5-1:One Night Tell
《神野家リビング -眠れない夜-》
夜、眠れない鳴恵はどうしようもなくリビングへ行くと、そこには晴菜がいた。
「あれ、お前も眠れないのか?」
リビングの入り口に立ったまま、鳴恵が尋ねると、晴菜は首を縦に振った。
「ええ。少々不快な夢を見てしまい、胸が高鳴ってしまい眠れないのです」
「そっか。じゃ、オレと一緒だな」
そう言うと鳴恵は晴菜が座っているソファーではなく、リビングに面しているキッチンへと足を運んだ。
冷蔵庫を開け、こんな時のために買っていたとっておきの缶を二本取り出した。
「晴菜、ほら」
再びリビングへと戻ってきた鳴恵は、持っていた缶の内、緑と紫の線が入っている方を投げた。
缶は見事な放物線を描き、晴菜の手に収まる。
「………これは?」
受け取った缶を興味深げにしげしげと観察する晴菜。
彼女の手にある缶には葡萄の絵が二つほど書かれているので、葡萄味だという事は分かったのだが、缶の雰囲気が何処無く今までのジュースと違う気がした。
何というか、高級感がある缶だった。
「ま、ジュースの一個と思えばいいさ。酎ハイって言って、嫌な気分を忘れさせてくれるアルコールって成分が入っている飲み物だよ」
そう言いながら、鳴恵は晴菜の横に腰掛け、笑いながらレモンの絵が描かれて晴菜のとは色違いの缶小さく振って見せた。
「アルコール………それは知ってますわ。つまり、これはお酒ですね」
「正解。お前、こういう知識は持っているんだな」
「知識だけ。単語を覚えるときに、そういう飲み物だって覚えただけですわ。手にするのはこれが初めてですわ」
「じゃ、初体験か。あんまり体に良い飲み物じゃないから飲み過ぎは駄目だけど、適度に飲んでいると気持ちが楽になるぜ」
そう言いながら、鳴恵は缶の蓋を開けた。
晴菜もそれに習い、蓋を開けるのだが、そこで缶に記された文字に気がついた。
「鳴恵、ここに、お酒は二十歳になってからと書かれていますわ。あなたの年齢は確か……」
「あ~、気にしないでいいぜ、それは。確かにまだ、法律上大人じゃないが、オレにだって、一時で良いから目をそらしたい事ぐらいあるんだからな。ほら、ハル、乾杯だ」
「だから、気安く呼ばないで……」
「気にするな。 乾杯」
自分の缶と晴菜の缶とを合わせあった鳴恵は、素早く缶を口元に運んだ。
会話を無理矢理中断させられたことは不快だったが、晴菜も手にした『葡萄味』の誘惑には勝てず、渋々ながら酎ハイを口に運ぶ。
不思議な味だった。
今まで飲んだ葡萄味のジュースと比べれば砂糖のような甘さが少なく、変わりにツンとした刺激のような苦みが少しだけある。
一口飲んだときは思わず、顔をしかめた晴菜だったが、三口も飲めば舌が味に慣れ、ほのかな浮遊感の元、この味もありかもしれないと思い始めていた。
それからしばらくは、鳴恵も晴菜も無言で缶を口元に運んでいた。
深夜にリビングに流れるのは音量を下げているテレビから聞こえる音楽だけだった。
鳴恵も晴菜もぼんやりとテレビを眺め、少しずつ酎ハイを飲んでいく。
静寂が破られたのは、どのくらい時間が経ってからだろう。
軽く酔いが回った二人には時間の経過がイマイチよく分からなかった。
「なあ、晴菜、お前、嫌な夢見て眠れないんだよな。一体、どんな夢だったんだ」
視線をテレビに向けたまま、しかし、目元は鋭く鳴恵が尋ねてくる。
「何で、あなたに言わなくてはいけいのですか?」
晴菜も正面を向いたまま、答える。
「理由はないわな。ただ、知りたいと思ったから、それだけさ。ま、言いたくないなら、言わなくても良い。変わりにオレの話を聞いてくれるのならな」
鳴恵はそこでいったん区切り、今の酔いを維持するため酎ハイを口に運ぶ。
こんな事、酔ってでもないと言えないから。
「オレさ、最近、すごく寝付きが悪いんだ。お前達と出会う前までは五分もあれば、夢の中だったのに、今は一時間あっても眠れない。
