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8-1:Return Of The Mother


《一人きりの帰宅路》


 学校からの帰路を一人で歩きながら、鳴恵は一人ため息をついた。

 昨日は、『風のティア・ブレス』の気配を感じて、学校を飛び出してそのまま学校には戻らなかった。

 そして、今日、再び学校に行った鳴恵を待っていたのは、何処か彼女と距離を置いている親友―三菱 美咲―だった。

 放課後、一緒に帰ろうと美咲を誘ったのだが、彼女はバイトがあるらしく鳴恵が彼女の教室に行くと挨拶もそこそこに早々と教室を出て行ったのだ。


(あ~、やっぱあの昼の一件以降、美咲、オレと距離置いてるよな)


 もう一度、鳴恵はため息をついた。

 そこで、目の前を歩くブルーアイの少女に気づいた。

 今日の彼女は昨日のように制服姿ではなく紺のワンピースを着ていた。

 鳴恵は朝、何度も一緒に行こうと誘ったのだが、晴菜はカザミスを捜すと言い張り、立ちはだかる鳴恵の顔を殴り飛ばして、一人家を出て行ったのだ。


「よっ、ハルも今、帰りか?」

「気安く呼ばないでくださる」


 背後でピリピリしたオーラが流れている。

 どうやら、何の成果も上げられなかったようだ。

 鳴恵は先ほどまでとは違う―不安からではなく心配から出る―ため息をついて、角を右に曲がった。

 そのすぐ先には彼女達が住むマンションがある。

 セキュリティーが掛かった自動ドアを鍵で開けて、エレベーターに乗り込む。その間、晴菜は黙って鳴恵の後ろについてきていた。

 エレベーターは五階で止まり、鳴恵と晴菜は彼女たちの家である507号室にやって来た。

 中には明里がいるはずだから鍵は掛かっていない。

 鳴恵は毎日何回も繰り返してもはや意識さえしなくなった動作で、ドアの取っ手を掴む。

 そこで、固まった。


「どうしましたか、鳴恵。何故、ドアを開けないのですか?」


 後ろで晴菜が首をかしげるが、鳴恵には予感があった。

 長年この家に住んでい鳴恵にしか分からない微妙な変化があった。


(朝、出るときとは何かが違う。これってもしかして……)


 ここで止まっていても、何も始まらない。

 鳴恵は取っ手を捻り、ドアを押し込む。

 玄関には、この数週間で見慣れた明里のスニーカーとは別にもう一つ、別の靴が綺麗に揃えられていた。


「鳴恵、それに晴菜。二人は一緒。それは都合が良い」


 リビングへ繋がるドアが開いて、明里がほんの少し困ったような表情で出てきた。

 ついで、リビングからほのかに甘い香りが漂ってくる。

 鳴恵にとって、とても懐かしい香りだ。

 生まれたときからずっと大好きだった香りだ。


(やっぱり)


 慌てて靴を脱いで、廊下を走って、明里の横を通り抜けてリビングの中に入った。


「おかえりなさい、鳴恵ちゃん」


 晴菜は玄関に、明里は廊下にそれぞれいる。

 それなのに、リビングに入ってきた鳴恵を優しい声が出迎えてくれた。

 朝、出る前まではこんな事はおかしかった。

 でも、晴菜と明里に出会う前はむしろこの声が出迎えてくれるのが当たり前だった。

 ゆっくりと視線を横に動かす。

 綺麗に掃除されたカーペット、皺一つ無いソファ、チョコレートケーキと手作りクッキーが並べられているテーブル、そして、椅子に座って紅茶をカップに注いでいる、彼女がいた。


「……ママ」


 本当の帰国予定はまだ三週間も先の事だった。

 それなのに鳴恵のママはまるで、今朝もこの家にいたかのように、ごく自然にそこにいた。

 予想外の出来事。『雷のティア・ブレス』を持つことを選んだ日から、ずっと会いたいと願っていた『憧れ』が今、目の前にいる。


「はい、ただいま、鳴恵ちゃん」


 そう言って、鳴恵のママ―神野 小夜子―は昔から何一つ変わらない、皆を優しく包み込む笑顔を浮かべるのだった。


「ママ!!」


 叫ぶと、歓喜のあまり小夜子に抱きついた。

 小夜子も娘のいきなりな行動に困惑の表情を浮かべたが、大方の事情を既に明里から聞き出していた彼女は何も言わずに自分の娘を優しく抱き返した。


___________________________________

《神野家 リビング》


 それから、小夜子は晴菜に軽く自己紹介をすると、彼女と鳴恵、明里の三人をテーブルに座らせた。

 既に、午後のお茶会の準備は万全であり小夜子は紅茶を一口すすると、それこそ井戸端会議のようなごく当たり前の口調で、非日常なことをさらりと言ってのけた。


「でも、びっくり。鳴恵ちゃん、電話で話した時に何か隠していると思ったけど、まかさ宇宙人と同居しているなんて」


 小夜子同様、紅茶を飲んでいた鳴恵は、思わず口の中身を吹き出しそうになる。


「ゲッホ、ケッホ」

「大丈夫、鳴恵ちゃん?」

「うん、なんとかぎりぎりセーフ。でも、ママ、晴菜や明里が宇宙人だって話信じたの?」

「はい。明里さん自身がそう仰いましたから」

「でも、宇宙人だぜ、宇宙人。もっと、こう、普通、相手のこと疑ったりしない。オレだって、すぐには信じられなかったのに……」

「それは、私も気になっていた。小夜子さんは、私の正体を聞いても、殆ど驚かなかった。でも、全く驚かなかった訳でもない。私たちがインド人だと言った様な、そんな微妙な驚き方だった」


