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7-3:Water Hearts And Flower Hearts Part3

《羽黒高校 1年E組》


 一体、何が起きてしまったのだろう。

 五限目。

 日本史の授業なんて全く耳に入らない状態で、晴菜は先ほどの出来事を思い返していた。

 あの時、何も考えられなかった。

 気がついたときには既に、自分と鳴恵との関係を認めてしまっており、どうしようもない状況になっていた。

 でも、あの瞬間、胸に引っかかっていた嫌な何かが抜け落ちて、あの美咲とか言う少女の驚愕に満ちた顔を見るのが何故か気持ちよかった。

 自分は反逆者の手がかりを求めてこの学校にやってきた。

 昼休みが始まるときはそれだけしか考えてしなかったはずだ。

 だが、鳴恵に手を引っ張られて校内を回り、三菱 美咲と出会った事で何かが変わった。

 分からなかった。

 自分が鳴恵の事をどういう風に思っているのか、そして、美咲に対するこの憎しみにも似た感情はいったい何なのか。

 感情の深みへと迷い込んでいく。

 この感情は、あの日、『彼女』に裏切られた日のソレと何だか似ていた。


___________________________________

《戦場と化した廃工場》


 ティア・ライトの指先から伸びた白銀の糸が輪を作り、シャーグルの頭上に、天使の輪のように浮かぶ。

 その白銀の輪は、シャーグルの首元まで一気に降下して、輪の半径を急激に縮めるが、そこには既に獲物の首は存在しなかった。

 とっさにしゃがみ込んだシャーグルは、起きあがると同時に前へ飛び、ティア・ライトの首筋を、手に生えた牙で切り裂こうとする。

 ティア・ライトは体を捻り、薄皮一枚のぎりぎりの距離で攻撃を避ける。

 前に飛び出し、がら空きになったシャーグルの腹に膝打ちをたたき込もうと左足を思いっきり振り上げるが、攻撃は既にシャーグルに読まれていた。

 シャーグルは、前に飛び出してもけして地面から離すことは無かった右足の力だけで、体を真横に転がしたのだ。

 ティア・ライトの蹴りが空を裂き、地面を転がり敵との距離を取ったシャーグルが体勢を立て直す。


「お主、強いな」

「あなたもね」


 シャーグルとティア・ライトは共にじわりじわりと近づいていき、ある間合いになるとぴたりと止まった。

 後一歩、どちらかが踏み出すとティア・ライトの射程距離にはいる絶妙な距離感だ。

 白銀の糸を伸ばすことで、ある程度遠距離の攻撃も可能なティア・ライトに対して、シャーグルの攻撃方法はその腕に生えた牙のみ。

 この距離に置いては、ティア・ライトの方が有利なのだが、彼女は最後の一歩を踏み出さなかった。


「来ないのか?」

「あなたに、聞いておきたいことがあるの」


 いつもの明里らしい、感情の起伏がほとんど感じられない声だった。

 しかし、武道家という者は戦いの中で相手の機微に敏感に反応し、そこに生まれる隙をつき、勝機を作り出す。

 シャーグルは敵の声の中に微かな、隠しきれない悲しみを感じ取った。


「良かろう。答えられる内容なら答えよう」


 勝機は一瞬。そこを見逃さず、相手の懐に飛び込めば、シャーグルにも勝機がある。


「反逆者の中に、マロードがいるでしょう」

「彼女がどうした?」

「古い知り合いなの」


 ティア・ライトが両の掌と掌を合わせるのと、シャーグルが駆け出すのは同時だった。

 シャーグルが迅速の足で迫り、対するティア・ライトも両の指と指の間に計五つの白銀の糸を張り巡らせた。


「ホワイト・ファイ・ウェーブ!」


 反逆者を貫くため、五本の糸が真っ直ぐに伸びる。

 牙と白銀の糸が、再び激突するその瞬間、左手のティア・ブレスが共鳴を起こし、



 一陣の風が吹いた。


___________________________________

《憧れと言う名の幻想を追い求める少女》


 この感覚、間違えなかった。間違えるはずもなかった。

 鳴恵や美咲に対する迷いなどすべて吹き飛ばして、晴菜は、椅子から立ち上がった。

 授業中だというのも、他の生徒の奇異の視線も気にならない。

 今、彼女を支配しているのは水のティア・ブレスが伝えてくる感覚。


 ずっとこの風を追い求めて、ずっとあの強さに憧れて、最後には裏切られた。


 心の中がごちゃ混ぜになる。

 心の傷を覆っていた布がはぎ取られ、その周りに鳴恵に対する疑問や、美咲に対する嫌悪がまたしてもやって来て渦を巻く。

 窓に目を向ける。

 偶然にも、狂風が吹き荒れ、窓ガラスが激しく揺れた。


「カザミス」


 脳裏をよぎる褐色の肌を持つ女性。

 『彼女』がついに現れたのだ。


___________________________________

《強き風に支配される廃工場》


 一陣の風が止んだ。


 白銀の糸はあさっての方法へ飛ばされ、廃工場のコンクリート壁をいくつかえぐり取っただけでその輝きを失い、虚空へと消えていった。

