付けられて、少女の瞳から逃れることは出来ない。


「だって………」


 少女の瞳に、写る自分の姿を見た。

 それは、着慣れた制服姿ではなく、美咲色の衣を纏った、今までとは全く違う自分。

 その瞳の中の自分が、砕け散るのを確かに見た。


「ああああああああああぁぁぁっぁぁぁぁ!!!!!」


 少女の術にはまったティア・フラワーが絶叫を上げる。

 美咲は、姿だけでなく、その心も今までとは全く違う自分に塗り替えられてしまったのだ。


「だって、お姉ちゃんは今日から私のお人形になるんだから」


 少女が、新しいおもちゃを手に入れたことに満足げな笑みを浮かべる。

 そんな少女の前にいる『花』は、文字のごとく彼女の操り人形になっていた。


「それじゃ、行こうか。私たち反逆者の元へ」


 少女が空いていた右手を、ティア・フラワーに差し出す。

 ティア・フラワーは何の反抗も示さず、その右手を握りしめる。

 左手に『風』、右手に『花』を従えし少女は、まるで両手を両親と繋いでいる普通の少女みたいに、嬉しそうに笑うのだった。


 ついに『花』が咲いた。これより、反逆者による『制裁』が始まる。


 そして、『本当の反逆者』が動き出す。


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