 小夜子の手作りクッキーを頬張りながら、明里が口を挟んできた。

 鳴恵と晴菜が帰宅する前に何があったのか分からないが、明里は小夜子の事をかなり信頼しているようだ。


「ああ、そう言えば、言ってませんでしたね。私、高校時代と大学時代にそれぞれ一回、宇宙人と会ったことがあるんですよ。高校の時は、とある雪山で。大学の時は、アラスカの方で」


 たっぷり三秒は間をおいて。


「ええええ~~~!!」


 鳴恵は大声を上げ、


「小夜子さん、凄い」


 明里は目を大きく見開いて、


「わたくしたちを含めて、三度目。一体、どんな人生を歩いてきたのですか?」


 晴菜は呆れながらも、何処か期待する声音で鳴恵の『憧れ』に言った。


「まあ、話せば長くなりますから、その話はまた後ほど」


 三者三様の反応を何処か楽しみながら、小夜子は三人のティア・ブレスの戦士達に向かって、朗らかに笑いかけるのだった。


___________________________________

《夕日の差し込む食卓》


 反逆者。

 ティア・ブレス。

 その辺りの事情をすべて知った上で小夜子は、晴菜と明里の同居を認めてくれた。

 もっとも、勝手に二人を家に上げていたことについては小夜子は母親として鳴恵をしっかり叱ったのだが。

 そして、鳴恵は罰として、夕食作りの手伝いをさせられる羽目になってしまったのだ。

 普段一人称が『オレ』であり、女らしさよりも男らしさが確実に勝っている鳴恵は、見た目に違わず、料理が大の苦手であった。


「鳴恵ちゃん、豆腐切り終えた?」


 自分は軽快な手つきでレンコンを炒めながら小夜子は、隣で包丁を片手に悪戦苦闘している娘に聞いてくる。

 一応、かなり歪な形で何個かは完全に壊れてしまったが、切る分には切り終えた鳴恵は、『ティア・サンダー』として反逆者と戦い終えた後以上に疲れ切った顔で頷く。


「だったら、次は、片栗粉を溶いて」


 しかし、これは罰である。

 休む暇など与えられず、すぐさま次の指令が飛ぶ。さらにげんなりとした顔つきになりながらも鳴恵は言われた通り、片栗粉の袋を開けてボールの上に広げる。

 ふと、隣を見ると―当たり前だが―小夜子がそこにいた。

 父親の仕事に付き添って、鳴恵一人置いて遠くフィリピンに行っていた彼女が今はすぐ手の届く場所にいる。

 鳴恵を一人置いて行かねばならないことを小夜子は酷く悔やんでいた。

 多分、夫の仕事に付いていくだけなら小夜子は鳴恵と一緒に日本に残っただろう。

 でも、鳴恵は知っている。

 それだけじゃないんだ。

 母親がフィリピンに行ったのは、あの日幼い鳴恵を守ってくれたように誰かを守るために、小夜子は行かねばならなかったのだ。

 でも、やっぱり寂しかった。

 電話を通して鳴恵の様子がおかしいと、すぐに帰ってきてくれたのが凄く嬉しかった。

 鳴恵の『憧れの人』。強くはないけど、すごく強い人。

 『雷のティア・ブレス』を持ち続ける上で、心の支えとなる目標が、今、そこにいる。


「鳴恵ちゃん。私の顔、何か付いてる?」


 ガスコンロの火を止めて、レンコンの炒め物の上に湖沼を振りながら首をかしげている。


「ううん、ごめん、ママ。何も付いてないよ」


 思わず、ぼ~としていた鳴恵は慌てて、作業に戻る。

 そんな娘の姿を、不思議そうに眺めていた小夜子は、「鳴恵ちゃん、水多すぎよ」と注意を促して、今度はお吸い物を作り始めた。


 台所から香ばしい匂いがする。

 鳴恵、晴菜、明里。

 年頃の女の子が三人もいるというのに、非常に残念な事に彼女たちは皆料理が得意ではなかった。

 そのため、今までは主にレトルトや出来物の料理が多かったのだ。

 そんな貧しい食生活をしてきた者にとっては、食欲を刺激してしかたない香りがリビングに充満する。


「彼女が、鳴恵の憧れですか」


 リビングに腰を下ろしながら、晴菜はずっとキッチンの方を見ていた。

 リビングとキッチンとの本来扉がある場所には、壁が無く、リビングから料理に悪戦苦闘している鳴恵とその横で非常に洗練された動きで料理を続ける小夜子の姿がよく見える。


「そう。私が思っていたのと、全く違う人」


 晴菜の隣に腰掛けた明里が言う。

 客人というか、小夜子公認の居候になった彼女たちは本来、こんなにのんびりしていていないで、部屋の掃除の一つでもすべきなのだが、宇宙人たる彼女たちは、そんな地球人的思いやりを知らなかった。


「わたくしも、もっと『彼女』みたいな人を想像していました」

「カザミスと小夜子さんじゃ全然違う」

「そうですわね」


 そう言う晴菜の先では、小夜子に叱られながらも、笑顔で楽しそうに料理をしている鳴恵がいた。

 どうしてだが、知らぬまに優しげな笑顔が浮かんでいた。

 それを見つけた明里は、しかし何も言わず小夜子と鳴恵―二人の親子―の料理姿を見守っていた。


「鳴恵は、一体、小夜子の何処に『憧れ』ているのでしょうね」


 その答えは鳴恵しか知らない。

 だから、明里は何も答えられなかった。

 晴菜も答えを期待していなかったが、その顔にあった笑顔は消え、裏切られた者の憎しみが浮き出していた。



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