 必殺の攻撃が敵を仕留め損なった事を明里は、何とも思わなかった。

 それ以上に、よく見知った女性の乱入に動揺していた。

 乱入者は、中世の魔法使いのような真っ黒の法衣を着て、ローブを目深に被っているため顔はよく見えない。

 それでも、わずかな隙間から見える褐色の肌と、なにより今の『風』がこの乱入者の正体を雄弁に語っていた。


「久しぶり、カザミス」


 明里の呼びかけに、乱入者―カザミス―は反応せず、ティア・ライトを完全に無視して、大胆にも敵に背を向けた。


「シャーグル、キミはここで何をしていた?」


 カザミスの問いかけにシャーグルは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。

 使命として与えられていないことを行い、命令を無視して『光のティア・ブレス』の戦士と戦っていた。

 どんなに言い訳をしてもシャーグルに非があり、また、彼は言い訳をして逃げるような男でもなかった。


「アーガの死体を返してもらおうと、罠だと分かってここにやって来た。それだけのことだ」


 腕の牙を引っ込め、シャーグルは戦闘態勢を解いた。

 どうやら、彼は同じ反逆者であるカザミスと拳を交えるつもりは毛頭無いようだ。


「そうなの。じゃ、アレが無くなれば、もうこんな事はしないね」


 明里は反応できなかった。

 気がついたときには、カザミスはティア・ライトに向けて左手をかざしており、彼女がこちらに振り向いたと気づいたのは頬を一陣の強風がかすめたからだった。

 次の瞬間、何かが砕ける音が響いた。


(流石、晴菜の『憧れ』。その強さは今も健在か)


 明里は、もう一度、両の掌と掌を合わせ、五つの白銀の糸を生み出す。

 晴菜でさえその足元に及ばず、最強のティア・ブレスの戦士と称されたカザミス相手にどこまでやれるか分からないが、ここでカザミスを殺せば、晴菜が苦しむことも無くなる。

 背中にじわりと迫り来る恐怖とも戦いながら、ティア・ライトはゆっくりと一歩を踏み出した。

 カザミスの掌が今度は、間違えなくティア・ライトに向けられる。

 明里はきつく唇をかみしめて、来るべき衝撃に構えたが、すべては杞憂に終わってしまった。


「ティア・ライト。私は、シャーグルを止めに来ただけで、キミとはまだ戦えない。だから、今日はここで引くの」


 風が舞い上がった。廃工場に降り積もった埃や塵を舞い上げた風は、ティア・ライトの視界を完全に覆った。

 そして、風が止み、視界が開けたとき既に、そこにいた二人の反逆者は消え去っていた。


(逃げられた……いや、助かったのはわたしの方か)


 既にティア・ブレス同士の共鳴反応は止んでいる。ティア・ライトはゆっくりと息を吐き出すと、後ろに振り返った。

 だいたい予想は出来るが、カザミスがあの『風』で壊した物を確認するためだ。


(晴菜じゃないけど、嫌な状況)


 明里の視界に広がっていたのは、予想通りバラバラに砕かれたアーガの焼死体だった。 そして、予想外の事態も起きていた。


 そこには『水のティア・ブレス』に選ばれたブルーアイの少女が立っていたのだ。


 明里はカザミスに集中しすぎていたため、全く気配に気がつかなかった。

 だが、明里と対峙していたカザミスはティア・アクアの姿をしかと捕らえることが出来たはずなのに、カザミスは晴菜の存在を無視して逃げ去った。

 憧れを追い求めてきた者にとって、これほどの仕打ちは他にない。

 ティア・アクアは、その場に跪くと、カザミスの力によって粉々に粉砕されたアーガの焼死体を一握り掴んだ。


「分かってましたわ」


 砂浜の砂が握りしめた拳から抜け落ちるように、ティア・アクアの拳から灰が抜け落ちる。


「プラント・ゼロで『風』の力を見たときから、反逆者の中に、彼女……カザミスが……いることを。でも、わたくし、本当に受け入れてはいなかった。心の何処かで嘘かと思っていた。あの日、わたくしを裏切ったカザミスは偽物で、なんてそんなありもしない妄想に縋ってた」


 その手から、死者の灰がすべて抜け落ちた。

 でも、晴菜の激情はまだ彼女の中で燻っている。


「現実なのですわよね。カザミスは反逆者で、わたくしが倒さねばならない敵なのですわよね」


 心の中にある激情を今ここですべてはき出してしまえば、どんなに楽になることだろう。

 だが、『気高き一滴』はそんな醜態を見せる自分をけして許しはしなかった。

 あの日、カザミスに裏切られた日もそうであったように、晴菜は悲しみや苦しみを心の奥に押し込んで、無理矢理蓋を閉める。

 心の中で悲鳴が聞こえた。

 でも、裏切られた今でも『強き彼女』に憧れの念を捨てきれない晴菜は、自分の心の悲鳴に屈することは無かった。

 その行為が、自分を追い込んでいく行為だと、晴菜はまだ知らない。


___________________________________

《風が吹き抜けた廃工場》


 地面に膝をつき、それでもそのブルーアイは、獲物を射抜くように前を見ていた。


(ハル、お前、それで大丈夫なのか?)