毎晩さ、今の自分がどうしようもなく戦うことが怖くなって、押さえられないぐらい心臓が高鳴って、ベットの中で一人葛藤してるんだ。
もう、今すぐ、お前達の前から逃げ出してさ、オレのこと誰も知らない場所へ行きたいなんて馬鹿な頭から離れなくて、しかも心の何処かはソレを受け入れようとしてて、怖くて、怖くて、怖くて、逃げ出したいって毎晩思ってる」
いつの間にか体育座りのような格好になった晴菜はチラリと隣に座る鳴恵の顔を見た。
戦いから逃げたいと言い出したことに怒りは感じなかった。
母星にいた頃だって、希望と憧れを旨に入隊してきた者が現実の厳しさと恐怖を前にして逃げ出す姿を何度も見てきている。
そして、鳴恵は先の戦いで反逆者を一人殺している。
鳴恵の脱退は、晴菜との約束を破ることになるのだが、こうなることの覚悟は既に持っていたから、彼女は極めて普通の口調で進言した。
「それなら、いっそ逃げてしまえば良いのではないのですか。別にあなたがいなくなってもわたくしたちは戦えますし、『雷のティア・ブレス』さえ返してもらえればあなたはもう、反逆者達と戦う必要もありませんわよ」
それでも、言葉に出してみると晴菜の心はチクリと痛んだ。
彼女は鳴恵に期待していた。
その期待が裏切られたことが今夜見てしまった夢をどうしようもなく思い出させて、晴菜は手にした酎ハイを流し込んだ。
思考回路が低下して、悩みが無くなってしまったかのような錯覚に一瞬おちいる。
(確かに、この酎ハイと言う飲み物は、嫌な気分を忘れ去れてくれるかもしれませんわね)
「おいおい、お前、お酒初めてだろう。あんまりペースが速いと2日酔いするぞ」
経験者として注意しながら、自分もそれなりに速いペースで飲んでいたことに気づいた。
もうすぐ、一本目が底をつきそうだ。
少し考えた後、鳴恵は缶に残っていたアルコールを一気に摂取して、その勢いのまま言おうとしていたことの残り半分を告げた。
「でもな、晴菜。オレはどうしよもなく逃げたいと思っている反面、これからの自分にどうしようもなく期待しているんだ。お前達と出会ったことで、オレはママに近づく一歩を踏み出すことが出来た。
これから、オレは少しずつあの時のママに近づいていける。
そう思うと、オレは早くママに近づきたいと胸の鼓動が高鳴って、あれやこれや色んな未来を期待して、早く、早く、早く来い、心の奥がオレの未来を急かしてくるんだ」
そこで、鳴恵は空になっている缶を一気に握りつぶした。
その感情は果たして恐怖故か、期待故か、あるいはその両方か。
「こんな矛盾した感情をさ、オレは今、毎晩抱えているんだ。とてもじゃないがこんなアルコールの力でも借りないと眠れないぜ。睡眠薬って言うのも考えたけど、なんかアレに頼ると後々怖い気がするからな、今は三日に一回ぐらいは夜な夜な一人で飲んでたんだぜ」
ちょうど、晴菜の酎ハイもなくなったので彼女は空き缶をテーブルの上に置いて、首を傾げた。
「あなたは、戦いから逃げたいんじゃないですか?」
「心の半分はそう思っているけど、半分は早く戦いたいと思っているから、イエスともノーとも言えないね。でも、お前との約束があるからな、少なくともアレを果たすまでは絶対に逃げ出したりはしないと誓うよ。逃げたりなんかしたら、絶対にママに追いつけないからな」
再び会話が途絶えた。
酎ハイも空になった二人は何をするでもなくテレビを眺めていた。
画面に映し出されているのは、何のCMだろうか、満天の星空の下で少年が走っていた。
鳴恵は結局それが何のCMであるか知ることはなかった。
CMが終わる前に晴菜が口を開いたのだ。
「あなたは結局、わたしくに何が言いたかったのですか? わたくしにそんなことを言っても何も変りませんわ」
「ああ、分かってる。オレの心の奥に本心を知って欲しかったって弱い気持ちがあるのも認める。でもさ、折角二人で飲んでいるんだから、何かしらの肴はあった方がより一層、お酒は美味しく感じられるだろう」
「なんで、そこでいきなり魚が出てくるのですか?」
「あは、違う違う。水の生き物の魚じゃなくて、まあ、おつまみって思ってもらえればいいよ」
「おつまみ………、話は食べ物じゃありませんわよ」
真顔で断言する晴菜。
言っていることは間違っていないのだが、真顔でそんなことを言われるとどうしようもなく笑いがこみ上げてくる。
吹き出すのを必死に堪えつつ鳴恵は立ち上がり、再び冷蔵庫へ向った。
まだ、酎ハイは残っているし、晴菜との会話をここで切るのはもったいないと思ったのだ。
「う~ん、こういうお酒の飲み方っていうのも、日本的っていうか地球的な文化の一つなのかな。………っていうか、そもそもお酒って地球独自の飲み物かも?」
そんな独り言を呟きながら戻ってきた鳴恵は再び、晴菜の横に腰掛けて二本の酎ハイの缶を晴菜の前に差し出した。
「葡萄は?」
鳴恵の手にあるのは、右手にピンクの線が入った桃の絵が描かれた缶と、左手に赤い線の入ったライチの絵が描かれた缶だけだった。
そこには残念ながら、晴菜の好きな葡萄味はない。
「お前が飲むなんて半信半疑だったからな、一本しか買ってなかった。今度からは買い置き作っておくから、今日はコレで手を打ってよ」
「仕方ないわね。今度は切らさないでよ」
そう言いながら、晴菜は桃の酎ハイを取った。
(こいつ、わりと甘党かも知れないな)
そんなことを考えつつ鳴恵は残ったライチの酎ハイの蓋を開け、口に含んだ。
レモンと比べ少し甘みが強い気がしたが、まあ嫌いな味ではない。
どうやら、桃の方も晴菜の味覚に合ったようだ。
彼女は早くも二口目を含んでいたりする。
「ねえ、鳴恵」
体育座りのまま両手に持った缶に視線を落しながら、晴菜が口を開いた。
(本当、不思議な気分。これは鳴恵の力、それとも酎ハイの力。一人で座っていたときに感じてた肩の重みがなくなっていますわ。一人でいたときはあれほど、嫌な状況だったのが嘘みたいですわ)
「なんだ?」
「要するに、話とはお酒を美味しくするスパイスみたいなモノなのですね」
いきなり話が『肴』の辺りまで戻ってしまったので、鳴恵は即座に反応できなかったが、頭の中で話の流れが整理できると「ああ」と頷いた。
それを見た晴菜は心の中で、
(嫌な状況。なんで、今のわたくしはこんなこと喋りたいと思っているのかしら?)
と自嘲しながらも、口を閉ざすことはなく話を続けた。
「先程は、あなたが話しましたので、今度はわたくしが眠れない理由をお話しする番ですかね」
晴菜の提案は全くの予想外のモノで、鳴恵は思わず身を乗り出し珍獣でも見るような目で晴菜を見てしまった。
「何よ、その目は」
「いや、悪い。でもさ、お前さっきはオレの質問に答えてくれなかっただろう。一体、どういう心変わりなんだと思ってな」
再びソファーに背を預けながら鳴恵は謝り、ライチ味の酎ハイを口に含んだ。
「別に、ただ話したいと思っただけです」
のどは渇いていないのに体が酎ハイを欲している感覚を不思議に思いながらも晴菜の缶を運ぶ手は止まらなかった。
「わたくしは最近、悪夢を見るのです。それは、わたくしが唯一憧れたあの方と出会って、そして、裏切られるまでの記憶なんです」
一拍おき、目を閉じる晴菜。
目を閉じれば、そこに見えるのは憧れの存在に向ってただがむしゃらに走っていた頃の自分の滑稽な姿だった。
「あの夢を見ると、心に穴が出来たような空虚感と心が沸きだつような情熱が共に襲いかかってきて、眠れないのです」
「お前もいたんだな、憧れの存在って言うのが」
「昔の話ですわ。今は、裏切られ、倒すべき敵なのです」
「倒すべき敵って、お前それじゃ、もしかして……」
お前の憧れた存在って今は反逆者の一員なのか?