 ティア・ライトとティア・アクアから少し離れた所に黄金の衣を纏った鳴恵―ティア・サンダー―が立っていた。


 『雷のティア・ブレス』を持つ、彼女も五限目に晴菜同様、『風のティア・ブレス』の異様な気配を感じていた。

 『水』や『光』とは明らかに違う、迷い無く吹き抜ける強風を体全身であびたかのような、強大な気配を感じ取ったのだ。

 そして、『風のティア・ブレス』の気配を感じてほとんど間をおかず、晴菜が隣の教室を出て行くのが分かった。

 授業中に抜け出すことは確かに躊躇いはした。明日、先生やクラスメートから理由を聞かれたら、うまい言い訳が出来るとも思えない。

 だけど、晴菜を放っていくことはどうしても出来なかった。


(あの『風』がハルの憧れ。オレのママとは大違いかもな)


 ティア・ブレスの戦士としては半人前である鳴恵は、移動速度においても晴菜から大いに遅れを取る。

 だから、ティア・サンダーがティア・アクアに追いついたときは既にカザミスはいなかった。

 でも、あの『風のティア・ブレス』の気配と、もはや灰としか称せないアーガの焼死体を見るだけでカザミスの力の程は嫌と言うほど分かる。

 あの強さに、晴菜は憧れたのか。


(こんな時、ママならハルにどんな言葉かけるのかな)


 自分の憧れである、母親の優しき音色を思い出しながら、鳴恵は傷ついた仲間―いや、大切な友達―を少しでも助けたいから、前に向かって歩き出した。


___________________________________

《取り残された者の教室》


 五限目の途中で、いきなり水代 晴菜が教室を飛び出したときに、覚悟はしていた。

 でも、やっぱり、こうやって現実を突きつけられると、覚悟していた悲しみさえも現実になってしまう。

 美咲は、鳴恵のクラスメートにお礼を言うと自分の席に戻った。

 今は、五限目と六限目の中休みで、もう一分もしたらすぐに次の教師がやってくる。

 でも、水代 晴菜が教室に戻ってくる気配全くないし、鳴恵もまた五限目の途中でいきなり教室を飛び出したきり、その消息は分からない。

 悠々と教室に入ってきた教師の姿が邪魔で仕方なかった。

 出来ることなら、今すぐ美咲も学校を飛び出して鳴恵が知何処に向かったか知りたかった。あの水代 晴菜が何者であるか知りたかった。

 鳴恵と知り合いだと、自ら肯定した謎の転校生。

 彼女は鳴恵とどんな関係なんだろう。

 あの時、鳴恵との関係を肯定した時に一瞬見せた勝ち誇ったような表情が頭から離れない。

 鳴恵と晴菜は何かを隠している。

 それが、あの二人を繋げている絆。

 その秘密が何であるか知りたい。

 その秘密が理由で、二人がいきなり学校を飛び出したのは間違えないだろう。

 でも、鳴恵は、晴菜との関係を隠していたように、美咲に秘密を教えてはくれない。

 もう一度、あの晴菜の顔が脳裏にちらついた。

 昼休み、鳴恵が美咲のことを『一番の友達』と称してくれた時、美咲は心が躍るほど嬉しかった。

 なのに、今は自分と鳴恵の間に確かな壁を感じる。

 今の美咲にはその壁を越える力はなく、そして、悔しいことにあの水代 晴菜は壁の向こうにいる。

 今朝、晴菜を盗み見た時のように、自分が儚く散る桜の花のような惨めな存在に思えてきた。


 その儚く散った桜の花びらは、黒く澄んだ水面の上に落ちて、水が共鳴するかのような聖なる音を奏でた。


 何かに呼ばれたような気がした。


___________________________________

《ドレイルの研究室》


 同時刻。

 反逆者によって、奪われた最後のティア・ブレス―『花のティア・ブレス』―が、内に秘めた桜色の宝石を儚く明滅させていた。

 それは、主を求めるが故か、いや違う。『花のティア・ブレス』は、今、己の主を決めたのだ。

 明滅は主を見つけ出したが故の喜びと言った所か。


「みぃつけぇった」


 桜色に輝く『花のティア・ブレス』を前に、白衣を着た女性がうっすらと笑うのだった。



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