そう言う続けようとした鳴恵の言葉は止めざるを得なかった。
晴菜が人差し指と中指だけをのばした手を鳴恵の眉間に向けていた。
「止めましょう。今はまだ、そこまで話したい気分ではありませんわ」
銃に見立てた手を、発砲したかのように小さく上に振り晴菜は会話を断ち切った。
裏切られたと言っていたし、悪夢とも言っていた。
晴菜の憧れの存在と彼女との記憶は、晴菜にとって気分がよいモノではないのだろう。
鳴恵もそれ以上何も聞かずに黙ってライチ味の酎ハイを傾けた。
「でも、わたしくはまだ……」
(本当、嫌な状況ですわ。何でこんなにも弱い心をさらけ出したいと願っているのかしら?)
まるで心と頭に別々の自分がいるような気分だった。
そして、今、晴菜を操っているのは普段とは違い、頭ではなく心の方にすんでいる彼女だった。
「わたくしはまだ、彼女のことを信じたい、彼女と一緒に戦いたい、彼女を追い越したいと心の奥で思っています。だから、彼女との記憶を夢で見てしまうと、あの頃の私の気持ちも一緒に思い出してしまい、眠れなくなります」
そこで、晴菜は再び隣に座る鳴恵の横顔を見た。
視線に気づいたのだろう、鳴恵も晴菜の方を向き、彼女たちの視線が交差する。
「あの頃のわたくしは、まさに今のあなたのように、未来への希望と不安で眠れない日々を過ごしておりました。だからなのでしょうかね、こんな話をしたいと思ったのも、あなたの心が痛いほど分かって、慰めたいと思ってしまったのは」
「慰めね、話を聞くとソレが必要なのは、オレじゃなくてお前のような気がするんだけどね」
「わたくしは、あなたと違って強いですから必要ありません」
「つっう、言ってくれるね。いいぜ、じゃあ教えてやるぜ、オレの強さを」
酎ハイをテーブルの上に置き、両手を自由にした鳴恵はそのまま隙をついて晴菜の脇腹をくすぐった。
どうやら、脇腹が弱いのは全宇宙共通らしい。
笑いを堪えきれなくなった晴菜は、手にした酎ハイを零さないようにと思いながらも、遂に笑い出してしまった。
その際、手に持った酎ハイがひっくり返って、胸に抱きつくような格好だった鳴恵の頭に滝のように降り注いだ。
自慢の黒髪がアルコールで浸る。
無性に可笑しくなった。
本来なら怒りが沸いてもしょうがない状況だというのに、わき上がってくるのは可笑しさだけだった。
鳴恵は自分に正直に笑った。
夜中だというのに大笑いして笑った。
晴菜は訳が分からなかった。
何故、鳴恵がこんなにも笑っているのか理解できなかった。
でも、分からないことが可笑しくて彼女も笑い出した。
リビングのソファーに向かい合った、鳴恵と晴菜。
二人は希望も不安も全部放り捨てるかのように笑い続けた。
「理解不能」
真夜中の笑い声に目が覚めた明里はリビングへの入り口に立ち、何故か笑い続けている二人を不思議そうに眺めていた。
不意に、その顔が柔らかくなる。
「でも、安心」
あれだけ、楽しそうに笑っているのだ。
少なくとも今夜はもう晴菜が悪夢に悩むことはないだろう。
明里は二人に気づかれぬようにリビングへと背を向け、自分の部屋へと戻っていた。




